5.アルトロワ広場

「おや、今日も可愛くしてもらったね。君はすっかり叔母さんのお気に入りだ」

 ブランカがロゼに来て二週間が経ったある日の昼。

 ランチに向かう道中でフィルマンを拾いに行くと、彼は後部座席に座るブランカを見てにこやかに言った。ブランカは曖昧に微笑んだ。

 先日、カミーユの実家に行ってからというもの、カミーユの母はブランカを着飾らせるのにすっかり夢中になってしまったらしい。それだけならいいのだが、息子や甥にうるさく強請るものだから、その日から午前中はカミーユの実家で過ごすことになったのだ。

「しかし、どうして白い髪を隠すかな? そのままでもいいのに」

 フィルマンが不満そうにブランカの髪を触った。

 今のブランカは肩口まで伸びるウェーブのかかった栗色のウィッグをかぶっている。カミーユの母が無理矢理着けた物だ。

「でも……お陰で目立たなくなりましたから……」

 ブランカは伏し目がちに、ウィッグの裾を弄んだ。

 最初こそは戸惑ったものの、カミーユの母にあれこれと変装させられるのは、ブランカにとってむしろ好都合だった。何故なら西区ワーズ街の様子を探れるからだ。

 毎朝カミーユの実家で変装すると、ブランカはオーベルの散歩を口実に、ワーズ街を歩き回った。カミーユも一緒ではあったものの、流石に最初はデモ隊に自分の存在を気付かれるやしないかと冷や冷やしたが、ブランカを気に留める人は一人もいなかった。

 そうでなくとも、白い髪はただでさえ人目を集めていたので、ストール無しで歩ける頭は少しだけブランカに安心感を与えていた。

 もっとも、ブランカが目立たなくなったのは髪だけではない。

「まぁ、叔母さんの化粧の腕は素晴らしいけれどね」

「ええ、私も毎朝見るたび驚かされます。これなら火傷の痕も目立ちませんしね」

 意見の一致した二人は満足げに頷いた。

 カミーユの母は、両頬がほんのり赤く染まった年頃の娘のような化粧をブランカに施した。右は火傷の赤色をフェイスパウダーで薄め、左は右と同じ色になるようにチークを塗られている。これは何とかブランカがカミーユの母にお願いした結果だった。

 最初、彼女はブランカの右頬の火傷を完全に隠そうとしたが、それで出来上がりかけた自分の顔が記憶の中の母の顔とそっくりだったので、慌てて路線を変更してもらった。それでも昔の自分の面影と母の顔を足して二で割ったような顔にはなったのだが、最終的に黒いアイラインとマスカラをしてもらったお陰で、そのどちらからも遠ざかった仕上がりになった。

 これでようやくブランカは外を歩いても平気になったのだ。

「うん、私はこの方が好きだな。まるで恋している女の子のほっぺたみたいで、可愛らしい」

 フィルマンは満足そうにブランカのほんのり赤く染まった左頬を触った。

 ただでさえ慣れぬ行為なのに、更に馴染みの薄い単語が飛んできたので、ブランカはぱちくりと数度瞬きをする。そしてみるみる間にブランカの顔は赤くなった。

 フィルマンは楽しそうに笑った。

「おやおや! 可愛らしい反応をするねえ! さては誰か恋人か、好きな人でもいるのかな?」

「いえ……そんなことは……」

 言い淀んで、ブランカは顔を伏せた。

 好きな人、と聞かれて頭に浮かぶのは彼しかいない。

 たった二日間一緒に過ごしただけの、ヴォルフ。

 ブランカの白い髪と右半身の火傷を『生きてきた証』と言って、当たり前に触れてくれた人。白い髪は隠さざるを得なかったが、右頬の火傷を完全に隠さなかったのには、彼の言葉も関係していた。

 強引だけど、真面目に向き合ってくれる誠実さ。心強い言葉は、不思議とブランカの気持ちを溶かしていった。

 生まれて初めて心から惹かれた人。

――だけど……。

 そこまで考えて、ブランカの気持ちは沈んでいった。

 この恋は叶わないのだ。否、叶うのを望むことすら許されないだろう。

 ヴォルフはヘルデンズ人だった。同時に彼はアジェンダ人で、『人種の美化活動』の犠牲者だった。それなのに彼はヘルデンズ人を許し、同郷のブランカを肯定した。

 その彼の民族を、幼いブランカは侮辱した。祖父の所業を、アカデミーの課題作文とはいえ、全力で応援していた。

 そんな自分が、どうして彼との恋を望めるものか。考えるだけでもおこがましい。第一、彼はクラウディア・ダールベルクをひどく憎んでいるのだから、それ以前の話だ。

 赤くなったブランカの顔が、一気に曇っていったのがルームミラーで見えたのか、カミーユが話題を逸らした。

「そうそう、忘れていました。今日はアルトロワ広場でレティヤン祭りが開催されているのでした。ランチが終わったら回ってみるのもいいですね」

 彼がその話題を振ったのは、ちょうど車がその前で停止したからだろう。ロゼの一番の中心とも言えるアルトロワ広場は、沢山の屋台やマーケットが広がっていて、沢山の人で賑わっていた。

