2.祖父からの預かりもの

「――お前が予想しているとおり、俺たちブラッドローも、オプシルナーヤも、アロイスら反オプシルナーヤグループも、みんな同じ目的でお前を求めている。お前が、マクシミリアン・ダールベルクから重大な機密情報を預かっていると見なされているんだ」

「機密情報?」

 何となくそういう話は察していたが、改めて真正面から告げられてもブランカにはピンと来ない。

 僅かに首を傾げるブランカにヴォルフは片眉を上げつつも、先へ続けた。

「ブルーノ・ホフマン――って知ってるか? ホフマン重工業の社長で兵器の設計士だった男」

「ブルーノ・ホフマン? 知ってます。祖父とも親しくて、その、実際に会ったこともあるので……」

 朧気に、丸メガネを掛けた小太りの男が、脳裏に浮かぶ。

 いつも祖父の傍らにいたその人は、プライベートな会食などにも招待されるほどダールベルク家とも親しかった。正直クラウディアとしては気難しそうな雰囲気の彼をあまり得意ではなく、小言がうるさいため邪魔くさくも思うこともしばしばあった。

 だが間違いなく祖父が信頼を置いていた一人だった。

「だけど彼は先月、戦犯で……」

「あぁ、処刑された」

 それはちょうど先月、ニュースになったばかりだ。

 ブルーノ・ホフマンの経営するホフマン重工は、旧ヘルデンズ軍の兵器開発や製造に携わり、軍備面で旧ヘルデンズのフィンベリー侵攻を支援していた。またその際にアジェンダ人や他国の捕虜などの強制収容者を酷使していたことも、問題視されていた。

 だが、それよりも彼は、非常に天才的な兵器の設計士として有名だった。

 彼の生み出すものは時代の最先端を走ると言われるほどに秀逸なものばかりで、戦中使われていた戦車も軍艦も、彼が描いたのが広く使われていた。それほどの逸材であれば、例えダールに与した戦犯であったとしても、西側連合軍やオプシルナーヤにとっては生かしておきたかったに違いない。

 しかし彼はマクシミリアン・ダールベルクへ深く心酔しすぎていた。

「そのホフマンが、フィンベリー大陸戦争の後半、おそらく六年前に生み出したものがある」

 ヴォルフは声量を低くして話を進めた。

「戦後五年経った今でもそれに匹敵するものが生まれないとまで噂される代物なんだが、しかしマクシミリアン・ダールベルクは戦中それを使わず、それに関する情報や資料一切を隠蔽したらしい。戦後どこを探しても見つからず、昔の関係者を当たってもそれらしい情報は出てこない。ホフマン自身も身に覚えがないを突き通していたから、本当に闇に葬ったか、あるいはそれ自体が幻だったのではと思われていたんだが――」

 言いながらヴォルフは射抜くような目線をブランカに向けた。瞬間ブランカは話の続きを察したが、同時に嫌な予感が頭をよぎった。

「その……ホフマンさんが生み出したものって……」

 恐る恐る尋ねると、ヴォルフは一瞬躊躇しながらも極めて低い声で答えた。

「――爆弾だ。……街を丸ごと破壊する程の威力を持つとも言われる爆弾」

――嘘……でしょ……?

 ブランカは思わずベッドの上で後退った。

 この後の話はもう分かる。ブランカがその爆弾に関する情報を持っていると言うことなのだろう。ホフマン天才が開発したものであれば、ブラッドローもオプシルナーヤも狙って当然だ。

 予想以上の事の大きさに、またその脅威に知らず関わっていることに、一気に顔が青ざめ身体中が震え出す。

 すかさず彼女の手を握るヴォルフへ、ブランカは必死になって首を横に振る。

「薄々そんな気はしていたんだが、やっぱりお前は知らなかったんだな。だがどういうことだ……?」

「そんなの私が聞きたい……! 一体どこからそんな話が……」

「ホフマンだ。判決の後、弁護人に明かしたらしい。“ダール最大の発見・・は、総統に最も忠誠を誓い、総統が最も愛した者に預けた”と。明言こそしていないが、それがホフマンの生んだ爆弾で、クラウディア・ダールベルクが握っている、というのが軍部の見解だ。“せいぜい死人を探すといい”とまで言っていたそうだから、お前が持っていることは間違い無さそうなんだが、まさかガセだったのか?」

