「遠山彦さん」2/3

「――!?」

 友也はギョッとして、辺りを見回す。

 誰も、いない。

 だだっ広い荒野には、どこを見ても、人っ子ひとり見当たらなかった。

 ここにいるのは、やっぱり自分一人みたいだ。

 じゃあ、さっきの笑い声は、いったい。

「……まさか、山の上からってこと、ないよなあ……」

 眉をひそめて、友也はぽつりと呟いた。

 すると。


「「「 いやいや、そんとおり。おらあ、山の上に住んでんだ 」」」


「……!?」

 思いがけず、なんと答えが返ってきた。

 さっきと、同じ男の声。

 え? なんだ、どういうことだ。山の上、って。

 面食らいながら、友也は、その山を見つめ――ようとしたのだが。今いる場所から見える山なんて、あちこちにたくさんありすぎて、そのうちのどれのことだか、わからない。


 というか、だ。

 ここから見える山々は、地平線から生えたように見えるくらい、どれも遠く離れているのに。あんなところから、人の声が、ここまで届くものだろうか。

 それだけじゃない。大声の主は、さっき友也が呟いた言葉に、答えを返したのだ。ってことは、この場所で呟いた声が、大声の主に聞こえたってことなのか? 山の上にいる、その人に? そんな馬鹿な。


 大声の主が、本当に山の上にいても、そうでなくても、このままじゃ、どっちにしろ気味が悪い。

 だったら、いっそのこと。

 こっちからいろいろ話しかけて、声の主の正体を、ちゃんと確かめておこうか。


「――あんた、誰、なんだ?」

 ちょっと及び腰になりながら、とりあえず、友也はそう尋ねてみた。

 少しの間があってから、


「「「 ああ、すまねえ、驚かせちまって 」」」

 

 と、男の返事が、荒野に響き渡る。

 男の言葉づかいは、なんだか、昔話に出てくるお百姓さんみたいであるが。でもその声は、野太いながらも滑らかで、すごくきれいな声だった。


「「「 おらぁ、遠山彦とおやまびこっちゅうもんだ。……あんたは、友屋さんだな? 」」」

 

 男が喋っている間、どん、どん、どん、どん、と、重たい声の固まりが、絶え間なく友也の体にぶつかってくる。これは。まるで、あれだ。花火大会の終わりのほうで、たくさんの花火が、息もつかせぬくらい連続して打ち上げられる、あのときの、体中に響くような感覚だ。

 そして、その大音響は、地平線のそばに連なる山々に、何重にもこだましまくっている。

 おかげで、おおもとの声がどの辺りから発せられているのか、さっぱりわからない。山の上、と言われれば、確かにそんなふうにも聞こえるけれど。それにしたって、どの山なのかはよくわからなかった。


「「「 友屋さんは、んなとこで、いってぇ何してんだぁ? 」」」


「えっ……えっと……」

 四方八方からぶつかってくる声を受けて、友也は思わず顔をしかめる。

「あ、あの……。そんな大声で話さなくても、充分、声、届いてますし……。もっと、普通の音量で喋ってくれて、いいですよ……?」


「「「 いやあ。おらぁ、普通に喋って、この大きさの声なんだ 」」」


 わっはっはっはっはっは……と、豪快な笑い声が、また荒野にとどろいた。


「「「 なんせおらぁ、この馬鹿でけぇ声のせえで、人里で暮らせねぇくれぇだかんな。もし、おらとすぐ近くで喋ったりなんかしてみろぃ。おらが一言あいさつしただけで、相手ぁ、こっちの声のでかさにぶっ倒れちまわぁ 」」」


 そう言って、遠山彦さんは、さらに笑った。

 確かに。こんなとんでもない地声の人と、至近距離で会話なんかしたら、生命の危機すらありうるかもしれない。――「ぶっ倒れる」っていうのは、大声が脳天突き抜けてショックで気を失う、ってことだろうか。それとも、声の衝撃波によって体が吹っ飛ばれる、ってことなのだろうか。どちらにせよ、人里をうろついていたら脅威な人である。


