11.ロマンの弱さ
「お連れしました」
防音設備の整った会議室に、ロマンが、下っ端の職員に案内されて入ってきた。既に席に着いていたブラウン少佐とその隣の人物は、立ち上がって彼を歓迎する。
「わざわざ出向いてもらってすまないね。こちらカーター駐フラウジュペイブラッドロー大使だ」
「ロマン・クリシュトフです。お会いできて光栄です、大使」
「こちらこそお待ちしていました。どうぞ、お掛け下さい」
比較的朗らかな様子で挨拶を済ませ各々席に着くと、ロマンの左向かいに座った大使が早速話し始めた。
「もう既に君の耳に入っていることでしょう。まだ生死は分からない状況ですが、このような事態になり、誠に悲しい限りです。そのような状況だというのに、君にこんなことをお願いするのは、非常に心苦しいばかりです」
大使は顔の前で手を組み眉尻を下げ、非常に申し訳なさそうな表情を浮かべた。隣のブラウン少佐も感慨深げに瞳を細めている。
ロマンはひとたび固く目を閉じると、覚悟を決めたかのように表情を引き締めて二人に向き合った。
「それで、何から話せば宜しいでしょうか?」
「そうですね。君には聞きたいことが沢山あるのですが、その前に――」
大使は手元にあった資料から、一枚の紙切れを取り出した。
思わずロマンは息を飲む。
それまで悲哀の色を浮かべていた大使の目が、いつの間にか鋭いものへと変わっていた。
「これが何か、君は知っていますね?」
「それは……」
言いながら、ロマンはブラウン少佐へと目配せした。
「君が今朝ホテルの朝食を取りに行っている間に勝手に荷物を調べさせてもらった。申し訳ない」
言葉と同じくブラウン少佐は申し訳なさそうな表情で頭を下げるが、構わず大使がその紙切れをロマンの前に突きつけた。
「ここに書かれた名前はどう見ても東フィンベリーのものです。また、下にある電話番号も、これはメルジェークのものですね? この人物と君は一体どういう関係ですか?」
そう、そこに書かれているのは、三週間前にダムブルク児童施設を訪れたロマンの高校時代の友人ヤーツェク・ルトワフスキの名前と連絡先だった。
「君は、東側の人間ですか?」
ロマンを見据える大使の目が、更に仄暗く光った。
ダムブルクへと帰る列車の中で、レオナは呆然と窓の外を眺めていた。
いつもなら長距離移動のときには何か喋っていないと落ち着かない性分なのに、今は何も喋る気になれなかった。
それは周りにいるブラッドロー兵の存在も関係しているだろう。
今朝ブラッドロー大使館で軽い事情聴取を受けた後、ダムブルク児童施設での捜査をするべくこうしてダムブルクへと向かっているのだが、ブラッドローの兵士たちも当然同じ列車に乗っていた。彼らは一般人に紛れるようにスーツ姿で同じ車両に座席を離して座っているが、結果前後に挟まれ監視されているのと同じ状態なので、下手な会話をするわけにもいかなかった。
とは言え、彼女が喋る気になれないのは、同じ車両にブラッドロー兵が乗っている居心地の悪さよりも、こんな状況にならざるを得なかったことへのやるせなさの方が大きかった。
――クラウディア・ダールベルクを乗せていたと思われる列車が、今朝ヘルデンズ中東で爆発した。
今朝ブラッドロー大使館の会議室に案内されて一番にもたらされた情報がそれだった。何を言っているのか全く分からなかった。そもそもブランカの奪還を失敗していたことすらレオナは知らなかったのに、そんな恐ろしいことが起こっていただなんて、想像できようはずがない。
彼女は何も考えられないままにそのまま事情聴取を受け、ようやく現実に頭が追いついた時にはこうして列車に揺られていたのである。追いついた――と言っても、結局頭の中では何も整理できていないが。
レオナはちらりと隣へ視線をやった。
隣に座るロマンも、ずっと黙ったまま虚空を見つめている。肘掛けに頬杖をつきながら難しい表情を浮かべる様子は、同時に何か深く考え事をしているようだ。大使館でレオナよりも長く事情聴取を受けていた彼は、会議室を出てからずっとこんな調子だった。
彼も、気持ちのやり場に困っているのだろうか。
それは間違いなくそれはあるだろう。彼はこの五年間ブランカを匿い続けてきた。それだけでも彼がレオナの想像以上にブランカに思い入れていたことを表しているのに、こんな事態になってしまった。それどころか、その列車にはヴォルフも乗っていた可能性が示唆されている。いずれも可能性でしかないし、実際に乗っていたとしても生死もはっきり分かっているわけではないけれど、一度に大切な人を二人も亡くしているかもしれないのだ。不安と悲しみとやりきれない怒りが、彼の中に渦巻いているに違いなかった。
それならば自分はどうだろうか?