 震えるブランカを宥めつつも、ヴォルフはいまいち理解しがそうな様子だ。

 しかしブランカは首を振り続ける。今の今まで知らなかったのだ。そんな恐ろしい情報を持ち合わせているはずがないのだが、ヴォルフは重ねて聞いてきた。

「……例えば昔、マクシミリアン・ダールベルクから何か渡されたとか、それか何か秘密の場所を教えられたとか覚えていないか? もしくはホフマンからか」

 その聞き方が彼女を疑っているように感じられて、思わずブランカは喉を引きつらせた。ヴォルフは慌てて言葉を付け足した。

「ホフマンのそれに関する情報やその隠し場所について、知らず聞いたり何か受け取ったりしている可能性もある」

「でも……兵器に関するものなんて何も」

「それ以外は? 何でもいい。覚えていたら話して欲しい」

 努めて穏やかな口調でヴォルフは言うが、それでもどこか前のめりな姿勢で問い詰めるようになっているのは、これが彼の任務の目的だからだ。数十分前ならブランカも進んで協力していたところなのだが、突然突きつけられた恐ろしい疑いに、頭の中は混乱するばかりだ。

 それでも早く身の潔白を証明せねばと必死に頭を動かそうとしたとき、ヴォルフがハッと声を上げた。

「そういえばあの手紙……」

「手紙……?」

 一瞬何を言われているのか分からず彼の言葉を反復すると、ヴォルフは弾けるようにブランカの肩を掴んだ。

「そうだ、あの手紙! 萌葱色の、マクシミリアン・ダールベルクが書いたあの手紙! お前が川に捨てようとしてたやつ!」

 身体を揺すられながら、ブランカはまさかと目を瞠る。

――嘘でしょ……だってあの手紙は……!

 十一歳の誕生日にブローチと一緒に祖父からもらった薄萌葱色の手紙。愚かな無念と妄想ばかりが書かれたそれを、ブランカは何度も破り捨てたくて堪らなかった。しかしどれだけ窮地に立たされても、どれだけ祖父を疎ましく思っても、五年間ずっと守り続けてきたそれ。

 ブランカにとっては、祖父とのかえがえのない繋がりだったのだ。

 まさかそんなものに、祖父はホフマンの恐ろしい兵器の情報を隠していたというのだろうか。

 信じたくなくて咄嗟に否定しようとするが、言葉が何も出てこない。ホフマンの言葉が本当ならば、確かにあの手紙が一番それらしく感じられる。

 現にそれを証明するようにあの手紙は――。

「ごめんなさい!」

 ブランカは勢いよく頭を下げた。

 ヴォルフが息を飲むのが聞こえてくる。

「なくした、のか? そういえばアレを見ないが……」

「列車で父に……取り上げられました」

「なんだと……!?」

 瞬間、肩を掴むヴォルフの手に力が込められて、ブランカは一層身を小さくした。同時に車上でのやりとりが思い出される。

 親子としてやり直そうとブランカに懇願した父は、祖父への愚痴を吐きつつも焼け焦げの残るあの薄萌葱色の封筒を自分の懐にしまっていった。何故父がアレを取り上げたのか、あのときは頭が混乱しすぎてわけが分からなかったけれど、今ならもう分かる。

――最初からアレが目的だったのね……。

 そして父はついでにブランカも利用するつもりだったのだろう。あのときの父の言葉が本気でないことは分かっていたが、改めて真相を知ってしまうと深く心が抉られ息が詰まりそうになる。

