「瘤黒さん」2/5

 顔を背けたまま、目だけをゆっくり、瘤黒さんのほうへと向ける。

 そんな友也を見返して、瘤黒さんは、にやにや笑いながら言った。

「友屋さんの持ってる住民名簿を、見せてみな」

 友也は、少しためらいつつも、言われるままに住民名簿の紙を出して、瘤黒さんの前に広げて見せた。

 かコよヶ駅前町住民名簿。その不思議な紙切れは、持ち主である友也が出会った順に、この町の住民の名前を、勝手に書き記していってくれる。今のところ、名前が書かれて埋まっている欄は、番号1から番号9と、番号31の欄だけで、あとは空欄だ。

 それを眺めて、瘤黒さんは、ふむふむとうなずく。


「今までに出会った住民は、あたしを除いて八人だけ、か。……でもって、この顔ぶれ、か。……なるほどねえ」

 八人の名前を、番号順に、上から目でなぞって。それから、瘤黒さんは「よし」と再び、視線を名簿のいちばん上まで戻した。


「それじゃあ、名簿の上から順にいくとしようか。……まずは、雛形さんだね」

 番号1の欄に名前の書かれた、雛形さん。

 この町で、友也がいちばん最初に出会った住民だ。

「雛形さんはねえ。うん、おすすめだよ。いきなり大本命だねこりゃ」

「そ……そうなんですか?」

「そりゃそうだよ。そんなこと、考えるまでもなくわかるだろ」

 瘤黒さんは、呆れたように顔をしかめたあと、ケケケケ……と低い笑い声を立てた。

「なにしろ、雛形さんといったら、アレだからねえ。……磔だから。両手両足を、磔台にがっちり拘束されているんだからさ。逃げられることはないし、殴ろうが蹴ろうが、いっさい抵抗されることもない。戦闘力なんてまるっきりゼロの住民だ。おまけに、殴ったあと仕返しされる心配もないときたら、こりゃあもう、おすすめ度は星五つ! 満点だね!」

「――――」

 ひどい。ほんとひどい。当人には絶対に聞かせられない星五つレビューである。

 友也はうつむき、震える声で言った。


「……そ……そんな。……磔にされて、抵抗を封じられてる相手を、殴るなんて。……そんなこと、いくらなんでも」

「そうかい? どうせ誰か殴らなきゃいけないなら、殴るのが簡単な相手にしといたほうが、楽でいいと思うけどねえ」

「……そりゃ、物理的には簡単かもしれませんけど。そのぶん、心理的な問題がですね……」

「はあ、仕方ないねえ。まあ、まだ日没まで時間はあるから、ゆっくり考えりゃいいさ。――それじゃ」

 次、いこうか、と。悪魔のレビューはさらに続く。



「次の住民は、影中さんだね。……うん。この人も、なかなかおすすめだよ。ケンカが強いなんて話は、間違っても聞かない人だ。争いごとや暴力は好かないタチだろうし、腕っぷしが強いわけでもない。友屋さんでも、この人にならきっと楽に勝てるよ。それに、おっとりした大人しい気性の人だから、殴られたって、仕返ししようなんて思わずに、たぶん泣き寝入りしてくれるだろ。……ただ、影中さんは、影の中から出ると、体が消えちまう人だってのがあるけども。上手くやらないと、殴る前に消えられて、逃げられちまうかもしれないね。まあ、おすすめ度は、星四つってところかねえ」


 星四つ。先の雛形さんほどではないが、影中さんもなかなかの高評価だ――「殴りやすい住民」として。 さっきから、こんなにも聞いてて胸の痛む高評価レビューがあるとは。


 相変わらずうつむいたまま、ぼそりぼそりと、友也は言う。

「影中さんには……お腹をすかせて、食べ物を探してたときに、親切にしてもらったし……。自販機の場所、教えてもらったり、お米を分けてもらったりして……。だから……影中さんを標的にするなんて、そんな、恩を仇で返すような真似は……」

「はあ、やれやれ、この人もだめなのかい。このへんで手を打っておいたほうがいいと思うけどねえ。……まあ、それなら、次にいくよ。次の住民は……あ。トガカリさんか」


 その名前に。前の二人のときとは、また違った緊張が走る。

 この人に関しては、レビューなんて、聞くまでもなさそうだけど。


「トガカリさんはねえ……強いんだよ。友屋さんも、知ってると思うけど」

「ええ、まあ。刑に処されそうになったり、蹴りを食らわされたりしましたから……。っていっても、俺は、逃げ回ってただけなんで。別に、あの人と戦ったわけじゃないですけど」

