第3章 贖罪のツヴァイヘンダー

第34話 追憶を終えて

「……」


 ダタッツと名を改め、四年。

 青年へと成長した彼は、自分の全てを語り終えると――死を待つ囚人のように、静かに瞼を閉じる。


「そんな、ことが……」


 蚊が鳴くような小さな声で、ダイアン姫は打ちのめされたように呟いた。話を聞いていた他の者達も、皆一様に言葉を失っている。

 かつて帝国勇者として殺戮の限りを尽くした彼が、王国のために戦うようになった理由。その全てを知り、姫騎士は青年が言った「王国と戦う理由がなくなった」という言葉の意味を悟っていた。


(たった一人の肉親にすら会えなくなったから……王国を倒す役目から解放された。そういう、ことなのですか……?)


 母を失ったダイアン姫には、家族を大切に想う気持ちは痛いほどわかる。だからこそ、ダタッツが同じ想いを抱え、それゆえに罪に塗れて戦い続けていたという現実に、複雑な思いを抱えていた。

 それは、父を失ったロークも同様である。齢十四の彼女には、ダタッツの過去はあまりにも重過ぎたのだ。


(もしオレが、あいつだったら……オレは、呪いに勝てたのかな……)


 己の感情に従い、ダタッツを敵対視していた自分の行動。それを顧みた少女騎士は、自分の在り方を疑い始めていた。

 国と命の恩人に対し、仇で返すような態度を取り、それが当然であると決め付けていた。彼自身はそれすらも受け入れていたが、自分だったらそれが出来ただろうか。

 ――きっと、出来ない。間違いなく不条理に耐えかねて、逃げ出していた。


 それがわかってしまったからか。青年を見つめる彼女の表情は、苦々しく歪んでいた。


「悔いることはない。その若さにしては、よく耐えた方だ」

「だけど……」

「……恥ずべきは、師を気取りながら何も気づけなかった、この私だ。敵方のアイラックスですら気づけたようなことに……な」


 そんな彼女の肩に手を置くバルスレイも沈痛な面持ちで、逞しく成長した愛弟子を見つめる。


(この世に生を受け、剣に生きて六十余年。武の道しか知らぬ私が、一丁前に「父親」をやろうとしたことが、そもそもの誤りだったというのか……)


 誰よりも彼のそばにいたはずなのに、一番肝心なところを見落としていた。その事実は、拭い難い汚点として老将の心に染み付いている。

 師としても父としても不明であったがゆえに、息子のように想っていた愛弟子が、六年以上に渡り苦しみ続けていたこと。それに気付いてやれなかったこと。それら全てが、バルスレイの胸に重くのしかかっていた。


「……して、ダタッツ殿。その話が本当なら、先日捕縛した賊も正気に戻るのだな?」

「――はい。正常な意識さえ取り戻せば、ヴィクトリア様の動向についての情報も、聞き出せるでしょう」


 一方、国王だけは陰鬱な空気に飲まれることなく、淡々と話を進めていた。だが、その声色はどこか、ダタッツを気遣うような色を帯びている。

 理性を保ったまま、欲望に支配され罪を犯し続ける。その生き地獄は、如何程のものか。この場にいる誰もが、想像出来ずにいた。

 国王もまた、その一人なのだ。ゆえに、その闇の中に生きながら、なおも王国のために剣を振るう彼に、情を寄せたのである。


「――よし。城の兵には私から説明する。今のヴィクトリアが勇者の剣に操られているとするなら、何も知らない兵が迂闊に近づき、被害を被るやも知れん。ババルオの魔の手が去り、この国がようやく平和になろうとしている時に、王国人同士で殺し合うようなことだけは何としても阻止せねばなるまい」

「ジブンも同じ考えです、陛下。災いを振り撒いたジブンに、このようなことを口にする資格はないと重々承知しておりますが――どうか今一度、この国の人々のために戦わせて頂きたい。一つでも多くの、笑顔を守るために」

「うむ。アイラックス亡き今、人智を越えた超然の存在から力無き民を守れるのは、現代の勇者たる貴殿しかいまい。――今こそ、伝説通りの勇者として、その剣を振るって欲しい」