 しかし、今はそんなことを嘆いている場合ではない。

「そうか……。いや、そもそもオプシルナーヤにお前を攫わせた時点で俺の失態だが、これはまずいな……」

 ブランカを責めまいとヴォルフは彼女の肩を掴んでいた手を背中で上下させるが、ぐっと奥歯を噛み締め絞り出した声には、苦い響きがかなり混ざっている。

 余計にそれがブランカの恐怖を煽った。

「ねえ……その、爆弾の情報を手に入れたら、どうするつもりだったの……?」

 そんなこと、わざわざ聞くまでもない。

 一触即発なまでに軋轢が生じているブラッドローとオプシルナーヤ。しかし両者はヘルデンズの中央を境として一歩も動こうとはしていない。

 そんなときに存在が囁かれるようになった、脅威の爆弾――。

 ごくりと唾を飲みヴォルフを見上げると、彼は一呼吸置いてからその疑問に答えた。

「ホフマンのそれが噂通りのものなら、実際に戦闘で使わずとも保有するだけで大きな牽制力になる。少なくとも現時点でブラッドローはそのつもりのはずだ。だがオプシルナーヤは……」

 ヴォルフは途中で言い淀む。全身を震わし蒼白な顔のブランカを見て、この話をすべきでなかったと言わんばかりに顔を顰めながら、先を続けた。

「オプシルナーヤがそれを手に入れてどうするつもりなのかは定かではないが、ブラッドローや西フィンベリー諸国としては、オプシルナーヤの東側支配問題について今ほど口出し出来なくなるだろうな」

「それだけ……? 本当にそれだけで終わるの……?」

 勿論それだけと言うにはオプシルナーヤの東側支配問題は深刻化しているが、だがそれ以外のもっと直接的な目的がオプシルナーヤに――あるいは両者にあるのではないか。

 それに答えたのは別の声だった。

「おそらく次の西ヘルデンズ侵攻の要になるやろうね」

 独特の訛りで割り込んできたのはアロイスだ。彼は起きたばかりの気だるそうな様子で部屋に入ってくる。

「お前……さっき寝たばかりじゃなかったのか」

「兄さんこそ。なんや二人で仲睦まじぃやっとるんかと思ったら、えらい大事な話して。まさか兄さん抜け駆けするつもりやったんちゃうよな?」

 寝不足気味のやや充血した眼を向けてフッと笑ったアロイスに、ヴォルフはややバツが悪そうな表情を浮かべながらも鋭く彼を睨み返すが、それよりもブランカはアロイスの発言が気になった。

「西ヘルデンズ侵攻って……?」

 その言葉が意味することは容易に予想が付くが、敢えて聞かずにはいられなかった。

 アロイスはヴォルフと目を見合わせてから話し始めた。

「元々オプシルナーヤは西ヘルデンズへの領土拡大に向けて密かに準備を進めとって、仮にその爆弾がなくとも近い将来オプシルナーヤが西側に攻め入る可能性が高いと一部で噂されてるんや。ほんまに起こるか分からんけど、そのために国内体制や領土内体制を整えているところやで。で、もし西側侵攻が起きた場合、まぁそれだけでもえらいことなんやけど、その時にオプシルナーヤがその爆弾を持ってたら?」

 どうなる、と言わんばかりに語尾を上げるアロイスの言葉に、ブランカの頭に二つの可能性が思い浮かぶ。

 圧倒的な戦力を持つオプシルナーヤを前に、ブラッドローや西フィンベリー諸国は下手な反撃が出来なくなる。

 そして戦闘で使用された場合、ヘルデンズは――……。

 もし本当にあの薄萌葱色の手紙にホフマンの爆弾の情報が含まれていてちゃんと手元にあったなら、最悪な事態を招くこともなく、もしかするとオプシルナーヤの西ヘルデンズ侵攻も最小限に食い止められたかも知れないのだ。

――それなのに私はそんな重大なものを易々と手放してしまったの……!?

 既に真っ青になっていたブランカの顔から更に血の気が引いていく。

 ただでさえ脅威の情報を持たされていたことすら受け止めきれないのに、自分のしでかしてしまったことの重さに、身体中の震えが止まらない。

 すっかり言葉を失い恐怖と重責に飲み込まれているブランカを、ヴォルフが横から支える。

「……いずれにしても仮定の話だ。ホフマンの爆弾だって本当かも分からないし、オプシルナーヤの西側侵攻も起こると決まったわけではない」

 いくらか声を和らげて彼女を落ち着けようするが、しかしアロイスが「ちゃうな」と口を挟んだ。

「少なくともオプシルナーヤの西側侵攻は信憑性を深めてきてる。現にそれに向けて少しずつ計画は動いてきてるで。兄さんも見たんとちゃう? ヘルデンズ人がオプシルナーヤの良いように無関心化してきとるのを」

