第33話 流浪の剣士ダタッツ

 帝都。

 そこは華やかな景観を持ち、煌びやかな服に身を包む人々が行き交う文明の都。


 その中心には――この帝国の強大さを象徴するかのような荘厳さを持つ巨城が聳え立っていた。

 そして。幾万もの軍勢を束ねる強国の存在感を主張する、その城の最上層には――帝国の全てを統べる皇族が座していた。


「……」


 望むものがあれば、圧倒的な力をもって何もかも手にすることができる。そのような絶対的な強者でありながら――玉座に腰を下ろす時の皇帝は、憂いを帯びた表情で帝都を静かに見下ろしていた。


 その胸中を悩ませる存在――帝国勇者と呼ばれた少年の戦死が知らされてから、既に二年が経過している。

 それほどの月日を経た今でも、その報告を覆す情報は入ってこない。未だに遺体が見つかっていないとはいえ、もはや生存している可能性は絶望的と言っていい。


 だが。帝都の広場に建てられた、勇者の武勲を称えて造られた銅像を見つめる皇帝は。その結末を、今も受け入れ切れずにいた。

 勇者の鎧と兜を纏い、勇者の剣を掲げる少年の像は、皇帝の記憶に残された彼の姿を彷彿させていた。それゆえに、彼は今も勇者の安否を気にかけているのである。


「……バルスレイから、報せは届いたか」

「いえ。未だに……」

「そうか……」


 二年前。王国軍残党の鎮圧に当たっていた勇者タツマサは、敵の生き残りに背後から刺され、崖下に転落したという。

 普通の兵士なら、間違いなく即死している状況だ。しかし、彼は神の力を齎された異世界の勇者。そうやすやすと死ねる身体ではない。


 だが。崖の底には勇者の剣と、誰のものかわからない肉片が散乱していたという。


 さしもの勇者も、墜落の衝撃には耐えられなかったのか。人類に牙を剥く勇者の所業に怒った神が、勇者から力を奪ったのではないか。

 様々な説が横行したが――勇者の生存が絶望視されている点だけは、共通していた。


 一方。目撃者の証言では、勇者を刺した残党も墜落したという。現場の肉片がその残党のものであったとするなら……勇者が生きている可能性もなくはない。

 しかしそれも確証があるわけではなく、生存説の根拠とするには弱いと見られていた。


 それでも皇帝は――その僅かな可能性に望みを懸けて、勇者の戦死を公表してからも密かに捜索を続けるよう臣下に命じていた。


 帝国の英雄である勇者を、長く「行方不明」と扱っていては臣民の不安を招いてしまう。ゆえに、公的には早い段階で勇者は戦死したと発表していた。

 英霊として勇者を祀り上げることで、勇者がいなくなっている理由を「創り出した」のである。


 それ以降も、皇帝はこうして勇者の行方を追い続けていたのだが――それを知らない皇女フィオナは勇者の死にショックを受け、再び自室に塞ぎ込んでしまっていた。

 愛する娘のためにも。居場所を失ったあの少年を、もう一度迎え入れるためにも。なんとしても、彼を見つけ出したい。

 それが、帝国の理想に貢献してくれた勇者への、せめてもの報いとなるならば……。


 その思いを胸に、皇帝は勇者の像を静かに見下ろす。憂いを帯びた彼の瞳は、在りし日の少年の姿を求め続けていた。


(……タツマサよ。そなたは今、どこにいるのだ……。せめてこの世界のどこかで、生きていてくれ……)


 ――その頃。

 王国領のとある山中を、一台の馬車が進んでいた。銀髪を靡かせる、一人の武人を乗せて。


「……バルスレイ将軍。この辺りが、例の噂があった場所です」

「……そうか」


 武人の名は、バルスレイ。帝国騎士の頂点に君臨する最強の武将として知られ、戦後処理に貢献した人物でもある。

 彼は今、ある噂を確かめるために副官を連れ、この山道を進んでいた。


「しかし、どうにも信じられませんな。かの勇者様が、このような場所に現れたなどと……。最後に消息を絶たれた森林地帯からも、遠く離れているというのに」

「確かに、ただの噂でしかないかも知れん。……だが、皇帝陛下にとっても私にとっても、今はそれで十分なのだ。……皇女殿下の御気持ちを思えば、な」

「は……失礼しました」


 馬車の中で向かい合う二人は、神妙な面持ちで窓から伺える森の風景を見遣る。二年前まで戦火に脅かされていたとは思えぬほど、穏やかな景色だった。


 王国のとある山に死んだはずの帝国勇者が現れ、そこに逃げ込んでいた敗残兵を虐殺した。

 バルスレイがその噂を耳にしたのは、先月のことだった。戦後処理を終え、王国の監視を上流貴族のババルオに託していた彼は、その噂を確かめるべく、再びこの異国へ足を踏み入れたのである。


