12.すれちがい

「帰れ」

 工場の入り口で、ヤーツェクが仁王立ちでヴォルフの前に立ちはだかった。背丈はやや彼の方が小さいのだが、それを感じさせない気迫をヤーツェクは放っている。

 今朝から思っていたが、どうやら彼はヴォルフのことを良く思っていないらしい。

 わけの分からない嫌悪にうんざりしつつも、ヴォルフは落ち着いた口調でヤーツェクに言った。

「そろそろ終業時間だろう? あいつを迎えに来た」

「いらねえよ。あんたどうせあの子にひどいこと言うつもりだろ? 大人しくゼルマといちゃついてろ」

「はぁ、何でそうなる――」

「ですって。うふふ、ヤーツェクからお許しが出たから、あたしたちはそうしましょうよ」

「ゼルマ……」

 腕に胸を押し当てながら抱きついてくる彼女に、ヴォルフはため息を吐く。それを見て更にヤーツェクの視線の棘が一層に鋭くなるので、ますますヴォルフはうんざりした。

 ゼルマには今日一日ヘルネーの街案内で非常に世話になったが、相変わらずこういうところは受け付けない。工場の場所だけ聞いて出直してくることも考えたが、ここに辿り着くまでに散々でたらめな道案内をされ、ようやく本当の場所を教えてくれたときには既に終業時刻間際になっていたため、引き返してくる時間もなくなってしまった。

 何より、昼間の一件が、ヴォルフをここへと急かしていた。

『私子どもだったんだから、何も出来るはずがない!』

 そう叫んでいた少女は、ダール体勢時代の国家保安長官の娘という理由で、多くの大人たちに囲まれ、手酷く嬲られていた。救急隊員によって運ばれていく姿はあまりに悲惨で、他の人たちと同じように嘲笑う気にはなれなかった。

 ヴォルフは、無意識にその少女に彼女を重ねていた。

 想像した結末に、ひどく寒気がした。

 とにかく何も起こらないうちに彼女を連れ帰るべく、ゼルマに焦らされながらも急いで来たわけだが――。

「大丈夫です。ちゃんとまっすぐに帰りますし、二人もきっとまだ話し足りないでしょう? 私のことは気になさらず……」

 奥の部屋から現れたブランカは、彼女らしくあまり大きくない、しかししっかりとした声で言い放った。何処かに感情を丸ごと落としてきたかのような抑揚の無さとその表情かおは、まるで人形のように機械的で、尚かつヴォルフと目を合わそうともしなかった。

 どこか、突き放されたような感覚に、ヴォルフは無性に苛立ちを感じた。

「そういうことだ。とっとと帰んな」

 しっしとヴォルフに向かって手を払うと、ヤーツェクはヴォルフから隠すようにブランカの背後に周り、作業場らしき部屋へと戻っていった。

 隣でゼルマがくすくす笑う。

「ヤーツェクったら、よっぽどあの子のことが気に入ったのかしらねぇ」

 ありえない。

 ヴォルフは内心でそう叫んでいた。



 その後、結局方向が同じだからと、四人は一緒に帰ってきたが、終始ゼルマがヴォルフにくっつき、ヤーツェクもずっとブランカに付いていたため、なかなかブランカとまともに話せないでいた。

 そして翌朝。

『おじいちゃんがいつも言っていることがあります。それは、わたしたちヘルデンズ人が、世界で一番とうとい民族だということです。めずらしい発明品を作るのも――』

「ああもう、昨日からしつけぇな。朝からこんなの聞かされて、一体誰が喜ぶんだよ」

 もともとあまり良くない雰囲気の漂っていた朝食の席に、更に雰囲気を悪くするラジオが流れてきた。すかさずヤーツェクが局を替えるが、その口ぶりと言いラジオのスイッチを替える手つきと言い、全身から不快オーラを放っている。

「よっぽどオプシルナーヤはこの子を悪者わるもんにしたいんかね? こんなん流したところで、自分らへの反感が薄まるわけちゃうのにな」

 しれっと呆れ口調で言うアロイスへ、ヴォルフは思わず鋭い視線を投げた。だがアロイスは気にする様子もない。

「だけどさ、やっぱりこうやって聞かされると腹立つぜ。子どもだからって許されるはずもない」

「あぁそれで言えば、昨日ダール時代の国家保安長官の娘だっていう子が街に現れたわよぉ。戦中自分は子どもだったから無実だ、なぁんて言ってて呆れたわぁ。そういうこと言う子に限って結構えげつないことしてたりするもんよねぇ」