「それは……」

「同時に国内企業が次々買収されて失業者が大量にあぶれてるけど、これからもっとあぶれるわ。そしたらどうなると思う?」

 アロイスは飄々と細めていた青灰色の瞳をいつの間にか鋭くしてブランカを見ていた。ブランカはぎゅっとヴォルフの服を掴みながら、頭の中でその問いに答えを出す。

 ヘルデンズ人は――いや、その他の東側諸国の人間も合わせて、数年後に起こるかも知れないその西ヘルデンズ侵攻の兵力に使われる。

 だからこそ、アロイスはオプシルナーヤ軍をいち早く撤退させたいのだ。そしてそのために彼はブランカにホフマンの爆弾を求めたのだ。

 三方向からの矢印の意味が、これでようやく結びついた。そのどれが一番ふさわしいのか、ブランカが簡単に判断できる話ではない。だが今の話をふまえても、尚かつ東ヘルデンズの現状やブランカが実際に目にした日常を振り返っても、やはり一番渡ってはいけないところへ手紙を手放してしまったのだ。

 しかし、そう思ったとき、室内に張り詰めた空気をアロイスが破った。

「これはちょうどさっき入った情報やけど、オプシルナーヤ側はまだ手紙の暗号を解けてないらしいわ」

「え……?」

 ブランカとヴォルフは同時にアロイスへ顔を向けた。

 アロイスはニッと青灰色の瞳を細めて続けた。

「どうやら手紙からは地名が何個か割り出せたらしくてそこを捜索してるらしいけど、一向に爆弾の資料とか関する情報とかが出てこやんらしい。まぁまだ探し足らんだけかもしれやんけど」

 大げさに肩を竦めるアロイスに、ブランカはそう言えばと思い出す。彼はヘルデンズ在駐オプシルナーヤ軍の動きについて、詳細で確実な情報網を持っている。この話もそこから得たものだろう。

 アロイスは笑みを深めて言った。

「やけど列車の爆発からもう一週間以上経っとる。それなのにオプシルナーヤ軍の暗号解読部隊が未だにそれらしい地名やキーワードを出せてないとなると、よっぽど難解な暗号が手紙に仕組まれていたか、もしくは爆弾の情報が隠されてるのは手紙以外かもしれやんな」

 瞬間、アロイスの瞳が妖しく光り、ブランカは思わず服の裾を掴む。

 そのとき――、手に握る硬い感触にハッとした。

 同時に、五年前のことが再び蘇る。

 いつも自信に溢れた人の、弱々しい顔。僅かに震えた手。

『クラウディア、何があってもお前だけは私の味方であってくれるね?』

 頭に響く声が、ブランカに切実に訴える。

 布越しに伝わるブローチの冷たさがその存在を主張しているように突然感じられて、ブランカは戦慄した。

――でも待って。本当に私が持っているの……?

 視線を巡らすと、アロイスの鋭い目と、彼の言わんとしていることを察したらしいヴォルフの射抜くような目が、ブランカに向けられていた。それでもヴォルフはブランカを気遣うように瞳を揺らしてはいるが、二人の関心がブランカのブローチに向けられていることは明らかだ。

 ブランカは縋るようにして首を横に振った。

 仮にホフマンの爆弾の情報が手紙ではなくブローチにあるのだとしたら、まだ事態は悪くないのかも知れない。だが、そうだとしても、ヘルデンズを――あるいは世界を左右しかねない脅威を握らされてどうするべきかなんて、ブランカに決められるはずがない。

 それにブランカは信じたくなかった。

 手紙にしてもそうだが、このブローチだって複雑な想いをしながらも必死に残してきたブランカの宝物。そんなものに込められたものが脅威の情報だなんて、思いたくない。

 だけどそんなときに限って思い出される手紙の文末。

ヘルデンズの運命はスケーブヌ・ヘルデンズ・イアお前の手にイ・ディン・ハンダー

 まさか祖父はその恐ろしい爆弾でブランカにヘルデンズの未来を託そうとしたのだろうか。

 本当に?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る