「道屋さん」4/4

 収穫した足跡と共に、二人はもといた道へ戻ってきた。

 帰るときには、また道屋さんの小瓶を――「迷い道」が入っていた小瓶を使った。

どうやら、小瓶を開けて、友也と道屋さんが迷い道に来るのと入れ替わりに、その小瓶の中の景色は、二人がそれまでいた道のものへと変わっていたらしい。その小瓶を再び開けることで、自分たちはここへ戻ってくることができたのだと、道屋さんは友也に話した。そのときに見せられた小瓶は、中になんの景色も入っておらず、今度こそ、本当に空っぽになっていた。


 足跡の入った袋を、満足げに両手に抱えて。道屋さんは、友也に微笑んだ。

「どうもありがとう、友屋さん。手伝ってもらって、本当に助かったよ。こんなに大量の足跡が採れたのなんて、初めてのことだ」

 それを聞いて、友也はホッとする。とりあえずこれで、受け取った代金五百円分の働きは、できただろうか。

「いいえ、どういたしまして。――と、友達ですから! このくらいのこと!」

「ははは、そうだったな」

 友也の言葉に、道屋さんは屈託なく笑った。が、友也は自分で言っておいて、「これって、友達とはなんか違う気がする」と思わないでもない。まあ、でも、道屋さんが特に気にしてないみたいだから、別にいいか。


「それじゃあ、友屋さん。今日は、この足跡が古くならないうちに、他の材料も採ってきて新しい『道』を作りたいから、旅行に出る時間はないんだが……。いい『旅路』ができたら、またあらためて、『友達』買って、誘わせてもらうよ」

 おお、うれしいことを言ってくれる。二回に分けて「友達」を買ってもらえれば、そのぶんこっちの儲けは増えるわけだから、ありがたい。しかも、お金をもらった上に旅行にまで連れてってもらえるというのだから、こっちからしたらかなりの良い話だ。

 このお客さんを逃さないよう、さらにひと押し、アピールしとこう!

 そう考えて、友也は積極的に話題を継いだ。


「道を作るのには、足跡の他にも、材料がいるんですね。その、他の材料って、なんですか? それ採りにいくのも、俺にできることなら、手伝いますよ!」

「えっ、そうか? ……うーん。しかし……」

 友也の申し出に、道屋さんは、両腕を組んで、少し考えてから、

「道を作るために必要な、もう一つの材料というのは、地図の木の種なんだ。この町じゃ別段珍しい植物ってわけでもないが、まとまった量を集めるとなると、けっこう探し歩くことになるかもしれん。運よく地図の木の群生地が見つかればいいんだが、そうでなければ……」

 言いながら、道屋さんは、なぜか道の端へと寄っていく。かと思うと、リュックサックと旅行鞄をドサ、ドサ、と地面に下ろし、大荷物に身を挟むようにして、その場に座り込んだ。


「俺は、ここでちょっと休む。今朝方この町に戻ってくるまで、ずっと歩き詰めで、ろくに休憩取ってなかったんでな。地図の木を探しに行くのは、少し体力回復させてからにするよ」

 友也に向かって、やや気だるげな声で、そう告げるやいなや。

 道屋さんは、道端の塀に背をもたれ、目を閉じてしまった。



 

 すうすうと寝息を立てる道屋さんを眺めながら、友也は一人、激しく時間を持て余す。

 どうしたもんだろうか。道屋さんが目を覚ますまで、自分もここにいたほうがいいんだろうか。でも、それまで何していよう。こんな道端で勝手に休まれても、周りに暇を潰せるものとか何もないから、地味に困る。

(かといって、下手にここから動いたら、またここに戻って来れるかわかんないしな……。そのまま合流できなくなったら、地図の木の種採りに行くのも、手伝えなくなっちゃうし。――それに)


 眠っている道屋さん両脇に置かれた、二つの大荷物に目をやって、友也は少し眉を寄せた。

 現金の入った袋を入れてた布鞄は、さすがに一応、たすき掛けして肩に掛けたままにしているけれど。リュックサックと旅行鞄を、こんなふうに手放しで置いて眠ってしまうのは、不用心なんじゃないだろうか。 