 何故か一緒になって朝食を食べているゼルマが、吐き捨てるように嘲笑した。ヤーツェクが「最悪だな、それ」と眉間に皺を寄せたまま、ゼルマに同意した。

 ヴォルフはちらりとブランカを見た。斜め前の席に座る彼女は、静かに無表情に黒パンを口に運んでいる。当事者であるというのに、眉一つ動かさない。

――五年間、正体を隠し続けてきただけのことはあるのか。

 というか何故ヴォルフの方が気にしているのかが分からない。

 確かにここでヤーツェクたちに彼女の正体が知られるのは避けたいが、だからと言って彼らの発言にブランカが何を思っているかなど、ヴォルフには関係のないことだ。むしろ本来であれば、ヴォルフは確実にヤーツェク側のはずだ。もちろん彼の中ではあの作文に対する怒りも彼女に対する憎悪も湧き起こってはいる。

 それなのに、どうしてブランカを気遣うような心境になっているのか。

――いや、そんなことはどうでもいい。

 あんなラジオが普通に流れているヘルネーで、昨日のように彼女を外で働かせるわけにはいかない。ヴォルフは胸の内に浮かぶ自身の違和感を必死で誤魔化しながら、ブランカに釘を刺そうとする。

 だがそれよりも早く、アロイスがブランカに話し掛けた。

「そうや、ブランカちゃん。工場の人らがよう働いてくれて助かるって褒めてたわ。やから今日も行ったって」

「おい、アロイス。昨日もそうだが何考えて――」

「あぁ、それから四番通りの編集社がタイピスト不足で困っとるらしいんやけど、ブランカちゃん、タイプ打ちは?」

「一通りはできます」

 ブランカは短く答えた。

 アロイスが「よし」と笑みを浮かべる。

「じゃあ午後はそっちな。ヤーツェク、うちと工場と編集社への送り迎え、頼んだで」

「それは構わないけど、そんなに働いてブランカ大丈夫かよ?」

「大丈夫なわけがあるか」

 ブランカが了承しようとするのをヴォルフはすかさず遮った。アロイスのにやついた視線とヤーツェクの非難の目が突き刺さる。

「そいつには家のことをさせればいいだろう? 人手が必要なら俺が代わりに行く」

「はぁ? 何だよそれ。あんたが口出しすることじゃないだろ。あんたはこの子の保護者か」

「そうだな。だから口出ししている」

「ちょっと二人ともぉ、朝からいがみ合いはよしなさいよぉ」

 ヴォルフとヤーツェクがテーブルの真ん中で火花を散らすのを、ゼルマが呆れた様子で止めに入る。その隣でアロイスはやれやれと肩を竦めている。

 本当にアロイスは何を考えているのだろうか。一言ヴォルフが何か言ってやろうとしたとき、か細い声がその場を切り上げる。

「私は平気ですから、出掛ける準備してきます」

 ブランカは食器をまとめてキッチンへ消えていった。まるでこの場のやりとりが他人事であるかのような素振りだ。

 ヴォルフはすかさず彼女を追い掛けた。

「おい! お前本気かよ。自分の立場分かっているのか?」

「分かっています。でもここでじっとしていたって非効率だと昨日言っていたでしょう?」

 皿洗いしながら機械的に返してくるブランカに、ヴォルフは口の中で舌打ちした。

「あ、ああ言ったな。確かにそう言ったが、だがお前――」

「それに勝手に逃げ出そうとか、他にもヴォルフが心配するようなことにはならないので。みなさん、親切ですし」

「そういうことじゃねえよ!」

 ヴォルフは苛立ちのままに、泡だらけのブランカの腕を掴んだ。

「危機感持てって言ってるんだ! いくらお前が大丈夫だと思っていても、何が起こるか分からない状況なんだぞ!」

「そんなこと分かってます。だから放っておいて下さい」

「いや、分かってないな。大体親切って何だ。そんなもん上辺だけに決まってんだろ。お前なんか一体誰が――」

「分かってますから!!」

 ブランカは勢いよくヴォルフの手を振り払った。

 洗剤の泡が空しく飛び散る中、傷ついたようにぎゅっと歪めた彼女の顔がゆっくりと人形的に戻っていく。

 しまったと思うのはこれで一体何度目か。

「そういうことも含めて、ちゃんと、理解していますから……」

 僅かに震えた声でそう言うと、ブランカは洗っていた皿を乾燥棚に置き、キッチンから立ち去った。

 代わりにヤーツェクがキッチンの入り口に現れる。

「あんた、今日はもう工場来んなよ」

 それだけ言うと、彼はブランカを追い掛けていった。ヴォルフは何も言えずにその場に立ちつくす。

 すると、更にそこにゼルマの大きなため息が聞こえてきた。

「とりあえず、包帯替えるからこっちに来て頂戴」

 呆れの滲んだ口調でゼルマがヴォルフを手招きするが、ヴォルフはゼルマの発言に疑問符を浮かべた。

「は? 何でゼルマが……?」

「何でって、あの子に頼まれたからよぉ」

 ゼルマはブランカが去った方向を親指で差した。

 瞬間、一度は萎んだヴォルフの苛立ちが、再び頭をもたげる。

 昨日から薄々感じていたが、ブランカは、明らかにヴォルフを避けるようになった。

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