「友屋さんの家」3/3

 道屋さんと、玄関先で挨拶を交わして別れ。一人になってから、友也は家に入った。

 そうして、玄関を上がったところの廊下に、荷物をほっぽり出して。友也はとりあえず、自分で家の中を探索、点検してみた。――の、だが。

 電気は、通っている。ガスも、水道も、問題なく使える。洗面所や、風呂、トイレ、台所もきれいだ。それは、いいのだけど。

 問題は、それ以外の部屋だった。

 洗面所、風呂、トイレ、台所――以外の部屋の扉が、ことごとく、開かない。二階なんか、トイレを除いて他がぜんぶ開かずの間なのだ。これはいったい、どういうことなのか。


「くっ……! 鍵、でもっ……掛かってんのかなあっ……!」

 力いっぱい、扉を押したり引いたりしてみるも、開かないものは開かない。外から見ても、鍵の摘まみや鍵穴らしきものは見当たらないのに。

「内側からだけ、鍵が掛けられるようになってんのかな……。でも、そんなの、誰がいつ……」

 もしかして、中に誰かいたりするのか。そうも考えて、開かない部屋を片っ端からノックしてみたが、どの部屋の中からも返事はないし、人の気配も感じられなかった。


 あきらめた友也は、ひとまず廊下に放り出していた荷物を持って、台所に向かった。

 台所の入口の扉が開くのは、幸いだった。この家の間取りは、台所がいわゆるLDKになっているので、台所に入れさえすれば、それと一続きの空間になっているダイニング、およびリビングも使用できるのだ。

 そのことを踏まえてみると、この家も、住む上で特に不都合があるわけではない。

 自分一人で暮らすのに、部屋なんてそう何個も必要ないのだから。リビング一つあれば、そこを兼寝室にして寝ればいいのだし。というか、一軒家じゃなくてアパートでも借りたら、だいたいそんなもんじゃないのか。いや、LDKに加えてもう一部屋くらいあるものかな?

(まあ、いいや。タダで1LDKが手に入ったと思えば。二階はもう、最初からなかったものと思うことにしよう……)

 そう自分を納得させて、友也はリビングの隅に荷物を置いた。

 途端に、ぐう、と腹が鳴る。


「……寝る場所は、一応、確保できたわけだから。……あと、問題は、食料だなあ……」

 溜め息混じりに呟いて、ふらふらとした足取りで、友也は台所のスペースへと移動した。

 冷蔵庫の前まで来て、立ち止まる。

 期待するわけじゃないけれど。それでも、もしかして、と思い。冷蔵庫の扉を開けてみる。

「お」

 と、思わず明るい声が漏れた。

 意外にも、冷蔵庫の中には、本当に食べ物が入っていた。

「これは……」

 庫内のど真ん中にぽつん、と置かれたそれを、友也はまじまじと見つめる。

 何も変わったものではなかった。見ればすぐにそれとわかる、馴染み深い食べ物だ。

 おにぎりと、卵焼きと、ウインナーのケチャップ炒めと、茹でたブロッコリー。それらがちゃんとラップを掛けられ、白い大きめの皿に一人前、盛り合わされていた。

 なんというか、とてもお弁当チックなメニューである。あるいは、ザ・夜食、といってもいいかもしれない。冷蔵庫の中に、ただこれのみが入っているのはかなりの違和感だが、それはそれとして、なかなか胃袋に訴えかけるラインナップの一皿ではなかろうか。


 友也は思わず手を伸ばし、よく冷やされたその皿を、そっと両手で掴んだ。

 そうして、空っぽになった冷蔵庫の扉を閉めて、皿に掛けられたラップをペリペリと剥がす。

 皿の上に鼻を近づけて、慎重に、においを嗅いでみる。……傷んでいるようなにおいはしない。

(でも、いつから冷蔵庫に入っているものだかわからないし……。さすがに、これを食べるのは……)

 と。そこでふと、電子レンジに目が留まる。

 そうだ。あっためてみれば、もっとよくにおいがわかるかも。それでちょっとでも駄目そうな気配がしたら、そのときは潔くあきらめて、この得体の知れない皿は廃棄することにしよう。

 そう思い、友也は、ラップを掛け直した皿を電子レンジに入れた。

 友也の実家の電子レンジは、温め終わってもチン、とは鳴らないが、この家にあるレンジは本当にそういう音がした。おお、これぞまさしく「レンジでチン!」と、どうでもいいことにややテンションが上がりつつ、友也はホカホカと温まった皿をレンジから取り出す。


 再びラップを剥がして、皿から立ち昇る湯気のにおいを嗅いでみる。

 やっぱり、別に危ない感じのにおいはしない。むしろ、強烈に食欲をそそる良い匂いしかしない。おにぎりに巻かれた湿った海苔の香りと、程よく焦げ目の付いた卵焼きや炒めウインナーの香ばしさと、ウインナーに絡む甘いケチャップの匂いとが、皿の上で渾然一体となってああああああああ!