「やっぱり、見張ってたほうがいいよな、これ……」

 いくらひと気のない町、人通りのない道とはいっても。心配なことは心配だ。

 ましてや、今の自分は道屋さんの「友達」なのだから。友達の荷物の盗難を心配するのは、人として当然のことだろう。

 よし、と。友也は自分も道路の反対側に、道屋さんと向き合うようにして腰を下ろした。

 そこから、道屋さんのリュックと鞄を見張ることにする。

(リュックのほうはどうだか知らないけど……。あの旅行鞄には、それなりに金目の――いや、金目のものっていうのかな? この場合。……うーん。でも、売れば何十万とか、何百万とかする道が、いっぱい詰まってる鞄なわけだから……)

 そんなことを考えつつ。友也は、道屋さんの商売道具というか、商品の入った旅行鞄を、じっと見つめる。


(いろんな「道」が詰まった鞄、かあ……)

 旅路に、迷い道。他にもいろいろ、あるのだろう。道屋さんは、なんと言っていたっけ。確か、散歩道に、逃げ道に、それから……。

(――帰り道。あの鞄の中に、俺の家への「帰り道」も、入ってるのかな……)

 ふと、そのことが、頭をよぎったとき。

 友也の心に、もわりとよからぬ思いが湧いた。


(あれ? もしかして……。この状況って、チャンスなんじゃないか? 「道」の詰まってる鞄が、すぐそこにあって。その鞄の持ち主は、疲れて無防備に眠ってるって……)


 どくん、と、心臓が高鳴る。

 道屋さんは、出会って間もない会話の中で、「家への帰り道が欲しいのか」と尋ねてきた。その帰り道の値段だって、提示された。代金さえ払えば、すぐさまその場で、その「帰り道」を売ってくれるかのような口ぶりで。

(そうだよな……。「人気の旅路」なら、たくさんの人が買って品切れになることもあるだろうけど、「俺の家への帰り道」なんて、俺以外、誰も買うはずないんだから――)

 だから、きっと。

 自分の家への帰り道は、今、あの旅行鞄の中に、入っている。


 よしんば、それがなかったとしてもだ。あれだけの数の「道」があるなら、自分のもといた町や、そうでなくても知っている場所にたどり着ける道は、何かしらあるに違いない。この際もう、北海道でも沖縄でもいいのだ。このかコよヶ駅前町と違って、あのおかしなかコよヶ駅と違って、普通にいつでも電車や飛行機を使って家に帰ることのできる場所なら、どこだって――。

 もちろん、どんな場所までの道にせよ、それが道屋さんの売っている商品である以上、きちんと正規の代金を支払って手に入れなくてはならない。そんなことはわかっている。でも……でも――。


(そもそもの話、「帰り道」って、なんであんなに高いんだ? だって、「道」の材料ってのは、さっき採ってきたあの足跡と、地図の種なんだろ? そんなの、別に元値のかかるものじゃなし……。材料費がすごく高くつくってのならともかく、そういうわけでもないのに、道一つで何十万もふんだくるとか。道屋さんの商売って、実はけっこうあくどかったりするんじゃないか……?)

 なんか、だんだん、そんな気がしてくる。

 道屋さんから、向こうの言い値で「道」を買ってしまったら、しなくてもいい損をすることになるんじゃないかと。それならば、道屋さんにお金を支払う、という以外の方法で「道」を手に入れるのが、むしろある意味正しいやり方なんじゃないかと。考えれば考えるほど、そんなふうに思えてくる。


 おいおい、おまえ、人としてまずい方向に行こうとしてるぞ――。

 と、胸の内で囁く理性と良心の声は、しかし、いささか音量が足らず、届くべき場所へ届く前に掻き消された。今の友也の思考は、なんとか自分に都合のいい理屈を導き出そうと、ひたすらそのことに一生懸命で、それを邪魔する声などは、とても割って入る余地がない。


 気がつけば、友也はふらり、と立ち上がっていた。

(うん、そうだそうだ。材料費もかからない「道」一つに、三十万は高すぎるって……!)

