第63話 作戦開始

 仁井田統十郎が一人で木にもたれかかって座り、竹筒に入った酒を飲みながら歌っていた。

 咲はそれへ歩いて行くと、統十郎が足音で気付いた。


「おう、これは咲殿。眠れぬのか」


 統十郎が歌を止めて振り返った。

 だが咲はそれに答えず、


「こんなところで何をしている?」

「なぁに……俺は夜にこうして一人月を見ながら飲むのが好きなのさ」

「ふぅん……」


 咲は上から見下ろすと、腕を組んだ。


「飲むか?」


 統十郎が腕を伸ばして竹筒を差し出した。


「いらないよ」

「そうか」


 統十郎が腕を戻して竹筒を自分の口に運んだ。

 咲が言った。


「仁井田統十郎。お前、何でここ関東にいる? 安芸灘の海出身で京の方で名を上げたお前がこんなところで何をしているのだ?」


 統十郎は、答えずに高く笑った。


「何がおかしいんだい?」


 咲は苛立ちの眉を上げる。


「いやぁ、咲殿。もう少し楽に生きたら如何か? 貴殿は少し張りつめすぎているように見える。張りつめすぎた糸と言うのは切れやすいものだぞ」

「余計なお世話だよ」

「そういうところだ。女だからと舐められないように必要以上に周りの者を恐れさせているのだろう? だが本当の貴殿は……」


 そう言ったところで咲は舌打ちすると、


「貴様に何がわかる?」

「ははは、すまんな」

「答えなよ、お前こんなところで何をしている?」


 再び咲が問うと、統十郎は夜空を見上げてふっと笑った。


「俺は天哮丸を探している」


 咲は組んでいた腕をほどいて驚き、


「何? 天哮丸だって? 城戸家のか?」

「ああ、そうだ、知ってたか」

「私らは城戸領に近いからね、城戸家の天哮丸の存在は昔から知っていたさ。もちろん見たことはないがね。だが……つい先日、徳川家康が天哮丸を狙って城戸を攻め滅ぼした。残念だが天哮丸はもうすでに家康の手の中だろう」


「いや、家康は天哮丸を手に入れてはいない」

「何故わかる?」

「俺はその城戸を攻め滅ぼした時の徳川軍にいたからな」

「本当か!?」

「ああ、だから奴らが天哮丸を手に入れられなかったことは知っている、そして今でも見つけられていないこともな」


「なるほどな……ではお前はどうやって天哮丸を手に入れるつもりだ?」

「城戸礼次郎だ」

「何、城戸礼次郎!?」


 咲が再び驚いた。


「知っているのか?」

「ああ、少しね」

「天哮丸は城戸家当主による一子相伝、その在り処も城戸家当主になる人間しか知らんと聞いた。だから俺は礼次郎の行方を追っている」

「待ちな。と言うことは礼次郎は生きているのか?」

「ああ、あの時の徳川軍の兵士たち数名に金を握らせて情報を得ている。一度は徳川軍に捕まった礼次郎だが、斬首寸前で得体の知れぬやけに強い二人に助け出されたらしい」

「そうか……」


 それを聞いた咲は表情が一瞬緩んだが、すぐに冷たい笑みとなった。


「それはいい。生きていたか」


 統十郎が咲を見上げた。


「なんだ?」

「ははは。私も城戸礼次郎には借りがあるんでねぇ」


 そう言った咲の妖艶な笑みは、月明かりに照らされて凄みのある美しさとなった。


「ほう、奇遇だな」


 統十郎がふっと笑って竹筒の酒を口に運んだ。


 決戦の前夜のことであった。



 翌日正午近く。

 この日は前日よりも一層風が強かった。常に風が砂埃を巻き上げ、時折吹く勢いの強い突風が頬を突く。

 美濃島軍は前日に戦をしたまばらに森林が散在する一帯近くにまで進軍した。

 森林を隔てた向こうにも、幻狼衆の一軍が進軍して来ていた。

 この日の戦もこの場所で始まる。

 本隊の先頭に、金糸を使った鮮やかな赤い鎧兜をまとった美濃島咲が、幻狼衆のいる方向を見つめていた。


 前線の部隊の兵士たちは皆、戦の恐怖と緊張に血走った眼で顔を強張らせていた。

 一旦戦が始まると、死にもの狂いになる為に死への恐怖はどこかへ飛んだようになるが、戦の直前の命令を待っているこの時間はあれこれ考えてしまう為に恐怖が最高潮に達する。

 そんなほとんどの兵士たちが恐怖と緊張に身を慄かせる中、その前線の部隊の中に混じっていた仁井田統十郎だけは、一人平然とした表情で立っていた。



(これで奴らと戦うことができるぞ。そしてわかる、奴ら幻狼衆が一体何者なのかが……さあ早く命令を下せ!)



