第60話 統十郎の野望
伝兵衛のその問いに、統十郎は少し不機嫌そうな顔になり、
「今の俺が天哮丸を手に入れたように見えるか?」
「はっ、申し訳ございませぬ」
伝兵衛は慌てて平伏した。
「まあよい、まだ機会はあろう。今それを探っているところだ」
「さようですか」
「うむ。あれは元はと言えば我が一族の物……あれを取り戻すのは我が一族の悲願……必ずこの手に納めてくれる。そして天下をこの手に……!」
統十郎は語気強く言うと、再び右手の拳を握りしめた。
「しかし、天哮丸を見つけられなかったのに何故すぐに徳川家から去ったのですか?」
伝兵衛が素直な疑問を投げかけた。
統十郎はそれに答えて、
「何……単純に徳川家にいるのに飽きたのだ。それに……徳川が城戸の館を攻めるのに乗じて俺も城戸の館に入り込み、混乱の中で天哮丸を先に奪って逃げるのが目的だった。しかしあの状況の城戸の館の中で俺も天哮丸を見つけられないばかりか、徳川の奴らも見つけることができなかった。と言うことは、天哮丸は城戸の地の外に隠してあるのではないかと俺は睨んでいる。であれば、自由に動くことのできぬ徳川家にこれ以上いるのは時間の無駄だと思ったのだ。自分一人で探す方がよい」
「なるほど。しかし、城戸の地の外にあると言うのであればこれはまた雲をつかむような話。見つけることができましょうや」
「だから今それを探っているのだ」
「何か手がかりはございましたか?」
「一つだけある……城戸家嫡男城戸礼次郎だ」
統十郎が目を光らせて言った。
「ほう、城戸家の嫡男」
「うむ、今は城戸家にある天哮丸、そのありかは城戸家当主になる人物による一子相伝だそうな。城戸の人間でも城戸家当主と次期当主になる者しか知らないらしい。で、その嫡男礼次郎だが、城戸が滅ぼされた後に捕えられたと聞いた。だが噂では斬首寸前に何者かに助けられ、今どこかで生き延びているらしい」
「おお、では」
「そう、城戸礼次郎を見つけ出せば天哮丸を手に入れられると言うことだ」
「なるほど! しかしそううまく見つかりますか? 礼次郎自身は用心深くなっておりましょう」
「うむ、なので、越後の新発田重家に力を貸してもらうつもりだ」
「新発田重家?」
「元越後上杉家の重臣だった男だ。だが、数年前に上杉家に謀反して独立し、今も尚、越後で上杉家と戦っている。あれとは旧知の仲でな。力を借りようと思っている」
その新発田重家と言う男。
あの戦国最強を謳われた越後の龍、上杉謙信の跡を継いだ上杉景勝に謀反を起こした男である。
彼の起こした謀反は、歴史上、新発田重家の乱と言われ、一見すると戦国時代にどこにでもあるような謀反に聞こえるが、実はその反乱は六年にも及び、一時は上杉景勝を圧倒する勢いまで見せていた。この間、新発田重家は事実上独立大名であったと言っていい。
「そうですか、新発田重家殿……しかし見つけるのに時間がかれば……」
「心配するな。千代のこともある。しばらく探してみて見つけることができないようなら一旦戻る。俺ももう長いこと陸上にいる……流石に海と船が恋しい」
統十郎はそう言うと武骨に微笑んだ。
「わかりました」
「うむ、伝兵衛、ご苦労であった。もうよいぞ、早く帰って千代にその薬を渡してくれ。なるべく早めに帰るが、よく養生するようにとも伝えてくれ」
「承知いたしました」
伝兵衛は立ち上がると、
「では参ります」
「おう、俺が不在の間、頼んだぞ」
「はっ」
そう答えると、伝兵衛は一礼をして足早に立ち去った。
その後ろ姿を見送ると、統十郎は再び煙草を吸った。
ふと、礼次郎の姿が脳裏に思い浮かんだ。
――城戸礼次郎か……。
統十郎は、初めて礼次郎に会い、刃を交えたあの日から、ずっと礼次郎のことが頭に引っかかっていた。
――城戸家嫡男があれ程の剣の使い手であったとはな。奴は我が一族の宿敵と言っていいが、それ以上に因縁浅からぬ関係になるかもしれんな。
礼次郎に似た統十郎の直感であった。
そして、礼次郎と斬り合った時のことを思い出した。
――真円流か。それを使う奴には初めて会ったが……いや、初めてではないか……だがあの時はその真円流の戦い方とやらは見ることはできなかったからな。
――真円流を更に超える流派であり、あらゆる剣術流派を遥かに凌駕する究極の剣術と言われる伝説の極円流……一度見てみたいものだ。
統十郎は煙を天に吐いた。
――本当にそんなものが存在するのか真偽の程はわからんが、奴が極円流を習得すれば面白いことになる。戦ってみたいものだ。
統十郎はにやりと笑った。
純粋な剣士の本能であった。
そして統十郎はしばらく煙草を吸いながら何か考え込んでいた。
だが、すぐに耳をつく騒ぎ声で我に返った。
「戦だ!」
「あっちの方だ!」
数名の近隣の百姓と見られる少し初老の男たちが彼方より走って来た。
「どことどこだ?」
「わからねえ、とにかく見に行くべ!」
男たちはそう言いながら統十郎の前を通り過ぎて行った。
――戦?
