第43話 ロークの勇気

「う、ぁあぁあ……!」

「姫様っ!」

「ダイアンッ!」


 両手を震わせ、うずくまる姫騎士の姿を目にして、ロークと国王は悲痛な声を漏らす。

 身の丈に合わない弐之断不要は、ダイアン姫の体を確実に追い詰めていた。大技同士の激突が生む衝撃により、両腕をへし折られた彼女は、想像を絶する痛みを受けて目尻に涙を浮かべ――るが。


「く、う……!」

「姫様……」


 それでもなお、気丈な光を瞳に灯していた。決して諦めることなく、なおも立ち上がろうとする彼女の姿を前に、怜悧冷徹な姿勢を崩さなかったヴィクトリアは――初めて、表情に躊躇いの色を浮かべる。


「……!」


 それから僅かな間を置き。今度は、驚愕の表情で己の得物を見つめた。

 幾度となく弐之断不要を使っても、刃こぼれ一つ出来なかった勇者の剣に――微かな亀裂が走っていたのだ。

 ダイアン姫の弐之断不要は、確かに無謀な諸刃の剣だった。だが、相手に与えた威力は、紛れもなく本物だったのだ。


「……もう、いい。もういいでしょう、姫様」


 彼女の成長が生んだ結果を前に、ヴィクトリアは諭すような声色で降伏を呼び掛ける。彼女の心に残された微かな情が、その瞳に温もりを齎していた。


「――諦める、わけには……いかないのです。あなたが、その剣を捨てるまでは……!」

「――わかりました。そこまで仰るならば、私も一剣士として敬意を表し……この剣の錆にさせて頂きましょう」


 だが、戦意を失わない彼女の姿を危険と判断したのか。再び冷酷な眼差しに戻ると、勇者の剣を彼女の頭上に振り上げた。


「姫様……お覚悟を」

「……ッ!」


 僅かな迷いを心に残したまま。その刀身は弧を描くように、姫騎士の頭上に振り下ろされて行く。もはや、死は逃れられない。

 ダイアン姫はとっさに目を閉じ、迫る死の瞬間に覚悟を決め――


「でゃぁああぁああッ!」

「なっ……!?」


 ――思わぬ助太刀に、その命を救われたのだった。確定していたはずの死を免れた上、予想だにしていなかった乱入者の登場を前に、ダイアン姫は驚愕の表情を浮かべる。


 跳ねるようにその場から飛び出し、手にした剣の一閃でヴィクトリアのとどめを切り払ったのは――幼き少女騎士、ロークだったのである。


「……その無鉄砲さ。私に指摘されても是正しない頑固さ。姫様と比べて、なんと進歩のない」

「――オレ、頭悪いからさ。こうする以外の方法がわからねぇんだ、ヴィクトリア様」

「だろうな。……だが、剣腕だけは見違えるように高まっている。そこは評価しておいてやろう」

「……光栄だっ!」


 短い問答の後、ロークは遥かに体格で優るヴィクトリアの縦一閃を打ち上げるように弾き、ばねのように跳ね上がりながら切り上げを放つ。

 最小限の動きでそれを回避したヴィクトリアは、小虫を払うように裏拳を放つ――が、ロークは空中でキックを真横に放ち、その拳を止めて見せた。


「……!」


 その反応の速さに、ヴィクトリアが思わず目を剥く瞬間。ロークは裏拳を放った彼女の腕を足場に、さらに高く飛び跳ね――彼女の頭上に、全体重をかけた一閃を振り下ろすのだった。


「弐之断不要もどきぃぃいいぃっ!」


 巨大な一角を誇る蒼い鉄兜に、少女騎士の渾身の一撃が炸裂する。


 だが、ヴィクトリアは微動だにしない。不意を突かれて微かな隙を見せはしたが、ロークの一撃を物ともせずに反撃に転じる。

 この王国の最上級騎士の証である、一際大きい鉄兜の一角。その得物で突き上げるように――彼女はロークの小さな体を跳ね飛ばしてしまった。


「うぁああぁっ!」

「ロークっ!」


 幼い少女にさえ容赦のない攻撃を加えるヴィクトリア。その冷徹な攻撃を目の当たりにして、ダイアン姫は腕の痛みも忘れて悲鳴を上げる。


 少女騎士の体は天井があった高さよりも大きく跳ね上がり、力無く地面へと墜落していく。

 その鈍い衝撃音がこの場に響く瞬間、ダイアン姫は目をつぶり顔を背け、ヴィクトリアは終わったと言わんばかりに踵を返した。


「あ、あぁ……ローク……!」

「ヴィクトリア、お主……!」


 かつての教え子にも手をかけるヴィクトリアの変わり果てた姿に、国王は歯を食いしばる。王国のために立ち上がった帝国騎士団と帝国勇者が倒れ、愛娘も両腕を負傷し、唯一残った正規団員も激しく痛めつけられた。

