「遠山彦さん」3/3
友也は、慌てて案山子から目をそらした。
なんだか、その案山子の顔を、絶対に見てはいけないような気がしたのだ。
それからというもの。友也は、後ろを振り返ることなく、右も左も見ないようにして、地面に目を落とし、ただひたすら線路だけを見つめながら、歩いていった。周りを見なくても、これだったら迷うことはない。
でも、途中で、どうしても線路の先を見たくなって。目指すトンネルのある山に、どれくらい近付いたのか、確かめておきたくて。友也は両手で目を覆い、小指と小指の間から、細めた片目で狭い景色を覗き見た。
そうしたら。ちゃんと両目を使っていないせいか。
どうも、駅を出発したときから、全然、まったく、少しも、その山に近付けていないように見えて。もう、駅からけっこう歩いているのだから、さすがに、そんなはずはないのだけど。
(気のせいだ、気のせい……。とにかく。体力が限界になるまでは、とにかく歩こう)
自分に言い聞かせながら、友也は、再び顔をうつむけた。
そうして進むうちに、やがて夕方になり、日が暮れた。
友也は、辺りが暗くなるまで歩き続けたが、結局、トンネルのある山までたどり着くことはできなかった。
暗くなった、とはいっても、遠山彦さんの言っていたとおり、月明かりはある。地面は白々と照らされて、線路には、斜めに伸びた自分の影がくっきり映る。これなら、線路を見失うことなんて、まずはない。
でも、まあ。
いいかげん歩き疲れたし、今日は、ここまでか。
友也は、線路からいくらか離れて、残り半分のミートパイとお茶を腹に入れたあと、鞄を枕にして、地面に寝転んだ。
それから、どのくらい時間が経った頃か。
眠っていた友也は、何やら妙な気配を感じて、目を覚ました。
月明かりから顔をそむけるように、ごろんと寝返りを打って。
そしてゆっくり、目を開ける。
薄く開いた視界は、ぼんやりとおぼろげだった。
その中に、何本もの。いや、何十本もの、棒のようなものが見えた。
「……え?」
それがなんであるかに、思い至って。
友也は、思わず跳ね起きた。
いつの間にか。
何十という数の案山子の群れが、友也の周りを、すっかり取り囲んでいたのである。
とっさに、友也は目の焦点をぼやかそうとした。
けれど、なぜだか上手くいかなかった。目の前にある案山子たちの、竹一本で立つ足の林は、視界の中で、ほんの少したりとも滲んではくれない。
立ち上がる余裕まではなかった。そのおかげで、友也の目線は、今、案山子たちの腰くらいの高さにある。だが、ちょっと見上げれば。この月明かりの下だ。案山子たちの顔は、くっきりと見て取れてしまうだろう。
地面に映る、おびただしい数の案山子の影は、そのどれもが、両腕を真横に広げていた。
見上げてはいけない。
この案山子たちの顔を、絶対に、見てはいけない。
それがどうしてなのか。案山子の顔を見たら、どうなってしまうのか。そんなことはわからなかったけれど。とにかく、それを見たら、最後だと。そう思えてならなかった。
体が動かない。
目を閉じることもできない。
風が吹く。
荒れ野を舐め削るような、その風は、案山子の群れをゆらり、ゆらり、と大きく揺らした。
月明かりの下で、群れ立つ影が揺れ動く。
こつんこ、こつんこ。
案山子たちの腕がぶつかり合って、音を立てる。
影の中の一つが、揺れ戻らずに、傾いて、そのまま倒れた。
友也の、後ろにいた案山子だった。
その案山子は、軍手を被せた竹の先で、友也の肩をトンとつついた。視界の隅に、中身の入っていない軍手の指が、ちらと映る。案山子は乾いた音を鳴らして、地面に転げた。
あぶなかった。
今倒れたのが、後ろではなく、もし、自分の前にいる案山子だったら。
そこにいる案山子のどれかが、仰向けで倒れていたら。間違いないく、その顔を、見てしまっていただろう。
でも。
もしかしたら。いや、きっと。
次こそは、前にいる案山子が倒れるに違いない。そんな気がして、しかたなかった。
そして、また、風が吹いた。
さっきよりも強い風。
案山子が揺れる。影が揺れる。案山子の着物の裾がはためく。こつんこつんこつんこつんこつんこつんこつん。そこかしこで、案山子の竹がぶつかり合って、音を立てる。
体が動かない。
目を閉じることもできない。
もうだめだ――と、友也は、今にも倒れそうな案山子たちを、息を止めて見つめた。
そのときであった。
