7.ヴォルフの懸念
その日、ロゼ中央駅はかなり物々しくなっていた。
どのホームにも、列車の扉ごとに二人のフラウジュペイ兵や警察が立ち並び、改札も待合室も厳重に警察が配置されていた。
あまりに不穏な雰囲気に、列車から降りたばかりのレオナは、思わず隣に立つロマンの服を掴んだ。
ロマンは軽く笑った。
「大丈夫だよ、彼らは何もしない」
「わ、分かってるわよ。ただ、こういう光景見るのが戦争以来だったから、ちょっと驚いただけよ!」
レオナは顔を赤くしてロマンの服をぱっと離すが、やはり彼女はどこか不安そうで、いつもの強気はどこへ行ったのかという有様だった。
ロマンはやれやれとため息を吐いた。
「まったく、だから言っただろう? 君はダムブルクで待ってくれていたらいいって」
まるで子供相手に言うようなロマンの口ぶりに、レオナは彼を睨み付ける。
ロマンがダムブルクに一回帰ってきた後も、彼のブランカ探しはしばらく続いた。探しても探しても見つからないそれに、どれだけロマンが無理をしているのか、レオナは毎日見てきたのだ。気持ちは分かるが、流石に見ている方も辛い。
ただでさえそんな状況なのに、今朝になって突然ロマンがロゼに行くと言い出したのだ。こればかりはレオナも止めようとしたが、ロマンは普段の物腰の柔らかさとは裏腹に、一度言い出したことは絶対曲げない。
それなら、せめて彼に無理をさせないように自分が見張らないといけないと思い、レオナはロマンに納得させてロゼまでついてきたのだ。
それなのに、彼を見張るどころか気遣わせるなんて――。
レオナはふて腐れたように、ロマンから一歩距離を取った。
しかし、その距離を埋めるようにロマンがレオナの手を取った。
レオナは目を丸くしてロマンを見上げる。
「人が、多いからね」
ロマンは何でもないようにさらりと言って、レオナの前を歩く。レオナは、呆けたような顔をして、その背中を見つめた。柄にもなく頬が熱くなっている気がする。
――何をあたしったら、こんなときに……。
レオナは突然浮上した妙な気持ちを振り払うかのように頭を横に振った。
そして本来の目的を、改めて見つめ直す。
「ブランカ……見つかるといいわね」
そのために、ここでもきっとロマンは無理をするだろう。だから一刻も早く自分が彼女を見つけて、この人探しを終わらせてやるんだ。レオナは強く意気込んだ。
ちょうど、そんなときだった。
アルトロワ広場で発砲事件が起きたのは――。
「おい、そいつらを先にフラウジュペイ軍本部へ連れて行け! 早く行け!」
ヴォルフの叫び声に、彼の部下たちは拘束していた戦犯たちをワゴン車に押し込んだ。
アルトロワ広場は完全にカオスと化していた。
ステージ上で見せ物にされていた戦犯たちとショーに参加していたダンサーたちを拘束しようと駆け巡る軍人。発砲犯を追い掛ける警察。尚も何処かから飛んでくる流れ弾に、人々はあちらこちらへと逃げまどっていた。出ていた露店も、人の波にもみくちゃにされて、もはや祭りどころではなかった。
そんな混沌の中で、ヴォルフはブラッドロー兵を指揮していた。
「ノール中尉、彼らはどうしますか?」
後ろから部下の一人が尋ねてきた。彼は他の同僚と共に担架に乗った人物を運んでいた。彼らの後ろには、同様に担架を運ぶ部下の列が三、四続いている。いずれも銃弾を受けた戦犯たちと、ジルヴィアが横たわっている。
ヴォルフは頭から血を流すジルヴィアの顔を、苛立たしげに眺めた。
「……とりあえず、そいつらもフラウジュペイ軍本部へ連れて行け。死人とは言え、大事な情報源だ」
それを聞くと、部下たちはアルトロワ広場に乗り入れていたワゴン車に、彼らを次から次へと押し込む。ステージの方を見れば、フラウジュペイ軍が残りの戦犯たちとショーの参加者たちを、これから運ぼうとしているところだった。
ヴォルフは戦犯たちの番をしている部下に先に出発するよう指示を出すと、他の部下を数名に命令してアルトロワ広場を見回らせた。自分も同様に見回る。
いつの間にか銃弾が飛んでこなくなった。警察が捕まえたのだろう。
考えながら、苦い気持ちが湧き起こる。
――クソッ。余計なことをしやがる。
同じことを、彼の上司も思っただろう。今回の事件はいろいろな問題が起きていた。
