第11話 ~7番目に出会った住民は、「道」を売る旅人の行商さん。~

「道屋さん」1/4

 黒いコートの背中で、ハッと目が覚めて。

 友也は、ただちに、昨夜から今朝にかけての記憶を整理する。

 かコよヶ駅前町を脱出して。線路沿いに歩いて帰ろうとして。でも、結局失敗して、トガカリさんに連れ戻されて――そして、今ここ、と。

 うん。確か、そういう状況のはずだ。睡眠のせいで、わりとごっそり記憶が抜け落ちてはいるが。昨晩、トガカリさん、自分のことを町まで運んで行くって、言ってたし。今、周りの景色が町の中ってことは、あれから、無事に町までたどり着いたんだろう。


 今いるここが、町のどこらへんなのかは、よくわからない。

 でも。よりピンポイントな現在位置が「トガカリさんの背中」であることは、明白なわけで。非常に一息つきにくいこのスポットから、友也は、できれば一刻も早く移動したかった。


「あの……。すいません。そろそろ、下ろしてほしいんですけど……」

 おそるおそるそう頼むと。

 次の瞬間、友也の体をガッチガチに拘束していた黒い鎖が、一気に緩んだ。

 どしゃっ、と音を立てて、友也は地面に尻もちをつく。ちくしょう。下ろしてほしい、とは言ったが、落としてくれとは言わなかったぞ。長身のトガカリさんの背中から落ちたので、ダメージが地味にそれなりだ。

「あ――……」

 と。トガカリさんが、唐突に声を伸ばす。

「……――ああ、眠い。うちに帰って休もう……」

 どうやら、さっきの長い声は、あくびだったようだ。そんな低音のあくびがあるか、というくらい、独自の音程だったけれど。


 それはともかく。

 トガカリさんの呟きを聞いて、友也は思わず、ぽつりと漏らした。

「トガカリさんは、いいですよね。帰る家があるなら……。俺は、今晩、いったいどこで夜を越せば……」

 力ない溜め息が端々に混ざる、友也のその言葉に。

 歩き出したトガカリさんは、足を止めて、振り向いた。

 おお、ちょっと意外。そのまま、無視して立ち去られるかも、とか思ってしまったが。この人との対話は、今なお悪い意味でドキドキしてしまうのだけれど、最初に会ったときよりも、いくらかまともにコミュニケーションが成立するようになってる気がする! うれしい!


(初対面で刑に処されかけたから、怖い人だとばかり思ってたけど……。昨晩だって、あんなわけのわからない案山子が出る危ない荒野に、俺のこと迎えに来てくれたし……。トガカリさんて、案外、面倒見のいいとこあるのかも……)


 振り向いたトガカリさんは、静止して、友也が何か言うのを待っているようだ。

 少し勇気づけられた友也は、そこで思い切って、尋ねてみた。

「あの……今晩、町役場に泊まっちゃ、いけませんか?」

 連日野宿はしたくない。かといって、家に帰る目途もつかないし。とりあえず、今晩の宿がほしいのだ。どうか頼みます。なんとかお願いします。

 そんな気持ちを眼差しに込めて、友也はトガカリさんを見つめる。

 それに対して、トガカリさんは。

「あまりよくない」

 と、微妙な答えを返してきた。


「町役場に、夜いてもいいのは、管理人さんだけだから。それ以外の者があそこに宿泊するのは……あまりよくない」

「……管理人さん?」

 いたっけか。あの役場の中に、そんな人。建物の中は、無人だったと思っていたが。

「住民登録をしたのなら、友屋さんも、会ってるはず。住民登録用紙を受け付けるのは、あの管理人さんの役目だから」

「……?」

 住民登録のとき? 

 思い返してみても、役場で誰かほかの人に出会った記憶など、やっぱり全然ないんだけど。

 ――ただ。


 そうだ。そういえば、あのとき。役場の二階に人影らしきものを見つけたから、建物の中に入ってみたんだった。でも、人かと思ったそれは、ただの看板――人間と同じくらいの大きさで、上半身だけでパイプ椅子の上に乗っかった、色あせた、古そうな人形看板だったのだ。