「そうだね、是非そうしよう。せっかくブランカを可愛くしてもらったのだから、室内にばかりいずに、太陽の下も歩かないとね」

 フィルマンはくすりと笑ってブランカを流し見た。ブランカは気恥ずかしくなって、窓の外に目を向けた。

 そのとき、ブランカはふと思った。

 そういえば、フィルマンとカミーユも、ブランカの白い髪と赤い火傷について否定は一切しない。むしろフィルマンに至ってはヴォルフと同様に肯定してくれた。

 しかし、ヴォルフに対して熱くなった心は、彼らに対しては何の反応もしなかった。

 圧倒的に彼らの方が一緒に過ごしている時間は長いはずだ。それなのに、毎日何度も掛けられる歯の浮くような台詞にただ困るだけ。

 ヴォルフが初恋だったからなのか、同郷だからなのか。単に年齢の違いもあるかもしれない。

 それとも、何か別の、生理的な理由からか――。

 そんなことを考えていたからか、ブランカはアルトロワ広場の人混みの中に、見知った人が見えた気がした。

――あれ、ヴォルフ……!?

 背の高い鳶色の髪は見間違うはずがない。

 彼は、ダムブルクで見たラフな私服とは違って、黒いスーツに身を包んでいた。

 しかし、一体どうしてこんなところに?

 ちゃんと確認しようとじっと観察するが、間もなく車が発車したのでそれは叶えられなかった。



 アルトロワ広場近くにあるホテルのレストランでランチを済ますと、三人はそこから徒歩で広場のレティヤン祭りに向かった。

「君は知っているかな? レティヤン五十年戦争ではここでフラウジュペイ軍がマグナストウ軍を打ち負かし、二百年前の革命ではここで時の権力者が断頭台の餌食になったんだ」

 広場に立っている建造物のいくつかを指差しながら繰り広げられるフィルマンの解説を聞きながら、そういえばそんなことをつい最近習ったと、ブランカは漠然と思う。

 フラウジュペイ史の教科書を開くと、事あるごとに出てくるアルトロワ広場。近くを走るアルトロワ川からその名をもらったこの広場は、フラウジュペイのあらゆる歴史の中心舞台だった。

 今ではロゼの観光名所の一つであり、今日もこうして祭りが開かれているが、一世紀前までは当たり前に争いが繰り広げられた場所だった。

 フィルマンの説明を聞きながら視線を巡らすブランカの横で、カミーユが「そうそう」と会話に割って入ってきた。

「ここは先の大陸戦争の末期に、フラウジュペイ政府がヘルデンズ軍に降伏文書を受諾させたところでもありますね」

 瞬間、ブランカは思わず顔を凍り付かせた。

 そういえばそうだった。その報告を、ブランカは昔リアルタイムで聞いていたから覚えている。

 ロゼの南西隣に位置するヤンクイユ付近の疎開先で、その報告を聞いた。フラウジュペイからヘルデンズ兵がいなくなったら自分たちはどうなるのかと、その恐怖に母と朝まで抱き合っていた。

 それでも祖父が自殺する二ヶ月後までは、ブランカ達はそこに居続けられたのだが――。

「よそう。流石にその話はここではやめた方がいいだろう。変な輩を呼びかねない」

 フィルマンが厳しい口調で注意すると、カミーユは「すみませんでした」と頭を下げた。しかし、どことなく二人の雰囲気は陽気に見えた。

 ブランカはふと思った。

――この二人はフィンベリー大陸戦争で誰か大切な人を亡くしたりしていないのだろうか。

 ロゼは戦場にはならなかったが、男性はヘルデンズ軍に従軍させられたはずだし、女性もヘルデンズ軍に強姦され多くが自殺した。いつ人が亡くなってもおかしくない状況だったはずだ。

 しかしこの二人からは、戦争犠牲者によく見られる悲壮感が感じられなかった。実際はどうなんだろう?