「はああ……。それじゃあ、ずっと一人で、山の上で暮らしてるんですか。大変ですねえ……」

 言いながら、友也は半分無意識のうちに、ポケットに手を突っ込んだ。

 会話中とはいっても、目の前に相手がいないもんだから、なんか、手持ち無沙汰だったのだ。電話中に、特に役目のない片手が遊んでしまうようなものか。


 ポケットの中には、折り畳まれた一枚の紙。かコよヶ駅前町の、住民名簿。

 取り出して、何気なく、開いてみる。

 そこには、さっき名乗られたばかりの名前が、新たに書き込まれていた。

「えっ……?」

 友也は目を疑った。

 もちろん、それまでなかったはずの名前が勝手に記入されていたことに、今さら驚いたわけでは、ない。


 住民名簿から顔を上げて。友也は、いくつもあるうちのどれだかわからない山のほうへ、大雑把に目をやって、叫んだ。

「あんた……かコよヶ駅前町の住民なのか!?」

 その問いに対して、ああ、そうだよ、と、当然のような返事が返ってきた。

 いや、ちょっと待て。

「え? で、でも、あんたさっき、大声のせいで、人里では暮らせないって――」


「「「 ああ。おらぁ、ずうっと昔から、町には住まねぇで山暮らしだぁ 」」」


「……うん? じゃあ、あんたが住んでる山って、そこも、かコよヶ駅前町の区域の中なの?」


「「「 いんやぁ。山は山だ、町じゃあねぇよ 」」」


「……かコよヶ駅前町に住んでないなら、あんた、かコよヶ駅前町の住民じゃないだろ」


「「「 んなこたねぇよ。おらぁ、あの町の住民だぁ。だって、住民名簿に名前があるもの 」」」


「…………」

 そんな自信たっぷりに答えられたら、もう何も言えない。

 実際、住民名簿にこの人の名前が記載されているのは、それは、間違いなく事実なんだけど。うん。かコよヶ駅前町における「住民」の定義について、小一時間問い詰めたい。誰を問い詰めればいいのかは知らないが。

「ほかの住民の人たちは、あんたのこと、住民だって認識してるんですか?」


「「「 ああ、そりゃあ。おらの声は町まで届くし、町にいるもんの話し声も、おらにはぜんぶ聞こえてっからな。町に住んでるもんとは、よく話ぁすっぞ。ただ、町に住んでるもんと会ったこたぁ、一度もねぇけどな 」」」


 そういう人を、やっぱり、町の住民と呼んでいいものか。

 っていうか。

「町での会話とか、物音とか、ぜんぶそっちに筒抜けなんだ……」


「「「 はっはっはっ、まあな。けどまぁ、いつもいつも聞いてるわけじゃあねぇよ。おらぁ、昼は寝てることが多いし。だから、そんなぁ気にすんな 」」」


 いや、気になるよ。

 どうしよう。町だけじゃなく、ここで喋ったことも、呟きレベルの声であっても、あっちに聞こえてるみたいだし。

 お茶を飲みながら歩いてるから、このあと、何回かのトイレ休憩、挟まざるを得ないだろうというのに。もちろん、こんなとこにトイレという施設はないから、いくぶんか原始的な形のトイレ休憩になること必至であるが。物音が向こうに筒抜けとなると、どうにもこうにも、落ち着いてできそうにないじゃないか。……落ち着かなくても、じゃあやめとこう、ってわけにはいかないけど。


「あ……。そういえば」

 トイレとは関係ないことだが。

 友也は、ふと疑問に思って、遠山彦さんに尋ねた。

「最初に声がしたとき、大笑いしてましたよね? あれって、なんだったんですか?」

 すると、遠山彦さんは、ちょっと照れたような声で、こう答えた。


「「「 ああー、別に、なんでもねぇよ。ありゃあ、ただの思い出し笑いだぁ。おらぁ、笑い上戸でな。あんなふうに、よくおもしれぇこと思い出して、いきなり笑い出しちまうんだけどよぉ、びっくりしねぇでくれよな 」」」


 いや。前触れなくあんな大笑いが響き渡ったら、どうあったってびっくりすると思う。

 かコよヶ駅前町の住民たちは、遠山彦さんのおかげで、普通より心臓が鍛えられていそうだ。


「「「 あぁ、そんからな、友屋さん。悪いこたぁ言わねぇ。日が暮れる前に、町に戻んな。――今晩は、月夜になるかんなぁ 」」」




 ありがた屋さんも言ったのと同じような、その忠告を最後に、遠山彦さんの声は聞こえなくなった。それは、友也がその忠告を無視して、何も返事をしなかったせいかもしれない。

 この会話の途切れ方が、気まずい沈黙だったらやだな、と思ったが。

 それから間もなくして、ぐう、ぐう、と、大きないびきが、山々にこだまし始めた。

 友也はホッとして、そこで、ちょっと立ち止まる。

 さて、それじゃあ今のうちに、いくぶんか原始的な形のトイレ休憩といこう。


(それにしても……。遠山彦さんが、最後に言ってた、あれ……どういうことだろう?)