「――仰せのままに」


 その心に触れた青年は、静かに――そして熱く。国王と約束を交わし、王国のために立ち上がる決意を、新たにしていた。

 そんな彼の力強い瞳を見遣り、国王は神妙な面持ちを浮かべる。


(勇者の敵が勇者の剣とは――なんとも皮肉なものよ。恐らくは先代の勇者も、正義の心を以て剣を振るったのではなく……魔王以上の邪気を纏い、魔の者共を飲み込んだのだろう)


 彼の眼前に映る青年は、人類に牙を剥いた悪の勇者と恐れられている。しかし、その評価は彼という一人の勇者としての「過程」でしかないのかも知れない。

 現代に生き残った、ただ一つの闇を切り裂くための剣。それが、彼であるならば。――国王は、そう考えていた。


(魔王が倒れ、魔物が地上から消え去った今の時代において、唯一残されている邪悪な力。それが勇者の剣であるなら……彼は、その最後の闇を打ち破るため、神より遣わされたのかも知れないな)


 ――そして、ヴィクトリアの動きを警戒しつつ様子を見るという方向で、この件の話は纏まり。この場は解散となるのだった。


 ロークは女性団員の兵舎へ。バルスレイは王宮近くの来賓館へ。ダタッツは予備団員用の詰所である小屋へ。それぞれの帰る場所へと、立ち去って行く。

 そうして王室に残された国王とダイアン姫は、共に窓から伺える夜空を見上げていた。空に広がる星々は、鮮やかに闇の景色を彩っている。


「……お父様。帝国勇者を憎む、わたくしの感情は――間違っているのでしょうか」

「そんなことはない。彼の思いがどうであれ、彼の振るう剣が王国の民を苦しめたことは事実。彼もそれをわかっていたから、お前の責を受け入れたのだ。罪を償う、騎士としての道を」

「……」


 父の言葉を聞きながら、幼い姫騎士は夜空を見上げ、黒髪の騎士を想う。


 彼は自分の純粋な願いのために、罪に苦しみながら戦い続けてきた。だが、そうしたところで、もう彼には帰れる故郷などなく――罪を清算するために死ぬことすら許されなかった。

 だからせめて、今生きている人々の笑顔だけは守ろうとしたが、帝国勇者という名を背負っていては、恐怖を振り撒くことしかできない。

 それでも彼は、償うことを諦めなかった。ゆえにかけがえのない家族から貰った名前さえ捨て去り、ダタッツというこの世界の住人となったのだ。


 ――彼が犯してきた罪は、確かに許し難い。だが、彼に良心がなければ、どうなっていただろう。

 まず間違いなく自分はババルオの慰み者となり、この国も彼の掌上で弄ばれていた。この国に平和が戻ることもなかっただろう。

 そもそも彼が現れなければ、王国が帝国に屈することもなかったのだろうが――その代わり戦争が長期化し、今以上に豊かな大地が荒れ果てていたかも知れない。


 何より。自分達のために、凛々しい面持ちでアンジャルノンと戦う彼の勇姿に、どうしようもなく心を奪われている自分がいたのだ。


 考えれば考えるほど。ダイアン姫は、ダタッツへどう接するべきか、わからなくなっていた。

 憎めばいいのか。愛すればいいのか。


 複雑な想いのまま、碧い瞳は星々を見つめている。


 一方――国王はこの件の行く末に、一抹の不安を感じていた。

 それは、戦力の要となるダタッツの人柄に起因するものであった。


(王国の民を殺め続けてきたことを悔いる彼が――本当に、迷うことなくアイラックスの娘に剣を向けられるのだろうか)


 彼が亡き父の面影を見たという、アイラックス。その娘を相手に、罪の意識を抱えた彼が全力で戦えるとは思えない。

 ――果たして、勇者の剣の力に囚われているであろうヴィクトリアを、今の彼が止められるのか。


(……それでも。今はただ、彼の力を信じるしかない、か。すでにこの戦いは、人間の枠などとうに超えた次元なのだから)


 今はまだ、答えは出せない。

 人間同士の決闘とは違う、超人達の戦いなのだ。自分の見解など及ばない部分があるのかも知れない。

 その未知の領域が、希望となるか。絶望となるか。先の見えない王国の未来を憂い、国王は愛娘の横顔を見遣る。


(せめて――この娘の笑顔が守られる、結末であってくれ)


 そして。恋を患い、迷い続けるダイアン姫の姿を認め――国王は人知れず、娘の幸せを願うのだった。

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