第十二話 五月、取材を受ける③

 スケッチが終わると、クレアは仕事が溜まっているとかでいそいそと部屋を出て行った。

 のぼせたように顔を赤くしていたが大丈夫だろうか……心配だ。

 でも、なぜかやたらとカネさんにお礼は言っていたから、体調は大丈夫なのだろう。

 二人きりになってからも、いろいろの話がそれからそれへとはずんで、さらには途中途中でカネさんが急に絵をかきだすものだから、取材が終わったのは結局夕方近くになってしまった。

 窓の外の陽が落ちたのを見て、カネさんは慌てたように席を立った。

「いっけないもうこんな時間。そろそろ帰らなきゃ」

「お、もう七つ半(※午後5時)か」

 公使館の柱時計を見て、私も今さらにずいぶん時間が経っていたことに気付く。

「今日は本当にありがとう。お話しできて良かった」

「こちらこそいろいろ話せて楽しかった。今度はヴラドの屋敷に来るといい。私は横浜では大体そこにいるから。取材なんて理由がなくても、遊びに来てくれ」

「ええ是非。それじゃあこれで私も五月さんのフレンドってことでいいのかしら」

「もちろんだ」

 私とカネさんは固く握手を交わした。こちらのほうがふさわしい挨拶の気がしたからだ。カネさんは同じ日本人と接している感じがしなかった。異人だらけでの横浜の町で、こんなに明るく生き生きと暮らしている日本人を見るのは初めてだった。

 握手を終えて、カネさんが帰り支度をする。

「それじゃあ名残惜しいけど今日はこれで。また会えるのを楽しみにしているわね」

「帰る家は横浜にあるのか? もう暗いし、良ければ警護を兼ねて家まで送るぞ?」

 私がそう言ったのは通り一遍のあいさつでもお節介からでもない。最近の横浜の街は本当に物騒で、異人と親しくしているだけで日本人も狙われるのだった。異人から洋画を学んでいるカネさんが狙われないという保証はない。