 一人うなずきながら。友也は、そろそろと忍び足で、道屋さんの鞄へ近づいていく。

(それに、「道」は、あれだけいっぱいあったんだから。あの中から一つくらいなくなったって、道屋さん、別に困んないだろ。それに比べて、俺はどうだよ。このまま家に帰る目途がつかなきゃ、今晩寝る場所だって、どうしていいかわかんないような状況なんだぞ……!)

 道屋さんに比べて、自分のほうが、こんなにも追い込まれた状況にいるわけだから。

 だからこういう場合。このくらいの行為は、許されてしかるべきなんじゃないだろうか――。


 ごくり、と、唾を飲み。

 道屋さんの寝顔を、注意深く凝視しつつ。友也は、おそるおそる旅行鞄に手を伸ばす。

 道屋さんが目を覚ます気配は、ない。

 友也は、旅行鞄の取っ手を掴んで、鞄を地面から持ち上げた。

 ――いける!

 友也は、再び足音を立てないようにして、慎重に一歩一歩、道屋さんからあとずさる。

 そして、道屋さんとの間にある程度の距離が開いたところで、両腕に余る大きな旅行鞄を無理やり抱え、一気に全速力で駆け出した。


(ごめん! 道屋さん、ごめん……っ!)

 さすがに心の中では謝りながら。しかし、絶対捕まりませんようにと祈って、友也は後ろを振り返ることなく、とにかく逃げた。道屋さんの声や、追ってくる足音は、聞こえてこなかった。

 いける。このまま逃げ切れる。小瓶のいっぱい詰まった鞄はそれなりに重かったが、もっと道屋さんから遠ざかるまでは、鞄を下ろして休むわけにもいかないと、友也は必死で走り続けた。


 そうして、人として頑張ってはいけない方向に力を尽くすことしばし。

 足も、鞄を抱える腕の筋肉も限界に達したところで、友也はようやく立ち止まり、旅行鞄を地面に下ろした。

「こ……ここまで来れば……」

 息を切らして、友也は来た道を振り返る。

 そこに、道屋さんの姿はない。どうやら、上手く逃げおおせたようだ。

 友也は、弾む呼吸に安堵の溜め息を紛れ込ませた。今、ゆっくり深い溜め息など吐き出したら、それによって酸欠になりそうだった。


 息が整うのを待つこともなく、友也は、鞄の蓋の金具に指を掛けた。

 パチン、と金具を押し上げて。

 さまざまな「道」が詰まったその鞄を、開ける。


 大きな鞄の中に、整然と並べられ、目いっぱいに詰め込まれた、色とりどりのガラスの小瓶。それを一つ一つ手に取って、友也は、瓶の中に入った景色を確かめていく。

 自分の家への帰り道。そこへ繋がる知っている道。あるいは、テレビや雑誌で見ただけの観光地でもなんでもいいから、どこか確実に知っている場所。そのうちの、どれか一つでも見つかればそれでいいとはいえ。これだけたくさんある「道」を、一つ一つ見て探していくのは、かなり時間のかかる作業になるだろう。

 道屋さんは、どうしているだろうか。まだ眠っているのか。すでに目を覚まして、鞄を盗まれたことに、気づいているだろうか。もしかしたら、今頃は、鞄と共に姿を消した自分のことを、捜し回っているかもしれない。まあ、でも。この辺りは、分かれ道や交差点があちこちにあって、細かく路地の入り組んだ住宅街であるし。道屋さんだって、そう簡単にこの場所を探し当てられは――。


