第45話 王国の夜明け

 ダタッツの、右腕を対価に放った螺剣風により、勇者の剣は破壊された。


「ダタッツ! ヴィクトリア様ッ!」


 その瞬間を見届けたロークは、倒れたまま動かない二人目掛けて、弾かれるように走り出す。

 ――だが。


『ヤドリギガ……ヤドリギガッ!』

「ッ!?」


 戦いは終わっても――全てが終わったわけではなかった。

 折れた勇者の剣から伸びる黒い影が、煙のように立ち上り――行く手を阻むようにロークの前に現れたのだ。


「な、なんだあれは!」

「あれが勇者の剣の実態……!」

「いけません! ローク、逃げてッ!」

「下がるのだ、ローク君! その剣に近づくなッ!」


 その現象に驚愕する他の者達は、言い知れぬ不気味さを覚え、ロークに引き返すよう呼び掛ける。

 だが、一刻も早くダタッツの元へ行きたい少女騎士は、その言葉に素直に従うことができなかった。

 彼女は息を飲むと、腰の短剣を握り締めて、自身の目の前に現れた闇を睨みつける。


「お前か……全部、お前のせいかッ!」

『……オマエカ、オサナキムスメ。ニクイダロウ? オマエノナカニモ、ニクシミガアルダロウ?』

「お前のことなら、ダタッツから聞いてる。その手には乗らないぞ!」

『ホントウニイイノカ? ニクイチチノカタキヲ、ウタナクテモ。イマガゼッコウノキカイダ、ツギハナイゾ』

「な……なんだと?」


 だが、闇の影は悪びれる様子もなく。そればかりか諭すような声色で、黒い暗雲を広げていく。まるで、少女騎士を飲み込もうとするかのように。


 本来、勇者の剣は勇者にしか扱うことはできない――。その理由は、剣そのものが同郷の者を望み続けていたことにあった。

 勇者の血縁に当たらないロークに白羽の矢が立てられたことは、その拘りを捨てざるを得ないほどに、勇者の剣が追い詰められていることを意味している。


『イママデ、ツライオモイヲシテ、イキテキタノダロウ? コロシテヤリタイホドニクイハズ。ナノニ、オンハアルシ、ワルイヤツトモオモエナイ。ムシロ、スキトオモウジブンモイル』

「……」

『ダガスクナクトモ。オマエノチチハ、アヤツヲニクミ、コロソウトシタ。オマエノシアワセノタメ、アエテ、ソノミヲニクシミニソメタ。ダカラアヤツモ、ゼンリョクヲダシタノダ。ニクシミコソ、ヒトヲツヨクスル。ニクシミガ、ヒトヲ、コヲマモルノダ』


 かつてないほど饒舌に言葉を並べ、闇はロークの小さな身体に纏わり付いていく。未成熟なその肢体を、爪先から頭頂まで舐め回すように。

 一方、ロークは動揺した面持ちで、ダタッツと――勇者の剣を見つめていた。


(父上は、オレのためにダタッツを憎んでた……。なら、憎しみを持つことは、正しいってこと……? 父上が、そうしたのなら……オレも……)


 そして、勇者の剣の柄に、自然と手が伸びて行く。その掌に、妖刀を握るために。

 父への想いを何より重んじる彼女は、闇の誘いに促されるまま。憎しみに囚われる自分を、肯定しようとしていた。


『サァ、ワレヲツカエ。ソシテ、フクシュウヲハタセ……』


 ダイアン姫やバルスレイが、外から叫び続けているが――もはや、誰の声も少女騎士には届かない。彼女は、彼女自身の意思で、剣を握ろうとしている。


(でも……父上は、オレに……)


