第13話 ~8番目に出会った住民は、「人魚」を売るお爺さんの行商さん。~
「人魚屋さん」1/3
首尾良く――と、言っていいものかはわからないが。とりあえず、友也はこの町での「自分の家」を手に入れた。
開かずの間だらけのこの家は、寝室の扉もまだ開かないため、家の中にいてもベッド(なのか、あの部屋の中にあるのは。あるいは布団なのか。それも今の時点では不明である)で眠ることはかなわない。でも、一階のリビングのクローゼットの中に、そこそこ大きさのある毛布が入っていたので、友也はその晩、ソファのクッションを枕にして、毛布一枚にくるまった。
こうして、曲がりなりにも自宅を持ってしまって。本格的に、このかコよヶ駅前町に腰を落ち着けることになってしまって。ちょっと複雑な気持ちもあるけれど、こうなったら、もう開き直って、この珍しい状況を楽しんだほうがいい。
本当の家に、帰れないってことは。どうしようもないことは、どうしようもないのだから。あんまり真面目に悩んでると、たぶんそのうち精神を病む。そうだ。128年の磔の刑に処されていても、なおにこやかで気さくな雛形さんくらい、心に余裕を持とうじゃないか。そうそう。この際、大学の単位がとか、就職活動がとか、そういったことは――ああ、それらの単語を思い浮かべただけで、心がずしんと重くなる――いやいや。この町にいる間は、そんな真面目な話は、忘れることに……しよう……。そう、しよう…………。
なんてことを、うつらうつら考えつつ。友也は眠りに落ちていったのだった。
明くる朝。目覚めた友也は、部屋の中に射し込む朝日の光に、じーんと胸を温められた。
部屋の中に差し込む朝日の光を、自分が部屋の中から眺めているというこの事実。ああ、室内っていいなあ。屋内っていいなあ。壁と床と屋根があるってすばらしい!
そんなことを思いながら。というか、七割くらいの台詞は実際口に出して呟きながら。すがすがしい陽射しの中、友也はいそいそと毛布を畳んだ。
それから、家の中をいろいろ調べてみる。
昨日はなんだかんだで疲れてしまって、道屋さんと電話したあと、ぐだぐだ休んでそのまま寝入ってしまったから。この家の中は、開かずの部屋の数々を別にしても、いまだ未知なる部分がけっこうあった。
リビング、台所、洗面所、物置。そこらへんを探すと、ありがたいことに、日用品がひと通りストックしてある。食用油とか調味料とか(冷蔵保存じゃないものは、戸棚の中とかに案外たくさん入っていた。ただ、腹の足しになりそうなものはない……)、歯ブラシとか歯磨き粉とか、石鹸とかトイレットペーパーとかの消耗品。そして、わずかではあるが、下着や洋服といったものも。
これなら、しばらく生活に困ることはなさそうだ。
「しばらく、ならいいんだけど……。消耗品の類を一年間もたせるのは、無理そうだなこれ。帰りの電車の切符を手に入れる前にトイレットペーパーが切れたら、俺はいったいどうすればいいんだ……」
この先の生活に、不安は残る。
他の住民たちは、トイレットペーパーってどこで手に入れてるのか。今度誰かに会ったら聞いてみなければ、と、友也は思った。
家の中をあらかた調べたのち。友也は、この家の固定電話から、本当の自分の家に電話を掛けてみた。
しかし、受話器の向こうからは、いつまで経っても物音一つ聞こえてこなかった。
うん、いいんだ。わかってたさ。道屋さんが、町の外から電話を掛けてきたと言っていたから、もしかしたらと思ったけれど。
道屋さんの旅先からは電話を掛けられても、友也の本当の家がある場所に、この電話は通じない。なんとなく、そんな気はしていた。この町では、きっと「そういうもの」なんだろう。実際に確かめてみて、気が済んだから、いいんだもう。
軽い落胆を呑み込んで。
そうして、台所に戻ってきた友也は、冷蔵庫から例の一皿を取り出して、朝食を取る。
昨日、料理を食べ終わったあと、洗って冷蔵庫に戻しておいた皿。皿自体はなんの変哲もないように見えるものだけど、道屋さんが教えてくれたとおり、再び冷蔵庫から取り出したその皿の上には、本当に、昨日食べたのと同じ料理がまるまる復活していた。おお、いいぞいいぞ。この町では珍しいかもしれない、良い方向性の不思議だ。
不思議な力で復活を遂げる、固定されたそのメニューは、おにぎりと、卵焼きと、ウインナーのケチャップ炒めと、ブロッコリーの塩茹で。このラインナップだと、朝食っぽくもあり、お弁当っぽくもあり、夜食っぽくもある、ような気がする。だとすれば、これは朝昼晩の三食に対応できうる、何気に究極の一皿なのではなかろうか!
