「道屋さん」2/4
ところで、と。道屋さんは、自分のぶんのパンを齧りながら、友也に言った。
「友達を一回、買わせてもらおうか」
唐突なその注文に。パンの最後の一口を、ちょうど呑み込もうとしていた友也は、思わず喉を詰まらせた。
ん、ぐ、と呻きながら、友也は喉の下を拳でドンドン叩く。
それを見た道屋さんは、鞄から出した缶のお茶を友也に差し出して、怪訝そうに眉を寄せた。
「おい、どうした。……あんた、行商の『友屋さん』なんだよな?」
「う……」
とりあえず、お茶を受け取って。プルトップの口を開け、冷やされていないぬるいお茶を、急いで喉に流し込んで。なんとかパンを飲み下し、軽くむせ返りながら、友也は、そうっと道屋さんから顔をそむけた。
「え、えっと……。それは……」
どうしたもんか。
相変わらず、自分はこの町の住民に、友達を売る行商の「友屋さん」だと勘違いされている。今この瞬間も、そしてこれからも、この町にいる限りずっと付きまといそうなこの問題に、自分はいったい、どう対処するのが正解なんだろうか。
いいかげん、どこかではっきりと訂正しといたほうがいいのかもしれない。自分は友也という名前なだけであって、「友屋さん」なんてけったいな商売してるわけじゃないんです、と。
――いや、しかし。ちょっと待て。
(「友屋さん」であることを否定したら――……俺、無職になっちゃうな)
はたとそのことに気がついて。友也は、深く悩んでしまった。
仮にだ。あくまで仮の話だが。もし、本当にあと一年、この町で生活しながら帰りの電車を待たなきゃならないとしたら。今財布の中にある、限られた手持ちの金が、あと一年、もってくれるかどうか。
(この町で、お金を使う機会ってあんまりないよな。食べ物とか欲しくても、売ってる店自体がどこにもないわけだし……)
食べ物、に関しては。まさに今しがた、道屋さんからパンを分けてもらったように。また、先日、影中さんや宮ノ宮さんにも良くしてもらったように。この町の住民たちに、ちょくちょく助けてもらえるかもしれない。たとえ一年間、宿無しサバイバル生活を送ることになったとしても、とりあえず、飢え死にするとかいうことはないだろう……たぶん。そう思いたい。
とはいえ、この町のことだ。これから先、何があるか。どんな予測不能な事態が起こりうるか、まったくわからない。
店はなくとも、このかコよヶ駅前町には、まだ見ぬ行商さんが、きっとあと何人もいるのだろうし。その行商さんから、何か買い物する必要が出てくるかもしれないのだ。
それに、である。
自分には、絶対に、どうしても、買わなければならないものがある。
帰りの電車の切符だ。それだけは、何があっても買い逃すわけにいかない。
かコよヶ駅の券売機が故障している今、帰りの電車の切符は、駅長さんからしか買うことができないという話だ。誰も居場所を知らない、いつどこに現れるかわからない駅長さんに、運良く出会えたとして。もしもそのとき、所持金が底を尽いていたら。――そんな最悪の事態だけは、なんとしても避けなければ。
そのためには、とりあえずの稼ぎ口は、失いたくない。
(いったん無職になったら、次の仕事を見つけるのって、大変そうだしな。……だって、町役場に貼ってあった就職情報のチラシ、「骨屋さん」とか、「屋鳴り屋さん」とか、そんなんだったもん……)
そこまでわけのわからない仕事をやるよりは。このまま「友屋さん」を続けるほうが、まだマシに思える。気のせいかもしれないけど。
(でも……「友屋」って、あんまり儲けのありそうな仕事でもないんだよなあ。この道屋さんみたいに、単価数十万円とかの品物扱う商売だったら、駅長さん見つけて切符買わなくても、道屋さんから「帰り道」買うくらいの金、稼げるかもしれないのに……)
そう思いながら、友也は、目の前にいる道屋さんを見る。
旅行鞄に腰掛けた道屋さんは、思案に暮れている友也のことはほっといて、マイペースにパンを食べ食べお茶を飲んでいた。考え事してる最中に口を挟まないでいてくれるのは、まったくもってありがたい。
(――ってゆーかそもそも。商品の単価が高いとか安いとかいう以前に、「友達」の需要って、どのくらいあるもんなんだ? この町で)
