第2章 ロゼでのダール狩り

1.広がるダール狩り

「ダールは出て行け!」

「卑怯者はフラウジュペイから出て行け!」

 ロゼのあちこちから市民の叫び声が聞こえてくる。

 彼らは国会議事堂やヘルデンズ大使館、政府関係者の屋敷の前を封鎖し、『ダールに与した者は許さない』と赤字で書かれた大きな布を広げては、聞くに堪えない罵倒を上げていた。中には石を投げる若者までいた。

 その様子を、ヴォルフはブラッドロー大使館の二階会議室から眺めていた。

「……まったく、うるさくてかなわん。フラウジュペイの警察も注意するだけじゃなくて、もっと厳しく取り締まるべきだと思うんだがな」

 ブラウン少佐が右隣に並んだ。ヴォルフとよく酒を共にする気の知れた上官だ。彼はブラインド越しに見える光景を、かなり迷惑そうに見下ろしている。

 流石にブラッドロー大使館の前では市民の『反ダールデモ』は行われてはいないが、通りを挟んで向こう側にはフラウジュペイ政府関係の建物が密集しているため、その前で繰り広げられている運動はここからでもよく見える。警察が厳しい注意を呼び掛けるが、完全に頭に血が昇ってしまっている市民は、誰一人としてそれに従おうとはしなかった。

「この一週間ずっとこの調子ですね」

「いや、週初めよりもだいぶおっかないぞ。奴ら、民間人にまで手を出し始めたからな。トネリコ通りのヘルデンズ料理店もそれで潰れたらしいし」

 上官から聞かされる話に、ヴォルフは目を見開いた。

 五日前から始まったこの『反ダールデモ』運動は、ダール体制時代にヘルデンズ軍に媚びていたフラウジュペイの政治家と、ロゼ市内に潜伏しているダール体制時代のヘルデンズ軍元幹部及びそれを匿った人たちの摘発を目的としていた。前者はこの五日間で二十余名がその疑いを掛けられては政治活動を妨害され、後者は二十人以上の該当者が芋づる式に見つかりデモ隊のメンバーに拘束されている。

 しかし、今の話が本当ならば、ダール政権派の人間だけでなく、ただのヘルデンズ出身者やヘルデンズ関連の仕事に従事している人たちまで対象が広がっているということだ。

「もはや『ダール狩り』の領域になりつつあるな」

「『ダール狩り』どころか、これでは『ヘルデンズ狩り』だ。見境がなくなってきています」

 正直ヴォルフとしては心が痛くなる光景だ。

 市民がダール政権派の人間を憎む気持ちはとてもよく理解できる。フィンベリー大陸戦争の間、フラウジュペイの中でも唯一ロゼは戦場にはならなかった。だが、ヘルデンズに占領されていた時のロゼでは、多くの他の地域と同じように、ヘルデンズのために働かされ、ヘルデンズ軍に搾取されていた。

 男たちはヘルデンズ軍に入隊させられては望まぬ戦いを強いられ、女子供は食糧不足に悩まされながら一日中働かなくてはいけなかった。従わなかった場合は言うまでもない。市民が怒りの声をあげるのも当然だ。

 しかし、全てはマクシミリアン・ダールベルクと、その周辺が繰り広げたことだ。一般のヘルデンズ人に罪が全くないとは言わないし、ダール政権が優勢だったときには調子に乗ったヘルデンズ人がいたことも確かだが、その制裁は連合軍の攻撃によってきちんと受けたはずだ。

 それなのに、今またそんな末端の人たちまで吊し上げようというのだろうか。

「フラウジュペイ人にとってヘルデンズ人もダール政権派も同じなんだろう。むしろ、違うと思っているのはヘルデンズ人くらいのものさ」

 ブラウン少佐が、ぽんとヴォルフの肩を叩き、会議机に向かっていく。

 ヴォルフは何も言えなかった。

 少佐の言うことはもっともだ。今やどこに行ってもヘルデンズ人と言うだけで忌避される。ヴォルフもアジェンダ人でなければブラッドローにも受け入れてもらえなかっただろう。五年前まで続いた戦争の傷跡は、そう簡単には消えやしないのだ。きっとヴォルフも被害国の人間であったなら、彼らのようにヘルデンズを悪く考えていただろう。言い換えれば、彼の中のヘルデンズ精神が、それを嘆かわしいと思ってしまうのは致し方のないことだ。

――ヘルデンズ精神、か。

 そんなもの、アジェンダ人であることの前には何の役にも立たなかったというのに――。

 その時、会議室の扉が控えめに叩かれる。「どうぞ」というブラウン少佐の声に応答して、扉が開かれた。

 入ってきたのは二人の人物。一人は仕立ての良いスーツに身を包んだ四、五十歳くらいの恰幅のいい男。仕事に真面目そうな厳格な顔つきは、同時に人を小馬鹿にしているようにも見える。

