第62話 美濃島咲と仁井田統十郎

 咲の作戦の手筈を整えようとした半之助が、本陣から出て行こうとした時だった。


「殿」


 外の見張りの兵が慌ただしく入って来た。


「何だい?」

「何やら怪しげな男が訪ねて参りました」

「怪しげな? 今は戦のさなかだ、追い返せ」


「ですが……殿に会わせろと言って聞かず……」

「では力づくでも追い返せばいいだろう」

「そうしようと思ったのですが強いの何のって。皆投げ飛ばされてしまいました」


 兵が弱り切った表情で言った。


「なに?」


 咲が顔をしかめると、


「失礼する」


 と言って見張りの兵の後ろからぬうっと入って来た背の高い男。


「あ、おい、入るな!」


 見張りの兵が慌てて制止しようとするが、男はそれを振り切り、ずかずかと本陣の中へ入って来た。

 朱色の着物に総髪を垂らした男、それは仁井田統十郎であった。

 統十郎はその切れ長の目で本陣の中を見回した。


「噂に名高い美濃島衆の本陣にしてはみすぼらしいな」

「何だ貴様は!?」


 側近達が睨んだ。


「ああ、すまん。拙者、仁井田統十郎と申す武者修行の者、お願いがあって参った。美濃島衆のご当主はどなたか?」


 統十郎が無遠慮に言った。

 咲はその名乗りに反応し、


「仁井田……統十郎?」


 と、じっと統十郎の顔を見つめた後、


「私が美濃島の当主、美濃島咲だ」


 統十郎は咲を見ると、その妖艶な美貌を見て目を瞠った。


「ほう、美濃島衆の当主は女だったのか? しかも驚きだ、とびきりのいい女ではないか」


 咲はその美しい顔に少し冷たい笑みを浮かべ、


「何? 私を抱きたくて来たのかい?」

「それも悪くないな」


 統十郎は高く笑った。


「それならお断りだよ、帰りな。私は戦の時は勝ち戦じゃないとやる気にならないんだ」

「ほう。と言うことはやはり負けているのか」


 統十郎はにやりと笑う。


「何?」


 咲が少し苛立ちの表情を見せた。


「ふふ。まあそういらいらするな。だから俺が加勢してやろうと言うのだ。どうだ? 俺を戦陣に加えてくれんか?」

「バカなことを。どこのどいつだかわからんお前の助けなどいらん、帰りな」

「はっはっはっ……少なくともそこにいる連中よりは力になると思うぜ」


 統十郎が嘲笑するように言うと、半之助初め側近たちがすぐに反応して統十郎をにらんだ。


「何だと? でかい口を叩きおって」

「おう、ちょうどいい、試してみるか?」


 統十郎は余裕たっぷりに笑った。

 咲はそんな統十郎の全身を、吊り気味の目で鋭く見回すと、


「仁井田統十郎と言ったか? 死んでも知らんぞ?」


 冷徹に言い放った。


「やれるものならな」

「いいだろう、お前たちやってやりな」


 咲が顎で命令した。


「そう来なくてはな」


 統十郎はにやりと笑うと、陣の片隅に行き、そこに立てかけてあった袋竹刀を手に取った。


「貴殿ら四人同時にかかって来られるがよい。しかし戦の最中に傷つけてしまうのは申し訳ない。拙者はこの袋竹刀を使おう。だが貴殿らは遠慮なく真剣で来られるがよい。拙者が貴殿らのどこかに当てられたら拙者の勝ち、貴殿らが拙者に一太刀でも当てられたら貴殿らの勝ちは無論、拙者はその場で死ぬことになる」


 すると咲の側近たちは激昂した。


「な、何をなめた口を!」


 統十郎はそんな彼らを更に挑発するかの如く、


「おう、それでいい、やる気になったか、さあかかって来い」


 と左手指を立てて煽った。


「よし、後悔するなよ、やっちまえ!」


 と、半之助ら咲の側近達四人が刀を抜いて統十郎に斬りかかった。

 余裕の笑みを浮かべた統十郎はその四人の攻撃を右に左にひらひらと軽くよける。

 背の高い統十郎の体格からは信じられぬ軽やかな身のこなしであった。


「はははは……そんなザマではこの俺には一太刀も当てられんぞ」


 統十郎は尚も挑発しながら四人の攻撃をかわし続けた。


「おのれ!」


 一人が打ちこんで行ったところを、統十郎はよけざまにひょいと足をかけて転ばせ、体勢を崩したところを、


「はい一人」


 とその顔に打ち込んで倒すと、半之助含む残り三人の攻撃もからかうかの如くいなし続け、その合間を縫ってその顔に、胴に、次々と稲妻が走るが如き一撃を浴びせて行った。

 あっと言う間に統十郎の勝利となった。


「む……武士として誠に悔しいが仁井田殿の勝ちである」


 半之助が呻きながら言った。


「我ら四人を相手に……信じられん腕だ」


 一人が驚きの表情で言う。

 統十郎は低い声で高笑いを上げると、袋竹刀をくるくると回して地面に放り投げ、


「美濃島咲殿、どうであろう? これで拙者を戦陣に加えてくれる気になったかな?」


 と、咲の方を向いた。


「仁井田統十郎。噂に違わぬ凄腕ねえ」


 咲は薄い笑みを浮かべた。

 統十郎、笑っていた顔が一瞬真顔になり、


「俺の名を知っていたか?」

「以前、京に行った時に噂で聞いたことがある。わずかな短期間の間に京界隈で名を上げた凄腕の剣の達人がいるとな。だが安芸灘の海の島出身と言うことと、珍しい無反りの直刀を使うと言うこと以外は何もわからない謎の剣客……その通り名は直刀十郎、または朱色の統十郎……お前のことであろう?」


