2.更なる失態
ロゼから東の郊外にある大きな駅。
既に多くの列車が車庫に入り、数台の寝台列車や貨物列車が停車しているだけのそこを、いくつもの足音が駆け抜ける。
その中の一人が、ヴォルフに向かって走ってきた。
「ノール中尉! ここにもいません!」
「ちゃんと全部見たのか?」
「はい、全車両すべて! しかし、どこにも見当たりません!」
「そうか。お前は次を回れ!」
「はっ!」
足早に部下が去っていく傍ら、ヴォルフは目の前に停車している寝台列車に入り、未だ車内に残った兵士と共に中を見回る。
突然現れた他国の兵士たちに、これから寝ようとしていた乗客が不安そうに怯えている。その一人一人を漏らすことなく確認していくが、どうやら先程の部下の言ったとおり、目的の人物は見当たらない。どれだけ探しても、この列車からは何も出てこないだろう。
「お止めしてすみません。問題ないことが分かりました、ご協力ありがとうございます。もう行って構いません」
先頭の車両から出て礼をすれば、列車の前でタバコを吹かせていた運転手は「ようやくですか」とひどくうんざりした様子で操縦席に戻っていった。
ヴォルフはすぐに違うホームへと走り出す。
――一体どこに行きやがった!
内心の焦りと共に、数時間前の失態が思い出される。
ブラッドロー軍が探し求めていたクラウディア・ダールベルク。全く予想だにしない形だったとはいえ、その彼女をようやく見つけたのだ。それなのに、ヴォルフはその場を離れ、みすみす彼女を逃してしまった。自身の愚かさには、心底呆れ果てる。
とにかく攫われたならば、何としてでも連れ戻さなければならない。
ヴォルフはすぐさま何人もの部下を引き連れ、彼女を攫った車を追った。途中何度か撒かれたが、部下と無線でやりとりし合いながら見つけ出し、なんとかここまで追い詰めた。そこまでは良かった。
一体いつそんな隙が出来たのか、気が付いたら彼らの車はこの駅の付近に乗り捨てられていて、当の本人たちが行方不明になっていた。
列車に紛れたか、別の車に乗り移ったか、そのままどこかに潜んでいるか。考え得る可能性のままに町中を手分けして探しているわけだが、彼らは一向に見つからず、町を探しに行っている部下からの報告もない。
ヴォルフの焦りは刻々と増していた。
「中尉! この列車も違います!」
「次だ!」
部下に向かって叫びながら、このままこうしていていいのか疑問に思う。いくら停車中の列車を探したところで、奴らはここにいないのではないか?
しかし、そう思ったところで列車を見逃すわけにもいかない。それに既に町には追っ手を放っているのだ。迷っている暇があるならば、一刻も早くここを片付けるしかあるまい。
――とにかく早く見つけ出さないと、このままではあいつが――……!
頭にちらつく真っ白なおかっぱ頭に、ヴォルフは奥歯を軋らせる。
こんなにも必死になるのは、あくまでこれが任務だからだ。
ヴォルフ達ブラッドロー軍はクラウディア・ダールベルクに用がある。そのため彼女を探し続けてきたが、それはブラッドローと敵対しているオプシルナーヤも同じはずだ。向こうも水面下で探し続けていたことだろう。こんな局面でブラッドロー軍の巣窟から彼女を連れ出すのも、オプシルナーヤが絡んでいるに違いない。
万が一このままオプシルナーヤに連れて行かれたら、ますます事態は厄介だ。
戦後のオプシルナーヤが卑劣極まりないことは有名だ。昔の穏健時代の政治家は次々粛正され、新たに傘下に入った幹部でも不備があれば即刻処刑されている。彼女も用済みになる前に消されるかもしれない。そうなってしまえばブラッドロー側の目的は完全に果たせなくなる。
それ以前に――。
ヴォルフは脳裏に浮かんだ儚く思い詰めた顔を、無理矢理掻き消した。
――やめろ、惑わされるな。
彼女はクラウディア・ダールベルク。憎きマクシミリアン・ダールベルクが愛した、憎き孫。任務がなければすぐにでも復讐したくて堪らない仇だ。
そう、あくまでこれは任務。それ以外の理由はないはずだ。
自分は既にミスを犯している。もうこれ以上の失敗は許されない。とにかく一刻も早く見つけ出し、彼女を連れ戻さなければならない。
――だが一体どこに……!
