消しゴム爺さん
小笠原寿夫
第1話
全ては、ここから始まった。
あいつからのメール
お遊びはここまでじゃ!面白作文や!面白作文を書け!おもんなかったら殺すからな!おもろかったら、水やるわ!
私のメール
おもんなかっても、俺、謝らへんで。だって、おもろいおもんないなんか、そいつの主観やろ?俺が面白いと思って書いてるんやから、それは、お前がおもんない思っても、それはおもろいねん。
コントを書いて、採点方式にするという手法を、私が考え出した。
最初の頃、送ったメール。
世直しじゃ!世直ししたるわ!おもんない世の中に風穴開けていくで。
29点。
コントに対して、点数をつけていくという発想自体が、間違っているとは、思わなかった。今となっては、かなり間違っているのに。
これから、百点のコントを見せる。心して掛かれ。
「俺、バイト辞めたわ。」
「何で辞めたんや?」
「店長が怖すぎるねん。」
「怖い怖いゆうたって、世の中に怖いやつ、何ぼでもおるがな。」
「だけど、あの店長、そのうち、俺の首絞めよるで。」
「切るんじゃなくて、締めるんか。」
「ぎゅうぎゅう締めて手を離すわ。」
「それやったらええやんけ。」
「花束贈呈してくるわ。」
「それは、なんやねん。ええんちゃうんか。」
「あかんねん。俺、花粉症やねん。」
「知らんがな。」
「あっ、こんなとこにアリおるわ。」
「それこそ知らんがな。」
「アリが黒いわ。」
「アリが黒いの当たり前やろ。なんで、それを何でお前は俺に電話で伝えたんや。」
「お前にも見せたりたいわ。めっちゃ黒い。めっちゃ黒い。」
「黒さは知らんけどもやな。」
「黒すぎて、お前食べてまうんちゃうか。」
「なんでやねん。アリ黒かったら、俺、口に入れるんか?」
「いや、お前は、アリは食わん。その代わり、泡吹くんちゃうか。」
「どんだけビックリしたら泡吹くねん。俺そんな、へたれちゃうわ。」
「いや、こんだけ黒かったら、家ごと燃やしてまいよる。」
「それ、シロアリちゃうんか。」
「ちゃうなぁ。塩ラーメンのトッピングにして、提供してまうわ。」
「俺のことどんだけあほやと思ってんの?」
「アリを黒ゴマと間違えるくらい。」
「めちゃめちゃあほやんけ。」
31点
相方への手紙
俺が、お前に出会ったのが、高校二年のこと。それこそ、お前は、あほのフリした天才やった。
俺、ずっとお前のこと、あほやと思っとった。でも、そうじゃなかった。
高校の帰り道。お前は、右脳と左脳の話を力説した。
俺は、ただ笑うしかなかった。理解不能ではないけれども、こんな考え方を持ったやつが、なんで勉強できへんねん、と思ってた。
でも、今は違う。全てを理解した上で、お前は、テストの答案を間違えていた。
今では、そう解釈するようにしている。
数学は、右脳で考えるもんや。と力説したお前に、俺は論理的思考やから、左脳やろ。と反論した。
いや、数学は、イメージをどれだけ数式で表せるかを問う学問やから、右脳や。と言った。
今となっては、どうでもいい。
もう一度、あの頃に戻れるなら、俺は俺の後頭部に拳骨をかます。
天狗になっていた俺の大切な友達に対して、「言い過ぎや。」と吐き捨てたのだから。
感想:これを読まされて、俺はどう採点すればええねん。
これから、俺は、面白作文を書く。ええか?よう見とけよ。腹抱えて笑えるやつ書いたるわ。
筆が止まった。それは、とてつもなく大きなエネルギーによって。何もかもが終わったという気分にさせられた。
もう、書けないのか。それでも私は、キーボードを打つ。
それが、私に与えられた使命であるのならば。
「出前!おい、出前!ちょっと来い。話がある。」
出前の兄ちゃんは、自転車を止めて、振り返った。どこにでもありそうで、少し癖のある顔をしている。
「出前!」
「あの~、出前って呼ばないでもらえますか?私にも一応、名前がありますので。」
「出前でええねん。お前が出前という仕事をしている最中は、お前に名前なんかあらへん。世の中を行きかう人たちは、お前を出前としか、判別せえへん。だから出前で充分や。」
出前は、怪訝そうな顔をしながら、それでも、出前を辞めなかった。
「回鍋肉に坦々麺お持ちしました!ここ置いときます!」
私は、少しだけ後ずさりをした。
