第41話 行き違い

「どういうことだこれ・・・」

「さあ・・・?」


 順五郎と壮之介も、事の次第が掴めず戸惑っていた。


 しかし、祝いの宴は始まった。

 無礼講の宴のようで、それぞれ自由に飲み食いを始める。


 ――どう言うことだ・・・?夫婦になるなんて一言も言ってないぞ


 礼次郎の額に汗が流れた。

 

 しかし、そんな礼次郎の心中を知らないゆりは頬をほんのり赤らめながら、自ら徳利を取って礼次郎に差し出した。


「ゆり様、そのようなことは・・・」


 お付の老女が諌めるが、


「いいじゃないの、夫になる人なんだから・・・はい、礼次郎」


 ゆりは徳利を傾けた。

 礼次郎は戸惑いながらも、


「あ・・・ああ・・・」


 杯を出してその酌を受けた。


 ――夫になる・・・?


 頭の中は混乱している。


 そして信幸が礼次郎の前にやって来て座り、


「さあ、礼次郎殿」


 徳利を向けた。


「あ、ああ・・・ありがとうございます」


 礼次郎は酌を受け、その酒を一気にぐいっと飲み干した。

 信州の酒の芳醇な味と香りが礼次郎の五臓六腑を満たして行く。


「おお・・・やはり礼次郎殿は行ける口でござるな」


 信幸は楽しそうに言い、ゆりと礼次郎を交互に見て、


「今宵は誠に愉快、長年話を進めていた礼次郎殿とゆり様の婚儀がやっと決まったのだからな」


 満足げに杯を傾けた。

 礼次郎はたまらず、


「あの源三郎様、その婚儀と言うのは・・・」


 言いかけると、


「城戸殿、是非一献」


 と、数人の真田家家臣たちが礼次郎の前にやって来た。


 礼次郎は仕方なくその酒を受けるが、心中は混乱の渦だ。


 ――どういうことだ・・・これは一体・・・!?


 礼次郎は酒は弱くはないが、その混乱で頭が痛くなった。


 やがて皆の酒は進み、賑やかな談笑の声で宴は盛り上がり始めた。


 そこへ、早くも酔いの進んだ一人が言った。


「どうであろう?城戸殿とゆり様で夫婦となる誓いの杯を交わしては?」

「おお、それはいい」

「是非やっていただこう」


 と、また盛り上がった。

 信幸もまた、


「いい考えだ」


 手を叩くと、礼次郎の前に行き、大き目の盃を持って来させて礼次郎に手渡した。


 数人の真田家臣たちも集まって来た。


 信幸は愉快気な笑顔で、


「さあ、礼次郎殿、まずはお主からだ」


 その盃に酒を注いだ。


 しかし礼次郎は表情が固まっていた。

 じっと盃の中で揺れる酒を見つめる。


 隣ではゆりが微笑みながら礼次郎を見つめている。


「うん?どうした礼次郎殿?さあ」


 信幸が促すと、

 礼次郎の盃を持つ手が少し震えた。


 そして、


「で・・・できませぬ」


 ぽつりと言った。


「は?」

「できませぬ」

「な、なに?できぬとは・・・?」


 信幸は呆気に取られた顔となった。


 ゆりもきょとんとしている。


 順五郎、壮之介は息を飲んで礼次郎を見つめた。


 場がしーんと静まり返った。


 礼次郎は手を震わせ、


「申し訳ございません、この盃はいただけません」


 盃を見つめたまま言った。


「何を言っているのだ?礼次郎殿?」

「申し訳ございません、ゆり殿とは夫婦にはなれません」

「何だと!?」


 信幸は驚きのあまり持っていた徳利を取り落しそうになった。

 真田家臣たちもどよめいた。


 礼次郎は前を向くと、しっかりと信幸の目を見据え、


「源三郎様、何かおかしいと思ってはいましたが、これはどういうことですか?この宴は何なのですか?私はまだゆり殿と婚儀を行うとは一言も言っていないはずですが」


「何?ちょっと待ってくれ、一昨日にも言っていたはずだ、今はまだ城戸が滅んだばかりでその気にはなれないが、いずれ時が来たらと・・・」

「時が来たらその時にゆり殿との婚儀を考えると言ったのです」

「何?祝言ではなくてか?」

「はい、そもそも私はこの婚儀のことをまだ受けてはおりません」

「ちょっと待ってくれ」


 信幸は混乱で頭が痛くなり、手で頭を押さえた。そして、


「お主は元々真田家へあの手紙を渡しに来る予定であったが、それは同時に、婚儀が決まったので挨拶に来るつもりではなかったのか?」

「まさか・・・私はずっと今回の縁談を渋っていました。なので父から相手の顔を見ればきっと気に入るだろうからあの手紙を渡すついでに顔を見て来いと言われていたのです」

「じゃ、じゃああの手紙の内容は何だ?」

「内容・・・とは?」

「お主の父君から、礼次郎殿がゆり様と夫婦になる気になったので挨拶に行かせるから宜しく頼む、と言うようなことが書いてあったぞ」


 すると礼次郎は大きく口を開けて驚いた。


「な、何ですと!?誠ですか?」

「うむ、ちょうどここにある」


 信幸は懐から手紙を取り出した。


「ちょっと見せてください」

「うむ」


 信幸が手紙を手渡した。


 受け取った礼次郎はその手紙を読むや、さっと顔色が変わった。

 紛れもなく父宗龍の自筆の手紙で、確かに信幸が言ったようなことが書いてあった。


「これは・・・」


 礼次郎は左手で頭を抱えた。


「な、本当だろう?」

「確かにそう書いてあります・・・しかし、私は本当にこの縁談を受けてはおりません。恐らく・・・私がずっと断り続けていたので、我が父はこうやって強引に話を進めてしまえば私も仕方なく了承するだろうと考えて謀ったことなのでしょう・・・昔からよくこういうやり方をしていたので・・・」

「なんと・・・」


 信幸は絶句した。


 礼次郎もまた言葉を失った。


 二人だけではない。場の誰もが言葉を発せずにいた。


 すると、隣でずっとそのやり取りを聞いていたゆりが身体を震わせ、


「何よ・・・何なのよ!」


 怒気を含んだ声を上げた。

 礼次郎は苦しげな顔で振り向き、


「ゆり・・・殿・・・」

「何よこれ・・・酷いじゃない・・・!」


 ゆりは顔を赤くして礼次郎を睨んだ。


「申し訳ない・・・」

「バカ!大恥よ!嬉しかった私がバカみたい!」


 と、怒ると、ゆりは膳の上の杯を礼次郎に投げつけた。礼次郎の顔と髪が酒に濡れた。

 そしてゆりは立ち上がると、足早に部屋を出て行った。


「ゆり様・・・!」


 喜多が慌ててその後を追った。


「本当に申し訳ございませぬ・・・」


 礼次郎は俯いた。


 すると、一部始終を見ていた昌幸が笑い出し、


「はっはっはっ・・・もうよいではないか。こうなった以上は仕方ない、また時が来たら考えると礼次郎殿も言っておることだし、婚儀のことはまた後日考えるとしよう。ひとまずこの場はただの宴として、楽しく飲み直そうではないか」


 と、杯を挙げた。

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