「道屋さん」3/4

「『道』の……材料?」

 その言葉を、友也は思わず問い返した。

「材料って、なんですか? ――『道』って、何かから、作るものなんですか?」

 友也が身を乗り出して尋ねると、道屋さんは、大きな旅行鞄を持ち上げて、その顔に浮かべた笑みを深めてみせた。

「付いてくれば、わかるさ」

 そう言って、道屋さんは友也の前に、今しがた鞄から出した小瓶を差し出した。

 その小瓶の中身は、昼とも夜とも言えない、ちょうど夕暮れ時の景色のような、なんとも捉えどころのない色をしていた。


 道屋さんは、小瓶の口を塞ぐガラスの栓を、捻って回す。

 カロン、と澄んだ音と共に、小瓶が開く。

 友也は思わず息を止めて、遮るもののなくなった小瓶の口を、覗き込んだ。

 その瞬間。

 目の前いっぱいに、夕暮れ時の色が広がった。

 かと思うと、昼の名残と夜の端っこがまだ混ざり切っていない、どっちつかずなその薄暗い空間が、あっという間に友也の全身を包み込んだ――。




 気がつくと、友也は、とっぷり夕闇に浸された十字路に立っていた。

 周りにあるのは、ひと気のなさを除けば、一見なんの変哲もない住宅地。ただ、さっきまでいた新興住宅地のような家並みではなく、もっと今風のデザインからはずれた家ばかりが建ち並ぶ、ごちゃごちゃとして、生活感の染みついた、何十年も前から変わらずここに存在しているような、そんな町の風景だった。

 どこかで見たことがあるような、ないような。いつか来たことがあるような、ないような。自分の住んでいた町にも、こんな路地が、あったような、なかったような――。


 ふと、この道からどうにかすれば、自分の住んでいた町に、自分の家に、戻れそうな気がした。いや。でもやっぱり。この道からどう行っても、ますます見知らぬ道へと迷い込んでいくだけのような気もするのだった。

 帰れそうな、帰れなさそうな。ひどくもどかしい感覚に、友也は胸を締めつけられる。

 息苦しくなる胸の中に、どんどん不安が流れ込んでくる。

 ああ、これって。ここにいると、こんな気持ちに襲われるこの道って、もしかして――。


「迷い道、だ」

 と、そのとき。友也の心を読んだかのように、すぐ隣から、この「道」の名を告げる声がした。

 振り向くと、道屋さんがそこに立っていた。

 その姿を見て、友也はホッとする。そうだ。「道」の材料を採るのを「手伝いに」行くという話だったのだから。自分一人でこんなとこに放り出されたわけじゃない。道屋さんも、ちゃんと一緒なのだ。

 肩の力を抜いて、友也は、道屋さんに尋ねた。


「ここで、『道』の材料が採れるんですか?」

「ああ。あいつらは、決まって『迷い道』に現れるからな。……そろそろ、来るはずだ」

 声をひそめてそう言うと、道屋さんは、友也を手招いて歩き出した。


 道屋さんは、辺りをきょろきょろ見回しながら歩いていって、やがて、ある民家のシャッター付きガレージの前で立ち止まった。

 すすけた鼠色のシャッターは、中途半端に半分ほど開いた状態だった。そのシャッターの下をくぐって、道屋さんは、勝手にガレージの中に入ってしまった

 いいんだろうか。これ、不法侵入じゃないんだろうか。と内心不安に思いながら、友也もまた、とりあえずあとに続く。

 友也がガレージに入ると、道屋さんは、シャッターに手を掛け、どうやら手動で開け閉めできるそのシャッターを、ガラガラガラと引き下ろした。完全に下まで下ろすのではなく、地面との間に、十数センチの隙間を残すようにして。

 そうして暗くなったガレージの中に、どすん、と重い音が響いた。道屋さんが、旅行鞄を地面に置いた音だった。


「道屋さん……。あの。こんなところで、いったい何を?」

「しっ。友屋さん、あんたも伏せとけ」

「は?」

 友也が聞き返すよりも早く、道屋さん自身はもう、ガレージの地面にうつ伏せになっていた。

 わけがわからなかったが、それでもやはりとりあえず、友也は言われたとおりにする。

 ガレージ内に停まっている車のタイヤをよけて、シャッターのほうに顔を向けて、地面に伏せて。道屋さんがしているように、シャッターと地面との間の隙間から、外を覗く。


「さあ……来るぞ。静かにしてろよ、友屋さん」

 隣に伏せた道屋さんが、ガレージの前の道路を見つめながら、そう囁いた。

 なんなの。何が来るの。『道』の材料が、これから目の前の道路にやってくるってこと? 道屋さん、それを狩るの? 俺はそれを手伝うの?