 統十郎は笑みを浮かべていた。

 統十郎も他の兵士らと同様に鎧兜を身に着け、その右手には槍が握られていた。

 陣中で一番重い槍を貸してくれと所望した業物である。


 

 そして、本隊先頭にいた美濃島咲が抜刀した。

 頭上高く振り上げると、


「かかれっ!!」


 と、大音声で命令した。

 合図の戦鼓が低く重く響き渡る。

 待機していた兵士達がそれに応えて鬨の声を上げた。


 前方の方でも戦鼓の音が響くのが聞こえた。

 幻狼衆も進軍を開始したようだ。


 美濃島衆の兵士達はゆっくりと進軍した。

 そしてまばらな森林地帯に差し掛かり木々の彼方に幻郎衆の者たちが見えると、


「射掛けよ!!」


 と、弓矢を放つよう命令が下った。


「おおうっ!!」


 美濃島軍の弓矢を携えている兵士達が矢を放った。

 幻郎衆もまた同様に矢を放って来る。

 双方、矢を受けて数名の者が倒れ込む。


 しばらく弓矢の応酬となった。

 そして手持ちの矢が無くなりかけようとする頃、


「よし、突っ込め!」


 直接攻撃の命令が下った。

 刀槍を構えた美濃島軍約200人が雄叫びを上げて走り出した。

 砂煙が木々の間に舞い上がり、その中を幻狼衆先陣に向かって突撃する。

 その先頭に豪槍を持った仁井田統十郎の姿もあった。


 幻狼衆軍もまた鬨の声を轟かせてこちらへ向かって突撃して来た。


 仁井田統十郎は走りながら槍を振るって飛んで来る矢を叩き落とすと、もうその眼前には、獣の如き形相となって襲って来る幻狼衆の兵たち。


 統十郎は、まず一番最初に目についた幻狼衆兵士に槍を突いた。

 疾風の如き突きは相手の腹に刺さり、相手は血しぶきを上げて倒れ込んだ。

 そして槍を引き戻すと、今度は左から右へ一振りして数人を一気に吹き飛ばした。

 その勢いのまま槍を左上へ振り上げ、渾身の力で右下へ振り下ろす。

 豪槍が風に唸り、一人の脳天を叩きつけ、もう一人の肩を割った。

 ぎゃあっと悲鳴を上げて崩れ落ちる。



 ――うん? こいつらは大したことないな。



 統十郎はそう感じて周りを見回した。

 すでに両軍は完全に直接戦闘状態になっており、周囲あちこちで必死の斬り合い、突き合いが始まっていた。

 砂塵の中で聞こえる悲鳴、飛び散る血しぶき、倒れて行く兵士達。

 それらを見るに、



 ――しかしやはり美濃島軍の方が不利か?



 と思ったその時、頭上に何か気配を感じた。

 はっと上を見上げたその時、木の上から飛びかかって来た幻狼衆兵士の刃が目の前にあった。


「うぉっ!」


 統十郎は反射的に素早く飛び退いた。


「ちっ」


 相手は不意打ちに失敗したが、着地して舌打ちすると、間髪入れずにその刀で襲いかかって来た。

 統十郎は槍を横にして受け止めると、勢いよく跳ね飛ばした。

 そして槍の尻を相手の胸に突き、相手の身体を吹き飛ばすと、そこへ稲妻の如く穂先を突いて倒した。



 ――この戦い方、まるで山岳武術だ。どこか忍びに似ているな……これでは確かにここでは相手の方に分がある。



 統十郎は再び周りを見回した。

 すると、あの黒い上下に黒い胴当てを身に着けた者が目に入った。この危険な戦場にあって兜はかぶっていなかった。



 ――いた、あいつらだ!



 統十郎は目を光らせると、他の者には目もくれずにその者目がけて走った。

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