 聞き返すことなく、無視してしまったものの。不可解なその台詞の意味は、気になった。


 月夜だから、日が暮れる前に、町へ戻れ?

 普通、忠告するなら逆じゃあないか? 闇夜だから、というなら、まだわかる。こんな電灯も何もないような場所を、日が暮れてから歩くのは、確かに危険だろう。でも、月の出ている夜なら、月明かりって案外明るいから、それなりに足元も見えそうなものだ。


(……まあ、なんであろうと、今さら引き返すつもりはないけどさ)

 休憩を終えて、友也は、再び線路に沿って、歩き出す。

 もと来た道を振り返ると、かコよヶ駅はもう、だいぶ小さくなっていた。

 その割に、トンネルのある山には、なかなか近づかないけれど。山は大きいから、近くにあるように見えても、実際には、見た目よりずっと距離があるのだろうか。ええい、もどかしい。


「……ん?」

 ふと、視線を横に滑らせて。

 友也は、そこに立っている、あるものに目を留めた。

「……なんだろう、あれ」

 その何かは、少し離れたところにあって、ここからだとよく見えない。

 一見したところ、人影のようでもあったが。

 じっ、と目を凝らすと。どうやら、それは、案山子かかしみたいだった。

「……?」

 目を凝らしついでに、友也は眉をひそめる。

 案山子、には、違いないと思うのだけど。そのポーズが、なんだかおかしいのだ。

 普通、案山子っていったら、両手を真っすぐ真横に伸ばしているものだろう。でも、あそこに立っている案山子は、腕を曲げている。人間のように肘を折り曲げて、その顔を、両手で覆っているのだ。


 なんだ、あれ。と、友也はもう一度つぶやく。

 案山子にもいろんなタイプがあるのだろうけど、あんなポーズのやつを見たのは、初めてだ。何か理由があるのだろうか。実は、案山子は両腕を広げているものよりも、手で顔を隠しているもののほうが、鳥とかを追っ払う効果が高いとか。それとも、あの案山子を作った職人(?)は、いないいないばあの「いないいない」の状態にすごく思い入れでもあるのだろうか。


 まあ、考えたって、わかるもんじゃないが。

 とはいえ、あの案山子に近づいて、それ以上詳しく調べる気にもならず、友也は少し足早に、案山子の前を通り過ぎた。

 駅前町もたいがいだったけど。

 この荒野も、わかってはいたが、おかしなものだ。作物なんて何一つ実りそうにないこんなところに、案山子だなんて。

 いぶかしく思いながら、友也は、それからは後ろを振り返らずに、歩いていった。


 そうして、しばらく進んだところで。

 視界の一点に、また、が現れた。

 思わずそちらに顔を向けて、焦点を合わせると、やはり、それは案山子だった。

 さっき見た案山子と同じく、その案山子もまた、竹の腕を曲げて、竹の両端に引っかけた、薄汚れた軍手で、顔を隠していた。その軍手は、さっきの案山子のそれよりも、ほんの少し、顔の端のほうへ、ずれているようだ。

 そんなようなことが、今度は、さほど目を凝らさずとも、見て取れた。

 この案山子が、さっき向こうにいた案山子よりも、いくらか線路の近くに、立っているからだった。


 友也は、その案山子からも目をそむけ、急いでその場を通り過ぎた。

 それから、友也は後ろを振り返らず、さらに、線路の右側には決して目をやらないようにして、進んでいった。二つの案山子が立っていたのは、いずれも右側のほうだったからだ。

 ところが。

 しばらく行くと、今度は、線路の左側に、三つ目の案山子が現れた。

 それも手で顔を隠していたが、その手が二つ目の案山子よりも、また少し横にずれている。中身が入っていない軍手の、ぐにゃりと垂れた指の隙間から、案山子の顔が、わずかに覗き見えていた。

 その案山子は、二つ目の案山子よりも線路の近くにあったので、目の焦点を合わせれば、それだけで、両手の隙間から覗く顔が、はっきりと見えてしまいそうだった。

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