第44話 ダタッツ剣風

「よく生きていられたものだな……。確実に仕留めたと思っていたが」

「……守ってくれたのさ。この国の人が」

「なんだと……?」


 再びヴィクトリアと相対するダタッツ。

 十字に刻まれた胸に掌を当てる彼の言葉に、勇者の末裔は眉を吊り上げた。王国人から蛇蝎の如く忌み嫌われるはずの彼が、王国人に守られるなど、到底信じられないからだ。

 だが、ダタッツは嘘は言っていない。彼の命を紙一重で現世に繋ぎ止めるために犠牲となった、予備団員の鎧と盾は――紛れもなく、王国人の寄付によるものだからだ。


「そうだ。守ってくれたんだ、ハンナさんが!」

「バカな……!」

「ジブンは独りじゃない。例え、この国の中であっても。ジブンが今も戦っている理由なんて、もうそれだけで十分だ!」

「……!」


 あらゆる闇も負の感情も、突き抜けてしまいそうな――真っ直ぐな瞳。その眼差しに真っ向から射抜かれ、ヴィクトリアは目を剥く。

 彼の眼が、似ているからだ。かつて、自分が追い求めた父の姿に。


 黒髪の騎士の手にある、今は亡き名将の両手剣。その刀身を見つめ、ヴィクトリアは父の姿を思い浮かべる。

 彼女の脳裏には今、父が遺した言葉が――憎しみに囚われてはならないという教えが過っていた。


(父上、私は……)


 勇者の剣に囚われた今もなお、その心の奥底に封じられた良心は、確かに息づいている。闇の中から、救いの手を求めるように。


『チガホシイダロウ! ニクイダロウ!?』

「あ……ぐ、あぁああッ!」


 だが、その微かな善の心も――勇者の剣は容赦なく飲み込もうとする。逆らうことを許さない呪いの圧力に、ヴィクトリアは苦悶の表情を浮かべ、片手で頭を抑え込む。


「ヴィクトリア……!? 一体、どうしたというの!?」

「ヴィクトリア様……!」

「呪いの影響なのか……!? ダタッツより遥かにダメージは浅いはずなのに、あの苦しみようは……一体……」

「――勇者ダタッツがアイラックスの剣を持ち込んでから、随分ヴィクトリアの様子が変わっている。ヴィクトリアよ、やはりお主にはまだ、人の情が……」


 その光景に、戦いの行方を見守る人々は揃って緊迫した面持ちを浮かべる。この場にいる人間全てが、ヴィクトリアの変化に気づいていた。


(許されぬとでもいうのか、父上。あなたの仇を討とうとすることが、そんなにいけないことなのか!)


 自分の胸中に渦巻く人間としての情と、呪いに促された憎しみの炎が、絶えず絡み合い、争い合う。

 それほどまでに己の心が乱れている理由は――自らの行いへの自覚と。直に戦った帝国勇者の人柄にあった。


 正気を完全に失わせるほどに呪いが強ければ。帝国勇者が血も涙もない冷血な男だったならば。

 こんなにも、苦しい気持ちになどならなかった。


 ダタッツと名を変えた帝国勇者は身を挺してババルオから王国を救い――民を守るために自分が狂わせた盗賊達とも戦ったと聞く。ここに来る途中、城下町の男達に手料理を振る舞う少女が、そう話していた。

 その上、自分との戦いにおいても。彼はあくまで自分を殺さないために、当たるはずの技を外して自分の剣にかかった。

 勇者の力を振りかざす外道――という評判とは対極の位置にいる。勇気と慈愛に溢れた若者を呼ぶ、という勇者召喚の言い伝え通りの人物だった。

 帝国勇者は――悪などではなかった。それは、直に剣を交えた今なら痛いほどにわかる。


(帝国勇者! あなたはなぜ……どうしてッ!)


 だが、だからこそ。そんな彼が帝国勇者として自分達を追い詰め、父を奪った張本人であるという事実を受け入れることができなかった。

 その苦悩から逃れるために、彼女は憎しみに走り――勇者の剣に囚われてしまったのだ。


「……もう、いい。私を離さない憎しみの力が正しいか。多くの命を奪っていながら、今になって正義面するあなたが正しいか。全ては、この戦いが――次の一撃が教えてくれる」

「そうだな――ッ!」


 その時。一歩踏み出そうと進み出たダタッツは、突然崩れ落ちるかのように片膝を着いてしまった。

 十字に刻まれた胸からは、今も絶えず鮮血が滴り、その傷の重さは確実に彼の命を蝕んでいる。あらゆる箇所がひび割れている予備団員の鎧からも、彼が背負うダメージの深さが伺えた。