「お、おい、出前!お前、注文された料理を持ち運んで、家まで送り届ける能力を持っているのか?」
「はい。それが仕事ですから。」
「すごいな!天才や!お前と同じ時代に生まれたことに俺は今、感謝している。ありがとう!」
出前は、少し照れ笑いをした。
「いや、これくらいの仕事、誰でも出来ますよ。」
「そうか!中華料理店の店員が、ラーメンを送り届けることに、幾ばくの疑念もないんか。これは見事や!」
出前は、「それが仕事ですから。」と言いながら、自転車に跨った。
「待て!俺はな、今、世の中に笑いという名の崇高なものを世に送り届けようとしている人間や。これを人は、芸人と呼ぶ。ええか?ここからが、大事なところや。よう聞けよ。」
「もう行っていいですか?」
「あかん!人の話は最後まで聞く。学校で習ったやろ!」
出前は、迷惑そうに聞いている。
「消しゴム爺さんを俺に届けてくれ。」
「はぁ?」
「消しゴム爺さんや。わかるやろ!」
「いえ、全然。」
「俺は、今までの世の中に対する嫌悪感や、穿った見方を改善しようとしている。そのためには、今までの臭い思考を洗いなおさなあかん。それで、お前に消しゴム爺さんを注文しとるんや。わかるか?」
「わかったようなわからんような話ですね。もう出前に戻ってもいいですか?」
「じゃあこうしよう。消しゴム爺さんの件は、忘れてくれ。消しゴム忘れたら、忘れられへんがな、みたいなベタなツッコミはするな。それでは、笑いは、成立せえへん。」
出前は、戸惑った表情を癖のある顔に乗せた。
「十二支の中で、一番かまびすしいやつを持ってきてくれ。かまびすしいやつやぞ。間違えても、奥ゆかしいやつ持ってくるなよ!」
「すみません。仕事戻ってもいいですか?」
「あかん。俺も注文しとるねん!出前を運ぶのが、おまえの仕事やろ。」
「だけど、僕、中華料理屋ですから。」
「口答えするなぁ!!」
恫喝に驚いたのか、出前は、名刺を差し出した。
「あの、ここの店に電話してくだされば、取り急ぎでなければ、対応しますので。」
固定電話の電話番号が書かれた、店の名刺を、出前は取り出した。
「ややこしゆうてすまなんだな。ここからは、俺の土壌や。笑いを世に送り届けるのに、必要不可欠なもんはな、自分が面白いと思ったことを、その場で言うことと、スベるという感覚を何度味わうかや。」
「はぁ。」
「はぁ、やあるかい。スベるっていうのは、芸人にとって一番、怖いことなんや。その空気を、作り出した自分の不甲斐なさとやりきった後の喪失感は、恐ろしいもんなんや。わかるな?」
「話の前半部分から、既についていけてませんけど。」
「どんな状況でもボケろ。例え、それが、自分に不利なことであってもや。要するにお前は、アマチュアや。玄人気質がまだ、なってない。要するに、世の中の排気ガスを全部吸い込むくらいの勢いで、ボケんかったら、笑いは生まれへん。そこだけは、肝に銘じとけ。」
「もう行っていいですか?」
「よし、もう行ってええわ。俺の言ったこと忘れるなよ!」
ここまで、言い切って、雑踏を歩いた私は、その風の寒さに驚いた。
「暑っ!」
暑いわけがない。一人のときでもボケてスベるのが、芸人の使命だと思っている。
私は、高らかに歌い出した。
12月のセントラルパークブルースだった。
いつの間にやら、そこは、宇宙の中心になった。そこから先は、ページが破れて読めなかった。
55点。
いや、待て待て。続きあんねん。すまん。読み直してくれ。
宇宙の中心となった、そこは、私の頭の中の消しゴムで、拭い去った。
「あぁ、消しゴム使ったなぁ。小学校時代、どれだけの消しゴムが俺の答案用紙に正解を叩き出したかわからへんわ~。」
と、ぼやく青年の頭を鈍器のようなもので殴る素振りをする殺人鬼の親が、生まれる以前から、私は、鈍器のようなもので殴られる運命だったのかもしれないが、私は、殴られなかった。
「おい!君、ちょっと待ちたまえ。本官が、ここを通過してよいという、許可証がないと、ここを通過できないことは、誰もが知っている事実だね。」
「ぁ?誰やお前。」
「私は、諦めの妖精。諦めるというのは、最後に人間に許された特権なんだよ。」
「あんた、ただもんじゃないな。」
「諦めなさい。この時代に芸人になろうとしていること自体に間違いはある。」
「いや、俺、おもろなりたいねん。」