「……ですが、なかなか有力な手がかりには辿り着けませんな……。先ほど立ち寄った村でも、それらしい情報は得られませんでしたし」

「本当に、そうか?」

「え……?」


 だが、副官が言うとおり情報収集は難航していた。彼らは道中で、大浴場を名物とする村に立ち寄っていたのだが――噂の場所から一番近い人里からも、手がかりは得られなかったのである。

 やはり、この噂はただの噂でしかなかったのではないか。副官は、そう思い始めていた。


 ――しかし。バルスレイは、そうではない。


(聞き込みの際に帝国勇者の名を出した瞬間。彼らは一瞬だが……全員が怯えたような顔をしていた。戦場から遠く離れ、戦火に晒されることもなかったあの村の人間にしては、反応が大き過ぎる。直にその存在と力を見た人間でなければ、あそこまで過敏に反応すまい)


 有名な人物の名前を出す時。その人物をよく知っている人間と、話に聞いただけの人間とでは、反応に大きな差が出る。

 副官が気づいていなかったその違いを、バルスレイは見抜いていたのだ。記憶を掘り返されたように、顔を顰めた村人達の心境を。


(おそらくは帝国勇者――タツマサの報復行為を恐れて、知らぬ振りをしたつもりなのだろう。我々にとってはともかく、彼らにとってタツマサは恐ろしい怪物でしかないからな……)


 そして、村人達の中でも――とある一人の少女は、一際特別な反応を示していた。怯えながらも、どこか寂しげなその瞳を――老境の武人は見逃さなかったのである。


 ゆえに。バルスレイはその少女の瞳を見て、確信したのだ。


(やはり、タツマサは生きている……! 生きているのだ!)

「バルスレイ将軍……!?」


 生い茂る森を見つめる将軍の眼差しに、力が籠る。副官はそのただならぬ様子を前に、何事かと眉を顰めていた。


 ――その時。


「きゃああぁあっ!」

「うわぁあああぁあ!」


 数人の男女の悲鳴が、一定の方向から同時に響き渡ってきた。


「な、何事か!」

「……!」


 突然起きた緊急事態に副官は冷や汗をかき、バルスレイは一瞬で眼の色を戦闘時の鋭いものに変える。

 人々の叫びに、戦士としての直感が騒いだのだ。


(王国が敗戦して以来、アイラックスの威光により保たれていた治安が崩壊し、野盗共が横行するようになったと聞く。強者が世を去った途端に、自分達が強くなったと錯覚するとは……愚かな奴らめ)


 バルスレイは迷わず馬車を飛び降り、悲鳴の出処を辿りながら森の中を駆ける。その素早さは老いを感じさせないばかりか、力強さを全身から放っているようだった。


 二年前にアイラックスが戦死したことで、王国騎士団は士気を大きく削がれ、王国全体の戦力は著しく低下した。

 その変化は治安にも現れ、今では王国の片田舎の多くが、盗賊の根城にされているという。王国内では都会と呼べる町には、決まって帝国の駐屯兵が居座っているため盗賊の脅威は排除されているのだが、そうではない田舎の町や村は格好の餌食なのだ。

 事実、バルスレイ達が立ち寄った村も一年前までは、山賊の動きを警戒していたのだという。――ここしばらくは、その気配も途絶えているそうだが。


 芝や草を掻き分け、猛獣にも勝る勢いで地を走るバルスレイ。その視界に現場の光景が映る瞬間は、すぐにやって来た。


 ボロ布を纏うならず者達に包囲された、一台の馬車。その中には幾つもの楽器や小道具が積まれ、馬車の外で震えている数人の男女は芸人の衣装に身を包んでいる。

 おそらく、狙われているのは旅芸人の一座。一稼ぎを終えて帰路についているところを襲われたのだろう。


(賊は十三人。馬車の上に二人、馬車前方に五人、後方に六人。馬車の二人から始末して奴らの頭上を取り、残りを仕留めるか……)