不意に、山のほうから、お囃子のような音楽が、風に乗って流れてきた。
かすれた細い笛の音と、軽い鼓の音。
その音色に乗せて、どこの地方の民謡ともしれない唄が、聞こえてきた。
案山子はなんぞ 竹を取る
ほいほーりゃ こっこいさ……
それは、遠山彦さんの声だった。
その唄声は、なんとも耳に心地よくて。
こんな状況だというのに、友也は、思わずうっとり聴き惚れた。
雨の上がった この山にゃ
こんきり こんきり こんきりこん……
唄声は、なおも響き続ける。
すると、どうだろう。
唄に合わせて、案山子たちの影が、少しずつ、少しずつ、動いていくではないか。
伸びる影に、縮む影。
思い思いのほうを向いて、絡み、重なり合っていた、案山子たちの腕の影は、みるみるうちにほどけていって、ほどなくして、みんな同じ向きに並びそろった。
案山子はなんぞ 竹を取る
大竹よこべりゃ
ほいほーりゃ こっこいさ
月影照らす この山じゃ
こんきり こんきり こんきりこん
こんきり こんきり こんきりこん……
そろって山のほうを向いた、案山子たち。
その竹でできた一本足が、ぴょんこ、ぴょんこ、と飛び跳ねる。
つまづいた竹馬のような足音を、少し拍子外れに、唄の節に乗せながら。
案山子たちは、影を躍らせ、山のほうへと去っていく。
そうして。
やがて、唄が止む頃には、案山子たちの影も形も、すっかり見えなくなっていた。
「た……助かっ……た……」
友也は、途切れ途切れに息を漏らした。
体中の力が抜けていった。腕も膝も、がくがくと、しばらく震えが止まらなかった。
あれはいったい、なんだったのか。あの案山子たちは。
物なのか。生き物なのか。それとも、この荒れ野に「棲むモノ」だったのか。
そんなことは、考えたところで、やっぱりわかるはずもないけれど。
でも、ただ一つ。遠山彦さんが、山の上から、助けてくれた。そのことだけは、どうやら確かなようだった。
「遠山彦さん……ありがとう」
山を見つめ、友也は、かすれた声で呟く。
月明かりに浮かぶ山の峰が、涙で滲んでふるふると揺れた。
と、そのとき。
山のほうから、何か、響いた。
ハッ……ヒッ……という、短い息遣いのような声。
なんだろう。と友也は耳をすませた。
次の瞬間。
ヘアックショ―――ン!!!!!
その、爆音。
なんてもんじゃない、音とすら、声とすら認識しがたい衝撃が、荒野に轟いて。
何が起こったのか、考える暇もなく。
友也の意識は、一瞬にして吹っ飛んだ。
+
気がついたとき。
友也は、鎖でがんじがらめになって、誰かの背中で揺られていた。
どうやら、背中合わせに自分を背負って、荒野を歩いているらしい、その人物が、誰であるのかは。
「と……トガカリさん……」
「うん。トガカリさんだよ」
いや、別にそこ、答えてくれなくてもいい。聞くまでもないから。
「な……何を、してるんですか?」
「トガカリさんは、友屋さんを、町まで運んでいるところ」
「そ、そうですか。あの……この鎖は?」
「この鎖は、トガカリさんのお気に入り。黒いから」
いや、そうじゃなくて。
この話の通じない感に、いやな感慨を覚えつつ、友也は問い直す。
「なんで、俺、わざわざ鎖で拘束されてるんですか?」
「……檻だと、けっこう、持ち運ぶのが大変なんだ。ああ、でも、もしかして、雛形さんみたいに磔台のほうが、友屋さんはよかったかな?」
「普通におんぶとかいう選択肢はありませんか!」
トガカリさんは、おまわりさん、兼、裁判官、兼、刑の執行人、であるとはいえ。逮捕や刑に関係ないところでまで、自前の拘束具を活用しないでもらいたい。
「ああ、そうだ、友屋さん。一つ、言っておくけどね」
「な、なんですか」
「うん。あの、山に住んでる住民ね。あの人の名前だけは、絶対に、口に出して呼んじゃいけないよ」
「え。……どうして?」
不思議に思って、友也が尋ねると。
「ほら、よく言うだろう? 人の噂をすると、噂された相手がくしゃみをするって。あの人は、自分の名前を呼ばれるだけでも、必ずくしゃみが出る体質なんだ」
トガカリさんは、そう言って、友也の手に何かを握らせた。
不自由な手と首を動かし、月明かりに照らして見てみると。
それは、一組の耳栓だった。
「だからこれ。町の住民は、一人ひとつは、持ってるよ」
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