「そうか、知っていたか。その通りだ、朱色の統十郎とは俺のこと。知っていたならば尚のこと話が早いではないか、俺を戦陣に加えてくれ」

「だが貴様が幻狼衆の間者ではないと言う証は無い」

「おいおい、ここまで堂々と来た俺が幻狼衆の間者に見えるか?」

「確かにそうだけどねえ……でもお前の目的は何だい? 何で我らの軍に加わろうとする?」

「理由は至極簡単だ、あの幻狼衆って奴らと戦場で戦ってみたいだけだ」


 統十郎がきっぱりと言うと、咲は呆れたようにふっと表情を緩めた。


「ははは……何て馬鹿馬鹿しい理由だよ! だけど武士だね」


 咲は真面目な顔つきになった。


「いいよ、私らの戦に加わりな」

「おう、ありがたい」

「だけど明日の戦では私らが立てた作戦に従ってもらうよ。それと……少しでも怪しい動きをしたら即座にお前を殺す」


 咲は、女とは思えぬ殺気立った凄みのある目つきを見せた。


「ああ、わかった」


 平然と答えた統十郎には、そんな咲の目つきは恐れるところではないようであった。



 夜が更け、草むらの陰で音を奏でる秋の虫たち。

 にわかに風が強くなり、時折突風が吹き抜けて行った。


 四隅に煌々と篝火が炊かれている美濃島衆の本陣。

 甲冑を脱ぎ薄紫の小袖姿になっていた美濃島咲は、眠ることができぬのか、はたまた眠りたくないのか、一人で床几に座っていた。


 咲の伏せた視線の先には卓に置かれた地図。



 ――明日の戦は騎兵の働きが鍵を握る。



 咲は左手指を地図の上でトントンと叩いた。

 ふと、かつて今は亡き父と共に戦に出た時に言われた言葉を思い出した。



    咲よ。騎馬隊とは実は脆いもの

    突撃すれば甚大な被害を相手に与えるが、自らも傷を負いやすい。

    それ故に大事なことが一つある。


    何でしょうか?


    一旦突撃を開始したらば決して迷うな、ためらうな。

    迷い、ためらいが出ればそれは馬の速度の低下につながり、

    敵の攻撃を受けやすくなる。

    止まるなどはもってのほかじゃ。もし止まったりすれば隊列は乱れ、

    より相手の弓矢鉄砲の恰好の的となる。


    なるほど。


    だから一旦突撃を開始すれば迷ってはならぬ。

    特にかつて武田家の騎馬衆の中でも

    一目置かれた我らの騎馬隊は最強じゃ。

    美濃島騎馬隊は天下無敵、その突撃に迷いは無し!

    わかったな。


    はい!



 ――美濃島騎馬隊は天下無敵……。



 咲は左手の拳を握りしめた。

 その少し吊り気味だが形の良い両目に篝火の炎が揺らめく。


 目の前の卓には酒の入った茶碗が置かれている。

 咲はその茶碗を手に取り、一口酒を飲んだ。



 ――そう言えば酒の飲み方は父上に教えられたのだったな。



 篝火の揺れる灯りが咲の白い横顔を照らした。



(父上は飲む時は必ず何かつまめと言っていたが)



 咲は地図の他に何も無い卓に視線を落とした。



(今やつまみなどない一人の酒宴……)


 咲は寂しげに微笑んだ。

 だが、すぐに真剣な表情になり、自問自答した。


(軍資金の乏しくなった我らが再び旧領を回復するにはどうすればいい?)


 さっと吹いた夜風が、咲の艶やかな黒髪を乱れさせた。


 咲は手で髪を整えながら、灰色の雲が流れて行く漆黒の夜空を見上げた。


 ふと、礼次郎の顔が脳裏に浮かんだ。



(あの時城戸礼次郎を捕えて徳川に売っていればかなりの金になったはずだが……)



 ふっと湧き上がった思い。

 だが、その思いに咲は苛立った。



(また城戸礼次郎か……最近やけにあいつのことが思い浮かぶ……)



 咲はむかむかと腹が立った。

 あれからと言うもの、咲は何かにつけては礼次郎のことが頭に浮かぶのであった。

 その度に何とも言えぬ苛立つような、もどかしいような、腹が立つような、不快な気持ちになるのであった。



 ――初めて私の手から逃げた男……決して許しはしないよ。



 咲はぐいっと酒を飲み干すと、茶碗を乱暴に卓の上に置き、すっと床几から立ち上がった。



 ――だがあいつは徳川軍に捕らえられたと聞いた、もうすでにこの世にはいないか?



 そして咲は歩き出し、本陣から出た。

 兵達は皆すでに寝静まっているようで、とても静かである。

 見回りの兵数名のみが野営地を巡回しており、咲に気がつくと深々と頭を下げる。


 咲はしばらく歩き、見晴らしのいい草むらに出た。

 夜空を見上げた。

 流れて行く雲の合間に優美な三日月が輝いていた。


 ふと、少し離れたところに何者かが座っているのに気が付いた。

 その者は、少し野太い声で、それに似つかわしくない旋律の歌を歌っていた。



    残して行った涙のかけらは

    星の海に返して

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