 まだ盗賊達はバルスレイに気付いていない。この隙を突けば、労せず彼らを無力化できる。

 そう踏んだ老練の武人は、自らが現世に復活させた、帝国の秘剣を構える。――帝国式投剣術、飛剣風の構えを。


 だが。


 その一閃が、この戦いで放たれることはなかった。


「ぐはぁっ!?」


 バルスレイが飛剣風を撃つ直前。馬車の上から旅芸人達を脅していた盗賊の一人が……突然悲鳴を上げ、のたうちまわったのだ。

 その膝には――擦り切れた銅の剣が、突き立てられている。


「……ッ!?」


 予想に反した事態に直面し、バルスレイは飛剣風を放とうとしていた手を止める。自分の眼で見切れない速さで、剣を投げつける。

 そんな所業が出来る戦士など、彼が知る限りでは一人しかいない。


「やはり、そうか……!」


 この状況から、バルスレイはある人物の登場を予測し――その直後に的中させる。


 黒い髪。青い服。赤いマフラーに、古びた木の盾。

 その少年が馬車の上に突如舞い降り、盗賊の膝から引き抜いた銅の剣で、もう一人を一撃で叩き伏せた時。


 バルスレイは、戦闘中であるにも拘らず――我が子の無事を確かめたかのように、破顔した。


 勇者タツマサは、やはり生きていたのだと。


「てめぇ!」

「まだ護衛がいやがったのか!」


 一瞬にして馬車の上に陣取っていた二人を倒した少年に、盗賊達は怒号を上げて襲い掛かる。だが、近接戦闘においては高い位置に立つ者の方が遥かに有利だ。

 少年は落ち着き払った様子で、馬車の上に登ってくる男達を、各個撃破で打ち倒して行く。


 だが、多勢に無勢という言葉もある。一斉に前後から挟み撃ちにされては、いかにこの少年といえど剣一本では切り抜けられない。

 彼は素早くそう判断すると、馬車の下へくるりと回転しながら飛び降り、颯爽と着地した。


 そして今度は、盗賊達が頭上となる。その好機にほくそ笑む彼らは、高笑いを上げながら、一気に少年目掛けて飛び掛かった。

 ――だが、それは少年の術中だったのだ。彼には「高所に立てば勝ったも同然」という、近接戦闘のセオリーを破る対空剣術があるのだから。


「……飛剣風ッ!」


「ぐわぁあぁあッ!?」

「ぎゃあぁあッ!」


 間髪入れず、少年は超高速の投剣術を放ち、策に嵌まった盗賊達を風圧で一掃する。吹き荒れる剣の風がならず者を切り刻み、鳥を射抜くように撃ち落として行った。


 ――少年がこの場に現れて、僅か一分。それだけの時間で、十三人の盗賊達は全員打ちのめされてしまうのだった。

 突然現れた少年剣士のあまりの強さに、守られていた旅芸人達は唖然としていた。


「おぉ……」


 さらに彼を指導していたバルスレイも、感嘆の声を上げている。勇者の剣を手にしていた頃より、さらに腕に磨きをかけていることを戦い振りから感じていたのだ。


(二年前より動きの無駄が解消されただけでなく、飛剣風もさらに冴え渡っている。実戦を重ねたことで、自ずと身に付けた立ち回りなのだろう。……もはや私など、今のあの子の足元にも及ぶまい。なぜ二年も行方をくらましていたのかは知らぬが、とにかくこうして会えた以上、連れ帰らぬ手はない!)


