3.不穏な動き

 ヘルネーに降り注ぐ激しい雨は、そこから東に二百キロメートル離れたノイマールにも続いていた。

 未だ倒壊した建物が多く残されているこの街は、郊外や地方の街よりも復旧作業は進んでいるものの、かつての強国時代に比べると廃墟も同然だ。昔の輝かしさの片鱗は、もはやどこにも伺えない。道行く人たちの顔も浮かなく、街全体に淀んだ重い空気が漂っている。天候の悪さが余計にそれを助長していた。

 そんな首都の街を嘲笑うようにして建っているのが、オプシルナーヤ軍西部地区総司令部の建物だ。東ヘルデンズと旧メルジェーク地域の統治と防衛の中枢を担う場であるここは、元はヘルデンズの国会議事堂や中央省が入っていたビルを強奪して建て替えたもので、新築同様の輝かしさをノイマール中央の高台から放っている。まるでそれは街全体を鋭く監視しているかのようでもあった。

 その建物のうち、ギュンター・アメルハウザー大佐は中央棟から南棟へと部下を数名引き連れて移動していた。

 すると彼の後ろを、一人の男が追い掛けた。

「<アメルハウザー大佐! お待ち下さい! どうかお聞き下さい!>」

 オプシルナーヤ語を下手に発音しながらも切実に声を上げるその男は、東ヘルデンズの官僚。オプシルナーヤ軍によって樹立した東ヘルデンズ傀儡政府を構成する一人だ。つまりオプシルナーヤ軍に対して従順であらねばならないのだが――。

「<ただでさえ民間企業の買収の影響で国内に失業者が増える中で、これ以上の増税は何の効果も生まない。ただ国民を苦しめるだけだ。あまりに締め付け過ぎるのは、民衆の怒りを買い、更には国外に流出させることにもなるのですよ!?>」

「<国境警備は強化しているし、今のヘルデンズ人に反乱を起こせるほど気力はない。心配には及ばん。それにヘルデンズ人への救済措置だって提案したはずだ。それをそちらが渋っているから失業者問題が解決しないのだろう>」

 ギュンターは歩きながら男に答えた。その口ぶりには鬱陶しさと苛立ちが滲み出ている。

 しかし男は怯まず食い下がった。

「<救済措置ですって? 軍へ入隊すると安定した衣食住を約束するというキャンペーンのことですか? あんなのは西側侵攻に使える兵を増やしたいだけでしょう。いや、他の政策もその計画のためでしょうが、ヘルデンズの現状をよくご覧下さい。人も国も疲弊しきっている。そんな余裕はありません。それに僅かなりとも癒えてきたヘルデンズ人の傷をこれ以上抉れば、この国はもはや立ち上がれなくなる。とにかく今は軍事政策よりも国内の経済復興に力を入れるべきです>」

「<終戦からそれほど経っていない今だからこそ、使われずに放置されているヘルデンズの男たちを再利用し磨き上げれば強大な兵力となりうる。そして西側侵攻はあくまでヘルデンズ東西統一の第一歩だ。自国の領土が手に戻ってくるならば、多少の負担はつきものであるし、そのために人間が少し減ったところで問題あるまい>」

「<なんてことを!>」

「<何度も言ったが、これは司令部上層会議の決定事項だ。撤回することはない。私も忙しいのだ、早々に諦めて帰りたまえ>」

「<大佐!!>」

 ギュンターが片手を上げると、その男は近くにいたオプシルナーヤ兵に取り押さえられ離れていく。「全く身の程知らずな人もいるものですね」と嘲笑混じりに言う部下の一人に「全くだ」と面倒臭そうに返しながら、ギュンターは目的の建物へと向かった。

 そんなギュンターの背中に、男は尚も叫んだ。

「偽オプシルナーヤ人め! あんたのやっていることはダールと同じだぞ!!」

 ヘルデンズ語で訴えたそれにギュンターはぴくりと眉を動かすが、構わず捨て置いた。激しい雨音も相まって、男の声はやがて消えていく。



 そうして南棟に到着した。

 ここに入っているのは民政局内務部。東ヘルデンズと旧メルジェーク地域における領民の生活と治安維持に関する政策を担当する部門である。その三階奥にある部長室がギュンターの仕事部屋だ。彼のここでの役職は、民政局内務部長だ。