「ケケケ。逃げて正解さ。戦ったところで、なんの意味もなかったろうからね。友屋さんごときじゃ、たとえ銃火器持ってたって、トガカリさんにゃ勝てないよ」

「そ……そこまで、強いんですか。あの人は」

「ああ、強いともさ。もっとも、友屋さんじゃ、その強さを体感できやしないだろうけど。友屋さんが全力で戦ったとしても、トガカリさんは、その実力の五百分の一も出さずに勝っちまうだろうから。もっと強い住民とり合ってるところを、いつか目にする機会があれば、その戦闘力を垣間見ることもできるけどねえ」

「……そう、なんですか」


 戦闘力、という、バトル漫画とかでしか聞かないような単語も、トガカリさんに使うぶんには、どうやら決して大仰ではないらしい。

 しかし、なんというか。なんか、こう。ちょっと、ジャンルの違う話になってきたというか。それこそバトル漫画みたいな光景が、この町の中で繰り広げられることも、あったりするんだろうか。できれば、そんな危なそうな場面には出くわしたくないものだ。


「……まあ、とにかく、そんなわけでね。トガカリさんのおすすめ度は、星なし。友屋さん、さっき、自分でも言ってたけどさ。友屋さんじゃ、勝てる勝てない以前に、あの人に一撃食らわせるのは不可能だよ。いや、友屋さんに限った話じゃあないけどね。……うん。なんにせよ、この件に関しちゃ、トガカリさんは、除外して考えてもいいだろ」


 それは、ぜひ、そうしたい。瘤黒さんの言葉に、深くうなずく友也であった。



「それじゃあ、次は、宮ノ宮さんだね。……うん。この人は――」

「えっ? ちょ、ちょっと待ってください! 宮ノ宮さんって、女の人じゃないですか!」

 友也は驚き、慌てて叫んだ。

 この件に関して、女の人が普通に選択肢に入っているとは、思っていなかったのだ。

「女の人を殴るなんて、できませんよ、俺……」

「へえ? 相手が男だったら、殴ってもいいってのかい」

「そ……そういうわけじゃ、ないですけど……」

 答えて、友也は、ぐっと言葉を詰まらせる。

 そうだ。確かに、言われてみれば、問題はそこじゃない。「自分より弱い」と踏んだ相手に暴力を振るい、それによって目的を果たそうという、その考え方が。卑怯であり、非人道的であり、情けないのであって。相手の性別がどうとか、そういうことじゃなかった。むしろ、雛形さんや影中さんを、無意識のうちに選択肢として受け入れていたことこそ、申し訳なく思って反省すべきだ。


「と、いうか……。殴ってすむものなら、いちばん殴りたい相手は、あなたなんですけどね。瘤黒さん……」

 友也がじろりと睨みつけると、瘤黒さんは、大げさに目を見開いてみせた。

「おーやおや。か弱い年寄りの女に対して、なんてことを言うんだろうねえ。まったく、近頃の若者ときたら。おお、怖い怖い」

 皮膚に同化した瘤黒さんが、わざとらしく身震いする。ぶにょん、ぶにょん、と、皮膚及びその下にある肉の神経を通して伝わる感覚が、気色悪くて仕方ない。


 この、ある種の生命体を、「女の人」とか「お年寄り」とかのカテゴリーに収めてもいいものなのかどうかは、よくわからないが。しかし、仮にこれが「お年寄りの女の人」と呼べるものであったとして、それがなんだというのか。この町で、今のところ、唯一なんの罪悪感もなく殴れる住民――いや、なんならもう、積極的にぶん殴りたいとすら思う住民が、この瘤黒さんであることは揺るがない。なのに、これを殴ったからといって、何が解決するわけでもないという無慈悲な現実。腹立たしいことこの上ない話である。


 いっそ、事の解決に結びつかなくたっていいから、この人面疽にべしっと一発食らわせてやろうか。蚊が留まってたということにして。

 募る憎しみから、ついついそのような考えも浮かぶ。

 そんな友也に構わず、瘤黒さんは、平気な顔でレビューを続けるのだった。


「さて、それじゃあ、話を戻すよ。……ええと、宮ノ宮さんの話だったね。……うん。宮ノ宮さんは、可もなく不可もなく、って感じかねえ。この人の強さの程度は、まあ、見た目どおりだよ。ごくごく普通の女並みってとこだろう。この人も、人と殴り合いのケンカをするようなタイプじゃあないし、なにしろ究極のインドア派だから、運動神経がいいほうでもなさそうだし。単純に腕力で勝(まさ)ってさえいれば、簡単に殴れる相手だろうね。だから、友屋さんでも、まあ大丈夫。ろくにケンカしたこともない友屋さんだって、さすがに、そのへんの女に腕力で負けやしないだろ?」