 その成長を喜ぶバルスレイは、少年と再会するべく一歩を踏み出し――


「あ、あんたまさか……この近辺に出たっていう、帝国勇者か!?」

「え!? あの、敗残兵さえ容赦なく殺すっていう……!?」


 ――旅芸人達の怯えた声に、足を止める。


 今、彼らは少年が帝国勇者ではないかと勘繰っている。ここで自分が飛び出せば、間違いなく旅芸人達は少年が帝国勇者であると確信するだろう。


 少年は、自分が帝国勇者であると認めるつもりなのだろうか。認めないのだろうか。

 それがわからないうちは、自分は動いてはならない。バルスレイは咄嗟にそう判断し、様子を見守っていた。


「……」


 彼は、何も語らない。ただ静かに、盗賊達が全員気絶していることを確認している。

 否定も肯定もしないつもりなのか――。バルスレイが、そう判断しかけた時。


「……帝国勇者なら、二年前に死んだはずでしょう。ジブンは、ただの風来坊ですよ」


 少年は穏やかに笑い、バルスレイの知らない「ジブン」を演じていた。


(……!)


 その光景に老将は目を見張り、少年が帝国勇者としての己を捨て去ったことを悟る。それゆえに帝国に戻らない、ということも。


「だ、だよなぁ、ハハハ……。助けてもらったのに、疑うようなこと言って悪かったよ。ありがとうな、風来坊さん!」

「しかし、べらぼうに強いなあんた。名前はなんていうんだ?」

「名前は……」


 少年が帝国勇者ではないと判断し、旅芸人達は胸を撫で下ろす。そんな彼らの問いに、少年は僅かに間を置いて――


「……ダタッツです。ジブンは、ダタッツといいます」


 ――新たな名を、名乗るのだった。


「ダタッツ? はは、変な名前だな!」

「えへへ、よく言われるんですよ。ジブンは結構気に入ってるんですけどね」

「よし、ダタッツ君。助けてもらった礼だ、麓の街に送るついでに一曲サービスしよう!」

「ホントですか!? やった!」


 少年――ダタッツは屈託のない笑みを浮かべると、賑やかな音楽を奏でる馬車に乗り、旅芸人達と共に山を下って行く。

 バルスレイはその後ろ姿を、静かに見送っていた。誰にも、気付かれることなく。


(ダタッツ、か……。やはり、お前は全てを捨て去ってしまったのだな。勇者としての栄光も、名誉も。皇女殿下の、想いさえも)


 悲しげなその瞳には、戦士としての色など欠片も残されていない。そこには、我が子と引き離された親のような、寂しげな色だけが湛えられている。


(だが……帝国が王国に勝利できたのは、間違いなくお前のおかげだ。誰にも文句は言えまい。……それがお前の選んだ生き方なら、私にはただ、武運を祈ることしか出来ん)


 そして、ダタッツを乗せた馬車がバルスレイの視界から完全に消えた時。

 老将は静かに踵を返し、歩み出す。哀愁の漂う背を、山道に向けて。


(――せめて、その道の果てに救いがあらんことを)


 それだけを願い、彼は立ち去って行く。――やがて、彼の目の前に副官が駆けつけて来た。


「バルスレイ将軍! いかがされたのです!? まさか、何か手がかりが……!?」

「……いや。収穫はない。やはり、噂は噂だったようだな」

「将軍……?」


 どこか諦観したような彼の声色に、副官は訝しむように眉を顰める。そんな彼の声など、聞いたことがないからだ。


「皇帝陛下には、諦めて頂く他あるまい。――帝国勇者は間違いなく帝国の理想に殉じ、英霊となったのだ」


 そう呟き、バルスレイは馬車が走り去った方角を、一度だけ見遣る。そして、再び歩み出してからは――もう、振り返りはしなかった。


(さらばだ、タツマサ)


 最後に。心の奥底で、息子のように想ってきた少年の名を呼んで。






 ――私達が暮らすこの星から、遥か異次元の彼方に在る世界。


 その異世界に渦巻く戦乱の渦中に、帝国勇者と呼ばれた男がいた。


 人智を超越する膂力。生命力。剣技。


 神に全てを齎されたその男は、並み居る敵を残らず斬り伏せ、戦場をその血で赤く染め上げたという。


 如何なる武人も、如何なる武器も。彼の命を奪うことは叶わなかった。


 しかし、戦が終わる時。


 男は風のように行方をくらまし、表舞台からその姿を消した。


 一騎当千。


 その伝説だけを、彼らの世界に残して。





 ――そして、四年後。終戦から六年を経た今。

 男の旅路は、今も続いている。

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