そもそもあのステージショーは、レティヤン祭りの元々のスケジュールにはなかった。つまり、完全にゲリラだった。
しかし、ヘルデンズ軍元幹部がレティヤン祭りで見せ物にされるという情報を、ヴォルフは前日から掴んでいた。『反ダールデモ』グループに潜入させた部下がいち早くその情報を掴み、彼やブラウン少佐に報告していたのだ。ヴォルフはすぐにその情報をフラウジュペイ軍に持っていった。友好国とは言え、他国で率先してブラッドロー軍が動くわけにはいかないからだ。
だが、フラウジュペイ軍の幹部は、ヴォルフの言うことを真に受けなかった。彼らは最初、ヴォルフを見るなり露骨に不快そうにし、そして彼の拙いフラウジュペイ語を鼻で笑った。これがブラウン少佐が言っていたのであれば違ったのかもしれない。ヴォルフはアジェンダ人という理由だけで、フラウジュペイ軍の幹部たちに受け入れてもらえなかったのだ。
――どいつもこいつも下らない慣習にこだわるばかりで、使えないヤツが多すぎる。
若い世代は人種など気にしない者が多いが、上の人間がそんな様子では勝手に動くことも出来ない。お陰で今回は守備が悪すぎた。フラウジュペイ軍が動くのが遅すぎたのである。一応ブラッドロー軍も動かしていたが、派遣兵も数が知れていた。
もう少し早く動いていれば、ジルヴィアを生きたまま捕らえられたのに――。
流石に彼女については予想外ではあったが、今回の失敗はそこに尽きる。
何せ彼女は、彼らの目的には最重要な参考人だった。心の底から憎い男の血を引く者とはいえ、決して殺してはいけなかった。デモ隊が彼女を撃たなければ、もしくはその前に軍が動いていれば、一気に目的に近づけたかもしれなかったのだ。
ヴォルフは苛立つ気持ちを抱えながらアルトロワ広場を歩き回った。
すると、祭りの端の方で固まっている一般人の会話が、彼の耳に飛び込んできた。
「さっき……ダールベルクの娘の子供、いなかった……?」
「あんたもそう思ったのかい? あたしも聞いたんだよ、『お母さん』って叫ぶ声をさ」
「でもさっきはかなり人で混乱していたし、別の人を呼んでいたんじゃないのか?」
ヴォルフは反射的に会話の方を振り返った。話していたのは三人の中年男女だった。
「今の話、詳しく聞かせてもらえませんか?」
ヴォルフが大股で彼らの方へ近寄りそう言うと、彼らはぎょっとした様子でお互いに顔を見合わせた。それはヴォルフが軍服を着ていなかったせいで混乱させてしまったのだが、彼がブラッドロー軍の人間だということを理解すると、彼らは話し始めた。
「その……さっき私たちは前の方でステージを見ていたんです。で、あのダールベルクの娘が殴られるたびに叫ぶ声が聞こえたんです」
「あたしも撃たれたときに『お母さん』って言っているのを聞きましたよ。若い女の子の声でしたね。あんたも聞いただろう?」中年女性の一人が、男性に同意を求める。
「一応は……。人混みの中で何回か同じ声がそう言っているのは聞こえました」中年男性は、かなり自信なさげに答えた。
「その娘の姿は見ましたか?」
ヴォルフはすかさず質問を重ねるが、三人はお互いに顔を見合わせるばかりだ。そして一人一人、ぽつりと情報を落とした。
「人も多くてよく分からなかったけど……肩くらいの茶色の頭だったと思う……」
「顔はちらっと見えた気がしましたけどね、あのダールベルクの娘とは似ていなかったような……目は濃い緑色、ほっぺが赤かったのは良く覚えています」
「二人ともよく見ているなあ……。俺はワンピースを着ていたくらいにしか覚えていない」
三人は自信なさげに答えるが、ヴォルフはそれだけの情報で心当たりがすぐに頭に浮かんだ。何故ならヴォルフは、そんな姿の娘をこの事件の前に見ていたのだ。
正午過ぎ、レティヤン祭りを見回ろうとアルトロワ広場を歩き回っていると、ちょうど広場の外の道路で停まった車があった。なかなかの高級車だなと彼が何気なく見ていたとき、後ろの席に座る人物に、目が釘付けになった。
茶色のセミロング、赤い頬、深緑の瞳、ワンピース――とは分からないが質のいい洋服。まさにこの三人が話しているような娘がそこに乗っていたのだ。
――まさか、本当にあの娘なのか?