「まさか……あの人形看板が『管理人さん』だってんじゃ、ないでしょうね」

「そうだよ? あれが、このかコよヶ駅前町の、管理人さん」

 こともなげに、トガカリさんはそう答えた。

 うん。もうやだこの町。今さらだけど。

 友也は「管理人さん」とやらの件には、これ以上深く触れないことにした。


「それはそうと……。ええっと、あの。……トガカリさんて、どんなとこに住んでるんですか?」

 こういうこと詮索して、この人、怒らないかな……。と、ちょっとビクビクしながら、友也は聞いてみた。

 トガカリさんは、いつもどおり、口元に薄笑みを浮かべて言った。

「トガカリさんの家は、黒いよ。外観も内装も、驚くべき黒さだ。あんな真っ黒な家は、この町中探しても、トガカリさんの家ただ一つだよ」

 そうですか。

 今晩は、トガカリさんちに泊めてもらえるよう頼んでみようかな、なんて、ほんのちょっと思ってたけど、やっぱやめておこう。



          +



 そんなこんなで、トガカリさんと別れて。

 さて、これからどうしようか。

 どこに行けばいいんだろう。何をすればいいんだろう。昨日まで持っていた目的は、昨夜の件で霧消してしまった。切符を持たずに、線路沿いに歩いて帰る。それが無理だと、わかってしまったから。

 歩けども歩けども、いっこうに近づかない景色。どこからか現れた、謎の案山子の群れ。

 切符を持たずにあの荒野へ行くと、つまり、ああいうことになってしまうのか。


「……帰れないんだ」

 ぽつりとうつろな声で、友也は呟いた。

「帰れないんだ……本当に。駅長さんて人から、帰りの電車の切符を買わない限り……」

 うつむく友也の視界の中で、靴の先が、ふらふらと踏み惑った。

 駅長さん。

 まだ見ぬその人物は、めったに人前に姿を現さない人で。普段どこにいるのか、いつどこに現れるのか、それを知ってる人は誰もいない、という話だ。

 駅長さんを見つけて、切符を売ってもらう。

 もちろん、それがこれからの目的にはなるのだけど。

 でも。誰も居場所を知らない人を、いったい、どうやって捜せばいいというのだろう。


(もし……このままずっと、駅長さんが見つからなかったら……)

 そんなことを考えると、もう、溜め息すらも出なかった。

 ふらり、ふらり、おぼつかない足取りで、友也は当てどなく、それでも歩く。だって、そうするほかに、どうしようもない。

 ――と。そのときであった。


「おい、あんた……」

 不意に、誰かに声を掛けられて、友也は顔を上げた。

 そこにいたのは、見知らぬ若い男だった。

 広い陽除けのつばが付いた帽子。マントのようにも見える、襟元がくたくたとだぶついたコート。そして、色褪せた大きなリュックサックと、肩に掛けた布鞄と、これまた大きな、あちこち擦り切れた革張りの旅行鞄――。

 その男の風体は、まさに「旅人」だった。


「あんた、こんなところで、そんなふうにフラフラしてたら、マイゴになっちまうぞ」

 男は、そう言って友也を見つめた。

 迷子というか、なんというか……。なんなんだろう、今のこの状況は。家に帰れなくて、これからどこへ向かえばいいのかわからない。これって、どう言えばいいんだか。

「俺……迷子なんですかね」

「ん? さあ。見たところ、またマイゴじゃなさそうだが。迷子かどうかは知らないな。どっか、行きたい場所があるのか?」

 ……ん?

 なんか、今。さらっと、よく意味のわからないことを言われたような。


 友也は、戸惑いながら男を見つめ返す。

 すると、男は、片手で少し帽子のつばを持ち上げて、

「ひょっとして……あんた、『道』を、御所望かい?」

 と、友也に笑み掛けた。

 それで、友也はピンときた。そうか。この人こそが、話に聞いていた。

「『帰り道』を売ってる、行商さん――ですか?」

 友也のその問いに。

 男は悠然と、笑みを深めてみせた。


「いかにも。俺は、いろいろな『道』を商う行商、人呼んで『道屋さん』だ。散歩道、逃げ道、抜け道、近道。道なき道に、迷い道。この世のありとあらゆる道を、取り揃えて売っている。――もちろん、あんたの家への『帰り道』もな」