 だが。父への愛情は、ロークに過去の記憶を蘇らせて行く。それは、自身に付けられた名の由来。

 父が成せなかった、騎士の理想。そして――娘に託した願い。


「父上……ごめん」


 それに、辿り着いた瞬間。勇者の剣に伸びていた手は、動きを止め――彼女の眼差しが、闇を貫き。


「はぁあぁああッ!」


 弧を描くように振るわれた短剣の一閃が、彼女に纏わり付く闇を一掃するのだった。


『……ナゼダ! ナゼヤドリギニナラヌ! ワレヲコバメルモノナド、イルハズガ!』

「父上は願った。ダタッツは信じた! オレは、本当の騎士になるって!」

『ナラバ、ケンヲトレ!』

「いいや、取らない。オレが騎士になるには、強くならなきゃいけない。お前なんかに甘えない、本当の強さが必要なんだっ!」


 そして、高らかに宣言する。自分は決して、憎しみになど染まらない。勇者の剣の呪いになど、屈しないと。

 そう。彼女は打ち勝ったのだ。


 当代の勇者でも、勇者の末裔でも敵わなかった、「自分」という天敵に。


『――オノレ! ヤドリギサエアレバ、ヤドリギサエアレバ……!』


 そんな少女騎士の、毅然とした態度を前に。闇は、人の形になると――逆上したかのように猛り狂い、彼女の喉首を両腕で吊るし上げた。


「あ、がっ……!?」

『ワレニシタガエ。ワレヲウケイレロ! オマエハヤドリギダ、ワレノ――!?』


 そして、もがき苦しむロークに服従を迫るが――その言葉が最後まで続くことはなかった。


『ア、アァアァア! キエル! ワレガキエテイク! ワレガァァアア!』


 次いで、絶叫と共にのたうちまわり、人の形が溶けるように崩れて行く。そんな闇の後ろでは――


「ヴィクトリア……様ぁ……」

「……よく、戦ってくれた。素晴らしかったぞ、ローク」


 ――ヴィクトリアが父の形見で、勇者の剣を粉々に粉砕していた。その瞳は、憎しみも怒りもなく――青く澄み渡る空のように澄んでいる。

 彼女の眼差しは、苦悶の声を上げて消滅していく闇を、哀れむように見つめ続けていた。


「……この黒い影は、私の未熟な心が生んだ――私という人間の正体なのだろう。先に、地獄へ沈むがいい。いつの日か、私も相応の報いを受ける……」

『アァ……ヤドリギ、ヤド、リ、ギ……』


 黒い影が完全に消え去り、声も聞こえなくなる頃。感涙を浮かべ、自身に寄り添うロークを抱き締め、ヴィクトリアはダイアン姫達に――どこか儚い、微笑みを送る。


「姫様。陛下。遅くなりましたが……ただいま、戻りました」

「えぇ……お帰りなさい、ヴィクトリア」

「よくぞ、帰ってきてくれたな……」


 そんな彼女に、ダイアン姫と国王は、優しげな笑みで答え――ヴィクトリアの元へと駆け寄って行く。

 ついに、闇を打ち払った王国の人々。そんな彼らの背中を見つめ、バルスレイも肩の荷が下りたかのように胸を撫で下ろす。


「さぁ……ヴィクトリア、下がっていて。ダタッツ様の治療を始めます」

「姫様。その前に御自身の両腕を……」

「大丈夫です。わたくしなど、彼に比べれば遥かに軽傷です」

「そうですか……本当に、強くなられましたね。――愛の力、ですか」

「……か、からかわないで下さい」

「からかってなどおりません。帝国勇者――否、勇者ダタッツ殿ならば……そうなってしまわれても、不思議ではない。今なら、そう思えます」

「もう……」


 そして、右腕を失ったまま気を失っている、この国の勇者を見つめ。ダイアン姫は、己の中に眠る神秘の力を、惜しむことなく解き放っていく。

 その輝きには、躊躇いも迷いもない。ただ一途に、愛する男を癒す女として。ダイアン姫は、神に許された魔の力を、行使する。


 やがて、新緑の光がダタッツの身体を――この空間を包み込み、空にまで届く頃。


 王国を包んでいた夜は明け――眩い太陽が、希望を灯すように煌めいていた。

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