ヴォルフが亡くなったのだとしたら、もちろん悲しい。ロマンほど彼について知っているわけでもないし、そもそも彼とはほんの少ししか会話をしていないけれど、見知った人であるからには、無事でいて欲しかった。
じゃあブランカに対しては?
マクシミリアン・ダールベルクの孫だった彼女。もちろんレオナはマクシミリアン・ダールベルクが大嫌いだし、クラウディア・ダールベルクも大嫌いだった。
戦中、レオナはヘルデンズ軍のひどい空襲に遭った。それどころか、フラウジュペイ軍の一員として出兵した父は、ヘルデンズとの国境沿いで命を落とし、無理矢理ヘルデンズ軍に入隊させられた兄は、何処か遠くの海で不名誉な死を遂げた。ただでさえ目の前が真っ暗になるほどの悲しみだったというのに、ヘルデンズ軍は無慈悲にも他の人たちと同様にレオナと母を働かせた。
愛する我が孫のためと繰り返し聞かされながら大事に取っていた食糧をヘルデンズ兵に奪われたときの悔しさは、今でも忘れられない。そんな孫がどこかで死んだのだとすれば、ざまあみろと言うべき状況なのだろう。
そう思えていたら、今よりももっと気持ちは楽だった。
脳裏に浮かぶのは、せっせと施設の手伝いをする伏し目がちな白いおかっぱ頭。
一夜明けても結局レオナの中では彼女とクラウディア・ダールベルクが結びついていないのだ。その状態で、果たして自分は喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。
ただひたすら広がる虚無感に、レオナはどういう感情を持つべきなのか全く分からなかった。
規則正しく車輪が線路を叩く音を聞きながら、流れゆく景色を呆然と眺める。ロゼを出発してから、列車は四つめの駅を通過した。ダムブルクまでは、まだ数時間かかるだろう。
そこでようやくロマンが口を開いた。
「一つ聞きたいんだけど、君は僕を軽蔑する?」
沈黙を破るにはあまりに唐突な質問で、レオナは思わず彼の方を向いた。未だ虚空を見つめたままのロマンは、どこか思い切った様子の表情を浮かべていた。
彼が言わんとしていることを、レオナはすぐに察した。
近くに座っているブラッドロー兵が耳をそばだてているのを感じながら、レオナは首を横に振った。
「ロマンに軽蔑するなんてないわ。そりゃあずっと秘密にされていたことにはショックだったけれど」
「それは……ごめん」
「ううん、もう怒っていない」
仮に秘密を共有していたとしても、彼のように自分の感情を押し殺しながら見守り続ける自信など全くなかったから、彼の判断は正しいとレオナは思う。
ロマンは再び黙り込むと、深く息を吐いてからまた話し始めた。
「ダムブルクに帰るのは二週間ぶりだね。いや、僕にしてみれば何週間ぶりなんだろう。自分がこんなにも施設を開けるなんて、思いもしなかったよ」
どうしてそんなことを突然話し始めるのか、ロマンは明るい声で言った。さっきの質問については理解できるけれど、この状況でのそんな会話に、レオナは再び目を瞠って彼を見た。
口調と同じく彼は明るく笑っていた。
「子供たち、元気にしているかな? 今頃おばさんの作ったクッキーでも食べているかもしれないね。楽しそうにはしゃいでいるのが目に浮かぶよ」
くすくすと笑いながら、彼は瞳を細めた。
その横顔に、苛立ちが募るのをレオナは感じた。
「正直ロゼにはもう少し長居すると思っていたんだけど、まさかこんなに急に帰ることになるんだったら、おみやげの一つでも買って――」
「――やめてよ!」
レオナは思わず大声を上げていた。
周りに座る客が、何事かとこちらを振り返る。
ハッとばつの悪さを感じつつも、レオナは声のトーンを落として続けた。