「ダタッツ様ぁっ!」


 ダイアン姫の悲痛な叫びに応える余力もなく――満身創痍の黒髪の騎士は、荒い息で肩を震わせながら、光を失わない瞳で目の前の敵を狙う。

 だが、敵はヴィクトリアではない。その心を黒く染める、勇者の剣だ。


「もういい! もういいですから、逃げてくださいダタッツ様! そんな身体で、ヴィクトリアを倒せるはずがありませんっ!」

「……ダイアン姫。過去がどうであれ、今のジブンは王国に仕える騎士の端くれ。ここで引き下がるわけには、行かないのです」

「なら、わたくしはあなたの任を解きます! あなたなどクビです! もう、わたくしを守る資格はありません! だから早く逃げて――」


「――クビだろうと! 資格がなかろうと! 俺は必ず君を守るッ!」

「……!」


 その瞳に宿る光は、どんな言葉でも揺るぐことなく、ただ前だけを見つめている。今までとは違う、力強いその宣言にダイアン姫は言葉を失い――同時に、頬を熱く染める。

 一方で――ふらつきながらも立ち上がり、両手剣を再び構えるダタッツの姿を見遣るバルスレイは、焦りを胸中に滲ませながら、この死闘の行方を見つめていた。


(ダタッツ。お前は、まさか……!)


 その予測は――次のダタッツの行動で的中することになる。


「む……やはり、決め手はその技か」


 ヴィクトリアは勇者の剣を構え――再び螺剣風の体勢に入るダタッツを睨み付ける。すでに一度破った技であるが、彼女の眼に慢心はない。

 彼の眼差しから感じ取っていたからだ。今度の一発は、本気で当てに来ると。


「いかんッ! ダタッツ、その剣で螺剣風を使うなッ!」

「バルスレイ様!?」


 刹那、ダタッツの構えを目の当たりにしたバルスレイは顔を青くして叫び出す。何事かと視線を移すダイアン姫を尻目に、老将はまくし立てるようにその行動の意味を彼に伝える。


「螺剣風は己の腕を回転させ、貫通力を高める投剣術最強の奥義! だが、それは回転による腕の負担が大きく、使用者を確実に苦しめる諸刃の剣なのだぞ! しかも……その威力と負荷は、放つ剣の重量に比例するのだ!」

