12.限界

「お前……何で……」

 三週間ぶりに会ったヴォルフは、薄鳶色の瞳を大きく見開き、ブランカを上から下までまじまじと眺める。驚きに満ちた顔が、次第に顰められていく。そもそも彼からしてみれば、ダムブルクにいるはずの自分がどうしてここにこんな姿でいるのか不思議でならないに違いない。

 ブランカにしてみても、彼とここで鉢合わせるとは思ってもみなかった。スーツ姿でいるところを見るに、仕事中だったのだろうか。ダムブルクで会った時と印象が違いすぎて、ぶつかった瞬間は本当に別人かと焦ってしまった。

 ほっと胸を撫で下ろしかけて、ブランカは思いとどまった。ぶつかった相手がヴォルフでよかったとはいえ、安心できる状況ではない。デモ隊が、フィルマン達がすぐそこまで迫っているのだ。ここにいては、彼にも被害が及びかねない。早く逃げなくては。

「お前、今まで一体どこで何を――」

「ごめんなさい!」

「は?」

 ヴォルフがブランカの両肩を掴みかけたところで、ブランカは勢いよく腕を伸ばして彼の身体を突っぱねた。ブランカはそのまま一歩後ずさる。

 視線の先でヴォルフがあからさまに彼女を怪しむが、ブランカにはもう時間がない。

「あの、私、急ぐので……それじゃあ!」

「おい待て!」

 言うが早いか、ブランカは身を翻してヴォルフの前から立ち去ろうとした。

 しかし、それは叶わなかった。走り出そうとして踏み出した右足に力が入らなかったからだ。同時に激痛が足に走り、その場で膝から崩れ落ちそうになったところで、後ろからヴォルフに支えられた。

 そのとき、目の前を一人の男性が駆けていく。その後ろからけたたましい足音が聞こえてきた。

「そっちの方へ逃げたぞ!」

「ヤツはダールだ! 必ずとっちめろ!!」

 そう吐き捨てながら、若者達が恐ろしい形相で目の前を通っていった。もしかして先ほどブランカの後ろから聞こえてきた足音は、今の男性を追っていたものだったのかもしれない。

 駆け抜けていくデモ隊の数に、圧倒される。たった一人の男性を、何十人もの人間で追い掛けていく様子は、ただひたすらに恐ろしい。

 既に力の抜けた足が震え出す。

――あそこにいたのは、私だったのかもしれない……。

 ブランカの行く末はフィルマンの采配に委ねられている。彼がブランカの情報を流してしまえば、もう終わりだ。

 一体どうすれば――。

 すると、突然ブランカの身体は反転させられる。あっと思う間もなくブランカの視界にはヴォルフのスーツしか無くなった。

「え……と……?」

「いいから、このまま黙ってついてこい」

 彼はブランカを自身の体と彼女が被っていた布の間に隠し、そのまま通りの方へと移動した。彼は近くにあったタクシーにブランカを押し込むと、自分も横に乗り込み、手短に運転手に行き先を告げた。

 タクシーは間もなく発車した。



 あまり長くない距離を数分走った後、タクシーはとあるホテルの前に停止した。市街地のホテル街の一角にあるここは、外観と立地からしてそれなりに値の張るところのように思える。

 ヴォルフはタクシー代とチップを運転手に渡すと、ブランカの腕を引っ張り、ホテルの中へと進んでいく。彼が滞在しているところなのか、進む足取りは淀みない。

 そうして彼は三階の奥の扉を押し開けた。

 部屋に入るなり彼は素早く鍵を閉め、そして電気を付けるよりも先にカーテンを閉めに行った。

「とりあえずここなら安全だ。安心して――」

 ヴォルフはブラッドロー語に切り替えて言いかけるが、途中で息を飲んだ。パッと付いた灯りの下に立つブランカを、眉間に皺を寄せて眺めている。ブランカは咄嗟にボタンの外れたブラウスの前を合わせるが、彼は更に目を細めて厳しい表情をした。

