番外編 虚勢の姫騎士


 わたくしに覆い被さる冷や水が、この白い柔肌を濡らし――床に出来た水溜りが、歳不相応に発育してしまった、この肢体を映し出す。

 髪の毛先から、唇から、顎から滴る水滴が、たわわに実った双丘を伝い――括れた腰を通じて、豊満な臀部と下腹部に流れ、地上へと堕ちていく。わたくし自身を除いて、その雫に涙が紛れていることを知る者はいない。


「姫様、お時間です」

「――ええ」


 背後から響く侍女の呼びかけに応え、私は白い布を手に取る。生まれたままの体を吹く私の眼前には――これから身に纏う、戦装束が用意されていた。

 私は侍女に背を向け、胸中の不安を悟られないよう、体を拭いて……その装束に手を伸ばした。そして白い下着から順番に、袖を通していく。

 静寂に包まれた、この水浴び場には今――私が出す衣擦れの音だけが響いていた。


 やがて新緑の軽鎧と、白銀の剣と盾を備えて。私は侍女の方へと向き直り、恐怖を殺して凛々しい貌を作り出す。


「……姫様、ご武運を」

「……はい」


 その虚勢を知ってか知らずか。侍女は言葉少なに、わたくしを鼓舞する。そんな彼女の傍らを通り過ぎ、民の待つ闘技舞台を目指すわたくしの白い脚は――すでに震え上がっていた。

 しかし、怯えることなど許されない。英雄アイラックスが斃れ、師匠ヴィクトリアがいない今……帝国軍の横暴から力無き民を守れるつるぎは、わたくしだけなのだから。


「姫様ぁー!」

「ダイアン姫ぇえー!」


 やがて、闘技舞台に辿り着いたわたくしを、民の歓声が盛大に出迎える。そして、こちらに下卑た視線を注ぐ対戦相手が、舌舐めずりと共に臨戦態勢に入っていた。


「へへ……速攻で押し倒して・・・・・やるぜ? お姫様ァ」

「……っ」


 身を、竦ませてしまいそうになる。だが、屈してはならない。

 戦勝国の地位に物を言わせて、王国を我が物顔で踏み躙る、帝国貴族ババルオ。彼の放つ刺客との決闘に勝ち続けねば――我が王国の民は、絶え果てるまで帝国に虐げられてしまうのだから。


「わたくしは負けません……必ず!」


(お願い……助けて……誰かっ!)


 だから、わたくしは精一杯の虚勢を張り、剣を掲げるのだ。「姫騎士ダイアン」としての、初陣を飾るのだ。

 誰にも知られてはならない、胸中の恐れを隠しながら。


 だが。この絶え間ない決闘の向こうに待ち受ける、敗北と屈辱の先に。わたくし自身が待ちわびていた、「誰か」の到来が実現するなど。この日のわたくしには、知る由もなかった。


 ――それが、よりにもよって。諸悪の根源たる、あの「帝国勇者」であるなど。

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