……などと、無理やり前向きに考えてはみたものの。
毎日三食このメニューを食べ続けるのは、やっぱり当然、さすがにきつい。
そりゃ、食べ物がなくて飢え死にするよりはマシなんだけど。特に嫌いなものも入ってないし、むしろ、好物のみで構成されていると言っていい一皿なんだけど。それでも、日々の食事をこの皿だけに頼っていたら、いったい何日で限界が来てしまうだろうか。
「食べ物、探しに行かなくちゃな……」
思わず深刻な声で、友也は呟いた。
一応、いくらか食料のある場所は知っている。町役場の給湯室だ。あそこには、いろんな種類の缶詰が、それなりの量置いてある。
だけど、あの缶詰は、いざというときの、本当にどうにもならなくなったときの非常食、ということにしときたい。なるべくギリギリまで、手を付けずにとっておきたい。
「この町には、今はもう、食べ物売ってる店ってないらしいし……。となると、自分で何か、食べられそうな植物とか見つけてくるしかないのかなあ? ……ほかの住民の人たちは、どうやって食べ物手に入れてるんだろう。みんな、自分ちの冷蔵庫にもともとあるものだけ食べて暮らしてるんだろうか……?」
今度誰かに会ったら、そこらへんのことも聞いてみよう。
あるいは、この町に家は持っていないけど、道屋さんに食事の事情を尋ねるのもいいだろう。あの人、おいしいパンを持ち歩いていた。この町にパン屋とかがないのなら、あれは町の外の店で買ったものかもしれない。その店の場所を、ぜひ教えてもらいたい。
「あ。待てよ……? この町の行商さんの中に、食べ物屋さんがいるって線もあるか?」
ふと、その可能性にも気づく。
店を持たずに、商品を自分の足で売り歩く行商さんが、食べ物を扱っているとしたら。それなら、「この町に食べ物を扱っている "店" はない」という情報と、矛盾はしない。その行商さんがパン屋さんだったりしたら、とてもうれしい。
まあ、でも。あまり不確定なことは当てにせず、とにかく、早めに食料を探しに行くことにするか。
皿の上の料理を平らげて。その皿を洗って、再び冷蔵庫に戻してから。
友也は、「よし!」と拳に気合を入れて、玄関へと向かった。
+
食料を求め、しばらく町の中をうろうろしているうちに。
友也は偶然にも、この町ではまだ数少ない、見覚えのある場所にたどり着いた。
そこは、先日訪れた河原だった。
河原の景色なんて、どこも同じようなもんかもしれないが。でも、先日訪れたあの河原に間違いない。なぜなら、あのとき買い物をした、魚の絵の描かれた青い自販機があるからだ。
描かれているのは魚の絵だけど、魚そのものではなく、魚釣りをするための釣竿だけ売っている自販機。それを知らずにお金を入れて、商品を買ってしまったあのときは。とにかく、すぐに食べられるものを求めていたから、そのスローライフ向けな商品を「使えねえ!」とその場で捨ててなかったことにして、それ以降、そんな自販機があったこと自体をすっかり忘れていたけれど――。
「釣竿……か……!」
ごくり、と喉を鳴らして。青い自販機に、友也はまっすぐ歩み寄る。
あのときとは、状況が変わった。
悠長なことしてる場合じゃなかった数日前とは違い、固定メニューとはいえ、安定して食料を確保できるようになった、今であれば。
「使える……! 釣竿、充分使えるアイテムじゃないか!」
これは、なんとしても、今一度入手しておきたい。いや。なんとしてもというか、三百円出して買えばいいだけなんだけど。
「でも……売り切れたりとか、してないよな……?」
なんだかそれもありそうな事態に思えて、友也は不安になる。
が、心配する必要もなかった。
自販機のそばには、先日友也が買った直後に投げ捨てた、あの釣竿が、そのまま残っていたのである。これなら買い直すまでもない。
