「人魚屋さん」2/3

「……ん?」

 土手の上から響いた呼び声に、友也は思わず顔を上げた。

 声のしたほうを振り向くと、遠目に見えたのは、荷車を引いて歩く一人の人物だった。

 ここからではよくわからないが、そのしわがれた声からして、たぶんおじいさんなのだろう。


「にんぎょー。にんぎょはぁー、いらんかねー」

 

 荷車のおじいさんは、もう一度そう言って、ぷー、ぱー、とラッパを鳴らした。

「……金魚売りの、行商さん……?」

 そう、呟いて。しかし、友也は首をかしげた。

 なんだかどうも。さっきから、おじいさんの呼び声が、「人魚いらんかねー」って言ってるように聞こえて、ならないのだが。

 自分の耳がおかしいのか。おじいさんの滑舌が悪いのか。それとも。いや、まさか……。


 少し考えてから、友也はハッと気づいて、持ち歩いていた住民名簿をポケットから取り出した。

 友也がこの町の住民に出会うと、出会った順に、その住民の名前が勝手に書き込まれていく、不思議な住民名簿。

 その紙を、おもむろに開いて見てみると。

 1から31まである番号の、8の数字の横に、案の定、初めて目にする名前が書き込まれていた。

 「人魚屋さん」という名前が。

 どうやら、「金魚屋さん」の聞き間違いではなくて、あの行商さんは、本当に「人魚屋さん」で合ってるらしい。

 

「にんぎょー。にんぎょはぁー、いらんかねー」


 三度目のその呼び声に、友也は、釣り針をいったん川から引き上げた。

 そして、釣竿をその場に置いて立ち上がると、土手を登って「人魚屋さん」のもとへと向かった。

 人魚。

 自分が今欲しいのは「魚」であって、その上に付いてる「人」部分は余計なんだけど。

でも、欲しいとか欲しくないとか、そういう問題じゃなくて。ただ、そんな商品売ってたら、単純に気になるじゃないか。


 時おり草に足を滑らせながら、けっこう傾斜のある土手を登って。その上にある道にたどり着いた友也は、すでにその場所を通り過ぎた人魚屋さんに、後ろから声を掛けた。

「あ……あのー」

 その声に、ごろごろと音を立てて転がっていた荷車の車輪が、ぴたりと止まった。

 一呼吸置いて、「人魚屋さん」は、ゆっくりと友也のほうを振り向いた。

「はい、いらっしゃい。……おや」

 友也を見た人魚屋さんは、その眉をわずかに上げて、にやっと笑った。

「あんた、友屋さんだね。新入りの」

「え……。ええ、まあ……」

 曖昧に答えて、友也は軽く会釈した。


(ふうん。この人が人魚屋さん、か……。珍しいもの売ってるわりには、ありがた屋さんみたいに風変わりな格好はしてないんだな……)

 なんとなく、もっと奇抜なナリの行商さんを想像していたが。こうして近くで見ても、わりと普通な感じの人である。

 麦わら帽子を被り、首に手ぬぐいを巻いて、角笛のような形の小さなラッパを首から掛けた、お年寄りの行商さん。身体つきはひょろひょろと細っこく、背中も少し曲がっているけれど、その肌は日に焼けていて、なんだか、歳のわりにはすごく元気そうに見えるおじいさんだ。


 さて。それはそうと。

 気になるのは、行商さんよりも、この人の売っている商品のほうである。

 友也は、人魚屋さんの引く荷車の荷台に目を落とした。

 しかし、荷台は分厚い布で覆われていて、その下にあるのだろう肝心の商品の姿は、ちっとも見えない。

 友也は顔を上げ、おずおずと、人魚屋さんに尋ねた。

「あ、あのー……。人魚屋さんて、本当に、人魚を売ってるんですか?」

 すると、人魚屋さんは、目尻の皺を深く刻んで「ひっひっひ」と笑った。

「そりゃあそうさ、決まってんだろ。人魚屋が人魚を売ってない、なんてぇ妙ちきなことが、この世の中にあると思うのかい、友屋さん」

「そ……そうですよね」

 つられて笑みを浮かべ、うなずきながら。

 いや、そもそも。今の今まで、この世の中に、「人魚屋さん」なんて商売があるとは思わなかったぞ。と、友也は心の中で呟いた。

「友屋さん」をやってる自分が言える筋合いでもないが、人魚屋さんなんて、存在そのものがすでに充分妙ちきじゃあないか。


(……に、しても)

 友也は、再びちらりと、布に覆われた荷車の荷台に目をやった。

 人魚屋さんって商売が、現にこうして存在するということは。

 人魚を欲しがって買う人が、いるってことなのか。この町に。

(――人魚を買って、どうするんだろう)