どうなんだろう。
今までに「友達」を売った相手は、雛形さんと宮ノ宮さんの二人である。雛形さんは、磔の刑に処されていて、退屈ゆえに話し相手を欲していたから。宮ノ宮さんは、たぶん、家に人を招いておもてなしするのが大好きな性分だから。二人はそれぞれそんな理由で、「友達」をお買い上げしてくれた。
あの二人なら、常連になってくれる可能性はありそうだ。
でも同時に、あの二人は、かなり特殊な例のような気がする……。
「あの……。道屋さんは、その……。どうして、俺から『友達』を買おうと?」
ちょっとためらいつつも、友也はそれを尋ねてみた。
だって、俺には友達がただの一人もいないんだ――とかいう寂しい告白が返ってきたら、居たたまれないことこの上ない、と不安であったが。
しかし、道屋さんの返答は。
「いや、別に。同じ行商者のよしみというかな。この町で初めて会った行商からは、なるだけ何か買い物するようにしてるんだ。ま、開業祝いの祝儀とでも思ってくれ」
「あ……ああ、なるほど」
うなずいて、友也はホッと息をついた。気まずい空気にならなくて、ほんとによかった。
「ありがとうございます。それじゃ、あの……」
と。そこで、友也はちょっと考えて、言葉を切る。
「…………」
指で軽く口元を隠しつつ、道屋さんから目をそらし。
友也は、か細い声で、こう言ってみた。
「……友達一回……五百円になりますが……」
「え?」
聞き返されて、ぎくう、と友也は硬直する。
そこへ、道屋さんは、間を置かずに追い打ちをかけた。
「友達一回の値段は、確か、百二十円だと聞いていたんだが。――友屋さん。ぼったくる気じゃないだろうな?」
先ほどまでよりも低めた声で、そう問われ。友也は、全身にじんわりと汗を滲ませた。
あああああ言わなきゃよかったあああああ、と、胸中に後悔の嵐が吹き荒れる。
もう、道屋さんの顔を見られない。けど、声色からして、道屋さん、眉間にしわを寄せてこっちを睨んでるっぽい。きっとそうだ。いやだ怖い。っていうか気まずい。つい今しがた、気まずい空気にならなくてよかった、とか思ったばかりだというのに。
とにかく、この場は謝罪しよう。
そう思い至り、友也は再び口を開こうとした。
が。次の瞬間、道屋さんは、
「ははっ、冗談だよ。友屋さん、昨日まで、期間限定開業セールだったんだろ? まあ、商品の単価百二十円じゃ、さすがに生活厳しそうだもんな」
と、明るい声を響かせた。
友也は、道屋さんのほうを振り向いて、その顔に確かに笑顔が浮かんでいるのを確かめてから、深く安堵の溜め息を吐き出した。
「じゃあ、払うよ。五百円」
道屋さんは、じゃらりと音を立てて、布鞄から、やや荒い布目の小袋を取り出した。手の平に乗るくらいの大きさのそれは、紐で口を締めるタイプの、色も柄も付いていないシンプルな布袋だ。ファンタジー映画かテレビゲームのRPGか何かで、こんな袋にコインを入れてるの見たことある。だが、金貨が入っていそうなその布袋から実際に出てきたのは、友也にとって馴染み深い、日本の通貨の五百円玉だった。
「……ありがとうございます」
友也は、それでもまだちょっと「いいんだろうか」という気持ち混じりで、道屋さんから代金を受け取った。
友達一回分の代金。受け取ったからには、この人に「友達」を売らなければならない。
五百円玉を自分の財布にしまって。
さて、どうしようか。と、友也は考える。
考える……のだけど。
いや。ほんとにこれ、どうすればいいんだろう。
今さらにも程がある困惑だが、「友達を売る」って、何それ。
雛形さんや宮ノ宮さんのときは、なんか、シチュエーションの異様さに呑まれて、相手に流されているうちに、どうにかこうにかなったけど。
でも、この道屋さんは、あの二人みたいにグイグイ友達を求めてるわけではない。
ちらと目をやれば、道屋さんは、悠然と微笑を浮かべ、じっとこっちの出方を待っている。「友達」というものをどう売るのか、その点について、興味くらいはあるのかもしれない。そんなのこっちが教えてほしいんだが。
(な……何か、喋らなきゃ……。友達っぽいこと……友達っぽいこと……っ!)