 しかしカネさんはゆるやかに微笑んで首を振った。

「いえ、大丈夫よ。帰る先はチャールズさんの家だから、公使館が護衛をつけてくれるの」

「ほう、関係者とはいえ日本人まで護衛してくれるとは、エゲレスはずいぶんカネさんのことを大切にしているんだな」

「うーん、というか、ね……」

 そこでなぜかカネさんはもじもじし始めた。私の察しの悪さは冬ごもり中の熊並なのでしばらく何のことやらわからなかったが、やがて合点がいった。

「ああそうか、住み込みなのだものな、もしかして……」

「うん、チャールズさんとは結婚することになっているの。来年の話だけどね」

 ほほを薄紅く染めて、カネさんは言う。幸せそうなのは一目で伝わってくる。

「それはおめでとう。少し気が早いかもしれないが」

「ううん、ありがとう。まあ、だからって絵の修業は優しくしてもらえないんだけどね」

 カネさんはそう言って屈託なく笑った。なんだかこちらまで幸せを分けてもらったような笑顔だった。

「さっきの話も合点がいった。公使館から許嫁として応対されているのだな」

「そういうこと。なんだか夢みたいよ。自分が洋画の勉強ができて。しかも異人さんと結婚するなんて、ねえ」

「でも、尊敬できる人なんだろう」

「うん、絵は上手いし、修行中以外では優しいし、……それに結構かっこいいからね」

「それは良かった」

 彼女の笑顔を見るとこちらもうれしくなる半面、別の心配も頭をもたげてくる。

「しかし、それでは結婚すればますます攘夷派の浪士から狙われるな」

「うん、それはチャールズさんも心配していたわ」

「残念なことだ。華燭の典を上げることにエゲレスも日本もないだろうに」

「仕方ないわ、攘夷派にとっては、異人と恋をすることがもう悪だもの」

 カネさんの顔が少し曇る。いけない。余計な話をしてしまったかもしれない。

「すまん、暗い話にしてしまった……。私で力になれることがあったら言ってくれ。特に護衛なら任せてほしい。こう見えてそこそこ腕は立つんだ」

「ありがとう。もちろんあなたの腕のほどは知っているわよ。立つどころかたぶん神奈川奉行所最強でしょう、五月さんは。守ってもらえるなら心強いわね」

「本当にいつでも頼ってくれ。カネさんのことは必ず守るから」

「ありがとう」

 カネさんはもう一度明るく笑った。

 こういう人をこそ守るために、自分はいるのだと思う。

 公使館の正門までカネさんを見送った。門を出てからは明るいランプを下げた護衛兵に守られて、カネさんは宵闇の横浜の街へと坂を下っていった。

「異人との恋は悪、か」

 彼女の姿が見えなくなってからも、私はその場に立ったまま、闇に沈む横浜を見つめ続けた。

 

 見送りを終えて番士室に戻るとき、ちょうどヴラドが公使の部屋から出てきた。何らかの会議があったのだろう、公使代理のニール殿もまたぐったりした表情で後に続く。

『では、そちらの件はよろしくお願いしますよ』

『わかった、わかりましたよ。まったくなんで私ばかり……ぶつぶつ』

『おや? まだ打ち合わせがしたりないようですね』

『いやいやいや、もう結構です』

 ニール殿が首をぶんぶん振って謝絶する。かわいそうに、今日もいろいろな要求をされたのだろう。

 同情を込めた視線で眺めていると、トップハットという帽子を手にしたヴラドがこちらに気付いた。

「おや、そちらも終わりましたか」

「ん、つい今しがたな」

「それはちょうどよかった。では私たちも帰るとしましょう――それではニール、ごきげんよう」

 最後の部分は英語で言い、ヴラドはニールと別れた。トップハットを頭にかぶりなおし、マントという黒い長羽織を身に着けて私の隣にやってくる。

「取材はどうでした?」

「悪くなかったよ、カネさんはいい人だったしな」

「でしょう? 私も今日初めて彼女とは会ったんですが、しばらく話をしているうちにあなたにぜひ会いたいと頼まれましてね。うまくいってよかったです」

「お前、絶対カネさんの顔だけ見て引き受けただろう……」

「そんなことはないですよ」

「どうだか」

 ふとあることを思い出したので、意地悪く笑って、ヴラドに話す。

「しかし残念だったな、向こうはもうとっくに相手がいるみたいだぞ。来年結婚するそうだ」

 ヴラドは不思議そうな顔で返事をする。

「ほう、それは知りませんでした。ですが何か問題がありますか?」

「おい」

「越える障害の多い方が、楽しみが増えると言うものです」

「お前は本当にいい性格しているな……」

 やはりヴラドとはフレンドにはなれない気がする。

 話しているうちに公使館の門を出た。手持ちの小田原提灯に火をつけて、足元を薄ぼんやりと照らしながら屋敷までの道を歩く。

「そういえば今日カネさんと話していて、すこしお前たちの国がうらやましくなったよ」

「おや、どういうことです?」

「今日初めてフレンドと言う言葉を知ってな。異国は身分差の無い国だとは聞いていたが、改めて人々が生まれに関係なく親しく交わっているのだと思い知らされた。考えてみれば、クレアがお前やスカーレットと親しくするなど日本ではありえないことだ。私は少しこの国が窮屈に思えてきた」

「あの二人に関しては本人の人柄もあるとは思いますよ。アメリカならばいざ知らず、イギリスはまだずいぶん身分差別が残っていますから。それでも、日本よりはずっとゆるやかでしょうね」