「君は、君が思っている以上に面白い。だけど、世の中がそれに追いつく頃、君はもうこの世にはいない。」
「死んでから売れる。本望やないか。」
「生きているうちに、生を謳歌なさい。その方が、あなたのためです。」
「謳歌しとるわ。」
私は、諦めの妖精を切り捨てた。
「いい加減にしろ。」
無知ほど怖いものはない。そして、無知ほど強いものはない。
赤ん坊の頃、落語会に両親が私を連れて行ったそうだ。
今でこそ、年齢制限があるが、その頃はなかった。赤ん坊の私は、林家小染師匠の落語を聞いて、泣きじゃくっていたらしい。
「お母ちゃん、赤ん坊ちゅうのはな、首持ってこそばしたったら、泣き止むわ。」
高座で、林家小染師匠は、そんな枕をしていた。
私は、
「おおきに、小染兄さん。」
と思いながら、泣き止んだ。この頃である。私は、噺家になった。
「三つ違いの兄さんと。」
そんなことを口走っては、楽しんでいる子供だった。
勿論、意味はわかっていない。どこかで聞きかじった落語を口ずさんでは、悦に浸っていた。同級生も笑ってはいるが、意味はわかっていなかったと思う。
「こいつが左甚五郎作なんだ。」
これは、意味がわかっていた。
そんな時のことである。
友人から、ホームページを作ったから見てくれ、という嘆願があった。
「知の楽園」
というタイトルを背に否定的解決を肯定したホームページだった。
「警察官になりたい!」
「あなた、頭悪いから無理よ。」
「会社を建てて、大きくしたい!」
「あなた、頭悪いから無理よ。」
妖精と麒麟さん
麒麟さん「ねえ、どうして勉強しなくちゃいけないの?」
妖精「それはね、人間の限界を知るためよ。」
麒麟さん「限界を知るんだったら、最初から勉強しなけりゃいいんじゃないの?」
妖精「人間はね、限界を知るには、努力が必要なのよ。」
麒麟さん「それには、どうすればいいの?」
妖精「否定的解決よ。」
麒麟さん「否定的解決って何?」
妖精「例えば、りんごが木から落ちるのはなぜか説明できるかしら?」
麒麟さん「重力があるから。」
妖精「そうね。じゃあ、どうして重力があるとりんごが木から落ちるのかしら?」
麒麟さん「万有引力が働くから。」
妖精「じゃあ、万有引力が働くとどうしてりんごが木から落ちるのかしら?」
麒麟さん「グラビトンが作用するから。」
妖精「グラビトンが作用すると、どうしてりんごが木から落ちるのかしら?」
麒麟さん「わからないよ。」
妖精「知識なんてものはね、それを説明する道具に過ぎないの。それを使って納得することは出来ないの。それが、否定的解決よ。」
麒麟さん「じゃあ、将来、解決することだってあるんじゃないの?」
妖精「あなたは、将来について否定的解決を持っているようね。その分野は、あなたに任せるとしようかしら。」
麒麟さん「ぼくに出来るかな。」
妖精「それまで、私は、こっちの世界で待ってるわね。」
というような文言が書かれた後、掲示板を開設していた。
文系用掲示板
理系用掲示板
その他掲示板
と分かれたサイトになっていた。私は、その他掲示板に、お笑いから学んだ知識を、一つ一つ投稿していった。
つまり、学問はそっちのけで、お笑いの勉強ばかりをしていた。
これが、大学での、私の生活の集大成だった。
お笑いなんて勉強するものではない。真にあるものだ、と私は思う。笑えなければ、それはお笑いではないし、笑えれば、お笑いというジャンルに属さなくても、お笑いである。
笑えるか、笑えないか。
厳しい世界なのである。
本当に、笑いにレベルがあると、仮定して、例えば、日常会話に、レベルの低い笑いがあるとする。
それは、集団の中では、かなり高度な笑いである。
逆に、客前で、大勢の客に対峙して、受けなかったとして、それは低レベルの笑いである。
その上で、笑いなしで、会話をしていく面白さが、漫才には、まだ残っている。
そこが、漫才の髄であるし、漫才にも型があり、伝統芸能であることだけは、間違いない。
これが、私が、インターネットでネタを送り続けた大学生活の結論だった。
そうして社会に放り込まれていった私は、ええおっさんになった。
消しゴム爺さん 小笠原寿夫 @ogasawaratoshio
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