第10話 ~6番目に出会った住民は、町に住んですらいなかった。~

「遠山彦さん」1/3

「ありがたや、ありがたや。どうか友屋さんが、迷うことなく、速やかにかコよヶ駅前地下道へとたどり着けますように……」


 ありがた屋さんに、そう唱え事をしてもらい、友也は二つ目の赤いお守りを手に入れた。

 一つ目のお守りといっしょにポケットに入れておこう。と、思ったが、ズボンのポケットに手を突っ込んでみると、そこに入れてあったはずの一つ目のお守りは、いつの間にか、あとかたもなくなっていた。


「あれ? ん?」

「む。どうした、友屋さん殿」

「あ、いや、えーと……。あの。もしかして、『有り難い出来事』が起こったら、このお守りは、消えちゃうんですか?」

「うむ、そのとおり。先に渡したお守りは、役目を果たして、もう消えておろう」

 そっか。そうなのか。

 赤いきれいなお守りだったから、ちょっと、もったいない気もする。これからこの町を去るにあたって、記念に持って帰りたいなとか、思わないでもなかったのに。

 まあ、いいか。このおかしな町に来た……「迷い込んだ」記念は、町役場で手に入れた住民名簿、ということで。五番目までと、三十一番目の番号が埋まった、住民名簿。


(結局、出会った住民は五人だけ、か……。雛形さんに、影中さんに、トガカリさんに、宮ノ宮さんに、ありがた屋さん……)

 まだ名前の書かれていない、残り二十五人の住民たちが、どんな人たちだったのか、気にならないわけじゃないけれど。

 でも、これ以上この町で、ゆっくり出会いを探してもいられない。


「それじゃあ、ありがた屋さん。俺は、これで失礼します。どうも、ありっ……。いや、と、とにかく、どうも」

 ありがた屋さんに向かって「ありがとう」と言ってはいけない。

 その謎ルールを、友也はすんでのところで思い出した。

 言葉を呑み込んで、頭を下げて。しかし、そうしながら、友也はふと思う。

(あ……。でも、待てよ? この人に「ありがとう」って言ったら……確か、二度とこの人から買い物できなくなる、って話だったよな)

 それなら、別に、かまわない気がする。だって、自分はもうこの町を去るのだから。この先、ありがた屋さんにも会うことはないだろう。それなら、別れ際にちゃんとお礼の一つも言っておきたい。


 ……けれど。

 もう一度、喉元まで押し上げた言葉を、友也は結局また、呑み下した。


 ありがた屋さんに断言されたことが、気にかかっていた。

 切符を持たずに、もといた町の自分の家に帰る。

 そんな出来事は「ありえない」と、ありがた屋さんは、きっぱりそう言ったのだ。

(だからって、それを鵜呑みにする気はないけどさ……。なんで、そんなこと断言できるのか。それを、少なくとも、自分の目で確かめるまでは――)

 でも、やっぱ、今はお礼を封印したままにしとこう。とりあえず。一応。念のため。


「じゃ……俺は、これから、地下道を探しますんで。これで……」

「うむ。達者でな、友屋さん殿」

 ありがた屋さんは、軽く会釈しながら、賽銭箱を負ぶった背中を友也に向けた。

 と。ありがた屋さんは、そこでひょっと振り向いて。

「ああ、そうそう。駅を離れて歩くつもりなら、夜になるまでに、ちゃんと帰ってきたほうがよいぞ」

 などと、言い加えた。


(帰ってきたほうが、って……)

 それは、再びこの町に、ってことか。

 何がなんでも、今はまだこの町から帰れない、と、そう言いたいわけか。

(ううう……。こうなったら、意地でも切符持たずに自力で家に帰ってやる! そんで、「もう二度と会わないやつなら、あのときお礼の一つも聞いておけばよかった」って思わせてやる! みてろよ、ありがた屋さん!)

