第87話 幻狼衆の正体

「君がつけ髭をつけてたからねえ、私もつけ髭をつけてみたのさ。自分が変装している時ってのは他にも変装している奴がいるとは思いもしないものだ。今後気をつけな。まあ、最もここで死ぬんだから無駄か」


 玄介はにやにやと薄ら笑いを浮かべる。


「死ぬのはお前だ。盗んだ天哮丸はどこだ? 返せ」


 礼次郎は玄介との間合いを詰めて行く。


「天哮丸の蘇らせ方がわかったのか? 教えてくれるのかい?」

「まさか。知ったとしても教えると思うか?」

「ははは、やはり威勢がいいね、嫌いじゃないよ、その威勢の良さ。だけど残念だ、君はここまでの命だから」


 と玄介が言った時、蔵の壁の端々から亡霊のように姿を現した幻狼衆の者達。


「どこに隠れてやがった」


 礼次郎は険しい顔で四方を見回した。


「ふふ……じゃあお前達、頼んだよ」


 と言って、玄介は蔵の扉を開けて去って行った。


「待て!」


 礼次郎はその背を追いかけようとしたが、その前にさっと飛んで来て立ちはだかった幻狼衆の兵達。

 すでに八方を取り囲まれている。


「やるしかないか」


 礼次郎は睨み回した。

 相手は十人ほどであった。

 こちらは礼次郎と千蔵の二人だけ。

 数で言えば絶対的に不利である。

 だがやるしかない。


 礼次郎は再び心の皮を剥き、全神経の感覚を鋭敏にして行った。


 脳裏に、前々日の師匠葛西清雲斎の言葉がこだました。



 ――お前、しばらく真円流は使うな、廃人になるぞ。



 礼次郎はふうっと息を吐いた。

 額からツーッと一筋の汗が流れ落ちた。



 ――昨日もやったばかりだ。本当に危険かもしれない。


 ――だけどこの状況では使うしかない。お師匠様、すみません、



 見る見るうちに目の色が変わり、全身の毛が逆立つ感覚を覚え、その五体に剣気がみなぎって行く。


「行くぞ、千蔵」

「承知!」


 千蔵が応え、それを合図にたちまち始まった蔵の中の乱戦。


 礼次郎は地を蹴って低く飛び、最初の敵を刃筋も見せぬ早業の袈裟切りに沈めると、右に飛んで返す刀を横に薙いだ。刃光が円を描いてほとばしり、二人目の敵が地に膝をつけた。そこをすかさず追い打ちに斬りつける。


 噴いた血飛沫がサッと礼次郎の脚を赤く染めたが、その瞬間にはすでにその脚が左から襲って来た三人目の脚をひっかけて転ばせた。そして身を回転させると後方から飛びかかって来た四人目の懐に飛び込んだ。交錯した刹那、礼次郎の刀の切っ先がその腹を突き刺していた。