 ギュンターが執務机に着いて一息吐く間もなくドアが叩かれた。返事をするよりも早く参謀長が入ってきた。

「<やあ、昨日復帰したばかりだというのに、相変わらずの働きぶりだ。君の昇格も近いのではと囁く声も大きくなっているよ>」

「<恐縮でございます。我が国・・・の繁栄を思えばこその行いです>」

「<我が国……か>」

 ふんと鼻で笑う参謀長へ、ギュンターは胸に手を当て頭を低くする。その手に巻かれた包帯は袖の中まで続いている。それ以外にも顔や服に隠れているところなど、彼の身体はあちこちガーゼと包帯に巻かれていた。全て十日前の列車爆発テロによって出来た火傷を手当てしたものだ。彼はあれ以来病院で療養しながら仕事をし、ようやく昨日職場に復帰したところだった。本当ならばまだ入院していたかったところなのだが、生憎そういう状況ではなくなった。

 参謀長がゆったりとソファに腰を下ろながら言う。

「<まぁいい。今後の活躍を期待しているよ。ところで君が手に入れた手紙についてだが、情報部が解読した土地を漁ってもめぼしい成果がないことは聞いているかな?>」

「<は……存じております。しかしまだ捜索を始めてから間もないとも聞いております。今しばらく待つ必要があるかと>」

「<その通りだ。そして本当に例のアレ・・が出てくれば、君の手柄は大きい。しかし、もしかすると手紙には何もないのではと疑う声も出て来ている。まだ分からんがね>」

 顎髭をいじりながら鋭い目を寄越してくる参謀長に、ギュンターは苦い表情を浮かべつつも内心で舌打ちした。

 例のアレというのは、ホフマンの爆弾のことだ。

 本来であれば内務担当であるギュンターが預かる仕事ではなかったのだが、しかし彼はホフマン自身が明かすよりも早くクラウディアがその情報を持っている可能性に気が付いた。昔、マクシミリアン・ダールベルクとその周辺が騒いでいたのを思い出したのだ。

 しかし、もしそうだとすると、昔娘を殺したことがオプシルナーヤ軍にとっても――何より自分にとっても非常に都合が悪くなる。またそれと同時に娘の生死も気になり始め、更には業績的な野心もあって、早々にその捜索を開始したのだ。

 そうしてようやく娘を見つけ出し、マクシミリアン・ダールベルクが渡した手紙を持ち帰ったわけだが――。

――まさか違ったというのか?

 あのおぞましい爆発テロに遭いながらも命からがら持ち帰ったというのに、予想外の難航ぶりだ。これで娘が再び捕まれば話は別だが、そちらの捜索も思うように進んでいない。ヘルデンズの東西境界や他の国境警備隊からは何の連絡もないため、未だ東ヘルデンズ内にいる可能性は高いが、それらしい目撃情報すら上がってこない。

 ギュンターの内心の苛立ちと焦りは募るばかりだ。

「<――そこでだ。もし手紙がハズレだとすれば我々は振り出しに戻ってクラウディア・ダールベルクを見つけ出さねばならないわけだが、軍部で秘密裏に捜索するにも限界がある。だから民衆にも協力を仰ごうと考えているんだが、そのことで君に一つ相談があってね>」

「<……と言いますと?>」

「<クラウディア・ダールベルクに賞金を懸けてもいいかね?>」

 ギュンターは目を瞠った。

 参謀長が説明を付け加える。

「<民衆は金に飢えている。たった一人の少女を突き出すだけで大金が得られるとなれば、効果はまあまあ期待できるだろう。もちろん素性は隠すつもりだ。暴動が起きたら厄介だし、何より国内に潜んでいる西側の連中スパイに嗅ぎつけられるわけにはいかんからな。とにかく彼女に危害が加えられない形での公表だ。……しかし、ここに来るまでの間にどんな扱いを受けるかも分からない。だから実行前に君の了承をとっておきたいんだ。彼女は君の大事な・・・娘だろう?>」