「あっノール中尉! あれを!」
近くにいた部下が指差した先を、ヴォルフは鋭く凝視する。
ここから少し離れた貨物列車の脇から、一台の車が出て行く。その中に、オレンジと金色を混ぜ合わせた色合いの髪がちらりと見えた。
ヴォルフは急いで部下を振り返った。
「半分はここで見張りとあの貨物列車を調べろ! 怪しい奴がいたら捕らえておけ! 残りはあの車を追うぞ!」
手短に指示を飛ばしながら、すぐさま近くに停車していた車に乗り込んだ。目的の車を追い掛けながら、既に町で探索している部下達に無線で呼びかける。
――ニコラ・マルシャン!
フラウジュペイ警察の警視正でありブラッドロー軍の任務協力者だったその男こそが、ブランカ――クラウディア・ダールベルクを攫った張本人だ。前々から胡散臭い気がしてならない男だったが、やはり奴はオプシルナーヤと関係があったのだ。そしてヴォルフはその隙を与えてしまった。
もう逃がしはしない。
ヴォルフはアクセルを限界まで踏み込んだ。
追われていることに気が付いたのか、目的の車もスピードを上げる。そのハンドル捌きは凄まじく、巧みに追っ手の運転を狂わせる。実際にヴォルフについてきた車の何台かは、何度も繰り返される猛スピードの右折と左折に対応しきれず建物に突っ込んでしまった。左右から挟み込んで止めようとした他の車は、奴らが急に方向転換したため、味方同士でそのまま正面衝突。あと少しのところまで追い詰めた車は、突然中央分離帯を乗り越えた奴らの車を追おうとして失敗し横転してしまっている。
確実にこちらの数は減らされていた。
「ノール中尉! 埒があきません! あの車を撃った方が手っ取り早いです!」
未だスピードを落とさずに追い掛けている他の部下が、無線でヴォルフに訴える。ヴォルフは助手席に座る部下に目配せした。強い目線で頷く様子を見るに、彼も同じ考えなのだろう。
ここに来るまでもこんな状況は幾度かあったが、ヴォルフは許可しなかった。こんな運転の最中、闇雲に撃ってしまえば、クラウディア・ダールベルクの生存にも関わる。
だがもう限界か。
「――分かった。それは俺らがやろう。お前達はその隙を作ってくれ!」
全車に向かって通達すれば、各車からすぐに了承が返ってきた。
それから部下の車は分散する。右から左から行く手を塞ぎ、奴らを一本道へと追い詰める。ここからしばらく先は曲がり角がない。この先の交差点に部下が間に合えば、奴らを袋の鼠に出来る。好機だった。
慎重に速度を上げながら、ヴォルフは隣に座る部下に目で合図を送る。彼は視線だけで頷くと、既に用意していた銃を片手に窓から身を乗り出し引き金に力を入れた。
一発目の弾が、後部タイヤを掠めた。それなりの衝撃は与えられただろう。だが、ダメージとまではいかない。案の定、奴らが速度を落とす様子はまだなかった。
そうしているうちに先回りした車が数台、交差点に現れた。彼らが正面から間合いを詰めるのを確認しながら、助手席の部下が二発目を狙う。
しかしそのとき、奴らの車が急旋回した。アクセル全開でヴォルフ達に向かってきたのである。
――バカか! 死ぬつもりか!?
こちらも既に限界まで速度を上げている。このままではただ衝突するだけでは済まない!
「中尉!」
「くそっ! ちゃんと捕まってろよ!!」
奴らの車があと十数メートルというところまで迫ったとき、ヴォルフは無理矢理ハンドルを切った。しかし出過ぎたスピードは簡単には制御しきれない。
彼らの乗った車は回転しながら前方に滑り込んでいき――右後方の側面から奴らの車と激突した。
あまりの衝撃に、助手席の部下は車外へと投げ出され、ヴォルフもハンドルと窓ガラスに身体を強く打ち付ける。
「ノール中尉!」
「いいから早く捕まえろ!」
無線から聞こえてきた部下の声に指示を飛ばせば、奴らの車のすぐ後ろに止まった車から部下の兵士が降りてくる。ヴォルフも急いで体勢を整え車から降りようとした。
だが奴らはそれでも諦めなかった。
奴らの車は突然後退してヴォルフの部下達を薙ぎ払い、そしてヴォルフの車に車体をぶつけながら前進する。
その際、ヴォルフは見た。
こちらに嘲笑を向ける運転席の男。それはヴォルフの予想とは違い、ニコラ・マルシャンではなかった。しかしよく似た男。
それから後部座席でぐったり頭を垂れている真っ白なおかっぱ頭も見えた。
――ブランカ!