 それを御所望かい? と、道屋さんは、大きな四角い旅行鞄に手を乗せて、友也に尋ねた。

 ごくり、と、友也は唾を飲む。

 家への帰り道。それが、その旅行鞄の中に、入っているというのか? 売ってくれるのか? お金さえ出せば。――いや。その「お金」が、問題だ。

 「道屋さん」の鞄を、じいっと見つめながら、友也は顎に指を当てて、

「――でも、お高いんでしょう?」

 と、通販番組の合いの手みたいな台詞を口にした。

 「帰り道を売る行商さん」の話は、雛形さんから聞いて、知っていたが。そのとき聞いた話によると、「帰り道」の値段は、べらぼうに高価なものだった。

 友也は、ちらりと道屋さんの顔に視線を送る。

 道屋さんは、その視線を真顔で受け止めて、こう言った。


「そうだな。あんたの帰り道なら――……まあ、三十万は下らないと思ってくれ」

「えっ……!?」

 道屋さんが答えたその値段は、意外にも、友也の想定を大きく外れたものだった。

「そ……そんなお値段で、いいんですかっ?」

 などと、ついつい声を上げながら。だから通販番組じゃねえんだよ、と、友也は心の中で、自分で自分に呟いた。

 冷静に考えれば、三十万円って、ぜんぜん安い値段ではない。今、手元にあるわけないし、もしあったとしても、払うかどうかはかなり迷うところだろう。

 けれど。


「あの……。雛形さんは、『帰り道』の値段、百万円はするって言ってましたけど……」

「雛形さん? ――ああ。そうだな、あの人の場合は――……」

 道屋さんは、ちょっと考えるような顔つきになって、眉間に浅く皺を刻みながら、

「まあ、『帰り道』の事情というのが、人によって違ってくるからな。人によって、帰りやすい帰り道、帰りにくい帰り道があるわけだ。それが、値段に関わってくるんだよ」

 と、答えた。

 友也はうなずいた。

 つまり、帰り道が百万円の雛形さんは、帰り道が三十万円の自分よりも、ずっと「家に帰るのが困難な人」だというわけか。そりゃ、確かにそうかもしれない。何せ、雛形さんは現在、刑期128年の磔の刑に処されていて、毎日、日替わりで町のあちこちの路傍で拘束されているのだから。刑期が終わるまでは、あの人、とても帰宅どころではあるまい。

 それに比べれば、自分はまだずっと、家に帰れる望みがあるわけだ。


「うーん……。でも……三十万、か……」

 腕を組み、うつむいて、友也は唸る。いや、いくら唸って悩んだところで、財布の中から三十万円は、どうしたって出てこないのだが。

「道屋さん。……『道』の代金の支払いって、分割払いとか、ツケとかいうわけには――」

「生憎だが、支払方法は、現金一括払いのみだ」

 悪いな、と、道屋さんは苦笑を浮かべた。

 ああ、やっぱりだめか。まあ、たとえ分割払いOKだったとしても、三十万円払う気になるかどうかは、どっちみち微妙なところだけど。それでも、一つの可能性として、そういう方法もあってほしかったと思う。


 がっくり肩を落とし、うつむいて、溜め息をつく友也。

 それと同時に、くるるるる、と、腹の虫が情けない音を立てた。

 物寂しいお腹に手を当てる、そんな友也の様子を見て、道屋さんは言った。

「あんた、朝飯、まだなのかい。よかったら、一緒にどうだ?」

「……!」

 ちょっと涙目にさえなりかけていた友也は、道屋さんのその言葉に、勢いよく反応して顔を上げた。


 道屋さんは、四角い大きな旅行鞄に腰を掛け、もう一つの鞄――肩に掛けた布鞄の中から、薄茶色の紙袋を取り出した。その紙袋が開けられた途端、パンの香ばしい匂いが、友也の鼻先に流れてきた。

「ほら、あんたのぶんだ」

 と、道屋さんは、片手に乗せるとはみ出るほどのパンを一つ、友也に差し出す。

 シンプルな形状のそれは、たぶん、ライ麦パンとかいうやつだろうか。パンの種類にはあんまり詳しくないので、よくわからないが。なんというか、「いかにもパン!」といった見た目のパンで、籐で編んだバスケットとかに入れたら、よく似合いそうだ。

 両手で受け取ると、思った以上に、ずっしり重い。これがあれば、しばらくは空腹をしのげるだろう。でも――。


「い……いいんですか? これ。あの……代金、とか……」

「ああ、気にするな。俺は『道』を売る行商だ。自分の商品以外のもので、人から金を取りはしない」

 腹減ってるんだろ? と、道屋さんは友也に微笑む。

 その笑みを見つめながら、友也は、両手で持ったパンを、思わずぎゅっと握りしめた。

 パンはいったん潰れたものの、指の力を抜くと、またすぐにふおーっと膨らんで、再び元の形に戻った。

 素晴らしい生地の弾力。きっと、美味しいパンに違いない。

 そう予想しつつ、友也はもうたまらず、パンにかぶりつく。

 外側はパリッと硬い皮。けれどその中にある生地は、粒混じりでキメが粗いが、ちゃんとやわらかく、噛むとほのかに酸味があった。舌がきゅっと縮んで、口の中に唾がわく。食欲をそそるその酸味に後を引かれて、友也はわしわし、わしわしと、夢中でパンを貪った。

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