「そうやって無理して笑わないでよ。無理して和ませようとしないで」
そう、ロマンは明るく笑っていたが、いつもの柔らかさは何処にもなく、むしろ彼の空色の瞳は今にも泣きそうだった。
「だけどレオナ、君だって」
「あたしよりもロマンよ!」
レオナはロマンの胸ぐらを掴み、キッと彼を睨み付けた。
「本当はロマンが一番泣きたいくせに、そうやって誤魔化すの。ロマンはいつもそうよ。隠すの下手なくせに、何でもないように振る舞うの」
行方不明になったブランカを彼がどんな顔で探し続けてきたのか、レオナは隣で見ていたから知っている。昨日、ブランカが見つかったとヴォルフから連絡をもらったとき、彼がどれほど安心したのかだって、レオナはちゃんと見ていた。本当は昨日彼女を守りきれなかった自分を悔やんでいることだって、レオナにはお見通しだ。
それなのに無理矢理笑うロマンが、とても痛ましかった。
言いながら、何故かレオナも泣きそうになってきた。揺れるロマンの視線が突き刺さる。
だけど彼の前で自分が先に泣くのは癪だった。
一度目を瞑って涙を堪えると、再び彼を見上げて言った。
「ねえ、お願いだから、こんな時くらい素直に弱いところも見せてよ。そうやって抑え込んでいるのを見るのは辛い。あたしじゃあ役不足かも知れないけど、事情は分かっているわけだし……」
最後の方は自分で言っていて空しくなってきた。ロマンが今まで弱味の一つも見せなかったのは、もしかすると本当にレオナでは頼りないからかもしれない。そう思うと、今の発言も全て彼にとっては無意味なものになる。
一方的に言っておいて気まずさを感じたレオナは、おずおずと彼のシャツから手を離し、距離を離そうとした。
しかし次の瞬間。
突然腕を引かれたかと思ったら、気が付いたら彼女は強く抱きしめられていた。自分から言い出したことなのに、レオナは何が起こっているのか頭が一瞬真っ白になっていた。
「ごめん、しばらくこのままでいさせて」
ロマンはぎゅっと腕に力を入れ、レオナの肩に顔を埋めた。彼の身体が震えているのが、伝わってくる。肩に感じる冷たさに、静かに彼が涙を流していることが分かった。
この五年間、一体この人はどれほどの葛藤や不安と戦い続けてきたのだろう。
初めて見るロマンの弱い姿に、いよいよレオナも涙を堪えるのが辛くなってきた。
レオナはロマンの首に手を回し、ぎゅっと彼にしがみついた。
ようやくそこで、レオナは自分が悲しんでいることに気が付いた。
そして悔しいのだ。何もかもが悔しすぎて、どうしようもないのだ。
ブランカにずっと騙されていたことも、クラウディア・ダールベルクのことも、生死の分からないこの状況も。
そのどれもがままならなくて、とても悔しくてとても悲しい。
慰めていたはずなのに、いつの間にかレオナも一緒になって泣いていた。
「レオナ、君にお願いがある」
しばらくしてから、ロマンが震えた声で言ってきた。未だレオナの肩に埋めたままの彼の顔を確認することは叶わない。
そのままの体勢で、レオナは先を促した。
「もし、もしというか本当であって欲しいけど、あの子が生きていてもしダムブルクを訪れたときには、今まで通り――というのは難しいかもしれないけれど、彼女を温かく迎え入れてあげて欲しい」
ロマンはそこで一度言葉を切ってから、先の言葉を続けた。
「どうか、今まで君が見てきたあの子の姿だけは、否定しないであげて」
またもや彼の言うことは突然で、どうしてここでロマンがこんなことを言うのか、レオナはまったく頭がついていかなかった。
その理由を知るのに、そんなに時間は掛からなかった。
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