友也は必死で考えるが、考えれば考えるほどわからない。そうこうするうち、そもそも友達ってなんだっけ? という域にまで思考が広がり、苦悩と狼狽は増していくばかり。
うん……。もう、これは、あれだ。
「あなたが『友達』だと思うもの。それが『友達』なのです」ってことで、もういいんじゃないかな。
ついにそう開き直った友也は、意を決して顔を上げた。
そして、なんとか作ったぎこちない笑顔を道屋さんに向けて、こう尋ねた。
「あの……。道屋さんは、『友達』と、何か、やりたいことってありますか? こういうお喋りしたい、とか。こういうとこ行って遊びたい、とか――」
結局、丸投げることにした。
客の希望を聞いてそれに従うだけなんて、どうにも素人っぽい感じがするけれど。実際、ド素人に違いないんだし、ここは背伸びをせず、分相応にこれでいこう、と友也は決めたのだ。
「ええっと、ほら……。『友達』に対する価値観というか、『友達』に求めるものって、人によって違いますし。そこはね、やっぱり。お客様一人ひとりが、それぞれ求める形の『友達』を、こちらとしても、提供していきたいと思っていまして――」
友也は続けて、とりあえずそんなふうに、それっぽいトークも述べてみた。
すると、道屋さんは、
「ふうん、なるほど。……いい心がけだと思うぞ」
と、にっこり友也に笑い掛けた。
ふう、とまた安堵の息をつく友也の前で、道屋さんは、椅子代わりにしていた大きな旅行鞄から、おもむろに腰を上げる。
「友達と、したいこと、か……。そうだな……」
独り言のように呟きつつ、道屋さんは、旅行鞄の金具をパチンと開けた。
「それじゃ、一緒に、旅行にでも行くか? ちょうど気候もいい時期だし……。俺は、ずっと一人旅を続けている身なもんでな。たまには、どこかへ友人と連れ立って……」
言いながら、道屋さんは旅行鞄の中を探る。
友也は、道屋さんの後ろから、何気なくその鞄を覗き込んだ。
道屋さんの旅行鞄の中には、色とりどりの小瓶がたくさん入っていた。といっても、瓶自体は無色透明なガラスでできているようで、色とりどりなのは、瓶の中身のほうだ。でも、瓶の中にあるそれがなんなのか、友也にはよくわからなかった。固体でも、液体でもない。立体的なものでも、平面的なものでもない。なんだか、見たことのない質感のものに見えるのだ。
ほどなくして、道屋さんは、大量の小瓶の中から一つを選び、手に取った。
そして、それを友也に差し出して言った。
「この『旅路』で、どうだろう」
友也は小瓶を受け取って、ガラス越しのその中身を、まじまじと見つめた。
そこに見えたのは、小さな「景色」だった。
澄んだ空気の向こうにそびえる、赤や黄色と、色鮮やかに染まった山並み。その山に向かって細く伸びる、曲がりくねった小道。舗装のされていない、白い土の小道の両側では、黄金色の稲穂の海が、風に吹かれて波打っている。陽差しを浴びた赤トンボが、きらきらとその透き通った羽を光らせ、田から田へと小道を横切っていく。
その美しい風景に、友也は、瞬きを忘れて息を呑んだ。
小瓶の中いっぱいに詰まった景色に、しばし見入ったあと。
友也は、ふと好奇心に駆られて、瓶をくるりと少し回してみた。