確かに彼女もジルヴィア・ダールベルクとは似ていなかった。しかし、ヴォルフは一目見てピンと来たのだ。
彼女こそ、ヴォルフ達ブラッドロー軍が探し求めている少女だと――。
プラチナブロンドの髪に薄萌葱色の瞳をした少女。六、七年前の写真だけを手がかりに、いくら似たような娘を調査し見比べ合わしてみても、どれも何処か違っているようで判別しかねていた。
だが、彼女に関しては、瞬間的にぴったりだと思ったのだ。
手がかりの写真とは髪色も瞳の色も顔の雰囲気も違っていたのに、どうしてそう思ったのか自分でも不思議だ。あまりに直感的すぎて、説得力もないし自信もない。結局どこの娘かも分からないし、流石に彼の上官でもこれは信じてはくれないだろう。
――しかし、仮にそうだとすれば、ヤツも生きていたんだな……。
ヴォルフはぎりっと歯を鳴らす。心の奥底に燻る憎しみが、今にも溢れ出さんばかりだ。
しかし、彼の憎しみは燻ったままで、実際には込み上げても来なかった。それを表すかのように、彼の拳は握られてはいない。
何故ならヴォルフは、その高級車に乗っていた彼女に、また別の人物を重ねてしまっていたのだ。
「あれ? ヴォルフさんじゃない?」
「本当だ。もしかして仕事中かな」
不意に、彼の思考は止められた。聞き覚えのある声に、ヴォルフは声のした方を振り返った。
アルトロワ広場の入り口からこちらを見ているのは、ダムブルクにいるはずのロマンとレオナ。二人は余所行きの格好をして、旅行鞄を手に提げていた。
二人はアルトロワ広場に踏み込み、彼の元へ寄ってこようとするが、ヴォルフがすかさずそれを止めた。
「二人とも、ここは危険だから、早くどこかへ移動しろ」
ぴしゃりと短く言うヴォルフに、レオナは目を丸くし、ロマンは眉をひそめた。
「……ロゼ中央駅から物々しかったけれど、ここは一段と兵隊が多いね。何かあったのかい?」
「発砲事件だよ、発砲事件。ダールの連中が撃たれたんだ」
答えたのは、ヴォルフが尋問していた三人のうちの一人だ。ロマンもレオナも目を見開き息を呑む。そしてロマンは、「そら見ろ」と言わんばかりの厳しい視線をヴォルフに送った。ヴォルフはそれをあしらうように手で払った。
「俺はこれが仕事だからいいんだよ。それより、お前たちはどっか行け」
「仕事?」
聞き返したのはレオナだった。あらかた状況を把握していそうなロマンに対して、彼女はずっと置いてけぼりを食らったような顔をしている。それを見て、そういえばダムブルクの人間にはヴォルフが軍人であることは言わなかった気がする。だが、ゆっくりそれを説明している時間もない。
「とにかく、今日は早くホテルかどこかに閉じ籠もっていた方がいい。まったく、何でこんな時期にロゼに旅行に来るんだか」
ヴォルフはきょとんとするレオナを無視して、その場を切り上げようとした。こんな時でもなければゆっくり相手をしているのだが、状況が状況なだけにヴォルフの言い方もかなり素っ気なくなる。
しかし、それを今度はロマンが止めた。
「待って、ヴォルフ。きっと仕事で忙しいだろうけど、もし見かけたらでいいんだ。ロゼの街中のどこかでブランカを見たら、ここに連絡をして欲しい」
ロマンはジャケットからメモを取り出し、ヴォルフに渡した。そこには彼らが泊まるであろうホテルの連絡先が書かれていた。
ヴォルフはそれを受け取りながら、目を丸くする。ロマンは彼の内心の疑問に答えるように続けて言った。
「ずっと帰って来ていないんだ。君がダムブルクを経ったあの日以来、ずっと」
「何だと?」
それからロマンはブランカの失踪について簡単に説明した。二週間前に町の人も知らない男性に連れられて以来連絡も一度もなく、まったく帰ってこないこと。ダムブルクとロゼの間の町を全て当たったが、どこにもいなかったこと。そのため、二人がこうしてロゼにやってきたことなど、聞けば聞くほどヴォルフの眉は顰められた。
「――なるほどな。それで言うと、実は俺も似たようなヤツを見かけたぞ。西地区のワーズ街で白いおかっぱを見かけた。見間違いかと思っていたが、もしかするとそれかもな」
「西地区のワーズ街……そうか、あんなところに……」
ヴォルフの言葉に、ロマンは何か独り言を呟く。彼としても何か心当たりがあるようだ。
すると、レオナが質問を重ねた。
「ヴォルフさんがブランカを見たのはそれだけ?」
「あぁ、そうだな。それ以外にも一回――……」
言いかけて、ヴォルフは言葉を切った。それはヴォルフとしても整理の付いていない事項だった。
ヴォルフは誤魔化すように咳払いした。
「悪いが俺はもう行かないといけない。後で時間が出来たらブランカのことについて電話するよ。じゃあな」
訝しげに見つめる二つ分の視線から逃れるように、ヴォルフはアルトロワ広場の見回りに戻った。
彼の頭の中は、更に混乱し始めていた。
――マジか。
まさかブランカの家出が続いているとは思わなかった。
確かにロマンたちに言ったように、今週の初めに、西地区ワーズ街の銀杏通りで、よく似た人物を見かけていた。あの白髪は見間違いようもないが、そこにいるはずもないと、ヴォルフはそれを他人の空似だったと結論づけた。
だが、それならまだいい。家出自体は問題だが、あれがブランカだったことには納得だ。
彼の頭を混乱させていたのは、別の件だった。
正午過ぎにアルトロワ広場の前に停車した高級車に乗っていたあの娘――。茶色のセミロングに赤い頬、深緑の瞳をしたあの少女は、ヴォルフがブラッドロー軍として探し続けている少女にぴったりだった。
しかし、何故か同時にブランカにもしっくり重なった。
髪の色も長さも顔の雰囲気もまるで違うのに、ヴォルフは瞬間的に一人の人物から二人の少女を連想していたのだ。
――一体どういうことだ?
