美濃島咲戦争編

第59話 戦

 日差し高い晴天であった。


 上州、とある街道から少し逸れたところのまばらに森林が点在する一帯――


 二つの小軍勢がその一帯に展開し、あちこちで拮抗した攻防を繰り広げていた。

 しかし、規模は小さいとは言え、その二つの軍勢は様子が明らかに異なる。


 一方はもう一方よりも数が多く、比較的同じような甲冑をまとった武者ばかりであるのに対し、もう一方は数で劣る上に甲冑もばらばらであった。中には黒っぽい着物の上に簡単な黒の胴当てのみを身に着けただけの者達までいたが、どうやら彼らは組頭のような存在らしく、あちこちで大声を出して指揮をしていた。


 そしてその指揮の下、彼らは地形を生かし、木々の間に隠れて飛び道具を放ったり、木の上に登ってそこから攻撃したりと、神出鬼没な不思議な戦い方をして、数の上では劣勢ながらも互角の戦いをしていた。


 その戦場の東側少し離れた丘陵の上に、数の多い方の軍勢の本隊が待機していた。

 この本隊は騎兵と歩兵が半々であり、皆赤い軍装で統一していた。

 その先頭に、この赤い軍団の中でも一際鮮やかな赤色を基本に金糸を交えた煌びやかな鎧兜をまとう、総大将らしき騎乗の武者がいた。


「どうも良くないねえ」


 その武者は少し高い声で気怠そうに言った。

 そこへ、報告の者が慌ただしげに駆けつけて来た。


「殿、ご報告でございます!」


 と言うと、跪いて、


「敵方の幻狼衆の本陣へ向かわせた奇襲隊が全滅いたしました!」

「何っ?」

「見破られていたようで、待ち構えており、返り討ちに遭いました!」

「ちっ、またか」


 武者は苛立たしげに言うと、兜を脱いで憂さ晴らしに投げ捨てた。


 顔が露わになった。

 白い肌に薄く赤い唇、長い睫毛を備えた少し吊り気味の目――そして戦場にあっても匂い立つような色香。

 美濃島の女領主、美濃島咲であった。


 咲は、


「奇襲は悉く見破られている……我が方に間者でも入り込んでいるのか?」


 忌々しげに言うと、後ろに控えている側近の加藤半之助と言う男が、


「度々我が家中を洗っておりますがそれらしき者はおりません」


「それなのにだ……大雲山一帯を奴らに奪われて以後、こちらが放った忍びは全て討ち取られている」

「はい、先日も腕利きと評判の忍びを雇って送り込みましたがやはり帰って来ませんでした」

「幻狼衆……奴らは一体何者なのだ……」


 咲は戦場を睨みつけて言った。

 その睨む方向、徐々に美濃島軍の分が悪くなり始めたように見えていた。



 その戦場より少し離れた街道、 一人の背の高い男が風に吹かれながら歩いていた。

 周りは草むらで、遠くに山の峰々が見えるのどかな道であった。

 朱色の着物を纏い、背には荷物を背負い、垂らした総髪を風になびかせ、鼻歌を歌いながら歩いているが、その切れ長の両目の眼光は鋭い。


 城戸での騒乱があったあの日、徳川家より姿を消した仁井田統十郎であった。


 統十郎は時折伏し目がちになりながらも、気持ちよさそうに鼻歌を口ずさんでいた。

 しかし、その歌の旋律と詩は、このどこか荒々しい雰囲気の男には似つかわしくない優しい響きを持っていた。


    あの月は 想う人の横顔

    残して行った涙のかけらは

    星の海に返して……


 統十郎はふと立ち止まり、西の方角の空を見上げた。


 すると、前方の路傍に立つ木の陰から何者かがぱっと飛び出して統十郎の前に姿を現した。

 だが、統十郎は驚くことなく、脚を止めるとその者に声をかけた。


「伝兵衛か」

「はっ」


 伝兵衛と言われた男は、統十郎の前に跪いた。

 渋柿色の上下を着ていた。

 ちょうど、近くに岩か石のようなものがあり、統十郎はそれへ腰かけた。

 そこへ、伝兵衛が長い刀を差し出す。


「大儀であった」


 統十郎は言うと、その刀を受け取って鞘から抜いた。


 その刀は、反りの無い真っ直ぐな刀、この時代には珍しいいわゆる直刀であった。


 統十郎はその直刀を頭上に掲げて表裏を丁寧に見た。


「うむ、よく研いでくれたようだな」

「はっ、かなり時間をかけて手入れをしてくれたようでございます」

「これで良い。撃燕げきえん兼光かねみつ、この刀が無い間は少々心が落ち着かなかったが、この名刀はしっかり手入れをしなければすぐに機嫌を損ねて切れ味、いや突き味を失ってしまう」


 そう言うと、統十郎は満足げな顔で直刀撃燕兼光を鞘に納めた。

 そして、煙管を取り出すと、火をつけて煙草を吸い始め、一服すると、


「千代の加減はどうだ?」


 神妙な面持ちになって聞いた。


「はい、奥方様はこのところまたお身体がすぐれぬご様子でございます」


 悲しげな表情で伝兵衛が言った。


「なかなか安定しないか」

「はい、それと申し上げにくいのですが……」

「構わん、言え」

「医者の話では来年中もつかどうか予断を許さないと……」

「何っ……」


 驚いた統十郎の顔が色を失った。


「誠か!?」

「はい、そう言っておりました」

「くっ……そうか……」


 統十郎は両手を震わせながら拳を握り締めた。

 その顔には無念の色がありありと浮かんでいた。

 両目を閉じた。

 煙管を吸い、天に向かって煙を吐いた。

 白い煙が上って行く。

 そしてしばらく何やら思案に耽ると、目を開き、


「早目に戻らねばならんな……」


 と呟いた。


「はい。奥方様も統十郎様のお戻りを待ちわびております。どうか一日も早くお戻りくだされ」

「うむ、なるべく早目に帰ると伝えておいてくれ。そしてこれを渡してくれ。こっちの方でいい薬を手に入れた」


 と、小さな紙包みをいくつか伝兵衛に手渡した。


「はっ」

「新九郎はどうしておる?」


「はい、新九郎様は幼いながらも奥方様のお身体を常に気遣いつつ、学問、剣術の稽古にますます励んでおられます。特に剣術の上達は素晴らしく、師の赤坂殿に言わせればその才能は統十郎様にも負けていない、とのこと」

「ほう、そうか」


 統十郎の強張っていた表情が綻び、嬉しそうに言うと、


「そのまま怠らずに励め、と伝えてくれ」

「はっ。して、統十郎様は? 天哮丸は手に入れましたか?」


 伝兵衛が恐る恐る聞いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る