第3章 故郷へいざなう爆発列車
1.レオナの不安
嫌な静けさが、ホテルの一室に充満している。昼の天気予報ではしばらく晴れが続くはずだったのに、いつの間にか外は雨が降り始めていた。
窓を打ち付ける雨音に、レオナは思わず窓の外に視線を向けた。
「お嬢さん、君も今日は休んだ方がいい」
いつの間にか側に来ていたブラウン少佐が、簡単なフラウジュペイ語を話ながら彼女の肩を二、三度軽く叩いた。レオナはこのブラッドロー軍のお偉いさんを見上げると、口元に小さく笑みを浮かべて頭を横に振った。
「いえ、まだ平気ですので、お気になさらず」
「そうは言っても無理しているのが丸分かりだぞ。気持ちは分からんでもないがな」
言いながら、ブラウン少佐はベッドの上の人物に視線を流した。
そこには横たわっているのはロマン。
意識を失ったままの彼を見て、レオナはキュッと唇を引き結んだ。
――どうしてこんなことに……。
口では平気と言ったものの、正直レオナの頭はかなり混乱していた。
事が起きたのはたった一時間半前。
部屋を訪れた警察にブランカとロマンが連れて行かれ、部屋に一人残されたレオナは、すかさずフロントに電話した。ロマンがああやって出しゃばるのには理由があるに違いないし、退室間際に彼はレオナに目配せしていった。あれはおそらくヴォルフに知らせろと言う意味で間違いなかったと思う。
しかしそれはレオナの想像を超える事態となった。
フロントに電話を掛けたすぐ後、何故か廊下が急に騒がしくなり、それと同時にホテルの前も騒々しくなった。何台もの車がホテルから発車する様子に瞠目していると、間もなく部屋の扉が叩かれ、ヴォルフの上官だと言うブラウン少佐と共に、気絶したロマンが彼の部下に運ばれてきたのだ。
そうして新たに客室を用意され粗方事情を知らされたわけだが――。
「だが、そんなに心配しなさんな。今は眠っているが、彼が無事なのには変わりないのだから」
「それは、そうですけど……」
ブラウン少佐の言うとおり、ロマンは気絶させられているだけで外傷があるわけはなく、命に別状があるわけでもない。ブラウン少佐と一緒にやってきた軍医にちゃんと看てもらったし、落ち着いた寝息を立てている様子を見ると、そこは安心するべきところなのだろう。
とは言え、不安なものは不安だ。それはロマンのことに関してもそうだが、この状況自体がまず落ち着かない。
そもそもこんな風に他国の軍人と関わるなんてことは、レオナの常識ではありえなかった。ヴォルフがそういう人間だということは少し前にロマンから聞いていたし、ブラウン少佐だって想像の中の軍人像とは違ってかなり気さくで話しやすいが、それがまさかこんな状況で関わるとは思ってもみなかった。
そして事態はまだ解決していない。
レオナは再び窓の外に目を向けた。
先ほどより雨足は弱くなっただろうか。外の景色からはそんなことしか分からないのが何とも歯痒い。
するとまたもやブラウン少佐に肩を叩かれた。
「今は何も考えない方がいい」
今度は曖昧な笑みを浮かべてそう言うだけで、それ以上のことを彼が言うことはなかった。レオナが不安に思っている事について、彼もまた連絡を待っているのだ。
そしてそのことこそが、レオナをひどく混乱させていた。
ほんの数時間前に聞かされたブランカの正体。それがまさか、あの世紀の大悪党マクシミリアン・ダールベルクの孫であったことには、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。正直今でも動揺を隠せない。さっきは感情任せに彼女をひどく罵ってしまったが、頭が冷えてくると、どうしても戸惑いばかりが浮かんでくる。
何よりレオナはショックだった。
ブランカのことは施設の他の誰よりも、いや、ダムブルクに住む他の誰よりも気に掛けてきたつもりだった。彼女の過去のことを知らなくとも、この五年間、レオナなりにブランカを理解してきたつもりだ。それなのに、隠し事どころか、名前も存在も、何もかもを騙され続けてきたのだ。この上ないひどい裏切りに、悲しみと悔しさでいっぱいになる。
また、彼女の正体自体も、当然レオナにはショックだった。それはブランカにぶつけた言葉の通り、よくも今までのうのうとあの児童施設で生きてこられたものだという怒り。
そして、あんなに気弱で控えめで、それなのに周りにいじめられても精一杯健気にみんなを手伝ってきた彼女を、どうしても想像の中の悪党の孫とは思えない戸惑い。まさかいつもレオナが見てきた彼女自身も嘘だったというのだろうか。
考えれば考えるほどに、色んな感情がない交ぜになる。ただでさえ彼女の正体を知っただけでこんな状態なのだ。
それなのに、その彼女が何者かに攫われてしまい、それを兵士がほとんど総出で阻止しに行くほどにブラッドローが彼女を探し求めていたことを知らされ、頭はもうパンク寸前だ。しかもブランカを攫ったのはオプシルナーヤの関係者である可能性が高いとか、次元が違いすぎる。
「これからブラン――……あの子はどうなるんですか?」
思わず言いかけた名前は、もはや偽名でしかなかったと改めて思い出してしまった。かと言って本当の名を口にするのも憚られる。
――第一、あたしがあの子を気にする義理があるの?
