都市2 ―諍い―

 ユウキは机に頬杖をついて、ぼんやりとイプシロンのスクリーンを眺めていた。

 もうひとつのユーザー画面。所在なく適当な操作をしているうちに、見たことのあるファイルに行き着いた。


 TORU : 10・24  83-10


 ああ、この画面だったのか。

 トオルの名前を、どこかで見たと思ったら。

 これは、コールドスリープの覚醒者のリストだったのか?


(まあ、いいや、どうでも)


 やる気が湧かない。つまらない。ため息をついて、閉じる。


 トキタ博士の部屋に行かなくなって、物事に対する気力がすっかり萎えてしまった。あの老人との時間が、自分にとってそんなに重要なものになってしまっていたなんて、気づかなかった。

 そんなユウキを見かねて、シュウが「カナちゃんとのデート」に誘ってくれたが、気が乗らなくて断った。


 手慰みにマウスをいじって、何気なく別のフォルダを開いてみる。どの文字も、トキタの部屋にあった本の四角っぽい複雑な文字にそっくりだ。じいさんなら読めるのかな――。

 中のファイルを適当に開いたり閉じたりしているうちに。ふと、またアルファベットが目に留まった。見るともなくさらにスクリーンを下へとスクロールする。

 「英語」という言語があったらしい。これは、それなのだろう。

 だが、都市の学校では習わない。習ったところで、外部と遮断された――外部に人間がいるのかどうかすら分からない――この都市では、使う相手がいない。


 HASHIBA,S 2063 "――


(ハシバ……)


 嫌なやつのことを思い出した。あいつ、トオルが、言っていた。「ハシバさん」って。

 コールドスリープの覚醒者を管理する立場の人間なのだろうか。大人との関わりをひけらかすように、トオルは得意そうに折に触れその名前を会話に出す。

 あのときはユウキもトキタの部屋に出入りしていたから、別に羨ましいとも思わなかったが、今となっては……。


(いやいやいや……)

 何を考えているんだ、おれは。あんなやつのことを羨ましいだなんて――。


 内心で首を振って、ページを移す。と――。

 前のページの「HASHIBA」と同じ場所にある、別の名前に、ユウキの視線は釘付けになった。


 TOKITA,T 2063 "――


(……じいさん?)


 前後の、読めない英語の文章を一生懸命見るが、やはり何が書いてあるのか意味が分からない。

 ユウキはページを閉じた。

(何をやってるんだ、おれは……)

 また自嘲気味に、そう思う。トキタという名前が珍しいのかありふれたものなのかは知らないが、あのトキタ博士に関係のあるものなのかどうかは分からない。「トキタ」の文字に反応してしまう自分がおかしい。はっきり言って、変だ。というか、嫌だ。


(あんなじいさん相手に……)

 げんなりと机に伏して顔を付けたところで、待てよ、と思う。


 都市の中でしか繋がっていない、都市に関わる情報しか入っていないこのコンピューターに、都市の大人二人の名前が入っている。これは、同じ名前の別の人物などではなくて、その二人のことを示していると考えていいだろう。

 トキタとハシバは、関係があるのだろうか。都市の大人なら、関わりがあっても不自然ではない。

 それに、トキタは二〇六五年以前の歴史を研究している学者なのだから、コールドスリープから覚めた二〇六五年以前を知る子供たちと接触を持っていても不思議はない。


 そう言えば、トオルたちの話していた内容を知りたがっていたな。

 それに、あの最後の日の、電話での会話。


――これ以上、「覚醒者」を増やさせるわけには……――


 ふと思いついて、ユウキは机から起き上がった。

 トキタの部屋を訪ねてみようか。もう来るなと言われたわけではない。階層間の不要な移動は禁止されているが、知り合いを訪ねるなら「移動する理由」はある。駄目だと言われたら、そこで諦めればいい。

 だけど、なんと言って?