 それを考えて、ちょっと身震いした。

 人魚の利用法というと、友也は一つしか思い浮かばなかったからだ。


「あの、人魚屋さん……。人魚屋さんの売ってる、その人魚って……。えっと。やっぱ、あれですか。よく言われる――肉を食べると、不老不死になる、っていう……?」

「ああ。もちろん、その人魚だとも」

 まじか。つくづく、なんてもの売ってんだこの町の行商は。

 驚き呆れる友也に対し、人魚屋さんは、にやりと笑って問う。

「なんだい。友屋さんは、不老不死に興味がおありかい」

「え!? いやっ、別にそういうんじゃっ……。き、聞いてみただけです! ちょっと聞いてみただけ!」

 友也は慌てて、頭と手を、共に激しくぶんぶんぶんっと横に振った。

 不老不死とか、確かにすごいけど。ものすごいけど。でも、そういう、あとで取り返しのつかなそうなことというのは、やっぱりちょっと。


 友也の反応に、人魚屋さんは、また「ひっひっ」と喉の奥で笑い声を立てた。

「そうかいそうかい。まあ、どっちみち、今の友屋さんには買えやしないだろうがね。人魚の肉なんてのは、オレの扱ってる商品の中でも、とびっきり高価な代物しろもんだからなあ」

 人魚屋さんのその言葉に、そりゃあそうだろうな、とうなずいて。

 その直後、友也は「ん?」と眉をひそめた。

 抱いた疑問を、こっちから尋ねるよりも先に。

 人魚屋さんは、友也にこう言った。


「まあ、他にもいろいろあるから、見ていくといい。人魚の血、人魚の骨、人魚の髪、人魚の目、人魚の肝、人魚の首……。中にゃあ、友屋さんの懐具合に見合う、手頃な品もあるからよ」

「……――か」


 解体済みとは。


 商品が人魚って聞いて。なんか、それは丸ごと一匹ずつ売っているものだと、勝手に思っていたから。予想外でびっくりした。そうか。そういう販売スタイルなのか。……そうか。ホッとしたような、ガッカリしたような。

「……え。ちょっと待って。人魚って、あの、普通の、イラストとかでよく見るあれですか。上半身が人間で、下半身が魚っていう……」

「そう、それだよ。その人魚だよ」

「ですよね。えっと。人魚屋さん、さっき、『人魚の首』って言いましたけど……」

「人魚の首、か。それもまた高価なんだよなあ。なんせ、あれだな。首の部分は、人魚の髪と目と歯と舌と血と肉と骨がまとめて購入できる、セット商品だからな。けど、それぞれを単品で買うよりは、セットのほうが断然お値段がお得で――」

「いや、人魚の首欲しいとか、そういう話じゃなくてですね! ……それって、本当に、ほんっとーに、本物の人魚の首なんですか!?」

「当り前だろう。人魚屋の売ってる首が人魚の首でなかったら、そりゃあ詐欺ってもんだ」

 こともなげに、人魚屋さんはそう答えた。

 いや、でも。上半身が人間の姿をした生き物の、首から上って。それはもはや、見た目としてはごく一般的な生首なわけで。いくら人魚屋さんがそれを「本物」だと言ったところで、実際問題、首だけになったそれが「本物」か「偽物」かなんてことは――。

 というか、それ以前に。


「ま、とりあえず、品物しなもん広げさせてもらおうかね。ちょうど昨日捕れたばっかりの、活きのいい人魚があるんだ。首なんかも、もうほんと新鮮で、まるでまだ生きているかのよう――」

「うおあああぁぁぁぁっ! ちょちょちょちょっと待って人魚屋さん!!」

 荷車の荷台を覆う布に手を掛け、商品を露わにしようとした人魚屋さんを、友也は慌てて押し止める。

 こんな秋晴れの空の下で、解体済みの人魚を広げようとすんな。活きのいい生首とか見たくない。絶対見たくない。そんなショッキングな露店は嫌すぎる。

「お……俺、別に、人魚の一部で欲しいものとか、ないですからっ……!」

 念のために、ぎゅっと目をつぶり。荷車から思いっきり顔をそらして。息を荒げながら、友也は人魚屋さんにそう告げた。


 そんな友也に対して、人魚屋さんは。

「おや、そうかい? そりゃあ残念だ。……でも、友屋さんは、さっき、魚釣りをしてたように見えたがねえ」

「え? ……ええ。そうですけど……?」

 魚釣りしてたら、なんだというのか。

 訝しく思いつつ、友也は薄目を開けて、そっと人魚屋さんを振り返る。

 すると、人魚屋さんは、布を荷台に被せた状態のまま、その布の隙間から手を突っ込んで、荷台の中をゴソゴソと漁った。


 ほどなくして、

「ああ、これだこれ」

 と、人魚屋さんは、荷台から何やら取り出し、警戒する友也の前へ差し出した。

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