ヴォルフは急いでハンドルを回し、逃走した車を追った。
それからしばらく走って、逃げ続けていた車はようやく止まった。
中から二人の人物が現れる。一人は運転席でハンドルを握っていたカミーユ、そしてもう一人は後部座席に座っていたフィルマン。
「まったく最悪だ。ブラッドローの連中は乱暴で困る。お陰で車はボロボロだ」
「それも合わせてアメルハウザー氏に請求しましょう」
まるで今までの逃走劇が嘘だったかのように、二人はのんびりした様子で肩を竦める。
フィルマンは後部座席で横になっているブランカを車から出した。
「とにかくもうすぐ
二人は目的の場所に向かって走り出す。
しかし彼らの足はすぐに止められた。
ヴォルフが彼らの行く手を塞いだからだ。
「――なるほど。ここは盲点だった」
二人に銃を向けながら、ヴォルフは辺りをちらりと見て言った。
そこは駅だった。ヴォルフ達が最初に探していたところとは別の駅。近くまで来れば、ここも多くの夜行列車が乗り入れるほどの大きな駅だということがよく分かる。しかし、町の奥まったところにあるこの場所は、例え地図があったとしてもよそ者には分かりづらい。
「さあ、こっちの目的は分かっているだろう? そいつを寄越せ」
銃を構えたまま、ヴォルフは一歩近づいた。
危機的状況だというのに、フィルマンはくすりと笑みを浮かべる。
「こんな子ども一人にブラッドローっていうのはやけに必死だね。笑えてくるよ、なあカミーユ」
「ええ本当に。しかもその役を彼が買うとは実に面白い」
「何が言いたい」
ヴォルフは苛立った様子で尋ねた。
フィルマンが一層笑みを深くして答える。
「アジェンダ人の君が彼女を追い掛ける立場になるとは滑稽だということさ」
瞬間、ヴォルフは二人を強く睨み付ける。そんなことはヴォルフが一番感じていることだ。
しかし、こんな話をしている場合ではない。ここに長居するのは禁物なのだ。
フィルマン達の後方から部下の車が近づいてくるのを確認しながら、ヴォルフは慎重に二人に近づいた。
「いいからそいつを渡せ。さもないと――」
「――さもないと何だって言うんだい?」
「なんだと?」
突然勝ち誇ったように笑うフィルマンにヴォルフが眉をひそめた瞬間だった。
――カチャリ。
耳のすぐ後ろで聞こえてきた金属音。後頭部から伝わる冷たい感触。
ヴォルフは頭に銃を突きつけられていた。
「残念ですよ、ノール中尉」
「お前は……!」
聞こえてきた声は、ヴォルフも知る人物。フラウジュペイ警察のニコラ・マルシャンだ。
この状況に、車から降りてきた部下達がその場で立ち止まり銃を構える。
ヴォルフは後ろの男を横目で睨み付けた。
「俺を殺したところでお前がオプシルナーヤと繋がっていることは誤魔化せないぞ」
「さて何のこととでしょう――まぁ、仮にそうだとしても、証拠は全て抹殺しますから」
マルシャンの言葉にまさかと思ったとき、発砲音が鳴り響いた。部下の一人から血しぶきが上がる。視線を巡らせば、紺色の軍服を着た十数人の男達がいつの間にかヴォルフ達を囲んでいた。
彼らは皆オプシルナーヤ兵。おそらくまだ潜んでいることだろう。
ここで銃撃戦は最悪だ。
「引け! 撤退だ!! このことを少佐に伝えろ!!」
轟く銃声の中、ヴォルフは声を張り上げた。
それと同時に頭を銃で殴られる。ヴォルフはよろけながらも身を翻し、マルシャンの腹を肘で打つ。しかし、別の男に再び後ろから銃で殴られ、数人がかりでヴォルフは地面に押さえ込まれてしまった。
「おやおや、どうやら取引材料が増えてしまったようだ」
目の前に立ったフィルマンが、至極愉快そうにヴォルフの頭を踏みつける。
部下の車が去っていくのを視界の端に捉えながら、ヴォルフは喉の奥で小さく呻いた。
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