 一体何があったのか――射抜くような薄鳶色の瞳は、それを知りたそうにしている。

 しかし、ヴォルフは聞いてこなかった。

 彼は小さく息を吐くと、クローゼットから自分のシャツとガウン、そしてタオルを取り出した。

「まずはお前、シャワーを浴びてこい。出たら手当てするから、ちゃんと傷口も洗い流して来いよ」

 ヴォルフは強引にそれらをブランカに持たせると、部屋の奥にあるシャワールームへとブランカを押し込んだ。

 どうしてこうなったのか、あれよあれよという間にここに連れてこられて、ブランカの頭は混乱していた。呆然と状況を考えながら、ブランカは洗面台の鏡に視線を移す。そしてすぐに理解した。

 カミーユの母にもらった真っ白のブラウスとスカート。すっかり裂けてしまった上下は、すすと泥に塗れて黒くなっている。そこから覗く腕や足も所々黒く汚れていて、尚かつ予想以上に大きな擦り傷と打ち身の痣があちらこちらに出来ていた。

 こんな姿を前にしたら、誰だって気を遣うものだろう。しかもあんな場所に現れたのだ。彼の性格からして、こんな姿のブランカを放っておけなかったに違いない。

――助けられてしまったのね。

 ひとまず難を逃れられたことに、ブランカは今度こそ安堵の息を漏らした。

 しかし、同時に罪悪感が心の中に広がった。胸がひどく痛み出す。ヴォルフは、クラウディア・ダールベルクを憎んでいる。まさか彼はその仇が今同じ部屋にいるとは思ってもいないだろう。

 フィルマンたちがいつブランカの情報を漏らすか分からないが、ヴォルフがそれを知るのも時間の問題だろう。その前に早くここを出なくては。

 ブランカは手短にシャワーを浴びて、シャワールームを出た。

 部屋に戻ると、彼はベッドの横にあるサイドボードから救急箱を取り出しているところだった。

「お、出たか? 手当てするからこっちに……ってなんだその格好は」

 ヴォルフはブランカの姿を見ると、若干眉間に皺を寄せながら目を丸くした。それもそのはず、今のブランカは、上はヴォルフのシャツを着ているが、下は黒く汚れたスカートのままだった。

 ブランカは彼に借りたガウンを手に抱えたままヴォルフの方へ近寄り、それを彼の手に押し付けた。そして大きく息を吸うと、ブラッドロー語で一気に言った。

「あの、シャツだけお借りします。ごめんなさい、せっかく助けていただいたのに。でもあなたにこれ以上迷惑を掛けられません」

「待て、どういうことだ。わけが分からない」

「とにかく私はもう行きます。それでは!」

 ブランカはヴォルフの手をすり抜け、足早に扉の方へ向かおうとした。

 しかし、既に力尽きていた足は言うことをきいてくれず、ブランカは途中で盛大によろけてしまった。すかさずヴォルフに支えられる。

「おい、この状態でどこに行こうっていうんだ?」

「ただ踏み外しただけです。大丈夫ですから」

 そう言って身体を捩って体勢を立て直そうとしたとき、耳元で深いため息が聞こえてきた。

「まったく、強がりやがって」

「え――」

 その瞬間、ブランカの身体が宙に浮かび上がった。ヴォルフが彼女の膝に手を入れ横抱きしたのだ。突然のことに思わずヴォルフの肩を掴みながら、ブランカは暴れた。

「ちょ……っ! 下ろしてください!」

「暴れんな。落ちるぞ」

「結構ですから! とっとにかく下ろして……っ」

「はぁ……もう黙れ」

 ヴォルフはブランカをソファに下ろし半ば強引に彼女を背もたれに押し付けると、ソファの前に跪き、彼女の足を持ち上げた。

「待っ何を……!」

「消毒するだけだ」

「消毒って――い……っ」

 ブランカは慌ててヴォルフを押しのけようとするが、それよりも早く垂らされた消毒液に、言葉が途中で出なくなった。広い範囲で擦り剥けた膝の傷に、消毒液がひどく染みたのだ。全身を駆け巡る痛みに、もはや足を動かすことはままならない。むしろその痛みを逃そうと、ブランカは知らずソファの布を強く掴んでいた。

 ブランカが大人しくなったのを確認すると、ヴォルフはそのまま膝の傷にガーゼを押し当てながら言った。

「前にも言ったが、年長者の好意は素直に受け取るべきだぞ。迷惑とか、そもそもこっちはそんなこと微塵も思っちゃいない」

「それは……でも」

「むしろこんな状態でいられる方が迷惑だ。大人しく手当てされてろ」

「それなら放っておいたらいいでしょう?」

 彼にしては珍しい口の悪さに、ブランカは思わず反発してしまった。

 瞬間、ヴォルフはブランカを睨み付ける。射抜くような薄鳶色の瞳は、呆れと苛立ちが混ざっている。まるでブランカを責めているような彼の瞳は、端的にこう語っていた。

――俺がそんな人間に見えるか?