 ありがた屋さんの背中を睨みつつ、友也は不安を握りつぶすように、ぐっと拳に力を込めた。



          +



 それから三十分くらい。友也は町を歩き続けたが、その間、不思議と「迷っている」という感じはしなかった。分かれ道に差しかかるたび、なんとなくこっち、なんとなくこっち……と、足の赴くまま進んでいって、そうして、ちゃんと、かコよヶ駅前地下道の入口に、たどり着いたのであった。

 闇雲に歩いて、偶然ここを見つけられる確率は、かなり低かっただろう。

 三百円の「有り難い出来事」、買っておいて、本当によかった。

「さて。それじゃあ、と……」

 一つ、深呼吸をしてから。

 友也は、地下道の階段を、下り始めた。


 たしっ。たしっ。たしっ。たしっ。……


 中途半端に冷やされた空気が溜まる、陰った空間の中に、靴音を響かせながら、下りていく。


 ……たしっ。


 蛍光灯の明かりの手前で、友也は、いったん立ち止まった。

 かびくさい薄闇を、胸に吸い込んで、吐き出す。

 ――大丈夫だろうか、と。

 ここに来て、ちょっと、心配になる。


 この地下道は、おかしな道だ。

 今入って来た、こっち側の入口は、かコよヶ駅前町の町並みの中にあって。

 反対側の入口は、駅舎のほかは何もない、見渡す限りの荒野の中に、ぽっかりと口を開けていて。

 地下道の長さを思えば、駅のある荒野と、駅前町と、そんなには離れていないはずなのに。どうしてか、町の側からは、近くに荒野なんてなく、ずっと町並みが続いているように見えるし、駅のある側からは、町なんて、絶対に影も形も見えなかったのだ。


(いったい、どんな位置関係になってるんだか……)

 例によって、それは全然わからないことだけど。

 ともあれ、この一本道が、町と駅とをつないでいる。

 ことによると、これが、駅につながる唯一の道なのかもしれない。

 だからこそ。今歩いているこの道の先が、ちゃんと、あの駅前につながっていればいいのだけれど。でも、もし、そうじゃなかったら。

『切符を持っていなければ帰れない』

 その言葉の意味するところが、「帰りの切符を持たずにこの地下道を通ると、地下道の先は、駅前ではない別の場所につながってしまう」ってことだったとしたら。

 友也が不安に思ったのは、つまりはそういうことだった。


(……どうか……どうか、頼むっ……!)

 階段を、下り切って。

 そこから、友也はぎゅっと目をつぶって、ゆっくり、ゆっくり、地下道の中を進んでいった。

 いくらか行ったところで、右足が、側溝の浅いへこみに嵌まった。うおっ、と転びかけつつ、慌てて斜め前に突き出した手が、ベシンと曲がり角の壁にぶつかる。

「……ふう」

 うつむいて息をつく。

 友也は、ひんやりとした壁に手を突っぱったまま、観念して目を開けた。

 地下道は、途中で135度くらいに折れ曲がって、その先の道を隠していたが、こうして曲がり角まで来てしまったので、もう、出口へと続く階段がそこに見えている。

 深呼吸。

 してから、友也は、足元に目を落とし、階段を上っていった。


 やがて、階段も終わり、地下道の出口にたどり着く。

 友也は、ごくりと唾を飲んで、顔を上げた。

 はたして、目の前には――。


 かコよヶ駅の駅舎があった。


「いっ……よっしゃああああー!」

 友也は、思わずひとり歓声を上げて、空を仰いだ。

 今までの人生で、こんなにも大声で叫んだことってあっただろうか。子どもの頃ならあったかも。でも、少なくとも、中学生以降くらいからはなかった気がする。そんないよっしゃーは、青い秋の空に吸い込まれ、多少は背後の地下道の中へこぼれ落ちて、その角ばった薄暗い通路の壁に、小さく短くこだました。


 ここまで来れば。ここまで来れば、さすがになんとかなるだろう。

 だって、駅も線路もすぐそこに。

 この際、どうせ電車の来ない駅のほうはどうでもいいのだが。線路さえあれば、それをたどって、ちゃんと知っている町に帰ることができる。


 ホッとした友也は、そろそろ昼時だし、とりあえず、ここらで弁当代わりのミートパイを食べることにした。

 駅舎に入り、木の長椅子に腰かける。

 膝の上にミートパイの箱を置き、缶のお茶を自分の横に置いて。ミートパイは手づかみで、むしゃむしゃ、ランチタイム。うん、おいしい。さすが宮ノ宮さんのおみやげだ。贅沢言えば、電子レンジとかトースターとかあったら、それであっためて食べたほうが、より美味だったのだろうけど。あと、できれば、パイが潰れてないほうが、やっぱりよかった。まあ、それについては自分のせいでもあるし、しょうがないか。


