閑話.幼い日の約束
――クラウディア、何があってもお前だけは私の味方であってくれるね?
十一歳の誕生日、三ヶ月ぶりに会ったあなたは、プレゼントを渡した後に私に小さくそう言った。
いつも自信に満ち溢れていた声には張りが無く、言い聞かせるようでいて懇願するような弱々しい様子。「来年こそは輝かしい王国を贈ると誓うよ」と言った直後に紡がれたその言葉には、確かに違和感を覚えた。
でも、幼い自分にはどういうことかよく分からなかったし、そもそもあなたの敵になるなんてあの頃の私には考えられなかった。
第一、状況をまったく理解していなかった。自分の身に危険が迫っているなど、微塵も思っていなかった。だって、全ては上手くいっているとあなたがいつも言うものだから、疑うことなく私はそれを信じ込んでいた。あの国で一番偉いあなたが言うのなら、心配はいらないのだと思い込んでいた。
そうしてよく分からないままに約束を交わして数ヶ月。ノイマールを離れ、フラウジュペイの田舎のヤンクイユに疎開して、私はようやく現実を知った。
不吉な生活の始まりだった。
聞こえてくるのは、襲撃被害を意味のない言葉で濁すヘルデンズ放送と、作戦成功に換気するフラウジュペイ放送。あの人の部屋から漏れ聞こえるモールス信号は耳を付いて離れないし、家にかかってくる電話は鳴りやまない。リビングからは喧嘩の声が聞こえていて、たまに殴り合いの音すら聞こえていた。
幸せだった生活は、既にその時から崩壊していた。
同時に自分の中の常識が、少しずつ崩れていく。もしかして、世界の悪者はヘルデンズの方ではないか。私の祖父こそがすべての元凶で、私たちみんなこそが世界を踏みにじった蛮族だったのではないか。そんな懸念が頭の中でもたげ始めた。
考えてみれば確かに、普段のあなたの言動からそう思う節はいくつかあった。『人種の美化活動』を見学しに行ったときなんか特にそうだった。本当にこれが正しいことなのかと、目を疑いかけた。
でも、その全てに私は蓋をしていた。どんなにラジオが真実を告げていたとしても、必死で聞かないふりをしていた。母やあの人が漏らす不満の声にも否定し続けた。現実を受け入れたくなかった。
自分の祖父が悪の根源だと、どうして信じられる?
はやく世界を救ってこの事実を否定して。心の中でそう願い続けていた。
――クラウディア、何があってもお前だけは味方で……。
よく分からないままに交わした約束。当時の私に、それをきちんと守る気持ちがあったかどうかは分からない。
それでもあなたよりはずっとかマシだった。そもそも、あなたは最初から守るつもりなんて無かったのでしょう?
ラジオがあなたの死を告げたあの日。頭が現実に追いつかないままにあの手紙を読み、私は自分の部屋を飛び出した。するといつの間にか私は業火に巻かれていて、気が付いたら施設に保護されていた。
焼け焦げた私の周りにいたのは、何もかもを失い、希望すらもなくした傷だらけの子たちばかり。大人は明るく振る舞っていたけれど、隠しきれない悲しみが滲み出ていた。
町はどこに行っても瓦礫の山で、まともに使える建物は数えるほどしかない。その周りにもまた、呆然と死を待つ人の群れが出来ていた。
そんな状況を見ながら、ようやく現実を受け入れた。あなたこそが、諸悪の根源だった。薄々分かっていたことだったけれど、弁明の余地なしに、その時はっきりと分かった。
街を壊し、人々から生活を奪い、生きる希望までも奪い尽くしたあなたは、自分の悪行を顧みることなく世界から逃げ去った。この世に莫大な罪を残して、あなたは消えていった。
生まれて初めてこの上ない怒りを感じた。
なんて身勝手で無責任な人だろうか。そんな人の血が流れていると思うと、嫌で嫌で仕方がなかった。
その後は光のない生活が続いた。戦争が終わって平和になったはずなのに、私の目の前はいつも真っ暗だった。
周りには、いつも明るく優しい人たち。いつだって彼らは私の味方になろうとしてくれる。正直とても幸せなことなのに、その優しさを私は素直に受け止められない。あなたの罪が私をそうさせていた。いつ正体を知られてしまうか分からない恐怖。
私は純粋に人を信じることさえ出来なくなっていた。
――クラウディア、何があってもお前だけは……。
あなたさえいなければよかったのに。
あなたさえいなければ、こんなことにならなかった。誰かの憎しみを背負うことはなかった。誰かに裏切られることもなかったし、優しい人たちを裏切ることもなかった。
こんなにも罪悪感に塗れた真っ暗闇に、突き落とされることもなかった。
本当にあなたさえいなければよかったのだ。
心からそう思えていたら、どれだけ良かったことだろうか。
せめてあなたを嫌いになれたら良かったのに、そう思うたび、昔あなたが見せた悲しそうな顔が頭の中に蘇っては、私に懇願してくるの。
お前だけは裏切らないでと――。
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