第40話 宴

 喜多は、千蔵に歩み寄って声をかけた。


「千蔵・・・またそんなところで一人か」

「・・・・・・」


 千蔵は答えなかった。

 黙々と箸で蕎麦掻をつついている。

 喜多は膝をついた。


「たまには皆と一緒に食べたらどうだ?」

「・・・・・・」


 しかし千蔵はやはりまた何も答えなかった。


「余所者と言うのがそんなに引け目に感じるか?今となってはもはや誰もそれを言う者はないではないか。私だって甲斐から来た余所者だ」


 喜多がそう言うと、千蔵は箸を止めて、


「勘違いされないでいただきたい。俺はそのようなことは少しも気にしてはいない。ただ一人でいるのが好きなだけだ」


 はねのけるように言った。


 すると、別の輪の中の弥三郎と言う者が、


「放っておけよ、喜多。千蔵はお前がここに来る前からずっとそんな調子だ」


 と、声を飛ばした。


 喜多は小さく溜息をつき、


「まあ、一人を好むのもいいが程々にな・・・。人は一人では生きては行けぬのだから」


 と、言い、立ち上がった。


「・・・・・・」


 千蔵は再び蕎麦掻を食べ始めた。


 千蔵は生まれた時から真田忍軍である吾妻忍び衆の中で育っている。

 しかし血統はそうではなかった。

 両親共に他の忍者集団からの抜け忍であった。

 父親は伊賀の忍びであり、母親は北条家お抱えの忍者集団、風魔衆の出であった。


 禁断の恋に落ちたその二人は、互いの出身元の忍者衆の手の及ばぬところである真田忍軍に亡命した。

 真田の忍びたちは優しく、二人を快く迎え入れた。

 そして生まれたのが千蔵であった。


 しかし千蔵の両親、及び真田忍軍の者はその事を千蔵には教えなかった。

 千蔵は真田忍軍の両親の子として育った。


 そして千蔵が四歳の時、両親は亡くなった。


 正確に言えば殺された。


 抜け忍を許さなかった風魔衆の手の者により殺されたのだった。


 その死の真実は千蔵には知らされなかった。

 突然両親を殺された千蔵の心は深い悲しみに切り刻まれたが、吾妻忍び衆の大人たちの心は暖かく、千蔵を大切に扱い、千蔵の心の切り傷はゆっくりと埋められて行った。


 しかし千蔵が八歳の時だった。


 仲良くしていた同じ年頃の弥三郎たちと遊んでいた時、ふとした他愛もないことから喧嘩になり、やがて軽く虐められ始めた。

 そんな中、ある一人が言った。



   お前、余所者の子なんだろ!?余所者の子が生意気言うな!


   何言ってるんだ!?


   父ちゃんから聞いたんだ!お前の父ちゃん母ちゃんは真田の人間じゃなくて余所の人間だって


   そんなわけない! オレの父ちゃん母ちゃんも真田の人間だ!


   聞いたんだ。

   お前の父ちゃんは伊賀者で、母ちゃんは風魔なんだって! だから殺されたんだって!

   余所者の子は一人で飯食えよ!


   ・・・・・・!!