 そんなことを思いながら、潰れている半分がわだけパイを食べて、友也はパイの箱を閉じた。残りの半分は、いつ家に着けるかわからないから、次の食事のためにとっとこう。

 缶のお茶も、半分くらい飲んで、残りはちょびちょび飲みながら、歩いていくことにした。

 パイの箱を鞄にしまい込むと、友也は椅子から腰を上げ、改札に歩み寄った。


「ええっと……」

 改札の向こうの線路を眺めながら、友也は、記憶を手繰る。

(電車に乗ってるとき、確か、駅舎が左側に見えたはずだから……。電車はこっちから来たはず、だよな?)

 目を閉じて、そのときの光景を、何度も何度も頭の中で巻き戻す。

 うん、大丈夫。そこは間違いない。

 電車が来た方角。すなわち、自分がこれから進むべき方向を、しっかりと確かめて。

 それでも、ここで線路に背を向けたら、途端にその方向を見失ってしまいそうな気が、なんとなくして。

 だから、念には念を入れて、ということで。友也は、いったん駅舎を出て線路のほうに回る、ということはせずに、目の前の改札からホームに出て、そのままホームの下に飛び下りた。

「――こっち!」

 と。友也は、乗ってきた電車がやってきた方向を、腕を伸ばして指差した。

 それからようやく、線路に沿って、歩き始めたのだった。




「うーん……広い!」

 線路と金網と、あとは遠くに山があるだけの荒野を見渡して、友也は呟く。

 見晴らしがいいのはいいんだが、どうも、遠近感が狂うというか。線路が伸びている先の、ずうっと向こうに見えている山。たぶんあれが、来るとき通ったトンネルのある山、なんだろうけど。あそこまでの距離感が、いまいち掴めない。

 来るとき、電車がトンネルを抜ける前は、窓から見えていた景色は、普通の町並みだった。あのトンネルさえ抜ければ、町のあるところまで戻れるのだ。でも、それには、いったいどのくらい歩けばいいんだろう。日が暮れるまでに、行けるか?


「……ま、いざとなったら、野宿くらい……」

 強気にそう口にすることで、心に予防線を張る友也。

 手に持ったお茶缶の中身を、ぐびっと一口。こうやって何か喉に通すことで、ほんのちょっと、気持ちが落ち着く。鼻に抜ける緑茶の香りも良いものだ。

 そうして、和のアロマに癒されつつ、線路の横を歩く友也であるが。


 歩く。お茶を飲む。飲みながら歩く。歩く。歩く。前に進む。

 ときどき振り返って、駅舎からの遠ざかり具合を、確かめる。

 しばらく歩いては、振り返って。

 またしばらく歩いては、振り返って。

 ひたすら、その繰り返し、となると。


(――退屈だ!)

 荒野を歩き始めてから、三十分と経たないうちに、友也はもう嫌気が差してきた。

 町の中であればまだ、歩いたぶんだけ、周りの景色に変化があった。けど、こんな場所では、変化といっても。せいぜい、駅のそばにはあった線路脇のフェンスが、途中で途切れてなくなったというくらいのものだ。

 さらにここでは、なまじ見晴らしがいいせいで、「次の曲がり角の先に何かあるかも」なんて期待も、抱きようがない。「何かあるかもしれない」場所なんて、はるか遠くの山を越えた向こうの話になってしまう。


(ううう。あとどれくらい、この単調作業が続くんだろ……)

 せめて、話し相手でもいればなあ。

 話の弾む友達がいれば、なんて贅沢は言わない。このさい、ぜんぜん見ず知らずの人でもいいから、とにかく声の届く範囲に、誰か人がいてくれればなあ。

 とかいうことを。

 友也が思った、そのときであった。


 ――わあっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ……。

 

 突然。どこからか、大きな男の笑い声が、響いてきたのである。

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