 久しぶり。この間、教室のパソコンで、じいさんの名前を見かけたんだ。だから、ちょっと思い出してさ――どうしてるかなって――資料の整理は続けてる? おれ、もう少し手伝ってやろうか? たまに来るくらいならさ――


 インターホンは、鳴らしたほうがいいだろうか。

 だけど、じいさんはまだ、「じいさん」と気安く呼ぶことを許してくれるだろうか。

 「孫」役の仕事は終わって、ユウキは赤の他人に戻ったのだ。


(それに……)

 ユウキは、ひとつの想像をして、少し息苦しくなるのを感じた。

 「トキタ博士の世間話の相手」は、規則違反のペナルティだったのだ。都市の中で、誰か規則違反をした生徒がいれば、既にその生徒が次の「孫」役として同じ仕事に就いているかもしれない。

 おしゃべりをして、資料整理を手伝って、カレーをご馳走されている誰かほかの生徒……その生徒に、ユウキに向けられていたのと同じ、老人の優しげな微笑が向けられているのを思い浮かべ、じんわりと胸を締め付けられる。

 本当の家族だったら、「代わり」はいないのに……。


 結局ため息をついて、ファイルを閉じた。

 休憩時間の残りはまだ十一分三二秒もある。ヒマだ。


 廊下から耳障りな高い笑い声がして、気に食わないやつががらりとドアを開け、数人の追従者を引き連れて教室に入ってくる。

 転校してきてから数日。トオルはますます横暴な態度で権力を振るうようになっていった。従わないものとの距離は広がり、従うものは、さらにトオルにべったりだ。


 トキタの部屋で過ごした最後の日、同じころ八四地区の広場で喧嘩騒ぎがあったらしい、と、シュウから聞かされた。

 ユウキたちと同じ普通の生徒と、コールドスリープから覚めた生徒たちとの言い争いから、掴み合いの喧嘩に発展したのだとか。

 それでも犯人はすぐ捕まったと、これまた情報通のシュウから聞いた。


 諍いの原因は、覚醒者の横暴に業を煮やした生徒たちの、「言いがかり」だったそうだ。

 つまり、トオルと同じように、生徒たちを取り込み我が物顔で威張り散らしてしている覚醒者が、ほかの教室にもいるのだろう。言いがかりなどではない、正当な苦情なのではないのか。ユウキはそう思った。

 そんなやつらが続けて何人も現れたら、文句のひとつも言いたくなる気持ちはよく分かる。こういう人間ばっかりなのだとしたら、二〇六〇年代も相当ひどい時代だったのだろう、とさえ思ってしまう。ユウキは内心で、拍手喝采した。この都市にいるのは、黙って何事も無関心にやり過ごそうとしている、無気力で単純な人間だけではないのだ。


 だが、言いがかりをつけたという連中は、即日「処分」された。例によって、都市からいなくなるという、あれだろうか。

 彼らはいったい、どこへ行ったのだろう。

 その「噂」について話をしたとき、トキタはユウキの身に、どんな危惧を抱いたのであろうか。結局、分からずじまいだ。


 そして、可哀そうなのはエリだった。彼女は何も悪くないのに、トオルのせいで、最近はクラスメイトの態度もよそよそしい。

 

(まあ、いいけどね。何でも)

 投げやりに結論付けて、また腕を枕にして、机に突っ伏した。


「おい」


 頭の上から、声が落ちてきた。

 おいとは誰のことだ?


「おい、お前」


 苛立たし気な声が、再び頭上に降ってくる。この不愉快な声は、話し方は、きっとあいつに違いない。けれど「おいお前」がおれのこととは限らない。いやむしろ、おれのことではないだろう。なぜならおれは、ヤツに「おいお前」などと呼ばれる筋合いはないからだ。

 ぼんやりと結論付けて、机に伏したままため息をついたユウキだった。が――。


「おい、おいっつってんだろ、お前だよ、お前」

「んだよ! うるせえな!」

 がばっと勢いよく体を起こすと、目の前の相手は一瞬ぎょっとしたようにこちらを見ていた。


 彼の体が向いている方向にいたのは。

 大きな目を真ん丸く開けて、脅えた表情のカナちゃん――シュウの妹だった。


 あ、おれじゃなかったのか。

 恥ずかしい。


「……なんだよ人が寝てるときに、頭の上でおいおいってうるせえな」

 ごまかすために、いちおう言葉をつないでみた。

 単純なトオルは上手くごまかされてくれたようで、今度は体ごとこちらに向けた。


「何だお前、関係ないだろ、黙ってろ」

 彼は実に悪役らしくそう言うと、その場に立ち竦んでいるカナに向き直った。


(その通り。おれは関係なかったようだ)