 ろうそくの弱い火影に照らされながら、ヴラドが話す。

「ですが、私も時々この国がうらやましくなる時があります。この国は同性同士で愛し合っても何も言われませんからね」

「どういうことだ?」

「ヨーロッパのほとんどの国は、法律で同性の交わりを禁じているのです。イギリスは特にそれが厳しくて、見つかればまず牢屋行きは免れませんね」

 思わず提灯を取り落としそうになった。

「愛し合ったら牢屋に放り込まれるなんて、そんなに厳しいのか」

「少し前まで同性愛の最高刑は死刑だったんですよ。去年(※1861年)ようやく法改正されて死刑は廃止されましたが」

「当然だ。恋をしたら殺されるなんて冗談じゃない」

「ええ、死刑から永牢(※無期懲役のこと)に変わりました」

「たいして変わらんじゃないか……」

「ええ。ですから、自由に愛し合えるこの国がうらやましいのです」

「はあ……」

 思わずため息をつく。何とはなしに空を見上げると、冬の星々が冷たい大気に凍えるように弱くまたたいていた。

「どうしました、サツキ」

「もし、もし仮にだが、私がお前のことを好きになったとして」

「え!? ついにその気になってくれたのですか!?」

「仮の話だといっただろう寄るな寄るな近い!」

 ヴラドは不満そうにする。

「ぬか喜びさせないでください」

「お前が勝手に勘違いしたんじゃないか」

 まったく油断も隙もない。気を取り直して話を続ける。

「私の国では異人と恋をしたら殺される、お前の国では女同士では牢屋に入れられる。もしお前のことを好きなったとしても、安住の地はないのだな」

「ええ、時代が変わらない限り」

「時代、か」

 少なくとも今の日本のままでは何を変わらないだろう。時代が変わるということは、それはすなわち幕府が……。

 一瞬頭にひらめいた恐ろしい考えを慌てて振り払う。

 ヴラドが笑みを深くして言った。

「失礼、少し暗い話になりましたね。ひとつ明るいニュースを。今日ニールと話して知ったのですが、なんでもクレアさん、近々客間女中パーラーメイドに格上げされるそうですよ」

「パーラーメイド?」

「公使館の接客専門のメイドです。何かと表に出る仕事ですから、容姿が優れていることと礼儀作法を身につけていることが求められるのです。クレアさんの容貌で成れないのが不思議でしたが、どうも下町時代のスラングがなかなか抜けなかったことに原因があったそうで。この前の食事以来スカーレットさんがいろいろと言葉を指導したり上流の礼儀作法を教えたので、今回昇進することに決まったそうですよ」

「ほう、それは良かったな。……本当に良かった」

 クレアがいろいろと努力しているのは私も知っている。彼女の待遇がよくなるのは、とても嬉しい。

 しかしスカーレットのやつ、ああ見えてなかなか面倒見のいいところがある。今度また一緒に食事に誘おうか。

「そのうち本人に話があるでしょうから、それまではサツキも知らないふりをしていてください」

「そうだな、決まった時にお祝いしよう」

 そうこうしているうちに横浜の大通りに足を踏み入れていた。時間的にはまだ宵の口とあって、まだ開けている店も多く大通りの景色は明るかった。冷たい大気にもめげずに喉を張り上げ、大きな声で客を呼び込んでいる。

 特に熱心なのが青物売り(※八百屋)で南瓜なんきん柚子ゆずを売り込んでいた。その光景を見て気づく。

「そうか、今日は冬至か」

「冬至、ですか?」

「イギリスでは何もしないのか? 日本では冬至には南瓜を食べたり柚子湯に入る風習があるんだ」

「ほほう、柚子湯」

 なぜだかヴラドが目をキラキラさせ始めた。嫌な予感がする。

「その柚子湯というの、入ってみたいです」

「ブラド、お前はたしか風呂嫌いだったんじゃ……」

 ヴラドというか、異人はみんなそうだが。

「こんな面白そうなもの見逃す手はありません。サツキ、あそこのお店で柚子を買って、早速屋敷でやってみましょう」

「いや、お前風呂は沸かすのも結構大変なんだぞ……ってああもう!」


 ヴラドが勝手に青物売りの方に駆け寄ってしまったため、仕方なくあとを追いかけた。


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女剣士と吸血鬼 ちゃいな @tyaina

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