 ……それは、そうだろうけど。そこは、「だから大丈夫」じゃなくて、「だから駄目だろ」と思わなければ。人として。


「……宮ノ宮さんには、家にお招きしてもらって、いろいろご馳走になったし……。あの人を標的にするなんて、そんな、恩を仇で返すような真似は……」

「なんだい、またそれかね。……まあ、宮ノ宮さんのことは、あたしも、それほどおすすめはしないさ。強さはともかくとして、あの人は、あんまり泣き寝入りしそうなタイプじゃないからねえ。根に持たれたら、のちのち仕返しされそうな気もするんだよ。それを考慮して、おすすめ度は、星三つってところかね」


 今までに比べて評価の低いレビューに、友也は少しホッとする。

 が、それも束の間。


「さて。次は、ありがた屋さんだね」

 またしても、女の人だ。

 性別の問題じゃないというのは、そりゃそうなのだが。それでも、やっぱり。女の人のことを、殴ろうか殴るまいか、なんて観点から考えるのは。どうしても、余計に気が引けてしまう。


「うん。この人は、なかなかおすすめだよ。並の女と比べても、別に強いわけじゃあないし。それに、けっこう人が好いからね、ありがた屋さんは。宮ノ宮さんよりは、よっぽど泣き寝入りしてくれそうだ。……加えて、普段から怪我の多い人だってのも、星を付ける理由になるかねえ。ただでさえ、いつもあちこち怪我してて、全身包帯だらけの人なんだからさ。あの体に、今さら痣の一つや二つ増えたって、かまやしないだろ。ケケケ」


 いや。その考え方は、どうなのか。

 すでに傷だらけの人だから、さらに傷つけてもいい、なんて。ありがた屋さん本人が、あえて自ら言うのならともかく。本人以外でそんなことを言うやつがいたら、そいつはただの性根の腐った下衆である。

 二の腕に貼りつくその下衆に、顔をしかめながら、友也はこぼす。

「ありがた屋さん、いい人だし……。トガカリさんに捕まりそうだったところを、助けてもらった恩があるし……」

「はあ、やれやれ。この人もだめなのかい。おすすめ度は星四つ、なんだけどねえ。まったく、真面目に選ぶ気があるのかね、友屋さんは」

 おのれ。元凶が、よくもぬけぬけと。カミソリかなんかで削ぎ落とすことって、できないんだろうか、この人面疽。



「それじゃあ、次の住民は……ああ。とおや――この人か。うん。この人は、おすすめ度、星なし。そもそも直接会うことができないんじゃあ、殴りようがないからね」


 ほう。トガカリさんとはまた別ベクトルの、星なし評価。そういうのもあるのか。

 瘤黒さんが口にしかけた、番号6の欄に書かれた住民の名前は、遠山彦さん。わけあって、その名前を口に出して呼ぶことはできない。

 この住民名簿に名前が記されたということは、遠山彦さんとも「出会った」扱いになっているということなのだろう。けれど、瘤黒さんの言うとおり、友也は、直接この人に会ってはいなかった。姿は見たことなくて、ただ、その声を聞いたことがあるだけの住民。かコよヶ駅前町には住んでいなくて、どこかの山の上で暮らしているらしいのに、なぜか住民名簿に名前のある住民。人間離れした声の大きさを持った、歌の上手な男(たぶん)の人――。


「遠や――……あの人には、会うことって、できないんですか」

「ああ。あの人は、そういう人なのさ」

 そういう人。この町が、「こういう町」であるように。遠い山彦さんは、「そういう人」であるわけか。そうか。なら、仕方がない。



「じゃあ、次に行くよ。お次は、道屋さんだね。……うーん。この人は、あんまりおすすめはしないねえ。道屋さんは、並の男よりはいくらか腕っぷしが強いし、気も強い。度胸も気骨も充分ってな人だから。もしこの人を殴れても、すぐその場で殴り返されて、そのあとがっつり説教食らうだろうねえ。――ってわけで、おすすめ度は、星二つ。この人を狙うくらいなら、ほかにもっといい住民がいるよ」


 瘤黒さんのその評価に、友也はうなずく。

 道屋さんを殴りに行くのは、かなり怖い。トガカリさんとはまた別種の怖さがある。モンスターに襲われるのと、学校の先生に怒られるのとではまったく違うが、どちらも怖いことに変わりはない。できればどちらも避けたい。そういうことだ。


「道屋さん……。怒りっぽい人ってわけじゃ、ぜんぜんないけど。怒るべきとこでは、ちゃんと怒れる人だもんなあ……」

「おや。友屋さん、もしかして、すでに怒られたことあるのかい。あの人に」

「え……ええ、まあ。ちょっと……」

 友也は目を伏せ、言葉を濁した。その件は、もう、あまり思い出したくない。百パーセント自分に非のある案件だから、余計に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る