第61話 美濃島咲

 統十郎はじっと目を凝らして戦場の光景を見つめた。

 そして、近くにいた百姓の男達に聞いた。


「おい、すまんが一つ聞きたい」

「へえ、なんでしょうか?」

「これはどことどこの戦だ?あの不思議な恰好をした奴らは何者だ?」

「はあ、お侍様、知らねえですか。あっちの方は美濃島家、それであっちが幻狼衆とか言う連中です」


 と、一人の男が答えた。


「ほう、美濃島……それとゲンロウ衆?」


 男の話を聞くと、統十郎は眼下の戦を眺めながら言った。


「はい」

「美濃島なら知っている。元はその精強で鳴る騎馬兵をもって武田家に仕え、武田家滅亡後は壬午の戦であちこちにその騎馬兵を貸し、大いに名を上げたそうだな」

「はい、その通りでございます」

「しかしゲンロウ衆と言うのは聞いたことが無いが」


 統十郎は腕を組んだ。


「へえ。最近急に現れた一党でして。幻に狼と書いて幻狼衆と言います」

「ほう、それは不思議だな。このような世の中に突然そのような一勢力が現れるとはな。一体何者だ? 野武士の集団か?」

「それが実のところがよくわかりません。探りに行った者、また幻狼衆に加わろうと行った者、皆一人として帰って来ないのです」

「何?」

「唯一わかっているのが、幻狼衆は上州と武州の境のあたりにある七天山を本拠としているらしいことだけです」

「七天山? 知っているぞ、かの梁山泊のような天然の要害だと聞くが……七天山を本拠とする幻狼衆か、一体何者だ?」


 統十郎は目を凝らして戦場を見つめた。

 すると、何やら動きがあったようであった。


「お……撤退か?」



 美濃島咲の決断は速かった。


「誠ですか?」


 加藤半之助が少し驚いて聞いた。


「そう、兵を退かせよ」


 咲は言葉短く言った。


「まだ互角の戦と見えますが」

「だからこそよ……わからぬか? 私たちの軍は奴らよりも数に優る。なのに互角と言うのは奴らの方が強いと言うことだ。それに奴らはここのような地形での戦いが得意と見える。このまま行けば私らは大きな被害を受けるよ。その前に一旦兵を退かせ、仕切り直して策を練るのだ」


 咲は戦場を冷静な目で睨みながら言った。

 その様はとても女性とは思えぬ一流の武将の風格であった。


「しかし、無事に退くことができましょうか? 追撃されるは必定」

「あの背後の林に騎馬の者を行き来させ、わざとらしく伏兵があるかのように見せかけよ。また、左右より鉄砲を放って奴らの追撃を牽制するのだ」

「はっ、承知いたしました!」


 半之助は命を伝えに行った。


 咲の命令が下り、合図の陣太鼓が鳴った。


「退け、退けっ!」

「よし、退くぞ!」


 戦いの最中であったが、美濃島軍の兵たちは刀槍を振るうのを止め、それぞれ後方へ走り始めた。

 幻狼衆の兵士達は退いて行く美濃島兵達を追おうとした。

 だが、 幻狼衆の黒い上下に黒の胴当てをした者達が叫んだ。


「追わずともよい!」

「止まれ!」


  幻狼衆の兵士達は追撃の脚を止め、退いて行く美濃島軍の背を見送った


 鉄砲の轟音が鳴り響く。

 美濃島軍の撤退を助ける鉄砲隊の援護射撃。

 そして美濃島軍が退いて行く方向、木々が揺れていた。


 それを見ていた仁井田統十郎、


 ――あれは、伏兵がいるかのように見せかけているが実際にはいないのではないか?


 疑問に思った。


 ――幻狼衆とやら、それぐらいはわかりそうなものだが……あえて追撃をしないのか?


「面白い」


 統十郎はにやりと笑うとすっと立ち上がった。


「幻狼衆とやらに入ってみるか」


 と言って不敵に笑った。

 あの日、あの連中が何故城戸の館にいたのか、天哮丸と何か関係があるのか、幻狼衆に入り込んで探ってみようと思ったのである。

 だが、その言葉が耳に入った周りの者達はびっくりした。


「あんた、幻狼衆に入るって?」

「そうだ」

「やめといた方がええ……さっきも言ったけど、幻狼衆に行った者たちはだれも帰って来ないばかりか、どうしているかって言う情報すら入って来ねえ。余所者がノコノコ行くと皆殺されてしまうって言う噂すらある。止めた方がええ」


 一人が本当に心配そうな顔で言った。


「はっはっはっ……そんなことで怖がる俺ではない」


 統十郎は豪快に笑った。


「だけど……」

「それに、この俺を殺せるような者がいるなら是非手合せしてみたいもんだ」

「はあ……」


 この百姓の男は、統十郎が頭のおかしい人間なのだと思い、少し同情した。

 しかし統十郎は真面目であった。


「一体どんな連中なのか楽しみだ」


 そう笑った統十郎、眉がピクッと動いた。



 ――うん、手合せ?