 そして素早く刀を抜くや、刀を左脇に構えたまま低く走って飛び上がり、先程転ばせた敵に軌道も見せぬ鋭い電光の斬撃。相手はよけることができずに一撃で倒れた。

 鮮烈な高速の連続攻撃、礼次郎は薄暗い蔵の中に縦横無尽、鮮やかに太刀を閃かせ、千蔵は忍びの体術で変幻自在の太刀さばきを見せる。

 そして十人全てを斬り伏せた。


「やったな……」


 礼次郎は息を乱しながら頭を押さえた。精心術を使い過ぎた反動か、少し顔色が悪かった。


「いや、安心はできませぬ、天井を」


 千蔵が血相変えて背の荷を漁りながら言う。

 礼次郎が納刀し、上を見上げると、そこには天井一面に植えられた無数のやじり


「あれは吊り天井か!」


 礼次郎も顔色を変えた。魔獣の牙の如く不気味に光る切っ先の群れ、あれが一度落ちれば如何なる剛勇の士と言えどもひとたまりもないであろう。


「急いで出よう!」


 礼次郎は脱出するべく唯一の出口である蔵の戸へ向かおうとしたが、そこにはいつの間にか分厚い鉄の扉が閉じられていた。

 上田城のあの離れの屋敷と同じ仕掛けであった。



 ――くそっ、あの時と同じか! あの時はゆりの爆薬で助かったが……。



「千蔵、何か方法は無いか?」


 礼次郎が千蔵を見ると、千蔵はすでに背の荷から何か取り出していた。それは火縄が巻かれた黒い球であった。


「あ、それは」


 ゆりの持っていた爆薬とよく似た焙烙玉であった。


「お下がりくだされ」


 と言い、千蔵はその取り出した黒い球の火縄の先に点火した。

 火花がジリジリと火縄を上って行く。


 そして千蔵は機を見計らってその黒い焙烙玉を真向いの壁に勢いよく投げつけた。

 壁に衝突した焙烙玉は轟音を響かせて爆発し、粉塵の混じった爆風が礼次郎と千蔵を包んだ。と同時に、天井の方で何かガタンと言う音が響いた。

 それを敏感に聞き取った千蔵はますます切羽詰まった顔となり、


「まずい、ご主君あれへ!」


 と、焙烙玉を爆発させた壁へ向かって飛ぶように駆け出した。礼次郎も後に続いて駆けた。

 噴煙の中を駆けると、千蔵の狙い通り、壁の中央に大きな穴が開いていた。


「やったぞ!」


 二人はその穴に飛び込み、脱兎の如く外へ飛び出した。

 と同時であった。恐怖の鏃を並べた吊り天井がドーンと落ちた。

 まさに間一髪であった。


「危ないところだった。千蔵がゆりと同じような爆薬持ってて助かったぜ」


 礼次郎は穴を振り返って言った。

 流石の千蔵も冷汗をかいたのか、額を袖で拭うと、


「元々ゆり様の爆薬は私がその調合法の基礎を教えたのです。と言ってもあれほどに威力を強くするとは思いませんでしたが」


 と言うと、前方を睨んだ。


「ご主君、終わりではございませんぞ」


 礼次郎は少しふらついたが、頭を左右に振ると、


「わかってるって」


 と答えて前方を見回した。


 そこには、幻狼衆の兵士達ざっと三十人ばかりを後ろに従えた頭領玄介が悠然と立っていた。


 玄介は礼次郎と千蔵の顔を見て、


「驚いたよ。あそこの全員を打ち倒したばかりか壁を爆破して吊り天井の仕掛けからも逃げるとはねえ。お前たち何者だ?」


 いつもの薄ら笑いを浮かべながら言った。だが、いつもと違ってその目の奥には冷たい炎が見える。


「あいにく、この私も忍びでな」


 千蔵が射抜くような目つきで玄介を見て言った。そして懐から、先程の焙烙玉によく似た、しかしそれよりも小さい球を取り出すと、崩れた壁の下に燻っている燃えかすに近付けて点火し、地面に思いっきり叩きつけた。すると小さな爆発が起こり、そこから天に向かって何かが真っ直ぐに飛んだかと思うと、上空でパーンと派手な火花が飛び散った。

 それを見上げた玄介は、薄ら笑いを止め、ゆっくりと視線を戻すと、真顔で千蔵の目を見て言った。


「私"も"……だと?」

「そうだ」


 と答えた千蔵の横で、礼次郎は再び鯉口を切ると、


「はっきりとわかったぜ。お前らが何者なのかを。お前らの戦い方、美濃島の戦術の破り方、高梨村でのあの動き、そして今の吊り天井の仕掛け……道理で何十人もの忍びが行っても捕まって戻って来れないわけだ。それはてめえら自身が忍びだからだ!」


 と、大声で言い放った。


「何?」


 玄介の目の色が変わり、片眉がピクと動いた。

 礼次郎は続けて、


「そしてあの蔵に貼られていた旗の三つ鱗の家紋、あれは北条家のものだ。てめえらの主君は北条家! そしててめえらは北条家お抱え忍び集団、風魔衆だ」


 と、喝破した。


「…………」

「そしてお前こそは風魔衆頭領、風魔小太郎!」


 礼次郎は目を見開いて玄介を睨んだ。

 玄介の目はしばらくその睨みを受け止めていたが、ふっと口元を緩ませ白い顔に嘲るような笑みを見せると、急激に表情を一変させて悪鬼の如くとなり、


「はっはっはっ……いいぜ、ご名答だ! そう、俺たちは風魔衆だ。だが少し違うな」


 口調もガラリと変わって言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る