「おい」

 と。そのとき、背後で、低く押し殺した声がした。

 友也の心臓が跳ね上がる。

 ぎこちなく首を回して、後ろを振り向くと。

 そこには、唇の端を引きつらせ、歪めた笑みを浮かべて友也を見下ろす、道屋さんの姿があった。その表情からは、明らかな怒りが見て取れる。当り前か。


「あ……あの……。えっと……」

「ふん。俺としたことが、油断した――。『友達』を売っておいて、『友達だから』と気を許したところでかっぱらいを働くとは、いい度胸だ。根性は悪いがな!」

 まったく、返す言葉もない。

 友也は、旅行鞄から手を離して、深くうなだれた。

「あの……。道屋さん、どうして、すぐにここの場所が……?」

 力なくかすれた声で尋ねると、道屋さんは、コートのポケットから一つの小瓶を取り出し、それを友也に見せて言った。

「こういうときのために、俺は、『この鞄のある場所にたどり着ける道』を、肌身離さず持ち歩くことにしてるんだ」

 なるほど。一応、ちゃんと防犯対策はしていたわけか。


「もっとも、友屋さんが、この鞄の中に入ってる『逃げ道』を使っていれば、友屋さんと鞄を見つけられたかどうかは、わからんがな」

 道屋さんが付け加えた、その情報を聞いて。

「そっ、その手があったか!」

 と、友也は、正直な心の声を思わず漏らした。

「おい、友屋さん。あんた、ぜんぜん反省してないだろ……」

「い、いえ、そんなことは……。本当に、すみませんでした。もう、二度とこんなことしません。どうか許してください。ごめんなさい……」

 深く深く頭を下げて、友也はとにかく謝った。


 ああ。もはや、万事休すか――。

 帰り道が手に入らないとなると、家に帰れるのはいつのことになるやら、わかったものではない。それじゃあ困る。

 こうなったら、やっぱりもう、商売替えを考えたほうがいいだろうか。「友屋さん」なんて儲からない商売じゃなく、もっと単価の高い品を扱う、簡単に大金を稼げる仕事に就いて、道屋さんから帰り道を買えるだけの金を貯めて――。


 と。そこまで考えて、友也はハッとした。

 そうだ。どうせ商売替えするのなら。それなら、いっそのこと――!


 それを思いつくやいなや、友也は、勢いよく顔を上げて叫んだ。

「道屋さん! 俺を弟子にしてください!」

「は……はあっ!?」

 道屋さんは、完全に意表を突かれたようで、呆気に取られた声を上げた。

 友也は構わず、ずいっと前へ踏み出して、道屋さんの目を真っすぐに見つめる。

「俺、友屋を辞めて、道屋になります! だから、弟子入りさせてください! 俺に、『道』の作り方を教えてください!」

 道の作り方。それさえわかれば。何も、わざわざ大金出して、道屋さんから道を買わずとも。いつ見つかるかわかったもんじゃない駅長さんを探して、帰りの電車の切符を買わずとも。自分の力で、家に帰ることができるではないか!


「な……。あ……。いや。しかし、それは――」

 友也の頼みに対して、道屋さんは、困惑の色を露わにする。

 道屋さんは眉間に皺を寄せ、喉の奥で唸り声を鳴らしつつ、寸刻の間、口をつぐんだ。

 が。そのあと、ふと思い直したように眉を上げ、友也のほうへ視線を向けた。


「……そうだな。確かに、今の友屋さんなら、道屋をやる資格はある、か……」

「資格?」

 聞き返して、友也は、道屋さんを見つめる眼差しに、ぐっと力を入れた。

「道屋の仕事って、資格が必要なものなんですか? その資格さえあれば……なれるんですか? 道屋に」

 ついつい語気を強めて尋ねると、道屋さんは、うなずいて言った。

「ああ。資格というか、条件なんだが。道屋になって、道を作ったり売ったりすることは、『ある条件』を満たしている者でないと、決してできないことなんだ」

「――その、条件って?」

 重ねて尋ね、友也は、ごくりと唾を飲み込んだ。

 道屋さんは、ゆっくりと目を細めながら、その顔に薄い笑みを作って、答えた。


「”自分の帰り道を持たないこと”。それが、道屋になるための条件だ。――道屋というのはな。他のどんな道でも、作れない道はない。が、ただ唯一、自分自身の帰り道だけは、決して作ることも、持つこともできないんだ。道屋でいる限り、永遠にな」


 その答えを聞いて。友也は、言葉を失った。

 それじゃあ。道屋さんが。この人が、こんな、見るからに「旅人」の格好をしているのは。そして、その風体にたがわず、「ずっと旅を続けている」と言っていたのは。それは。


 さあ、どうする? ――と、道屋さんが囁いた。


 その問いかけに。

 友也は、声もなく、ただがっくりとその場に膝を突いた。

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