仮にブランカが家出から戻っていたのなら、後者の方はヴォルフの気のせいで済ませられた。だが、実際彼女はロゼで見かけられているし、気のせいにしては似すぎていた。
ヴォルフは頭を抱える。
これ以上考えてはいけない気がしてきた。嫌な予感が脳裏を過ぎるがそれはあり得ない。
ヴォルフは頭を一度リセットし、部下の集まるところに向かった。
すると、途中で見知った警察が、ヴォルフに向かってフラウジュペイ式の敬礼をした。
「お疲れ様です、ノール中尉。今回はお手柄でしたね」
そう言って並んで横を歩くのは、今回の仕事の協力者の警視正ニコラ・マルシャン。オレンジと金色を掛け合わせた色合いの髪をいつものように後ろに撫で付けているその男は、実直で真面目そうな様子の割に、嫌味とも取れる言葉を掛けてきた。
――これはわざとなのか?
喉に出掛かった苛立ちを、ヴォルフは寸で飲み込んだ。
「いや、今回は明らかに失敗です。せっかくの獲物を死なせてしまいましたからね」
「ですが、あなたが事前に知らせていなければ、我が国の軍も動くのが更に遅れたでしょうし、警察は動けもしなかったでしょう。悔やむなら、上の人間の不始末です」
さらりと自国の軍と警察を批判するマルシャンを、ヴォルフは横目で流し見た。同じ仕事を共有しているとは言え、他国の人間の前でそんな話をするなど、どういうつもりなのか。単純に思ったことを言っているだけなのか、ヴォルフがどう答えるか試しているのか。
そのように穿った目でこの男を見てしまうのは、おそらくヴォルフが彼を信用していないからだろう。
その不信感に、ヴォルフはふと全く関係のない懸念事項を彼にふっかけてみた。
「――そういえば、マルシャン警視正のご実家って西地区のワーズ街ですか?」
「そうですが……何故?」
「先日あの付近でジルヴィア・ダールベルクを探しているところに『マルシャン』と表札の付いた家を見かけたのです。もしかしてと思いまして」ヴォルフは全く白々しく無関係な話を続けた。
「それでこの前ちらっと見かけたんですが、ご実家に白い髪の女の子っていませんか? 顔に火傷のある子」
ヴォルフは半ば挑むような視線をマルシャンに送った。彼はちらりとその視線を受け取るが、「さぁ」と肩を竦めた。
「最近実家に帰っていないので分からないですが、母が近所の子でも連れ込んでいるのかもしれませんね」
彼はそれだけ言うと、タイミングよく掛かった集合に応じて警察部隊の方へ去っていった。
ヴォルフはその後ろ姿を睨み付ける。
マルシャンは嘘を吐いていた。
ジルヴィアの目撃報道がなされて以来、ヴォルフは西地区ワーズ街を一日おきに見回っていたが、彼はそこでマルシャンを三回以上は見ていた。実家から出てくるところも見ている。
そしてヴォルフの見たブランカは、まさにマルシャンの実家から出てきた。仮に出会したことがなかったとしても、あんなに特徴ある子の話を聞いていないはずがないだろう。
肝心の問題はまだ解決されない。
だが、この件に関しては、ロマンの話を合わせても、彼は後ろ暗いものがあると、ヴォルフは睨み付けていた。
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