そんなことを思っても、顔はきっと違う感情を表に出していたのだろう。
ブラウン少佐は再度レオナの背中を二、三度叩いて、ソファの方へ向かい、ポットに残ったままのコーヒーを淹れながら彼女の質問に答えた。
「彼女はあくまで孫だからな。下手なことがない限り、咎められることはないし邪険には扱われないはずだ――少なくともブラッドローや西フィンベリーではね」
しかしその安全も、オプシルナーヤやその領国相手では話が違ってくるのだろう。その証拠に、彼はレオナが不安そうな顔をしていても、ブランカの無事を励まし文句に使うことはなかった。
無意味な行為だと知りつつも、レオナの視線はどうしても窓の外へ吸い寄せられる。
ヴォルフを始めとするブラッドロー軍の兵士達がブランカの後を追い掛けていったきり、そこは静寂に包まれていた。つい三十分ほど前に現場の兵士から来た報告では、彼らは郊外の方に向かっているとのことだったが、その後の新しい情報はない。
果たしてブランカは今、どうなっているのだろう。オプシルナーヤの関係者とやらは、彼女をどうするつもりなのだろうか。
するとそのとき、ベッドの方から物音が聞こえてきた。
寝ていたはずのロマンが、頭を抱えて上体を起こしていた。
「ロマン! 気が付いたの? 大丈夫? どこかおかしいところはない?」
「あぁ、特には多分……平気。というか、ここは……?」
レオナに背中を支えられながら、ロマンは部屋の中に視線を巡らす。そしてすぐにブラウン少佐の存在に気が付いたようだった。
瞠目しつつも急いでベッドから降りようとするロマンを、ブラウン少佐がソファから立ち上がりながら片手で制した。
「そのままで構わない。私はブラウン。ブラッドロー軍の人間で、ヴォルフの上官にあたる」
「ブラッドロー軍の……。あ、僕……いや、私は――」
「ロマン・クリシュトフ、だろう? 彼女から聞いている。と言っても、名前と職業だけだがな」
いつになく動揺を見せているロマンに対し、ブラウン少佐はニッと安心させるような笑みを浮かべておどけて見せた。
だが、ロマンは安心するどころか、眉をひそめて難しい顔を濃くしている。
見慣れぬ客室、普段は無縁のはずの他国の軍人、気を失っていた自分自身。
察しのいい彼のことだ。冴え始めた頭は、既に状況を理解してきているのだろう。悔しげにシーツを握りしめた彼の手が、それを端的に証明していた。
それを眺めながら、ブラウン少佐は小さく息を吐いた。
「とりあえず、君は意識を取り戻したばかりだ。今しばらく、ゆっくり休んでおいた方がいい。レオナ、君もね」
レオナにしたようにロマンの肩を軽く叩きその場を立ち去ろうとするブラウン少佐を、しかしロマンはすかさず止めた。
「待ってください。何も聞かないのですか? そのためにここにいらっしゃっていたのではないのですか?」
ロマンはどこか覚悟を決めた瞳でブラウン少佐を見据えた。だがやはり、彼にしては動揺しすぎている気がする。
おそらく彼が考えているとおり、ブラッドロー軍にとってロマンはかなり重要な情報源になるのだろう。このままブランカが戻らなければ尚更だ。何せ行方不明だったはずの、むしろ死んだと思われていたはずの彼女を保護し、ずっと匿い続けていたのだから。しかも正体を知った上で、だ。
しかし、ブラッドロー軍がブランカ――クラウディア・ダールベルクを追い続けているのは確かなことだが、それはまだロマンの中では推察の域を出ないはずだし、そう判断するには尚早すぎる。それに、普通ならば下手なことは聞かれない方がいいに決まっているのに、彼は自ら墓穴を掘りに行っている。
それほどまでに取り乱すのは、ブランカを守りきれなかったことを悔やんでいるからだろうか。
ロマンのまっすぐな瞳に、ブラウン少佐は困ったようにため息を吐いた。
「そりゃあ聞きたいことはあるが、まずは君、しっかり休むべきだ。話はその後にでも聞かせてもらう」
「ですが――」
そのとき、部屋の扉がノックされた。すぐ後に聞こえてきた名前に、ブラウン少佐が扉を薄く開いた。