 友也はたまらず、皿の上からおにぎりを一つ掴み取って、かぶり付いた。

 そこから先は、もう止まらない。

 もう一つのおにぎりも、卵焼きも、付け合わせのブロッコリーも。ウインナーのケチャップ炒めさえも、箸や楊枝を探す手間すらもどかしく、何もかも全部手掴みで口に詰め込んでいき、あっという間に平らげた。


 指に付いたケチャップを、行儀悪く、ぺろりと舐めて。

 腹を満たせた幸福に、友也はふううと溜め息をついた。

 そのあと、汚れた手と皿を流しで洗い、お茶を淹れて、一服。冷蔵庫の中は、いくら探しても、先ほどの皿の他には飲み物一つ、調味料一つ入っていなかったが、台所を探してみれば、お茶っ葉や急須や湯飲み、ヤカンなんかはすぐに見つかった。


 そうして人心地ついた友也は、一つあくびをして、リビングの床に寝転んだ。

 手足を大の字に投げ出して、天井を眺めながら。

 友也は、この空間を、ぼんやりと居心地良く感じていた。

(この家のこと……道屋さんの見つけた二軒と比べて、普通だとか、平凡だとか、面白みがないとか、散々好き勝手なこと思っちゃったけど……。冷静になって考えてみれば、俺には、このくらいの家で充分――……っていうか、分不相応なくらいだよなあ。……家一軒手に入れるって、本当なら、すごく大変なことなんだから。……親の脛かじって暮らしてる大学生の身分で、仮にも一軒家で一人暮らしなんて、贅沢すぎる……)

 たとえ、二階建ての建物の二階が、ほぼ丸々使えなくたって。

 一階のLDKだけでもそれなりの広さはあるし。風呂、トイレ別だし。トイレは一階と二階に一つずつあるし。……二階のトイレは、使う機会ないかもしれないが。


(そうだよ。どんな家だろうが、曲がりなりにも家ってだけで……。野宿しなくてよくなっただけでも、もう、全力で感謝すべきことなのに。……なのに、この町の入居システムが……。いや。それに限らず、この町は、いろいろおかしな町だから……。俺も、いつの間にか、感覚が麻痺してきてるよな……)

 そんなことを思いながら。今までの心身の疲れと、お腹がいっぱいになったことも手伝って、段々とまぶたが重くなってくる。

(……でも)

 うとうとしつつ、靄が掛かっていく意識の中で、友也は、ふと疑問を抱く。

(結局……道屋さんは、この家の何を見て「いい家」だって言ったんだろう)

 見た目はごく普通で、中に入ってみたところで、特に何かが素敵だというわけでもなく、それどころか開かずの間だらけの、欠陥住宅みたいな家。それでも、今の自分にとって心の底からありがたいのは、確かだけれど。

 ただ、道屋さんが、わざわざこんな家を「いい家」だと言って強く勧めてきたのは、どうにも解せない。見つけた三軒の家の中から、道屋さんが、あえてこの家を選んで勧めた理由って、いったいなんだったんだろう?


 ひょっとして。道屋さん、ほんとはまだ怒ってたんだろうか。かっぱらいのこと。

それで、仕返しに、わざとこんな開かずの間だらけの家を選んで、勧めてきたとかいうことは……。

(いや……それはないだろう。道屋さんは……あの人は、そんな、陰険なことするような人じゃあ……)

 疑念を振り払い、友也は、すでにぼやけてきた視界を、そっと瞼で塞ぐ。

(今度道屋さんに会ったら……そのときは、ちゃんと聞いてみようかな……)

 でないと、結論など出そうにない。

 気掛かりを残したまま、ほどなくして、友也は眠りに落ちた。




 どのくらいの時間、眠っただろうか。

 プルルルルル……と、部屋の中で鳴り響く電話の音に、友也は目を覚ました。

 起き抜けの脳味噌は、今いる場所と状況を思い出すのに少し時間を要したが、友也が慌てて電話機に駆け付けるまでの間、呼び出し音はマイペースに鳴り続けていた。

 白い固定電話の受話器を取ると、こちらが名乗るよりも先に、相手の声がした。

『もしもし。友屋さん?』

「あ……道屋さん?」

 声の主がその人であることは、すぐにわかった。ただ、どうして道屋さんが早速この家の電話番号を知っているのかは、わからないが。――というか。


「この町、電話は、普通に使えるんですね……。あの。道屋さんも、今、家から掛けてるんですか?」

『いや、公衆電話だ。俺はもうかコよヶ駅前町を出て、旅先の町にいる。しばらくは、この辺りで「道」を売ろうと思ってな。……言っとくが、帰り道を持たない旅人の俺に、自宅なんてもんはないぞ』