 統十朗は撤退して行く美濃島軍と、それを追わない幻狼衆を見つめた。

 そして、ある思いが心の内より湧き上がった。


 ――こいつらと戦ってみたい。


 統十郎は不気味な動きを見せる幻狼衆を見てそういう思いに駆られた。


(このおかしな連中……戦場ではどれほど強いのか……是非とも戦ってみたいもんだ)


 城戸の戦で礼次郎の戦いぶりを見た時と同じような思いであった。


 統十郎には生来不思議な感情があった。

 強い者に出会うと、まず戦ってみたくなる。

 統十郎の中を流れる純粋な剣士の血が、統十郎の闘争本能を呼び起こすのであった。

 敵味方、愛憎などを超えてただ単純に戦ってみたくなるのである。


 ――よし、やめだ。美濃島に加わろう。


 統十郎がそう思うのは自然のことであった。



 夕方過ぎ、辺りはすでにかなり暗くなっていた。


 無事に撤退を終えた美濃島軍の本陣。

 本陣と言ってもとても簡素で、長年使い古して来たようなところどころ穴の開いた陣幕で囲った中に卓が一つだけ置かれており、あとは床几がいくつかと、片隅に槍や弓などが立てかけられているだけであった。

 はっきり言ってみすぼらしかった。


 その本陣の中央に置かれた卓を、美濃島咲と、加藤半之助を含む四人の側近が囲んでいた。

 美濃島咲は床几に座り、卓上に置いた地図を見ながら味噌汁をすすっていた。

 具はこの辺りの名産であるネギのみである。近隣の民家から調達したものだ。


「ちょっと濃いねえ。次からはもう少し薄くしろ」


 咲が眉をしかめながら言った。

 美濃島咲は、夜の濃密で淫蕩な好みに反して食事は薄味が好みであった。


「はっ」


 味噌汁を持って来た部下が平伏した。


「咲様、よろしいのですか? 味噌汁だけで」


 半之助が問う。


「構わん。少々空腹な方がいざと言う時に動きやすいし勘も鋭くなる。だから私の分は兵達に食べさせてやってくれ」


 咲が言うと、半之助がふっと微笑を洩らして、


 ――それが本音か。


「承知仕りました」



 大雲山一帯を幻狼衆に奪われて後、美濃島家の台所事情は厳しい。


 咲は味噌汁を飲みながら卓上の地図の端から端までくまなく見つめた。


 卓を囲んでいた側近の一人が言った。


「今日は無事に撤退できたおかげで損害は最小限に食いとどめられたな」

「うむ、奴ら、最後はこちらに伏兵が無いと気付いたようだが」

「ああ、だからもう撤退時には同じ策は通用しないだろうな。明日は何が何でも勝たねばならぬ」

「だが、今日の戦でわかったように、奴らは森林地帯での戦が得意だ」

「うむ……あの神出鬼没な戦い方、とても我らには真似できぬ」

「思えば大雲山でもあのような戦で負けたのだ」


 じっと地図に目を落としていた美濃島咲は、


「奴らが得意な戦術で来るなら、こちらも得意な戦術で迎え撃てばよい」


 と言って味噌汁の碗を卓に置いた。


「得意な?」

「そう……もう少し視点を広げてみよう」


 咲は、地図上の今日の戦場となった一帯に人差し指を置くと、そのまま地図の端まで移動させ、


「これより東の地図は?」

「お待ちを」


 一人がもう一枚の地図を取り出して広げた。

 咲の目に、牛追平と書かれている平野地帯が映った。

 咲の人差し指がトンッとそこを叩いた。


「ここで戦う」

「おお……と言うことは?」

「うん、半之助、残っている馬はどれほどだ?」

「およそ百五十頭はございます」


 半之助が答えて言うと、


「よし……明日、この左右の林に二手に分けた騎兵を隠すよ。そしてまずは今日と同じ場所で戦を仕掛ける。そして頃合いを見て今日と同じように鉄砲で牽制しつつ退くのだ。今日の撤退でこちらに伏兵は無いと思い込んだ奴らは必ず追って来るだろう。そしてこの牛追平まで追わせたところで反撃に転じる。そして更に二手に分けて隠しておいた騎兵をそれぞれ幻狼衆の背後、側面より突撃させ、混乱したところで包囲殲滅するのだ」


 咲は澱みなく流れる如く戦術を述べた。

 側近達は感心し、


「なるほど!」

「それは誠に良き作戦」

「大雲山の戦で討死にされたお父上譲りの素晴らしい策ですな」


 だが、そんな側近たちの賞賛にも咲は全く得意げなそぶりはなかった。

 極めて冷静な面持ちでその妖艶な目を光らせると、


「半之助、早速今言った策の手筈を整えろ」

「はっ」

 半之助が答えて一礼した。


 咲は幻狼衆の陣があるであろう方角の空をにらんだ。


 ――幻狼衆……私の父の命を奪ったのみならず、この美濃島衆をここまで没落させたその落とし前は必ずつけさせてもらうよ。

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