どうやらホテルで待機していた部下の一人らしく、二人はブラッドロー語で会話しながら廊下へと出て行く。もちろんレオナにはブラッドロー語は理解できないので今の会話もさっぱりだが、彼らを目線で追っていたロマンの顔は、先程よりも深刻なものになっていた。
「……何て言っていたの? ブランカのこと?」
「いや、どうやら違うみたいだが……レオナ、ラジオを付けてもらっても構わないかな?」
「え? ええ、いいけれど」
突然のロマンの頼みに、レオナは首を傾げつつも頷いた。やはり彼は何かを聞き取ったのだろうか。青ざめた顔は、どこか思い詰めているようにも見える。
どうにか彼を落ち着けてあげられたらいいのに。そう思いながら、レオナはラジオの電源を入れた。
流れてきた報道に、レオナは息を飲んだ。
『ヘルデンズの首都ノイマール及び東部の街ボスキーツェで今日未明、爆破事件が相次いで発生しました。ヘルデンズ中央放送局によると、この爆破でノイマールでは十六人が死亡、三十四人が負傷、ボスキーツェでは二十一人が死亡、四十八人が負傷しました。現場はいずれもオプシルナーヤ人が多く利用する施設で発生。被害者によれば、不審な動きをする旧メルジェーク人の若い男性四人組を見たとのことですが、いずれも犯人は逃走中です』
淡々と告げる内容は、数時間前であれば――いや、数週間前であれば、レオナは他人事のように思っていたことだろう。しかし、そこに現れた固有名詞は、今となってはどれも無関係のものではなくなってしまった。
レオナはちらりとロマンの方に視線をやった。
案の定、ロマンの顔は一層青くなっていた。
彼には悪いと思いつつ、レオナはラジオの電源を落とした。
「ほら、やっぱりあなた、寝た方がいいわ」
「しかし、そういうわけには――」
「いいから寝るの!」
ベッドから降りようとまでしたロマンの肩を押さえつけ、無理矢理彼をベッドに押し込んだ。ロマンは非難めいた視線をレオナに向けるが、レオナはそれを受け流し、硬く握られた彼の拳を両手で包み込んだ。
「さっきもブラウンさんに言われたでしょ? 気持ちは分かるけれど、あなたひどい顔色をしているのよ。ただでさえ寝不足気味だったんだから、とにかく今は休んで。あの子のことは、きっとヴォルフさんたちがどうにかしてくれるから」
なんとかロマンを安心させてあげようと必死で言葉を探しているうちに、気が付いたらそんなことを口にしてしまっていて、レオナは自分自身に内心驚いた。こんなこと、ただの気休めでしかないし、ブランカの安否だって気にする必要は――。
すると、それまで緊迫した表情だったロマンの顔に、少しだけ赤みがさした。
「そうだね。僕も彼を信じているよ」
ロマンは穏やかな笑みを浮かべて、サイドに座るレオナの頭を優しく撫でた。まるで施設の子供によくやるようなそれに、レオナは内心複雑な気持ちになるが、不覚にも安心感を得てしまっていた。彼を気遣うはずが逆に気遣われてしまったのには、悔しい気持ちもするが。
再び思い詰めた表情に変わっていくロマンの顔を見ながら、レオナは言った。
「ねえ、ロマンは……どこにも行かないわよね?」
彼の瞳を、レオナは縋るように覗き込む。ロマンは空色の瞳を大きく見開いた。
クラウディア・ダールベルクだったブランカ。その彼女はオプシルナーヤ軍関係の人間に連れて行かれてしまった。
それだけでも頭が追いつかないのに、それと同じ日に起きたヘルデンズの爆破事件。犯人かもしれないメルジェーク人。
レオナは、数週間前のことを思い出す。
突然ダムブルクに現れたロマンの高校時代の友人ヤーツェク・ルトワフスキ。彼はオプシルナーヤへの反乱のためにロマンを誘いに来ていた。そしてこの二人は、ロマンは本当は、メルジェーク人だった。
嫌な予感がレオナの頭を駆け巡る。
あのときロマンはヤーツェクの誘いを断ってはいたが――。
「あぁ、僕はここにいるよ」
ロマンはいつものような優しい笑顔でそう言った。
だけど、それがただレオナを安心させるためのものであると、彼女は直感的に察してしまった。
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