竹と糸と釣り針でできた、昔話に出てきそうな、簡素な造りの釣竿。
数日野ざらしで放置されていたであろうそれは、ちょっと調べてみても、どこか壊れたりしている様子はなかった。うん。ちゃんと問題なく使えそうだ。
ただ、釣りなんてほぼやったことのない自分が、このシンプル極まりない釣り具でまともに魚を捕れるのかどうかは、また別問題ではあるが。
「まあ……とりあえず、やるだけやってみよう」
独りうなずいて、友也は、その竹の釣竿を拾い上げた。
さて、それじゃあ――。
よく知らないけど、まず、餌を探さなきゃいけないのかな、こういう場合。
「川魚って、何食うんだろう。……虫……で、いいのかな……?」
よく知らないけど、おぼろげな推測のもと、友也はその辺の石の下や草むらを調べて虫を探してみる。するとほどなくして、名前はわからないが、何かうにょうにょしてる虫や、うぞうぞしてる虫や、カサコソしている虫などが見つかった。
素手で虫を触る、という子どもの頃以来の体験に、やや鳥肌を浮かべながら、友也は見つけたその虫を、ぷすり、と釣り針に掛ける。
そうして、適当な岸辺から釣竿を振りかぶって、川の中に針を投げた。
「……釣れるかなあ」
岸辺にあった岩に腰を下ろして、友也はしばらく待ってみる。
何をするでもなく、ただただ釣竿を握って、目の前の川面を眺める。
川のせせらぎの音。秋風の匂い。青い空に輪を描くトンビの鳴き声――。
実にのどかだ。こんな時間の過ごし方も、悪くない。これがいわゆるスローライフというやつか。……おそらく、スローライフを送っている人たちの大半は、今の自分のようなグダグダな生活基盤の上で暮らしてはいないだろうが。自分の意思でそういう暮らしを選び取るからスローライフなのであって、必要に迫られてやっているとなれば、それはどっちかっていうとサバイバルだ。でも、自分の今とこれからの生活を「サバイバル」って言ってしまうと心が折れそうなので、ここはあえて「スローライフ」と呼んでおきたい。まあ、たぶんこの町で命を落とすことはないだろうから、実際サバイバルってほどでもあるまい。うん。
(……それにしても、「サバイバル」って言葉の響きは、本当にサバイバルって感じするよなあ。「スローライフ」と比べて「サバイバル」のほうがちゃんと極限状況って感じに聞こえるのは、やっぱり単語の中に二回も出てくる「バ」の文字のおかげなんだろうか……)
暇のあまり、ついつい、そんなどうでもよすぎることに思考が及ぶ。でも、どうでもよくない真面目なことを考えて鬱々とした気分になるよりは、「バ」の効果に思いを馳せるほうがマシというものだ。
そういった具合で。友也はしばらくの間、基本的にどうでもいいことを考えたり、頭の中で一人しりとりをしたり、一人山手線ゲームをしたりして。これでもし魚が釣れなかったら、まさに「無駄な時間」の見本になる、と言っていい時間を過ごしたのだった。
そして、魚は釣れなかった。
「う―――ん…………」
場所が悪いのか。餌が悪いのか。釣竿が悪いのか。あるいは腕が悪いのか。
一応、途中で何度か場所を変えたり、餌を変えたりもしてみたのに。
川の中を覗けば、魚影はけっこう見えるのに。
この釣りを始めたのは、ちょっと遅い朝くらいか。それで、今はもう、とっくに太陽は昇り切って、傾き始めている。
「こんなにも釣れないとは……」
そろそろお腹もすいてきた。
今日は、もう諦めて、別の食料を探すことにしようか――。
と。そう思ったときだった。
「にんぎょー。にんぎょはぁー、いらんかねー」
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