 ブランカは思わず視線を逸らした。

 分かっている、彼はこういう人だ。強引で口調は厳しいのに、理由を聞かずに助けてくれる。だからこそ、これ以上世話になりたくないと思っていたのに、傷の手当てをする彼の手は、言葉は、瞳は、ブランカを簡単に逃してはくれないだろう。

 湧き起こる罪悪感と自己嫌悪に唇を噛みしめる。

 すると、ヴォルフは足の手当てを済ませ、今度はソファを掴むブランカの手をほぐし、腕の手当てを始めた。落とされた消毒液は、再び全身に痛みを伝えた。

「これ、一週間あれば治るだろうが、ちゃんとロマンたちに病院に連れて行ってもらえよ。後であいつらも来るからな」

 ヴォルフは淀みない手つきでブランカの腕に包帯を巻きながら言った。

 突然出て来た名前に、ブランカは顔を上げ目を丸くする。

「ロマンたち……? 来るんですか、これから」

「あぁ、お前がシャワー浴びている間に連絡した。つっても、ダムブルクからじゃないぞ。あいつとレオナ、今ロゼにいるんだぜ」

「ロゼに……? どうして」

 ヴォルフは顔を上げてニッと笑みを浮かべた。

「あいつら、ずっとお前のこと探してるんだぜ。お前が、三週間前に消えた日からずっと、ダムブルクからここまでの間を探してきたらしい」

「うそ……」

 ブランカは息を飲んだ。頭の中には疑問符しか浮かばない。

 そもそもロマンたちが自分を探す意味が分からない。何故ならブランカを預かってもらうようにと施設の人がフィルマンにお願いしたはずだった。ロマンとレオナがそれを知らないはずがない。それなのに――。

 そこまで考えて、ブランカはふと納得してしまった。

――あのときから既に、騙されていたのね。

 フィルマンがブランカに聞かせていた施設の人の伝言は、全て嘘だったのだろう。彼女がダムブルクに掛けようとして繋がらなかった電話も、今なら説明が付く。ブランカはまさに誘拐されていたようなものだったのだ。

 しかし、ブランカはそれに自らまんまと引っかかってしまっていたのだ。ただでさえ救いようのない愚かさだったというのに、そんな自分をロマンやレオナがずっと探してくれている。二人には申し分けなさすぎて、一体どのような顔をすればいいのか分からない。

――そもそも私はダムブルクに帰るわけにはいかない……。

 ダムブルクに帰ったら、必ずフィルマンたちが、あの人がやって来る。ブランカは何としてでも捕らえられてしまうだろう。そうなったらもう地獄しかない。行くアテはなくともどこかに逃げなければいけない。

 しかし、仮にどこかに逃げられたとして、逆にダムブルク児童施設は安全なのだろうか。少なくともあの人は、ブランカを引き出すためならどんな残忍なことでもするだろう。そうなったらロマンは、レオナは、みんなは――。

 ずっと逃げ続けていたが、彼らの安全を考えれば、ブランカが大人しくフィルマンたちに捕まるのがいいのかもしれない。だが、アルトロワ広場の惨劇が、フィルマンの書斎で見た『オーベルの記録』が、あのときの恐怖が、ブランカを彼らの手から逃げさせようとする。

――一体どうすればいいの?

 心が押しつぶされそうで、ブランカは思わず俯き口をキュッと引き結んだ。

 すると、彼女の胸中を察したように、ヴォルフが尋ねてきた。

「お前は、もしかして何かに追われているのか? 『ダール狩り』か?」

 瞬間、ブランカは凍り付いた。やけに確信めいた物言いに、心臓が激しく脈を打つ。

 彼の口からすんなり出てきた『ダール狩り』。実際に今彼女を追っているのはそれではないが、まるでタイミングを見計らったかのようにこうして尋ねてきたことに、一つの懸念が湧き起こる。