そうしたところ。瓶の中の景色がくるりと動いて、白い土の小道は見えなくなり、その代わり、左右に途切れることなく広がる稲穂の海と、その向こうにある棚田の山が、瓶の中に現れた。さらに瓶を回すと、やはり、回したぶんだけ瓶の中の景色も動いて、今度は田んぼの向こうに、藁葺き屋根だか茅葺き屋根だかの、昔話に出てくるような民家が、ぽつりぽつりと何軒か建っている景色が現れた。
瓶を横からではなく、上のほうから見下ろすと、つい、ついっとトンボの影を滑らせる土の道が、そこに見える。瓶を底から見上げると、うろこ雲の浮かぶ青い空と、空の下を飛び交う赤トンボの群れが、そこに見える。
友也は、小さく一回、瓶を振ってみた。すると、手応えは何も感じられなかったが、ただ、瓶の中から一つ足音が響いて、ほんの少し、景色が動いた。
友也はさらに瓶を振った。瓶を振った数だけ足音が響き、瓶の中の景色は、足音の数だけ一歩一歩、前へ進むように動く。たわむれに、瓶を逆さにして振ってみると、瓶の中の景色は、今度は足音と共に一歩一歩、後ろへ下がるように動くのだった。
そんなふうにして、手の中の小瓶を、ひとしきり弄んで眺めてから。
友也は、惚(ほう)けた溜め息を漏らして、道屋さんに顔を向けた。
「これが……道屋さんの売ってる、道、ですか」
「ああ、そうだ。その瓶の中身は、人気商品の『旅路』の一つでな」
「秋の旅路、ですか……。うわあ、いいですね。こんな景色の場所、旅できたら……」
言いながら、友也はまた、うっとりと小瓶に目を落とす。
「そうだろう。その旅路は、俺としてもなかなか自信作の一品で――……と。――あっ、待て、友屋さん! それを開けるな!」
道屋さんが、急に鋭くそう叫び、ひどく慌てた様子で、友也の手から小瓶を奪い取った。
「えっ……。す、すいません。瓶の中、どうなってるのかなーって、気になって……」
「ああ、いや、すまん。――ちょっと、渡す『道』を、間違えた」
申し訳なさそうに謝罪を返したあと、道屋さんは、友也から取り返した小瓶を、確かめるようにじっと睨んだ。
そして、「ああ、やっぱり」と呟き、ふうーっと大きく息をついた。
「これは『長い旅路』のほうだった……。もっと短い旅路を選んで渡すつもりだったんだがな。いやあ、危なかった。この瓶を開けてたら、友屋さん、三年間は旅から戻ってこられないところだったぞ」
それを聞いて、友也はぞおっとした。
この道屋さんという人、たぶん、性格はかなりまともな部類の人物なんだろうけれど。それはそれとして、行商としては、なかなか恐ろしい品を扱っている。油断ならない。
そんなことを考える友也をよそに、道屋さんは、「長い旅路」の瓶を鞄に戻し、しばらくの間、再びごそごそと鞄の中を探っていたが。
「うーん。手頃な『旅路』は、今、どうやら品切れのようだな。新しく『道』を作ろうにも、材料が切れかかっているし――……よし!」
一つの小瓶を取り出してから、パチンと鞄を閉じて。
道屋さんは、友也を振り返った。
「これから、『道』の材料を採りに行こうと思うんだが。友屋さん、よかったら、手伝ってくれないか?」
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