「え。かコよヶ駅前町にも、道屋さん、家、持ってないんですか。……あれ? そういえば、そもそも道屋さんて、かコよヶ駅前町の住民なんですか? それとも、よくかコよヶ駅前町に商売しに来る行商さん、ってだけ?」

『……いや。住民名簿を見ればわかると思うが、一応、俺もかコよヶ駅前町の住民だよ』

「……この町に、家、持ってないのに?」

『……遠山彦さんが住民名簿に名前載ってるくらいなんだから、俺が住民でも、別にいいだろ』

 ああ。確かに、その人の名前を持ち出されると、反論のしようがないけれど。


「それで、道屋さん。旅先から、いったい、なんで電話なんか?」

『ん。いや、何。用事というほどのことでもないんだがな。ただ、友屋さんがどうしてるか、気になって。――どうだ? その家は』

 それを尋ねられて。友也は、う、と言葉に詰まる。

 どうだ、と、聞かれても。

 どうしよう。「何も問題ないですよ」と「どうもこうもないですよ」のどっちが近い答えかといえば、それは確実に後者なんだけど。でも、この家を勧めてきた当人に、欠陥住宅だとかなんだとか、そういうことは、けっこう言いにくい。

 しかし、うん、まあ。聞かれたのだから、ここは、正直に答えることにしようか。


「えーと、ですね。……この家、開かずの間が、やたらいっぱいあるんですけど――……」

 おずおずと、友也がそう口にすると。

『ああ。この町の空き家は、どこも建て付けが悪いからな。どの家を取っても、みんな最初はそんなもんだ』

 道屋さんは、さらりとそんなふうに返してきた。

「え……。建て付け……なんですか? ……どの家取っても? ……っていうか。そんなもん、って、どういう……」

『住み始めの頃は、開かない部屋がたくさんあるもんなんだよ。心配するな。家主が家に馴染んで、住み慣れていくにつれて、徐々に扉の開く部屋も増えていくから』

「……それは、本当に建て付けの問題なんでしょうか……」

 腑に落ちない思いを、電話の向こうへ漏らす友也。

 それに対して、道屋さんは、回答の代わりに、

『門のところに表札でも付ければ、より部屋が開きやすくなるぞ』

 と、付け加えた。いや、だから。それで改善する問題は、どう考えても建て付けとは関係ない。


『それはそうと、友屋さん。冷蔵庫の中は、もう見たか?』

「え? あ、はい。見ましたけど……?」

 答えながら、友也はドキリとする。

 見ただけじゃなくて、それ、すでに食べ終わってしまったんだけど。……なんだろう。なんで、道屋さん、唐突にそんなことを聞いてくるのか。もしかして、食べちゃだめだった、なんてことはないよな、あれ。……大丈夫だよな。別に、なんの変哲もない、おいしい料理だったし。あの、おにぎりと、卵焼きと、ウインナーのケチャップ炒めと、塩茹でしたブロッコリー……。

 にわかに不安が湧き上がり、友也は、無意識に自分のお腹へと手を当てた。

 しかし、次の瞬間。電話の向こうから返ってきたのは、予想だにしなかった言葉であった。


『それじゃあ、友屋さん。食べ終わった皿を冷蔵庫に戻しておけば、もともと冷蔵庫に入っていたのと同じ食べ物が、何度でも新しく皿の上に現れるってことは、知ってるか?』

「…………ん!?」


 道屋さんの口にした、その情報に。友也は、驚きのあまり、声を詰まらせた。

 なんだと……。なんだと、それは、本当か。そんな、昔話に出てきそうな冷蔵庫が。いや、昔話に電化製品は登場しないけど。でもほら、主人公が妖精とか小人とかにもらうアイテムで、そういう、飲食物無限増殖・無限復活系って、あるじゃないか。そんなものが――。

 ……うん。あってもおかしくない。この、おかしな町、かコよヶ駅前町ならば。


(ん? 待てよ、それじゃあ……。道屋さんが、家の中に入って調べてたものって……。道屋さんが言ってた、「いい家」「よくない家」の判断基準って、もしかして――)

 はたとそのことに気づき。友也は、再び受話器に向かって口を開く。

「あの、お聞きしたいんですが……。道屋さんが見つけた二軒の家って、冷蔵庫の中には、どんな食べ物が入ってたんですか?」

 それを尋ねると。道屋さんは、記憶を手繰るように少し口をつぐんだあとで、こう言った。


『――一軒目の冷蔵庫の中身は、どんぶりに山盛りのカイワレの葉と、マヨネーズ。二軒目の冷蔵庫の中身は、もずくと、チューブ入りわさびと、コーヒー用のフレッシュだった』


 淡々と述べられた、そのメニューを聞いて。

 友也は、道屋さんがこの三軒目の家を勧めてくれたことに、心から感謝し、電話口で頭を下げた。

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