 そしてもう一人は、こちらも身なりの良い格好をした三十前後の男。オレンジと金髪を掛け合わせた色合いの髪を後ろに撫で付けて、いかにも『出来る男』風に見えるが、その表情はどこか気弱そうだ。

 二人とも左手に書類を抱えつつも、右手には警察手帳を示していた。フラウジュペイ警察の者だ。

 彼らを認めると、ヴォルフはブラウン少佐の横に並び、二人してブラッドロー式の敬礼をする。同時に警察の二人もフラウジュペイ式の敬礼を行うが、特にヴォルフを映し出す年配の方の瞳には、微かな蔑みが含まれていた。

「――依頼されていた件ですが、少しばかりお時間をお掛けしましたことをお詫び申し上げます」年配の警察が形式的に頭を下げた。

「そんなことは構いません。で、早速だがお見せ願いますか?」

 ブラウン少佐が微かに顎を動かすと、警察の二人は脇に抱えていた書類を机の上に広げた。

 その中でまず若い方の警察が差し出したのは、数十枚に及ぶ名前のリスト。一番左端にフルネーム、そこから右に行くにつれて現住所、生年月日、血液型、出身地、人種系統、髪色、虹彩の色、親の名前と家族構成が記されている。

 全てロゼ市内に住んでいる十四歳から十八歳の女子についての情報だ。

「初めに確認ですが、こちらは以前同じものをお二人にお渡ししたかと思います。今回依頼されていたのはそのうちの十三名、ということで間違いないでしょうか?」

 若い方の警察が、目線をこちらに向けながら、広げたリストのうちの何箇所かに印の付けられた項目を、それぞれペンで指し示した。それらに共通しているのは、戦後に新たに戸籍登録された西フィンベリー系(フィンベリー大陸中央より西側によく見れる系統)であることと、虹彩が緑色であることだった。

 ブラウン少佐が「それで?」と先を促した。

「そちらでも改めて調査を進めていただきたいですが、依頼されていた十三名について、こちらで簡単に調査した結果がこちらになります」

 次に若い警察は手元に束ねて置いていた別の書類を広げた。それは先ほどこの若い警察がペンで示した人物についてのより詳しい情報が、それぞれ複数の写真付きで綴られていた。

 ブラウン少佐が最初の数ページを眺めていたので、ヴォルフは次の数ページに目を通す。予め手元に用意してあった五枚の写真と見比べてみる。およそ六、七年前に撮られたあどけない顔は、警察が差し出した写真よりもぼやけていて不鮮明であるし、髪色が違うため雰囲気が違って判別しにくいが、それでも半数の調査書がヴォルフ達の手元に残った。

 ブラウン少佐は顎を手に載せながら唸った。

「ノール、どう思う?」

 残った六名の調査書が全てヴォルフの前に置かれ、彼に視線が集まる。その中でも、年配の警察の視線が鋭く刺さる。ヴォルフはそれを受け流しながら、六、七年前の写真と件の六名の写真をよく観察し、頭の中で薄れつつある記憶と照らし合わせてみた。

 更に三名の調査書が、彼の手元から離れた。

「……残りの三名も僕は違うように思いますが」

 一応は調べてみましょう、と後に続けたが、彼の言葉の端々には釈然としないものが漂っているようだった。

 そこでようやく年配の警察が、ヴォルフの拙いフラウジュペイ語を鼻で笑うように大袈裟に息を吐いた。

「そりゃあそうです、あれから五年経っているのですから。そもそもロゼにいるとも限らないし、いたとしてもとっくに国元に帰っているでしょうよ」

「ええ、仰るとおりで、今後同様の調査をヘルデンズでも遂行する予定でいます。しかし、ご存知の通り、ヘルデンズの国境は五年前から連合軍が警備していて、通行人の審査を厳重にしています。それに終戦間際、彼女たちがロゼとヤンクイユの間の森林地帯に潜伏していたことは確かで、そこから歩いて辿り着けるところはかなり限られていますからね」

 ヤンクイユというのは森林地帯を挟んでロゼの南西側にある隣町のことだ。この地は戦中は武装地帯ではあったが、ロゼとヘルデンズの首都ノイマールを結ぶ直線上からはかなり逸れるため、過度な戦闘が行われず、比較的危険度が低いところだった。

 しかし、この説明をかれこれ三、四回は目の前の年配の警察にしたはずなのだが、どうにも理解していないようだ。ブラウン少佐はやれやれと内面では思いながらもそれを表には出さず、やんわりとした様子で説明した。

「しかし、話を蒸し返すようですがね、ダールベルクが自殺したときに、オプシルナーヤの将校が殺したって話ですよ。生きているかも分からないわけです」

 どうにも年配の警察はめんどくさそうな雰囲気を引っ込めない。

 ヴォルフはまた始まったと内心毒づいた。この一週間、彼らと顔を付き合わして話し合うことが数回あったが、この古狸の警察は毎回途中でこういうことを言うのだ。流石にそろそろうんざりしてくる。