 それをやったのが、旧知のアイラックスの忘れ形見だという事実が、国王の心に重くのしかかる。


 同時に、絶望も襲い掛かった。もう、希望はないのだと。


「……ま、だ、だっ……!」


 ――だが。この国の主が、そう感じていようとも。諦めずに立ち上がる者がいた。

 この小さな体のどこに、そんな力があるのか。その姿を見る人々全てが、そう感じているほどに――ロークは猛々しい炎を瞳に宿し、両の足で立ち上がっている。


 足元はふらつき、視線も定まらず。兜の内側から滴る赤い筋が、彼女のダメージの深さを物語っている。


「ローク、だめ! 下がって、下がりなさい!」

「いかん、ローク! 逃げるのだ、今度こそ殺されるぞ!」


 もはや戦える状況にないことは、誰の目にも明らかだった。しかし、それでも彼女はがむしゃらに、ヴィクトリアに向かって行こうとしている。


 悟っているからだ。例え勝ち目などなくとも、騎士であるからには戦わねばならない時があるのだと。


(父上が、そうだったように……!)


 父を奪った帝国勇者は倒された。だが、自分もダイアン姫も国王も。仇が討たれたにも拘らず、誰一人喜びはしなかった。

 それが答えだった。自分達はもう、彼を憎んでなどいない。それを認めてしまうことが怖かったから、冷たく接しようとしていたに過ぎなかった。

 自分達にとってもあの騎士はもう、「勇者」だったのだ。


(だから――ヴィクトリア様。オレは、あなたを……!)


 その勇者を倒されて。守るべき姫君も、痛ましい傷を負った。こうなった今、騎士である自分のすべきことは明白。

 命に代えてもヴィクトリアに打ち勝ち、勇者ダタッツが守ったこの国を救う。


 そのためにこそ、彼女は立ち上がり、剣を取るのだ。


「……待、て。君一人に、戦わせはせぬ。私も、加勢するぞ……!」

「なっ……バルスレイ様!?」

「バルスレイ殿か!?」


 さらに、思わぬ乱入者がもう一人現れる。城門前でヴィクトリアに倒されたはずのバルスレイまでもが、傷を押してこの最上階に乗り込んできたのである。

 全身に痣を残し、文字通りの満身創痍の状況でありながら――その武人としての瞳には、寸分の恐れもない。


「……死に損ないが。よかろう。ならばまとめて、私が連れて行ってやろう。帝国勇者が眠る世界に――な」

「……っ! お願い! お願いヴィクトリア、もうやめて! わたくしの命を差し上げますから……わたくしならいくらでも傷つきますから、もうこれ以上誰かをっ……!」


 そんな彼らに対し、ヴィクトリアは苛立ちを露わにして勇者の剣を振り上げる。弐之断不要「破散弾」の体勢だ。

 戦える人間が全員、手痛い傷を負っているこの状況で、全方位に瓦礫の砲弾を打ち出されては――もはや、逃れる術はない。


 仮に逃げようものなら、間違いなく国王は余波に巻き込まれ命を落とす。


 誰もが、万事休すかと。覚悟を決めた。


 そんな彼らを冷ややかに見遣るヴィクトリアは、引導を渡すように勇者の剣を振り下ろし……。


「飛剣風ッ!」


「ぐッ……!?」


 どこからともなく、風を切るように吹き抜けた一本の剣に、その豊かな胸を撃ち抜かれた。

 彼女を撃った剣――アイラックスの両手剣は重鎧で全身を固めたヴィクトリアの身体を容易に跳ね飛ばし、反動で大きく跳ね返る。


 そして、空中で激しく回転していたその巨大な剣は――黒髪の騎士の手元へと収まるのだった。

 胸に十字の傷を刻まれ、服の色とも血の色ともつかない赤色に全身を染め上げ――それでも。黒い瞳はその奥に希望を灯し、ヴィクトリアを射抜いている。

 さながら、魔王に立ち向かう勇者のように。


「ダタッツ……!」

「勇者、ダタッツ……」


「ダタッツ様っ……!」


 その姿に、ロークと国王は感嘆の声を漏らし――ダイアン姫は感情のままに美しい顔をくしゃくしゃに歪め、すすり泣く。


 そして。


「……まだ、生きていたか」

「死にはしないさ。――ジブンには、まだ……守りたい笑顔がある」


 当代の勇者と先代勇者の末裔は。

 再び互いに剣を取り――相対するのだった。


『チダ……チヲ、モットダ……!』

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