仁井田統十郎は興味をそそられたようであった。
煙管をしまい、立ち上がった。
ちょうど、その男たちが走って行った方向は統十郎も向かう先である。
統十郎もその方向へ歩いて行った。
段々と、音が大きくなる。
軍馬のいななきが聞こえ、刃のぶつかり合う音が響き、それに混じって武者たちの鬨の声と悲鳴が乱れ飛んで来る。
間違いなく戦の音であった。
木々が生い茂る道を抜けると、そこは緩やかな高台の上で、左手はなだらかな坂になっており、少し遠くの眼下に戦が繰り広げられているのが見えた。
それは美濃島軍と幻狼衆の戦であった。
少し高台になっているおかげで戦況が良く見えた。
すでに噂を聞きつけた近隣の村民たちが集まっており、思い思いに座ってのん気に戦見物をしていた。
――面白い、俺も一つ見学させてもらうか。
統十郎もその場にどかっと座り込んで胡坐をかいた。
そして再び煙管を取り出し、煙草を吸いながら戦を見物し始めた。
――ほう……一見あちらの数が多い方が優勢に見えるが、実際には互角だな。
統十郎の目は冷静に戦況を見ていた。
しかしふと、あることに気がついた。
「うん? あいつらは?」
その目に止まったものは、幻狼衆の中にいる、組頭のような働きをしている黒っぽい着物に簡単な黒の胴当てのみを身に着けた者たちであった。
統十郎は、じっと目を凝らした。
――城戸の戦のあの夜、あんな連中を見たぞ。徳川家中では見たことなかったので城戸家の奴らだと思っていたが……何でここにいる? それとも偶然同じような格好なのか?
城戸の戦があったあの夜、混乱する城戸家の館の内部で、統十郎は一人天哮丸を探して走り回っていた。
「無い……一体どこなのだ?」
周りのあちこちで殺し合いが起きている阿鼻叫喚の修羅場の中、統十郎は部屋と言う部屋を探したが、その在り処の手がかりすら掴めなかった。
「くそっ、ぐずぐずしてられんと言うのに……」
苛立ちと焦燥が募っていくばかりだったその時、
「うん? 何だあいつらは?」
黒っぽい着物の上下に簡素な黒の胴当てのみを身にに着けた不思議な男達がいるのに気付いた。
彼らは刀や槍など武器を持っているものの特に戦おうとはせず、常に腰を屈めて館の中を走り回っていた。
この時、徳川軍は小軍勢での極秘行であった為、統十郎は引き連れている兵の顔ぶれは大体知っている。彼らが徳川軍の者ではないことはわかった。
――だとすれば城戸家の兵士たちか?
統十郎は思った。
――しかし、それならば何故徳川軍と戦おうとはせず、館の中を走り回っているのか。
当然その点が気になったが、
――まあいいか……それにしても不思議な走り方をするもんだ。
天哮丸を探す事で頭が一杯であった統十郎は、それ以上は考えなかった。
だが、今あの時の男達とそっくりな服装をした連中がこの戦場にいる。
――ただの偶然か? いや、それにしては似すぎている、偶然とは思えん。
――あの時のあの男達は城戸家の人間ではなく、この軍の者なのか?だとすればこいつらは何者だ?何故あの夜の戦で城戸の館の中にいた?
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