第35話 笑顔にしたい
それから、数日が過ぎた。
国王からの指令により、ヴィクトリアが呪われている可能性があるとの報せが騎士団に行き渡り、発見・接触した場合は速やかに報告する体制が築かれた。
併せて箝口令も敷かれ、彼女のことで国民が不安にならないようにされている。
だが、城下町を見回る騎士団員の人数が大きく膨れ上がり、その中の誰もが緊迫した面持ちで巡回していることから、民間人の間でも噂が飛び交うようになっていた。
また帝国が攻めてくるのではないか。街の中に凶悪な猛獣が潜んでいるのではないか。箝口令により情報を絶たれたことで逆に、根も葉もない噂に惑わされる者も現れるようになったのである。
「なぁ、もしかしたらババルオをやっつけたから、帝国の貴族が仕返しに来るんじゃないか……?」
「お、おい冗談だろ」
「もし本当なら、ここから逃げた方がいいんじゃ……」
「だ、大丈夫だって。もうすぐヴィクトリア様だって帰ってくるんだ、何があったって平気さ」
白マントに身を包む騎士団員のそばで、道行く人々は口々に憶測を語る。
(――騎士達の目に見える警戒心のせいで、色々な噂が流れている……が、情報そのものは漏れていないようだ)
その言葉の端々まで耳を傾け、黒髪をフードに隠した騎士は箝口令が機能していることを確かめていた。
王国騎士団の人望が失われつつある今、民衆の希望はダイアン姫とヴィクトリアしかいない。しかもダイアン姫の方は既に人々の目前で、帝国の手の者であるアンジャルノンに大敗を喫している。
その上、予備団員とはいえ王国騎士の一人となった帝国勇者に対する民衆の不信感は、未だに拭われていない。
それに加えて、最後の望みであるヴィクトリアまでもが、呪いによって危険な存在となった――などということが知れては、城下町そのものが恐慌状態に陥りかねない。
今、国民に真実を知られるわけにはいかないのだ。
(――全ては、俺の浅ましさが招いたことだ。例え何があろうと……必ず、この国を守り抜いて見せる)
その未来を回避するべく。黒髪の騎士は日常を送る城下町の人々を見つめ、拳を握り締めた。
(ダイアン姫やローク君は、俺に対してどう接するか悩んでいるようだった。……だが。ヴィクトリアが傷つけられたなら、もう俺を憎むべきか迷うことはなくなるだろう)
罵声も憎悪も怨恨も、全てこの身で受け止める。騎士は人知れず、自己犠牲の道に身を落とそうとしていた。
(……そうでもしなければ。勇者の剣を手にした相手に勝つことなどできない。万に一つでも俺が負けるようなことになれば、この国の人々にも甚大な被害が及ぶかも知れないんだ。この国の騎士となった以上、それだけは許すわけにはいかない)
数日前。城の牢を訪れた騎士は、自身が捕らえた盗賊達と面会していた。ヴィクトリアと接触して、生き残った者達と。
『すげぇイイ女だったから、ふんづかまえてモノにしてやろうとしたらよ……剣を握った途端、化物みてぇに襲ってきやがったんだ』
『あいつに斬られたと思ったら……体が震えて動かなくなって、どんどん頭が回らなくなって……とにかく怖いって感情だけが、ぐるぐるしててよ……』
『気がついたら、わけもわからねぇまま暴れ回ってたんだ。今の城下町に手を出したら痛い目を見るって、わかりきってたのに』
彼らは身を震わせて、ありのままに経緯を白状していた。意地を張る余裕もないほど、精神が疲弊していたのだ。
騎士が睨んだ通り、彼らは勇者の剣に斬られて発狂してからも、その時の自分達の行動を鮮明に記憶していた。かつて帝国勇者により引導を渡された、王国騎士達のように。
盗賊達は偶然見かけたヴィクトリアの美貌に目をつけ、犯そうと近寄ったところを勇者の剣で斬られ、理性を失った狂人に成り果てた。
全ては、騎士の推察通りだったのである。
しかも盗賊達の話によると、ヴィクトリアに会ったのは城下町近くの山中。つまり彼女は、もうそこまで近づいているということなのだ。
彼女が斬らんとしているのは、父の仇である自分一人なのか。それとも、自分を匿う王国の人々も含んでいるのか。
それがわからない以上、全てを守るつもりでことに当たらなければならない。勇者の剣の呪いに掛かれば、恨みのない人間ですら容易に殺せてしまえるのだから。
虫も殺せない少年だった帝国勇者でさえ、初陣で躊躇なく敵兵を切り伏せてしまったように。
増して、彼女には父の仇という憎い相手がすでにいる。その点に付け込まれ、その憎しみを増大させられたら――もう、激情のままに誰を殺しても不思議ではない。
彼女が騎士として守ろうとしている、罪なき人々も。仕えるべき主君である、国王やダイアン姫でさえも。
(狙いが俺一人なら、俺がこの国を出てしまえば済む話だ。しかし、もしそれ以外の……王国の人々までもが斬られるようなことがあれば、彼らは為す術なく彼女の手に掛かってしまう)
国王もそれを最も恐れていたから、この騎士に未来を託したのだ。一振りの剣に、この国を滅ぼさせないために。
(それだけは、絶対に許されないんだ。……そのために、俺はここにいるんだから)
黒髪の騎士――ダタッツは、その想いを胸に踵を返し、とある場所へ向かう。
木材を運ぶ男達が何人も行き交う、その場所には――豪快に槌を振るう壮年の男性と、男達に手料理を振る舞う快活な少女の姿があった。