 カナの茶色い瞳が、助けを求めるようにユウキをちらりと向いた。


「おいお前、ぼくのこと見てただろう。何か言いたいことがあるならはっきり言えよ」


 自意識過剰だ。カナちゃんの視線の先におまえがいたのが悪い。


「え、見てない……」

 カナは小さな声で否定する。


「お前、この教室の生徒じゃないよな」

「あたし、お兄ちゃんに……」


 それでは、ますますおれは関係ないのだが、しかし。


「おにいちゃん? こいつか?」

 ユウキを指差す。


「違う」カナはさらに弱々しく口ごもる。

 そうだ。違う。おれは関係ないのだが、しかし――。


 ガタっと椅子を倒す勢いで引いて、ユウキは立ち上がっていた。


「うるさいって言ってんだろ! かわいい女の子泣かせて喜ぶガキか、お前は!」

 そんなガキ、この都市じゃ最年少のクラスにだっていない。

「それとも? お前の自慢の前時代の学校では、弱いものいじめしちゃいけませんってことも教えてもらわないのか?」


 トオルの顔が見る見る赤くなっていった。分かりやすいやつ。


「……んだとぉ?」

 次の瞬間、トオルの手が素早く伸びてきて、ユウキの襟元を掴んだ。

 逆上して、手が震えているのが伝わってくる。


(それ来た)


 息をつめて、クラス中が注目する。

 あのときと同じように。


(今度はおれか……)


 だけどおれは、リンみたいに優しくないんだよ。

 掴まれた力に負けない勢いで、トオルの腕を自分から引き剥がした。反撃は予期していなかったようで、黒い目が一瞬怯む。

 しかし。不安と期待の入り混じった目で見つめる生徒たちの手前、黙って引き下がるわけにも行かないらしい。


「お前、誰に向かって口をきいてるんだ!」


 もう一度掴みかかろうとする手を目の前で捕まえて、勢いよく向こうへ押しやった。

「お前に決まってるだろ!」


 いい音がした。

 相手は壁に、したたかに肩をぶつけて、顔をしかめる。

 喧嘩など、ユウキだってしたことはなかった。しかし、相手が弱すぎたらしい。

 勝敗の形勢はあっという間に決まった。

 今度は逆に、ユウキがトオルの胸倉をつかんで、相手の体を壁に押しつける。

 高潮した顔で、トオルがユウキを見上げる。


「何してるんだ!」

 そこへ、第三の声が割り込んだ。席をはずしていたシュウが、教室へ戻ってきたのだ。


「ユウキ、やめろ!」

 血相を変えて止めに入った友人に腕を押さえられて、ユウキはトオルの服を放す。どうせこれ以上続ける気はない。

 自由になったトオルは、微かにほっとした表情で、しかし負けを認めまいと、襟元を直しながらユウキを睨みつける。


「お前、覚えていろよ」

 お決まりの捨て台詞を吐いて、トオルは教室を出て行く。


(誰に泣きつくんだよ。リンをどこへやったんだ)


 ざらざらとした不快感いっぱいで、廊下に去っていくトオルを見送った。

 シンとしていたクラスが、何事もなかったかのようにざわめきを取り戻す。

 ユウキは息をついて、椅子に腰を下ろした。


「あいつ、映画の見すぎじゃないのかな。それとも、むかしのヤツって、みんなああいうしゃべり方するのか?」

 冗談混じりにシュウに目をやったが、立ったままユウキを見下ろす友人の顔に笑いはなかった。


「お前、何したか分かってるのか?」

「は? 転入生と喧嘩? ……ってほどでもないか。睨み合ってただけだもんな」

「リンのことを忘れたのか?」

「忘れてないからやったんだろっ」


 別に、掴みかかるほど頭に来たわけではなかった。それどころか、自分は冷静だったと思う。ただ、虫の居所が悪かっただけで。そして、先日リンに向けられた喧嘩を買わなかったことを後悔してもいた。


「どうなると思ってるんだよ……」


 シュウはゆるゆると首を振って、泣きそうな顔のまま呆然と立ち尽くしている妹に向き直り、優しく背中に手を置いて教室を出た。

 二人を見送って、ユウキはため息をつく。

 生徒たちの好奇のまなざしが痛い。


 さて、――これから何が起こるのかな?


 自分の気力を励ますように、ユウキは言葉にしてそう思った。

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