 少し考え始めてから、ブランカはその思考をすぐにやめた。考えたところで答えが出るわけでもなく、尋ねるにしては野暮な内容だ。その答えを聞いたところで、ただ自分の首を絞めるだけである。

 ブランカは小さくため息を吐いて、レティヤン祭りのマーケットを練り歩く人々に視線を移した。

 市街地のあちこちで起こっているデモの物々しさとは一転して、ここはとても穏やかだった。勿論祭りの騒々しさはあるが、みんなにこやかでとても平和だ。

 その中で、ブランカは三人組の家族を見つけた。

 母と、子供と、老人。三人とも、とても幸せそうに露店をあちらこちらと見て回っている。

 ブランカはきゅっとワンピースの裾を掴む。

――お母さん……。

 カミーユの実家に行ってから毎朝ブランカは西地区ワーズ街を探ってはいるのだが、母のような人は遂に見つからず、デモ隊の話を盗み聞いても新たな情報は得られなかった。

 一体どこにいるのだろうか。どこかで無事でいてくれるならそれが一番だ。

 だけど、出来るなら自分が見つけ出したい。母に会って抱きつきたい、抱きしめてもらいたい。

 そして――。

 そのときだった。

『ピンポンパンポン――紳士淑女の皆さんデームズ・エット・メッシューレス、本日はレティヤン祭りにお集まり頂き誠にありがとうございます。さて、本日はお集まりの皆さまに更に楽しんでいただこうかと、中央ステージにてスペシャルサプライズなショーをご用意しました! 間もなく始まります! 皆さま是非、中央ステージにお集まり下さい!』

 陽気なアナウンスが、アルトロワ広場全体に響き渡る。周りにいた人達は一体何が行われるのかと、興味津々の瞳で中央ステージへと流れていく。

「何だか面白そうだね。私たちも行ってみよう」

 言うが早いか、フィルマンはブランカの腕を掴んで、中央ステージの方へ向かった。

 ちょうどブランカ達がいたところから中央ステージまでは五十メートルくらいの距離だったので、三人はするすると人の間を抜けて一番前に辿り着けた。それでも後ろを振り向けば、アナウンスから五分も経っていないのに、中央ステージの周りは人で埋め尽くされていた。

 間もなくスピーカーから音楽が流れ、ステージ場に沢山の人が現れた。

「はーい、皆さま、お待ちかね! いよいよショーの始まりです! まずはこれをご覧あれ!!」

 煌びやかな衣装に顔の原型が分からないような化粧をした司会の男性がステージの中央に勢いよく手を伸ばすと、壇上に上がっていた人たちが音楽に合わせて一斉に踊り始めた。

 彼らは司会と同じような煌びやかな衣装を思う存分揺らしながら、身体全体を使って派手にステージを動き回る。アクロバティックな動きでダンスが終わると、観客は盛大な拍手を彼らに送った。

 再び司会がステージの真ん中に立った。

「さて、これから皆さまにお見せするのは、とても利口だけどちょっぴりおかしな動物たちです! さあこちらへ!」

 司会の合図と共に、先ほどのダンサーたちが鎖の繋がれたサルや小熊、キジやクジャクなどを壇上に連れてきた。

 ダンサーが指示を出すと、サルはフラフープを腰に回しながら壇上を歩き回り、小熊は器用に一輪車に乗りながらジャグリングをする。次から次へと動物たちはステージに現れ、一芸を披露しては観客を喜ばせ、沢山のコインをステージの周りから集めた。

 司会は恭しくお辞儀をした。

「さあて! いよいよこれからが本番です! 今日お集まり下さった皆さまはとても運がいい! 今日この日この場所で! 新たな歴史の一ページが見られるのですから!!」

 やけに大袈裟なパフォーマンスをして司会が大きく手を振りかぶる。

 すると、壇上に上がっていた動物たちが舞台裏にはけ、そして――人が出てきた。

「な……っだっ誰だあれは……っ」

 周りにいた人たちが、一気に騒然とした。

 これにはブランカも動揺した。

 ステージに上がってきた人たちは、何故かみんな囚人服を着せられ、両手首には枷が嵌められていた。

「皆さま、この者達をご存知でしょうか! この者達は十一年前に我らがフラウジュペイに土足で入り込み、数々の悪逆非道を尽くした蛮族ヘルデンズのリーダー共です!!」

――そんな!

 ブランカは瞬間的に後ずさった。しかし後ろに立っていたカミーユにすぐにぶつかったので、そこから後ろへは行けなかった。どのみち、ステージを囲う人の壁を押しのけることは出来なかっただろう。

 それまでは和気藹々としていたはずの観客は、どの人も不愉快そうな雰囲気を露わにしていて、殺気や怒気を漂わせる人も少なくなかった。

――ここにいてはいけない……!

 そう思ってフィルマンにお願いしようするが、司会の声に遮られた。

「そしてそして! とっておきのサプライズが、こちらです!!」

 舞台の裏から、新たに人が現れた。

 その人を見て、ブランカは心臓が凍り付く。

――まさか……!!

 後ろに垂れ流した清らかなプラチナブロンド、虚ろに伏せた萌葱色の瞳。

 首を鎖で繋がれ、太股までしかないシュミーズ姿でステージに登らされたその人は――。

「我々は遂に見つけたのです! この『悪魔の女』、ジルヴィア・ダールベルクを!!」

 忘れるはずがない。

 五年前と変わらぬ若さで現れたその人を、見間違うはずがない。

 ブランカは思わず両手で口を隠した。

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