 参謀長は目を細めて笑みを濃くした。部下たちには彼女がクラウディア・ダールベルクであることを隠すために使った方便だったが、それが事実でギュンターが元はマクシミリアン・ダールベルクの娘婿だったことを、この男は知っている。

 何故なら彼はダールの幹部であったギュンターをオプシルナーヤ軍へ拾い上げた人物だからだ。生粋のヘルデンズ人であった彼がオプシルナーヤ軍の高官として勢力を伸ばし東ヘルデンズとメルジェークの占領政策に関われるようになったのも、彼の後押しによるものが大きい。

 とはいえ、決して今の地位で満足するつもりもないが。

 ギュンターは大袈裟に肩を竦めた。

「<どうぞ、その点はお構いなく。むしろ市井で揉まれて大人しくなってくれた方がありがたいくらいです>」

「<手厳しい親だ。だが、この件に関しては私も同意しておくよ。我が国に関わる重大問題だからね。しかし彼女が無傷で帰ってきた方が君にとってはいいかもしれんぞ。というのもカバノフコンツェルンの次男が彼女に興味を示しているらしい>」

「<カバノフコンツェルンの次男が?>」

 ギュンターは片眉を上げた。

「<まことしやかに生存が囁かれるクラウディア・ダールベルクがどのようなものなのか、一度見てみたいと言っているとか。あくまで噂だが>」

 カバノフコンツェルンと言えば石油化学関係を中心に広く事業を展開しているオプシルナーヤ有数の大企業だ。占領国にも会社を広げていて、東ヘルデンズや旧メルジェーク地区の占領政策にもかなりの影響力を持っている。

 その東ヘルデンズ支社の社長に、ちょうど先日カバノフ社長の次男が任命されたばかりだ。

「<まことに不思議なことがあるものですな。しかし私の娘はとても人様に見せられたものではない。写真をお見せしたでしょう、醜いのです>」

「<何。そんなのはせいぜい火傷だけの話だろう。化粧すれば隠せるし、今なら手術すれば消せる可能性もある。どうにでもなるさ>」

「<だといいですがね>」

「<最終的にどうなるか分からんがね。そういうことも含めて余計な傷は増やさない方が良い。場合によっては手荒な真似をするだろうが、一応そのように手配するつもりだ>」

「<お心遣いありがとうございます>」

 ギュンターは参謀長に向かって再度頭を下げようとした。しかし完全に下がりきる前に「しかしだ」と参謀長が言葉を続けた。

「<万が一彼女が西側に逃れていたら、彼女の捜索は今よりも更に困難を極めるだろう。果たしてどうしたものか……>」

「<あぁ、それでしたら私に考えがあります>」



 その一時間後。

 参謀長と入れ替わるようにして新たな人物がギュンターの部屋に訪れた。

「この度は大変お世話になりました。また、旅券も用意して頂き、誠にありがとうございます」

 ギュンターの部下に案内されて入ってきたのは、フラウジュペイ訛りの残るヘルデンズ語を話す男。フィルマン・ランベールだ。彼はギュンターに向かって恭しく頭を下げるが、その行為一つ一つに胡散臭さが滲み出ている。

 ふんとギュンターはつまらなそうに彼へ一瞥を寄越した。

「君には我が国の厄介事に巻き込んでしまったからな。旅券はせめてもの詫びだ。それから約束の金だ。フラウジュペイで換金するといい」

 机の上に出された小切手を手に取り、フィルマンはにんまりと瞳を細めた。

 十日前の列車爆発テロに巻き込まれた彼は、ノイマール内にある病院で療養生活を送り、今日これから帰国するというところだ。ギュンターと同じくフィルマンの身体にもあちこち包帯が巻かれているわけだが、新品のスーツと革靴に身を包み悠然と微笑む彼は、どこかこの状況を楽しんでいるようにも見える。

 フィルマンは小切手を大事そうに新品のバッグにしまうと、再び大げさに頭を下げた。

「カミーユについてはしばらくご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願いします」

「構わん。むしろ無事目を覚ましたのは喜ばしいことじゃないか」

「ええ、全くでございます」

 フィルマンの従弟であり彼の仕事の補佐役であるカミーユ・マルシャンもまた先日の爆発列車に乗っていた一人だが、彼の場合はギュンターやフィルマンよりも状態が悪く、生死をずっと彷徨っていた。医師からは絶望的とまで言われていたのだ。