 尋ねたいことはいろいろあったが、静かにしてろと言われたので、怖くて声は出せない。友也は、息を殺して身を固くした。


 そのとき。

 友也の耳に、遠くから近づいてくる何かの音が、聞こえてきた。

 それは、地面を伝って響いてくる音のように思われた。

 友也はガレージの地面に片耳をくっ付ける。そうすると、思ったとおり、よりはっきりとした音を聞き取ることができた。


 それは、たくさんの足音だった。

 何十人、いや、何百人という人数の集団が、こちらに向かって歩いてきている。

 統制など微塵もない、思い思いの歩調の足音が、幾重にも重なり、混ざり合って聞こえてくる。それはまるで、砂の雨が降る音のようだった。

 足音の大群は、どんどん友也たちのいる場所へと近づいてくる。

 友也は目をつぶって、地面にくっ付けたままの耳を澄ます。


 足音との距離が削られていくにつれ、それまですべてが混ざり合い、ぼやけていた足音の塊が、だんだんと、その中にある一つ一つの音の輪郭を露わにし始める。

 ザッ、ザッ、と地面を擦る音。カツン、カツン、と靴の裏を打ちつける音。パタ、パタ、パタ。ぺた、ぺた、ぺた。コッ、コッ、コッ。きゅ、きゅ、きゅ……。

 さまざまな響きの、さまざまな歩調の、足音の群れが。

 もう。すぐ、そこまで。


 友也は、ゆっくりと顔を上げた。

 シャッターと地面との隙間から覗き見える、ガレージの前の道路を、じっと見つめる。


 ほどなくして。

 友也たちの前に、足音の主たちが、現れた。


 右から。左から。唐突に道路に湧いて出た、足、足、足。

 その中には、大人の足も、子どもの足も、老人の足もあった。スニーカーを履いている足も、革靴を履いている足も、ハイヒールを履いている足も、サンダルを履いている足もあった。靴も、靴下すらも身に付けていない、裸足の足もあった。

 その人々の、足より上は、シャッターが邪魔になって、どうしても見ることができない。

 数え切れない足たちが、次から次へと、途切れることなく、友也たちの前を行き過ぎる。

 彼らはみんな、ふらふらと、あっちへ行ったりこっちへ行ったり。進むべき方向を決めかねている様子で、惑いながら歩いている。しっかりした足取りで真っすぐ道を進んでいく足など、一つとしてない。


 たくさんの足たちは、地を踏むたびに、それぞれの足跡を残した。

 それは、泥や土の汚れとはまた違う、奇妙な足跡だった。たとえるなら、道路の表面に浮いた、痣みたいな。靴の裏の汚れが道路に写ったものじゃなくて、道を踏むことで、道そのものから浮き上がってくるもののような。そんなふうにして生まれる足跡に思えた。


 しばらく経つと、群れをなした足たちは、ガレージの前の道路から、少しずつ姿を消していった。

 右から来た足が、左へ、左から来た足が、右へと、去っていって。また、ふらふらと惑い歩いたすえに、もと来た道を引き返していく足もあって。

 やがて、あれだけたくさん歩いていた足が、一つ残らずどこかへ消え去ったあとには。

 ガレージの前の道路は一面、足たちの残していった、無数の足跡で埋め尽くされていた。


 隣で、道屋さんの立ち上がる気配がした。

 ガラガラガラ、と、道屋さんがシャッターを引き上げる。ガレージの中の薄暗がりに、外から差し込んだ夕暮れの色が溶ける。

 友也はのろのろと体を起こし、まだ半ばぼんやりとしながら、道屋さんの顔を見上げた。

 道屋さんは、そんな友也に笑い掛けて言った。

「それじゃあ、手伝ってもらおうか。『道』の材料集め」

「……え」

「そこに落ちてる足跡を、できるだけたくさん、一緒に拾い集めてくれ。時間が経つと消えちまうから、急いでな!」

 そう告げるが早いか、道屋さんはガレージから飛び出した。

 友也も慌ててあとを追い、道路に出る。

 そうして、友也は、道屋さんと一緒に「足跡」を拾い始めた。


 アスファルトの道路に貼りついた足跡は、指先で端を摘まむようにしてみると、ぺろりと簡単に地面から剥がれる。でも、持つことはできるのに感触はないし、薄紙ほどの重さもありはしない。

 子どもの足跡、大人の足跡。大きな足跡、小ぶりな足跡。スニーカーの足跡、ハイヒールの足跡。サンダルの足跡、裸足の足跡――。

 両手で持てるだけ拾ってから、友也はいったん、道屋さんにそれを渡しにいった。

「おう、ありがとう。この袋に入れてくれ。足跡が消えるまで、どんどん集めてくれよ」

「はい。……道屋さんは、この足跡で、売り物の『道』を作るんですね」

 つくづく、不思議で奇妙な仕事である。昨日出会ったありがた屋さんもそうだったけれど、まったく、この町の行商人というのは。


「――あ。そういえば、道屋さん。さっき、この道を通っていった人たちは、いったい、なんだったんですか? こんな、何もないような道を。なんで、あんな大勢の人たちが――」

 道屋さんの持つ、口を広げた大きな布袋に「足跡」を入れながら。友也はそれを尋ねてみた。

 すると、道屋さんは。

「あいつらは、迷い道に現れる『マイゴ』だよ。俺の売る道は、マイゴの足跡から作るんだ」

 と、当り前のように答えた。

「ま、迷子? さっきの人たち、みんな道に迷ってたんですか? ……じゃあ、あの人たちも、道屋さんの売ってる『帰り道』、欲しかったんじゃあ」

「ああ、いや。マイゴっていうのは、そういうものじゃないんだ。『道に迷っている人』なら、代金さえ払えば道を買うことはできるが、ああやってマイゴになっちまったら、もう、どんな道も買うことはできない」

「……? 『道に迷ってる人』と『迷子』って、同じじゃないんですか?」

「マイゴはマイゴだよ。マイゴは迷子と違って道を買うことができない。そういうものなんだ」

「???」

 道屋さんの言うことは、友也にはさっぱりわからなかった。


 それから、友也と道屋さんは、しばらく足跡を拾い続けた。

 二人で手分けした甲斐あって、夕暮れ時だった「迷い道」がすっかり暗くなる頃には、大きな袋は足跡でいっぱいになっていた。

 拾い残した足跡が、闇に溶けて消えていくのを横目に見ながら、友也と道屋さんは、その迷い道をあとにした。

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