10.北へ向かう車
ヴァルツハーゲンからヘルデンズ北部へ繋がる国道を、一台の自動車が走っていた。くすんだグレーの小さな車だ。所々傷が目立つボロの割に、その車は軽快なスピードで山道を駆け抜けていく。
その走り具合は、きっと車内では最近流行のロックミュージックでも流しているのだろうと周りの車に思わせるほどの爽快さに溢れているが、実際車内に流れていたのはロックどころかリズムもメロディもない、淡々と事実を告げるだけのニュースだった。
『――またもや爆発事件です。アルテハウスタットからノイマールに向けて走るオプシルナーヤ軍軍用列車が今朝五時頃、ヴァルツハーゲン郊外で爆発し全焼しました。列車には全部で百二十人が乗車し、そのうちの三十五人が死亡、四十九人が重症を負いました。また同列車には、オプシルナーヤ軍西部地区総司令部のギュンター・アメルハウザー大佐も乗車しており火傷を負いましたが、命に別状はないようです。同乗していた兵士によれば、爆発は全部で四回起こり、いずれも走行中に車内で発見された爆弾によるものと見なされています。一方、四回目の爆発が起きたと見られる線路上で起爆剤が見つかった……ヘルデンズ中東局は、爆発の一時間前に拘束した不審な旧メルジェ……の集団と……と見て対処を…………』
途中で大きくなったノイズ音が、ニュースの声を掻き消していく。勾配の激しい山道を走っているので、ラジオの電波が安定しにくいのだ。
それでも知りたい情報はちゃんと聞けた――望んでいたものではなかったが。
「くそっ! あいつ死ななかったのかよ!」
助手席に座る男が、荒々しく車の窓ガラスを叩いた。
運転席の男は、うるさいノイズラジオの電源を切りながら、慌てて彼を窘めた。
「おいおい、頼むから暴れ
「しかしよお! あんたも聞いただろ、今のニュース! 悔しくないのかよ!」
「そら悔しいけど、これが結果や。僕らは失敗したんや。腹立つのは分かるけど、それはちゃんと受け止めやないかん」
「くっそ……っ! あいつが死ななければ、俺だけ逃げてきた意味がねえじゃねえか! せっかくあいつらが逃がしてくれたっていうのに……!」
助手席の男は再び乱暴に窓ガラスに頭を打ち付けた。無造作に伸ばした黒髪にくすんだグレーのジャケット姿という、ただでさえみすぼらしい格好をしているというのに、激昂しているせいで余計に野性的だ。普段は理知的な光を放つ彼のヘーゼルグリーン色の瞳も、怒りと苦痛に支配されている。
助手席の男は苛立ちのあまり、尚も窓ガラスを叩いた。
「やからって物に当たんなって。窓割れてまうやんか」
運転席の男は再び助手席の男を注意した。助手席の男よりも頭一つ分背が低く童顔なこの男は、体格に合っていないトレンチコートに着られていて、背格好だけ見るとまるで少年のようだ。ハンドルを握る姿も全く様になっていない。
とは言え、後ろできっちりと一つに結ばれた白髪交じりのアッシュの髪と、どこか達観した様子の青灰色の瞳、何より落ち着いた物言いは、彼がそれほど若くない男であると感じさせる。
標準語で喋る助手席の男に独特の訛りのある運転席の男。
いずれも話す言語はヘルデンズ語だ。
「あんたはいつも余裕そうだ。そりゃあそうか。あんたにとっちゃ俺たち
「そんなん言うとらんやん」
「じゃあ何でそんな冷静なんだよ! 十人も生け贄に差し出しながら俺たちは失敗したんだぞ!? それなのにあんたは平気そうで――」
「――落ち着いとるんと平気なんは
運転席の男は、人より高い声を突然低くした。
乱れ荒ぶっていた助手席の男は、息を呑んで彼を見た。
「さっきも言うたやん、悔しいって。そら悔しいわ。爆発は上手くいったってのに、あの男は生きとった。これでもし
まっすぐ道路を見つめる青灰色の瞳は、いつの間にか瞳孔が開ききっていた。ハンドルを握る彼の手も僅かに震えていて、そこに確かな怒りが存在していることに、助手席の男はようやく気が付いた。
運転席の男は至って落ち着いた口調で「やけどな」と続けた。
「どれだけ取り乱したところで時間は戻ってこやんし、そういう結果も想定して
運転席の男が鋭い一瞥を隣に向ければ、助手席の男はぐっと喉の奥で唸りながらも、何も言い返さなかった。彼は自身を落ち着けるかのように深く息を吐いた。
「……さっきは心にもないことを言って悪かった」
「ええよ、構わん。気にしとらん。自分の気持ちも分かるでな」
運転席の男は手を伸ばして助手席の男の髪を掻き乱した。この男の落ち着いたものの考え方はその行為に見合っているはずなのに、彼の体格が小さいせいで、端から見ると弟が兄の頭を撫でているかのようで、ひどくアンバランスだ。
「さてと。自分もあんまり寝とらんのやろ? 何かあったら起こしたるから、それまで寝とき」
「何かあったらって何なんだよ」
「何かは何かや。いいから寝ときんさい」
「……じゃあお言葉に甘えて」
助手席の男はシートの背もたれを倒すと、後部座席に置いていた毛布を頭から被った。程なくして彼の寝息が車内に響き渡る。夕べからかなり走り回っていたので、疲れも相当溜まっているのだろう。
運転席の男はアクセルを踏み込み速度を上げた。目的地にたどり着くまで、まだ数時間はかかるだろう。
左右に広がる森を視界に入れながら、運転席の男は呟いた。
「白いおかっぱ頭――か。どんな子か知らんけど、もし無事に逃げられてたら、必ず辿り着いてや」
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