 まさか彼は、ブランカの正体に気が付いているのではないか、と――。

 まだそうと決まったわけではない。だが、頭の中をよぎった考えが、急速に膨らみ彼女を逸らせていく。

 ブランカはぎゅっと目を瞑り、彼の身体を押しのけた。

「だから、私は出て行きます……」

「待て、何でそうなるんだ。むしろお前はここにいるべきだ」

「だって私は――」

「お前はただのヘルデンズ人だろう?」

 言葉が空を切ったとき、大きな手に頬を包み込まれた。聞こえてきた言葉の意味を反芻する間もなく、顔を持ち上げられる。

「外に出ればヘルデンズ人と言うだけでこんな目に遭わされるんだろ? 流石にひどすぎる」

 彼は壊れものを触るような手つきで、腫れた左頬を触った。こちらに向けられた瞳は、ただひたすらに物思わしげで、とても優しい。

 身体に走った痛みは頬から来るものなのか、それとも心の痛みか。そもそもこの傷は『ダール狩り』によるものではないのに、彼はそうと信じて疑わない。罪悪感が重くのしかかる。

 ヴォルフはブランカの隣に座り直すと、肩を引き寄せ頭を優しく撫でた。

「そういう状況だったから施設に戻るに戻れなかったのかもしれないが、あいつら本当にお前のことを心配してるんだ。今更お前がヘルデンズ人だと分かったところで、お前を突き出したりはしないし、『ダール狩り』からも守ってくれるはずだ」

 彼はそこで言葉を一旦切ると、ブランカの手を両手で握り込み、芯の強いまっすぐな薄鳶色の瞳を彼女に向けて続けた。

「もしどうしてもそれを知られたくないって言うなら、俺が力になってやる。行き場がないならここにしばらくいてもいいし、ロマンたちにも上手く理由付けてやる。だから一人で抱え込むな、ちゃんと大人を頼れ。勝手にいなくなったりするなよ」

 言葉の強さを証明するような彼の真剣な瞳。嘘のない、芯のある言葉。それら一つ一つがブランカの心に浸透しては、彼女の胸に更なる痛みを与えた。 

――どうしてそんな風に言えるの……。

 本当にこの人はどこまでもまっすぐで誠実だ。突然目の前に現れたブランカを理由も聞かずに助けてくれて、そして迷わず味方になろうとしてくれる。

 その正体は、クラウディア・ダールベルクであるというのに――。

 積もり積もった罪悪感が、ブランカの心を押しつぶし、目を熱くした。

 もう限界だった。

「さて、まだ手当ては済んでない。が、氷が必要だな。フロントにもらいに行ってくるから、逃げずに待ってろよ」

 ヴォルフはブランカの頭をわしゃわしゃとかき混ぜると、膝をパンと叩いて立ち上がった。ブランカはすかさず彼の服を掴む。目を丸くして彼女の方を見るヴォルフを、ブランカはまっすぐに見つめた。

「あの……戻ってきたら、聞いてくれますか」

 本当のことを――。

 ドクドクと鼓動が胸を打ち付ける。言葉が最後まで続かなかったが、これがブランカの精一杯だった。

 ヴォルフは目を見開くと、ニッと笑った。

「じゃあなるべく早く戻ってくるよ」

 彼はもう一度ブランカの頭を撫でると、部屋を出て行った。

 ブランカは閉まった扉を眺めながら、スカートのポケットに手を突っ込んだ。手に伝わる感触は、かつてヴォルフが取り戻してくれたゴールドのブローチ。そういえばあのときも彼は躊躇無く川に飛び込んでいた。

 彼はいつだって無条件にブランカの力になろうとしてくれている。

 そんなヴォルフを、これ以上騙し続けるのはもう嫌だった。



***



――まさかあんなことになっているとはな。

 フロントで氷を待つ間、ヴォルフはそんなことを考えていた。

 突然現れたブランカ。ヴォルフがダムブルクを発った日からずっと行方不明だった彼女は、三週間前にダムブルクで見たときよりもずっとひどい姿をしていた。

 アルトロワ広場の一件以来、『反ダールデモ』や『ダール狩り』は収まってきたはずだが、目に見えないところでああして続けられていたのだろう。

 よりにもよってその被害者がブランカとは、寒気のする事態だ。戦争には無関係だった少女にまで危害を加えようとするデモ隊の人間に、怒りさえ覚える。あんな状態とはいえ、遭遇できて良かったと心から安堵する。