 だが、徐々に身体の機能が回復し始め、昨日ようやく意識を取り戻したのだ。まだ不安定な状態で起き上がれるほどではないが、しばらく入院して治療をすれば、普段通り生活出来るようになるだろうとの話だ。

「彼の退院が決まったら、その時は無電で君に知らせるとしよう」

「わざわざご配慮いただきありがとうございます」

「これくらいどうということはない。まぁその代わりというわけではないが、君には帰ってからも宜しく・・・・頼むよ」

「ええ、勿論ですとも」

 二人は目を見合わせ頷き合う。

 そのやりとりを、フィルマンの後ろに立つギュンターの部下は表情を変えずに眺めていた。あまり大きくはないオリーブ色の瞳を、顔に巻かれた包帯の間から覗かせた男だ。

「では、旅路に気をつけて。何もないことを祈っているよ。<セドロフ君、君も復帰したばかりで悪いが、彼の護衛を頼んだぞ>」

「<了解いたしました>」

 セドロフと呼ばれた彼は、頭に手を当てオプシルナーヤ軍式の礼をした。

 するとその時、部屋の電話が鳴り響く。

 速やかに応じたギュンターは、電話の内容に眉を顰めた。

「相変わらず不穏な様子で」

 うんざりした様子で受話器を置く彼に、フィルマンはふふっと笑みを深めた。

「今回は大したことじゃないがな。メルジェークだかヘルデンズ人も混ざっているんだか知らないが、ここ最近は我々への悪戯が過ぎるようだ」

「心中お察ししますよ」

「ふん、奴らが調子に乗れるのもじきに終わるさ。警察隊が反乱組織を突き止めつつあるみたいだからな。尻尾を掴んだらもう終わりだ。ああそうだ、<セドロフ君、フィルマンを送った帰りに君に頼みたいことが>」

「<何でしょう?>」

 呼ばれた部下は、指先を動かして手招きするギュンターの元へ近づき身を屈める。すると彼の上官は引き出しから一枚の写真を取り出し短く命令した。

「<この男を消せ>」

 そこに写っているのは東ヘルデンズの官僚――先程ギュンターに詰め寄っていた男だ。

 部下は密かに息を飲みつつ事務的にギュンターへ視線を戻した。彼は続けて言った。

「<反逆の疑いがある。早々に摘み取っておけ。任せたぞ>」

「<……承知いたしました>」

 部下が素早く返答すると、ギュンターは満足そうに頷いてみせた。



 フィルマンとギュンターの部下は間もなくしてオプシルナーヤ軍西部地区総司令部の建物から外に出た。ノイマール中央駅に向かって車を走らせる。

「……反逆組織、か。大変ですね、軍人さんも」

 ふとフィルマンがギュンターの部下に話し掛けた。彼がヘルデンズ語を使ってきたので、部下の男もヘルデンズ語でごく事務的に答えた。

「我が国のためですから」

我が国・・・、ね」

 フィルマンは面白そうに瞳を細めた。

「こういうとき、案外灯台もと暗しになっていたりしますよね。そう思いませんか?」

「……仰りたい意味がよく分かりません」

「あぁ失礼しました。最近少しミステリー小説に嵌っていましてね、スパイものの。しかし現実にそうそうある話ではないですよね」

 大げさに身体を反らすフィルマンへ、ギュンターの部下はルームミラー越しにオリーブ色の目を向けた。窓の外を見ながら座る彼は、至って愉快そうだ。

「うちの人間で誰か怪しい者でもいましたか?」

 部下の男が淡々と尋ねると、「まさか」とフィルマンは笑い声を上げた。

「例えばの話ですよ。ただ大きい組織にはそういうことも起こり得るみたいですから」

「……そうですね、今一度調査をする必要はあります。ご忠告ありがとうございます」

「いいえ。何もないことを祈っていますよ」

 フィルマンは笑みを深めて運転席に座る彼を一瞥すると、再び外の景色へ視線を向けた。

 朝から続いていた雨は、より一層雨脚を激しくしていた。

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