 ブラウン少佐も冷静に彼らと向き合いながらも、机に置いた小指を忙しなく上下運動させていた。

「ですから、死体が確認されていないのです。実際、ジルヴィアの方も殺されたはずだったのに、ここにきて再び目撃されているわけですから」

「だが、この一週間、どれほど張り込みをしても本人は現れません。もちろん私共の捜査が甘いのもありますが、例え私らが見つけられなくともこのデモの中ではそう簡単に隠れられやしない」

 ブラウン少佐が遂に苛立った視線を年配の警察に送った。同時にヴォルフも「この能無しめ」と心の内で詰った。

 確かにロゼのあちこちで起きている『反ダールデモ』もしくは『ダール狩り』の引き金となったのは、突如として浮上したジルヴィア・ダールベルクのロゼ潜伏疑惑にある。五日前の朝刊に大きな見出しで報じられた目撃情報は、一瞬にしてロゼ市民の心に火を付け、一刻も早くその『悪魔の女』を捕まえんがために、多くの市民が立ち上がった。それで得た成果は先述の通りである。

 しかし、いくら目撃情報にあった場所で張り込んでも、捕まえた関係者に問いただしても、肝心のジルヴィア・ダールベルクの居所は掴めないままでいる。

「とりあえず、その件についてはこちらも調査を進めていきますので、何かありましたらご報告よろしくお願いします。また、拘束されたヘルデンズ軍元幹部の引き渡しの方も、確実にお願いします」

 ブラウン少佐は自身を落ち着けるかのように深い息を吐きながら言った。

 それからいくつか懸念事項を確認してから、話し合いは終了した。ブラッドロー大使館の事務員が警察の二人を玄関先まで案内していく。

 再び二人だけになった会議室で、ブラウン少佐は大きなため息を吐いて会議机に乱暴に足を投げ出した。

「あいつは何回同じことを言わせるんだ。そんなにも自分のお膝元を嗅ぎ回られるのが嫌なのか」

「さぁ、いい加減担当を代えてもらいますか?」

 ヴォルフは机の上に広げられたままの調査書をまとめながら、問題の三名の写真をもう一度見比べる。その横でブラウン少佐がタバコに火を付ける。始終苛立った様子だが、しかし彼は首を横に振った。

「いや、あんまり人員を増やしてオプシルナーヤに気付かれるのは良くない――まぁ、もう気付かれているかもしれないけどな。あぁもう、フラウジュペイ放送もなんて余計なことをしてくれるんだ。あれがなけりゃあ、もう少し穏便に遂行出来ていたかもしれないのに」

 上官の愚痴に、知らず調査書を持つ手に力が込められる。

 ブラウン少佐が言っているのは、ジルヴィア・ダールベルクの目撃報道よりも半日早く電波に乗って流れたクラウディア・ダールベルクの作文のことだ。思い出すだけでも腸が煮えくり返りそうなほどのあの忌々しい作文も、ロゼ市民を怒り狂わせていた。

 しかし、この状況はブラッドロー側としてはあまり好ましくなかった。

「フラウジュペイ放送局にオプシルナーヤの人間が紛れ込んでるってことですかね」

「敢えて吊し上げて、市民――いや、国民だな。国民を煽って、慌てて逃げ出したところを捕まえる、という企みなんだろう。しかし、それを言ったら、色んなところにヤツらは潜んでるぞ。フラウジュペイ人が気が付かないところで既に巧みに動かされ始めている。油断は決して出来ないな」

 それを聞きながら、ヴォルフは制服の隠しポケットから二枚の紙を取り出した。

 一枚はジルヴィア・ダールベルクの目撃情報。そしてもう一枚はとある人物の情報が記されている。

 ニコラ・マルシャン。

 最新のカラーカメラで撮られた写真には、実直で真面目そうな顔と、短く整えられた金色とオレンジ色を混ぜたような色合いの髪が映っている――要するにさっきの若い方の警察官だ。

 ロゼ大学の法学部を優秀な成績で卒業。警察庁の採用試験を上位で通過し二十四にして警視、二十九にして警視正に昇格、今年で三十二になる。なるほど、見た目通り真面目過ぎる経歴だ。これだけ見ると何もおかしいところはない。

 しかし、ヴォルフは彼の実家の住所に引っ掛かりを覚えていた。

――ロゼ市西地区ワーズ街の銀杏通り。

 そこは五日前にジルヴィア・ダールベルクが目撃されたところだった。そしてこの五日の間にヴォルフはそこで彼の姿を見ていた。

 まったくの偶然か、それとも何かがあるのか――。

 どれもこれも決定づけるものがないのが、ヴォルフとその上官をもどかしくさせていた。

 目的はただ一つ、机の上に乗ったままの昔の写真の人物――プラチナブロンドに薄萌葱色の瞳の少女だけだというのに。

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