 しかし、彼女は今まで一体どこにいたのだろうか。

 十日前に西区ワーズ街で見かけた白いおかっぱ頭。あれは紛れもなくブランカだったはずだ。

 あのときの彼女は、表情こそ無かったが、先程のように傷だらけで埃に塗れている様子はなかった。むしろ、ダムブルクにいたときよりいい洋服を着ていたような気がする。

――それに、アルトロワ広場の前で見たあの少女は……。

「あ、ノール氏、いいところに」

 ちょうど氷をもらって部屋に戻ろうとしたとき、聞き覚えのある声が、エントランスの方から響いてきた。そちらを見れば、彼の予想通り、オレンジと金色が混ざったような髪色が特徴の警視正――ニコラ・マルシャンがホテルに入ってきた。

 ヴォルフはぴくりと眉を動かす。

――何故ここにこいつがいる?

 仕事の協力者とは言え、このホテルに宿泊していることは警察には伝えていなかったはずだ。大使館で聞いたのかもしれないが、妙な薄気味悪さをヴォルフは感じる。

「何かありましたか?」

 尋ねる声は自然と尖ったものになってしまう。

 だが、それに構わずマルシャンはヴォルフの元までやって来ると、至極真面目な表情で声を落として言った。

「ええ、重大情報です」

「重大情報?」

「はい――クラウディア・ダールベルクが十番街で見つかったそうです」

 ヴォルフは息を飲んだ。全身に緊張感が駆け抜ける。

 マルシャンは続けて言った。

「身長は大体一五六センチ、全体的に細身。肩口まである茶髪に深緑の瞳、頬は赤めだそうです。紺色のワンピースに赤い靴。未だ逃走中で、市民が全員で追い掛けているとのことです」

「分かりました。先に向かっていてください。私も用意したらすぐに向かいます」

 言うが早いか、ヴォルフは自室へと向かった。氷を持つ手が思わず震える。

――遂に、遂にヤツのお出ましか……。

 ブラッドロー軍が探し続けていたプラチナブロンドの髪に薄萌葱色の瞳の少女。五年前に亡くなっていたと思われていたあの少女は、生きていたのだ。

 しかもそれはヴォルフの思った通りだった。

 茶色のセミロングに赤い頬、深緑の瞳。アルトロワ広場の前で見たあの少女がまさにそうだったのだ。

 あのときはブランカと重ね合わせたせいで判別出来なかったが――。

 そこまで考えて、ヴォルフは頭を横に振った。

――いやいや、実際にクラウディア・ダールベルクは別で見つかったんだろう?

 そう自分に言い聞かすが、湧き起こった思考は、どんどん別の方向へと走り出していく。

 よくよく考えてみれば、ブランカは色々と条件がぴったりだった。

 ヘルデンズ出身の十六歳。瞳の色は薄萌葱色ではないが、色素が沈着したらあんな深緑色になるかもしれない。

 戦争孤児にしては、フラウジュペイ語を丁寧に話し、尚且つブラッドロー語まで堪能なことに疑問を抱く。普通の子供であれば戦中はまともに教育を受けさせてもらえなかっただろう。戦後五年で学んだにしても、あそこまで綺麗に話せるようになるものだろうか。

 それに、彼女の右半身を覆う赤い火傷。その原因をヴォルフは知らないが、もしブランカがあの少女であると仮定すれば、五年前に森で燃やされたときの痕がそれではないだろうか。

――いや、だから本人が街中で見つかったんだろう?

 再び自分に言い聞かすが、行き着いた考えは頭にこびりついて離れようとしない。

 ヴォルフは考えながら自室へと入った。

 白いおかっぱ頭の少女が、ソファに座ったままヴォルフを見つめている。

「ヴォルフ?」

 黙ったまま入ってきた自分を、彼女が不思議そうに目を丸くした。

 その手に握っているのは、かつて彼女が川に投げ捨てようとし、そしてヴォルフが川に飛び込んで取り戻したゴールドのブローチ。

――もし、そうだとすれば……。

 ヴォルフは彼女のスカートに付いているポケットを見た。

 今手に握っているブローチと同様に、彼女が大切にしているはずの薄萌葱色の手紙。おそらくそこに入っているだろう。

――違ったら、悪い!

 ヴォルフはまっすぐにブランカの元へ向かい、彼女のポケットに手を突っ込んだ。

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