「よぅし、次の丸太持って来ぉい!」
「おいおいルーケンさん、ちょっとは休んだらどうなんだい」
「そうだぜ、俺達本職の大工より働いてんじゃねーのか」
「なぁに、これくらい手伝いのうちにも入らねぇよ。なぁハンナ!」
「うんっ! ほらみんな、これ食べてファイトファイト!」
「おおっ、今度は骨付き肉の塩焼きか! ハンナちゃんの味付けはやっぱり格別だぜ!」
「えへへ、店が直ったらお腹いっぱいになるまで食べさせるからね!」
「そりゃあ楽しみだ!」
不安など微塵も感じさせない、賑やかな建築現場。かつて城下町でも評判の料亭があったその場所では、活気に溢れた人々が揚々と再建に励んでいた。
作業に取り組む大工の中には、料亭の常連客だった男達の姿も伺える。そんな彼らを纏める壮年――ルーケンも。献身的に彼を支える少女――ハンナも。度重なる逆境にめげることなく、懸命にこの時代を生きていた。
(……そうだ。あの笑顔を守るために、俺は……)
そんな彼らの健気な姿を、ダタッツは遠巻きに見守っていた。彼らに差し入れを持ち込む町民が続々と現れていることから、その人望の厚さが窺い知れる。
「……おい、騎士団の連中がまたこっち見てるぜ」
その様子を見届けたダタッツが、立ち去ろうとした瞬間。翻された白マントが彼らの視界に入り、大工達の一人が声を上げた。
彼の声に応じるように、この場にいる人間の視線がダタッツに集中していく。その瞳は先程までの明るさが嘘のように、冷たい。
「けっ、さも自分達が守ってやってる、みたいなお高く止まったカッコしやがってよ。お前らが姫様より働いたことが一度でもあるのかっての」
「ローク君も不憫だぜ、あんな奴らや帝国勇者と一緒に仕事しなくちゃならないなんてよ」
「俺だったら絶対にごめんだね。あの子の頑張りには頭が下がるよ」
「帝国将軍のバルスレイ様だって、この国のために尽力して下さってんのにさ」
一度愚痴が始まってしまえば、もう止まることはない。彼らは口々に騎士団への不満を漏らし、フードで顔を隠したダタッツに冷酷な視線を注ぐ。
「……」
その責めに晒されながら、黒髪の騎士は甘んじてそれを受け止めていた。さも、それが当然であるかの如く。
「……」
「あんな奴らを見るな、ハンナ。誇りを無くした騎士ほど、見苦しい生き物はいねぇ。ルドルが生きていた頃は、気高く、強い騎士ばかりだったのによ……」
そんな彼を見つめるハンナを、ルーケンはどこかやさぐれた様子で嗜める。その目は遠い日を懐かしみ、今を嘆くような色を滲ませていた。
「……っ!」
「お、おいハンナ!」
だが。少女はそれでも、フードの騎士から視線を外さなかった。そればかりか大工達に渡していた骨付き肉を手に、迷うことなく騎士に駆け寄ったのである。
ルーケンの制止を耳にしても、その足が止まる気配はない。
やがて騎士の眼前に辿り着いた彼女は――満面の笑みで、骨付き肉を差し出すのだった。
「騎士さん、いつも見回りお疲れ様。大変だよね、一生懸命なのに周りからは文句ばっかりで」
「……」
「それでも、みんなのために頑張ってくれるなんて、すっごくカッコイイよ。私、ホント尊敬してるんだ」
相手があのダタッツであると、知ってか知らずか。
天真爛漫な笑顔を浮かべて、ハンナは騎士を褒め称えた。白いフードに黒髪を隠した、帝国勇者に向けて。
「……よくわからないけど。今、いろいろ大変な時期なんだよね。町の人達、みんな噂してるよ。大切なお仕事のことだから、詳しいことは話せないんだろうし……私もなんて言って応援したらいいか、わかんないけど」
「……」
「――私達の笑顔を守るために、頑張ってくれてありがとう。それだけは、言ってもいいよね?」
フードの下から覗き込むように、上目遣いで騎士を見遣る少女は、困ったような笑顔で微笑みかけている。
微かに覗いている、黒髪を見つめて。
「騎士さんが、みんなを笑顔にしてくれるように――私も、騎士さんを笑顔にしたいから」
「……!」
「……それじゃあ、私もう行くね。騎士さんも、お仕事頑張って!」
そして、骨付き肉を胸当て付近に押し付け、半ば強引に手渡すと――太陽のような笑顔を輝かせながら、ルーケンの元へと帰っていった。
跳ねるように軽やかな足取りで去って行く、その後ろ姿を――ダタッツは無言のまま、見送っていた。
(俺が帝国勇者だと、気づかなかったのか……)
暖かな優しさに触れた喜び。純粋な彼女を騙すような形になってしまった罪悪感。それら全ての感情が、彼の胸中で渦巻き――フードの下で、唇を噛み締めていた。
やがて、彼の視線はハンナの背から、手渡された骨付き肉に移される。耐え難い香りが、鼻腔を擽ったのだ。
「……」
ダタッツは踵を返してこの場から立ち去りながら――本能のまま、その肉を口にする。
味覚を通して心に染み込む、肉の味と――そこに込められた、彼女の愛情が。痩せこけた青年の心を、満たして行く。
「……やっぱり、美味しいな……」
憂いを帯びたその素顔を見た者はいない。悲しみも喜びも、白のフードに覆い隠されているのだから。
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