「なんだって!?」

「それは……本当なのですか……!?」


 その発言に、ダイアン姫とロークは驚愕して彼を問い詰める。バルスレイは、あるがままの真実で応えた。


「……事実です。比較的質量の軽い勇者の剣や予備団員の剣ですら、腕に相当な負担をかけていたというのに……」

「じゃ、じゃああの両手剣で同じ技を放とうものなら――」

「――腕が吹き飛んでも、不思議ではない」


 バルスレイが言い放った冷酷な結末に、ロークは同時に血の気を失い――切迫した面持ちでダタッツに制止するよう呼びかける。

 だが、その叫びは途中で遮られてしまった。王国が誇る姫騎士、ダイアン姫の眼で。


「なんでだよ姫様、このままじゃダタッツが!」

「――大丈夫、です。きっと大丈夫。ダタッツ様が、守ると……仰ったのですもの」

「姫様……」


 その時の彼女は、彼の身を案じながらも――ひたむきに、愛する男の勝利を信じる乙女の姿そのものであった。

 必ず勝ってくれる。彼女をそう信じさせる力が、ダタッツの瞳に宿っているのだ。

 今まで、幾度となく回復魔法を捧げることを躊躇ってきた彼女だが――もはや、その碧い瞳に迷いはない。すでに彼女の体からは、新緑の光が滲み出ている。

 この時代に残された、癒しの力が。


「聞いての通りだ、ヴィクトリア。君の言う通り――次の一撃が最後になる」

「恐れを知らぬ――否、知った上で敢えて突き進む、その気勢。確かに見せてもらった。ならば私も……この激情を剣に乗せ、あなたに捧ぐ」


 姫騎士の熱い視線を背に、螺剣風の構えを見せるダタッツ。その姿を見据え――ヴィクトリアは勇者の剣に走る亀裂を気にする気配もなく、再び弐之断不要の体勢に入った。

 この一閃さえ放てれば、後のことなどどうでもいい。そう言わんばかりの、捨て身の姿勢に。


「そして死ね――帝国勇者ァァアッ!」


 それが、彼女が迷いの末に出した結論。彼の意志に応え、剣士としての己の全てをぶつける。根源にある動機が憎しみであっても、そうでなかったとしても。

 全力には全力で応える。その、一剣士として絶対に破ってはならない矜恃だけが、今の彼女を突き動かしたのだ。


 自分の中にある正義が正しいかどうかを、この一閃に、委ねるように。


「帝国式、投剣術――奥義ッ!」


 ある意味では、助けを求めているようにも見える。そんなヴィクトリアの想いを乗せた一撃が生む、鎌鼬を前に。

 ダタッツは火を吐くが如く、雄叫びを上げ――大きく上体を捻る。まるで、弓を引き絞るかのように。


「……負けんなよ。負けたら許さねぇぞ。……ダタッツッ!」


 その瞬間。小さな少女騎士は、懸命に勇気を振り絞り、精一杯のエールを送る。父の仇を好きになってしまうという、恐れを振り切り。

 今、自分達を守るために戦っている彼に――素直な気持ちを伝えるために。


「勇者ダタッツよ――最後にもう一度! 今一度! この国に、光を!」

「……こうなるしか、ないというのか!? ならば――生きろ、ダタッツ! 勝って、生き抜くのだッ!」


 国王とバルスレイも、ダタッツが握る両手剣に祈りを捧げる。黒髪の騎士が、ヴィクトリアの放つ鎌鼬に打ち勝つと――信じて。


 ――そして。


「負けないで……ダタッツ様ぁあッ!」


「……螺剣、風ゥゥウゥウッ!」


 弾けるように突き出された右腕は、螺旋を描いて唸りながら――握り締めていた両手剣を撃ち放つ。雄々しく猛る一角獣の幻影を、その刀身に纏わせて。

 刹那。ダタッツの右腕は剣の動きに釣られるように、本来の関節ではあり得ない方向へと捻れていく。そして――剣が手から完全に離れた頃には、すでに彼の右腕は鮮血を撒き散らし、主人の体からネジ切れていた。


 一方、放たれた両手剣は。


 矢という比喩に収まらない――さながら、砲弾のような轟音を上げ、猛烈な回転と共に突き進んで行く。全てを薙ぎ払う突風を纏って。


「ぬっ――お、ォォォォオオォオオッ!」


 その圧倒的な力に、ヴィクトリアは弐之断不要の一閃を以て、真っ向から立ち向かう。鎌鼬を蝋燭の火の如く吹き消し、勇者の剣に迫る両手剣を、彼女は恐れることなく受け止めた。

 その圧力はヴィクトリアの足元に亀裂を走らせ、鎧を軋ませる。一瞬でも油断すれば瞬く間に飲まれてしまいそうな風を浴び、彼女は懸命に堪え――叫ぶ。


 だが。


「風よ――吹けぇえッ!」

「ぐぁ、アァアァアアァァッ!」


 隻腕となったダタッツの叫びとともに、ヴィクトリアの力は剣が生む旋風にねじ伏せられて行く。

 いくら勇者の剣を使っていようと、使い手は勇者の血を引いている生身の人間。迷いを捨た純血の勇者が、真に全力を込めて放つ一撃の前では、限界がある。


 異世界の勇者は、人々の平和のために戦わねばならない責任と引き換えに――超人の力を持っているのだから。

 そして今まさに、伊達竜正は。その責任を、果たさんとしているのだから。


 この世界にただ一つ残る、魔の物を屠ることで。


「あ、あぁあぁああァッ!」


 ゆえに。勇者の剣の刀身は、螺剣風の直撃によりさらに亀裂を広げられ――やがて限界を迎え、なまくらの如くへし折られてしまう。

 ヴィクトリアが風に飲まれ、遥かな夜空へと舞い上げられたのは、その直後だった。


「わぁあッ!」

「きゃああぁあッ!」


 鎧に全身を固めた彼女を、容易に吹き飛ばす激しい風。

 その余波は周囲にも及び、ダイアン姫達は自分達も吹き飛ばされないよう、瓦礫や柱に掴まり、懸命に堪えていた。その風に抵抗できる力を持たない国王の身体は、老いてなお堅牢な肉体を保っているバルスレイが保護している。


 さらに、この風は王宮の最上階を中心に――そよ風として、城下町にも及んでいた。その町中から、王宮を見つめ続ける少女の頬を、吹き抜ける風が撫でる時。


「……けんの、かぜ……」


 自らが慕う騎士の技が生んだ風を思い出し――彼女は頬を濡らして、呟くのだった。

 直感したからだ。この風と引き換えに、あの人は命を削っているのだと。


 そして。


 夜空の彼方から。流れ星の如く舞い降りたヴィクトリアの身体が、鎧で空を切る轟音と共に墜落する瞬間。


「く、あぁあッ!」


 片腕のまま、弾かれるように飛び出したダタッツは、彼女の落下地点に倒れ込むと――自分の身体を緩衝材として使い、ヴィクトリアの身を墜落の衝撃から守り切るのだった。

 うつ伏せに倒れた彼の周囲に広がる亀裂が、その衝撃の威力を物語っている。


 それから数秒の間を置いて――ヴィクトリアと共に風で舞い上げられていた両手剣と、折れた勇者の剣が落下してくる。

 その二本が床に突き刺さる時。


 この場にいる人間全てが、ついに悟るのだった。


 ――もう。戦いは、終わったのだと。

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