 千蔵は、すぐに真田忍軍の頭領、横谷左近の下に走って問い詰めた。

 横谷左近は、隠し通せぬと見て、千蔵に真実を話した。


 埋められたかに見えた心の切り傷は再び開かれた。


 それは両親が他の忍者集団の出身だったことや、それによって殺されたことだけではない。


 それまで仲良く遊んでいたのに、突然出自によって仲間外れにされた不条理さもあったであろう。


 その日以来、千蔵は極端に無口になった。


 周りの子供たち、弥三郎たちは、そんな千蔵を見て子供ながらに罪悪感を感じたのか、自然と虐めることはなくなった。


 しかし千蔵の無口は変わらなかった。


 周りとも付き合わなくなった。


 見ていられなくなった横谷左近は千蔵の心を解きほぐそうと何度も話したが、千蔵は変わらなかった。


 千蔵は父親の影を追い求めるかのように、忍びの技を極めるべく研鑽鍛錬に没頭する日々を送った。


 そして、二十一歳、現在に至る。



 翌日、宴の日になった。


 上田城内はにわかに慌ただしくなった。


 女中や給仕の者たちが忙しそうに走り回っている。


 そんな中、礼次郎たちは三の丸の稽古場にいて武芸の修練をしていたが、


「何か変じゃないか・・・?」


 と、小袖を脱ぎ、逞しい上半身を露わにして槍の稽古をしていた順五郎が言った。


「何がだ?」


 座って見ていた礼次郎が問い返す。


「宴の準備とは言え、やけに慌ただしい」

「そうか?こんなもんじゃないか?」

「いやー、ただの宴でこんなに忙しそうにするもんかね」


 順五郎は振っていた槍を地につけた。


「・・・・・・」


 礼次郎は二の丸へ向かって行く女中を見つめた。

 その両手には沢山の魚が入った籠が抱えられていた。


「確かに食材は多いかもな・・・」



 そして夕方になった。

 今日も良く晴れており、高い空の下、心地よい初秋の風が頬を撫でる。


 あてがわれた離れの部屋にいた礼次郎らだが、


「そろそろ宴だな、行くか」


 宴が行われる本丸の大部屋に向かう準備をしていた。


 そこへ、女中二人がやって来た。


「城戸様、そろそろご準備をしませんと」


 女中二人は何やら衣服を持って来ていた。


「おう、今ちょうど行こうとしていたところだ」


 礼次郎が答えると、


「ではこれを羽織ってください」


 女中が黒い羽織を差し出した。


「これは?」


 見ると、その黒の羽織には家紋が染め付けられている。


「城戸家の紋ではないか」


 城戸家の家紋、三つ葉竜胆紋であった。


「若殿(信幸)の指示で大急ぎで作りました」

「何でわざわざうちの紋付羽織を?祝言じゃあるまいし」


 礼次郎が訝しむと、


「はい、確かに祝言ではありませんが、城戸様はそれなりのものを着る方が良いと若殿が」

「なんだそりゃ・・・」



 礼次郎は渡された紋付羽織を着て、順五郎、壮之介と共に宴の大部屋へ向かった。


 入ると、中はすでに宴席の準備ができていた。


「何か随分豪華ですな」


 壮之介が見回して言った。


「確かにな」


 礼次郎も部屋の中を見回す。


 部屋は花や絵などで綺麗に飾り付けられており、膳の上の料理は山海の珍味が豪華に並べられていた。

 部屋は大きな長方形で、上座に席が二つあり、両側の壁に沿って他の席が並べられている。


「どこへ座ればいいのかな」


 礼次郎がきょろきょろ見回していると、


「おお、礼次郎殿!」


 信幸が礼次郎を見つけて近寄って来た。


「源三郎様、私はどこへ座ればいいですか?」

「何を言っている、こちらに決まっているだろう」


 信幸は二つ並んだ上座を指差した。


「ええ・・・?あそこ?何故ですか?」

「当然じゃないか、さあ」


 と、信幸が強引に礼次郎の背を押した。

 礼次郎は戸惑いながらも言われるがままに上座に座った。

 順五郎と壮之介は礼次郎側の一番礼次郎に近い席に座った。


 そして真田家家臣がぞろぞろとやって来てそれぞれ席につき、昌幸もやって来て席についた。

 場は途端に賑やかな声で溢れた。


「いやぁ、今日は誠にめでたいのう」

「うむ、大いに飲もうぞ」


 どの顔も一様に楽しそうである。


 そして、


「おおっ、ゆり様」

「これはまたお美しい」


 感嘆の声が上がった。


 ゆりが入って来たのだ。


 ゆりは、艶やかな桃色の着物を着て、少し薄めの化粧をし、結い上げられた髪には花のついたかんざしを差していた。

 少しはにかんで微笑むその様は未だどこかに少女の色を残しているが、まるで天が遣わしたかのような愛らしい美しさであった。


 礼次郎も思わず目を奪われた。


「これはたまげた・・・武田の姫様がこんなに綺麗だったとはな」

「うむ・・・京の女子にも負けてはおらん」


 順五郎も壮之助も目を見張った。


 真田家臣団から声が上がる。


「元々可愛らしかったが、あのお転婆なゆり様がここまでお綺麗になるとは。城戸殿は誠に果報者じゃのう」

「しかし爆薬で蔵を吹き飛ばし、鉄砲をぶっ放し、毎日怪しげな薬を作るのだから城戸殿はこれから大変じゃ」

「馬鹿!こんなめでたい時に何を言うか!」

「ははは・・・!」


 ゆりははにかみながら上座に向かって歩いて来る。

 礼次郎の姿を見つけるとニコッと微笑んだ。

 そして礼次郎の隣に座り、礼次郎に微笑むと真正面を向いた。


 ――え?何でオレの隣に?これはどういうことだ?


 礼次郎はまたも戸惑った。


 そして参加者全員がそろったところで、信幸が立ち上がり、


「皆の者、ご苦労である!ここにおられる城戸頼龍殿は非道徳川家康の奸計に遭いながらもこうして生き延びて我が真田家に参られた」


 と、喋り始めた。


 礼次郎はちらっとゆりの横顔を見た。


 ゆりは目をキラキラさせて微笑んでいる。


 信幸は言葉を続ける。


「皆も知っておられる通り、城戸頼龍殿はゆり様の夫となられるお方。しかし、今は城戸を滅ぼされたばかりで心苦しいと言う城戸殿のご意向で、祝言は先延ばしにすることとなった」


 ――え・・・?何!?


 礼次郎は驚いて信幸を見上げた。


 信幸はそんな礼次郎の視線には気付かず、


「だが、いずれ城戸殿とゆり様が夫婦となられることは決まった。ここにその婚約が成ったことを祝って祝杯を挙げたい」


 と言って手に持っていた杯を挙げた。


「おおーう!」


 場にいる真田家臣団が一様に杯を掲げた。


 しかし、


 ――な・・・何・・・?夫婦が・・・婚約が成った?


 礼次郎は驚きで空いた口が塞がらない。

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