「ありがた屋さん」2/3

 穴の外にいたのは、真っ赤な着物を着た女の人だった。

 一応現代的なこの町の景色に、その格好は、ひどく不似合いで。しかも、それのみならず、女の人は、体中のあちこちに包帯を巻いていた。腕といわず足といわず、顔といわず首といわず頭といわず、全身包帯だらけのその風体は、トガカリさんにも余裕で勝る怪しさだ。

 さっき、この人が穴の中に投げ込んでくれた、白い紐。あれが包帯であったことに、友也はそこではじめて気がついた。


 見た目は怪しくても、自分を助けてくれた人だ。

 たぶん、悪い人ではないだろう。

 そう思いながら、友也は、女の人に礼を述べようとした。

「あの、どうも、ありが――」

 が、しかし。

 皆まで言う前に、友也は、女の人の手で口をふさがれた。

 包帯を巻いた手から、傷薬なのか、何か漢方っぽいにおいが、友也の鼻先にぷんと香った。


「なに、礼には及ばん。それよりも、友屋さん殿」

 やはり厳かな声色で、女の人は語りかける。

 それはいいのだけど、その呼び方はどうなんだ。「友屋さん」あるいは「友屋殿」じゃあだめなのか。「さん」か「殿」、どっちか取っ払ってしまうわけにはいかないのか。

 友也はちょっと気になったが、なんとなく、これはこの人の口癖っぽい気がしたので、まあいいやと、あえて口を挟まず黙っていることにした。もっとも、挟もうにも口は塞がれている。


「トガカリさん殿から、とりあえず上手く身を隠したはよいが……」

 言いながら、女の人は、きょろりと辺りを見回した。

「しかし、これで事が解決したわけではないぞ」

 口を塞ぐ手を離してもらい、ぷはっと息継ぎをしてから、友也は話を継いだ。

「と、いうと――」

「トガカリさん殿は、罪を犯した者を刑に処することに関しては、まことに執念深い人じゃからな。一度、や二度三度、『罪人』を見失ったからといって、あきらめるような人ではない」

 うん、確かに。自分で言ってたもんな。「トガカリさんは、罪を犯した者を決して逃がさない」って。

 友也がうなずくと、女の人は、じっと友也を見つめて言った。


「のう、友屋さん殿。おぬし、今日この日が終わるまで、トガカリさん殿に捕まらず逃げ回る自信はあるか?」

 そう問われ、友也は、ぶんぶんぶんっと勢いよく首を横に振った。

 むりむりむり、そんなの絶対無理だ。さっきだって危ないところだったし。昨夜だって、ギリギリセーフで逮捕は免れて、代わりに蹴りを食らったのだ。たった数分の逃走でもその体たらくだというのに、今日が終わるまでといったら、あと十二時間以上はあるんじゃないか。ぜんぜんギリギリじゃなくアウトになるのは目に見えている。できれば目を反らしたい近未来だ。

 しかし、この人。こういう質問してくるってことは、もしかして――。


「あ、あのー」

「ん。なんじゃ?」

「えっと。もしかして、さっき、俺のことを……。んーと、なんて言えばいのか、よくわからないけど……。俺を、地図の茂みに呼び寄せて……? あそこの穴に落ちるように、仕向けて……? 助けてくれたのは、あなたなんですか?」

「うむ、まあな」

 女の人は、包帯で半分隠れたその顔に、にこりと笑みを浮かべた。


「わしは、ありがた屋さん。『有り難い出来事』――すなわち、『滅多に起こることのない珍しい出来事』を商う、行商の者じゃ。トガカリさん殿の裁きから逃れたくば、わしから買い物するとよいぞ」


 それを聞いて、友也の目に希望の光がともる。

 思った通り。この人は、おそらく何やら不思議な力でもって、窮地に陥った者を手助けすることができるようだ。

 それにしても、ありがた屋さんとは。

 この町にはいろんな行商さんがいる、って、聞いてはいたけど。「いろんな」にもほどがあるだろう。


(――まあ、助かるならなんでもいいけど!)

 友也は、ずいっと身を乗り出して、

「それ、いくらになりますか!?」

 と、真剣なまなざしで、ありがた屋さんに尋ねた。

 ありがた屋さんは、少し考えたのち、指を立てて数字を示しながら、「それ」の値段を答えた。


「二千円じゃ」

 その値段に、うっ、と友也はたじろぐ。

 ……二千円、かあ。微妙に高価だ。毎日ちゃんと家に帰宅できる状況ならともかく、今は、財布の中にある持ち金が全財産だというのに。この現状で、財布から二千円失うのは、けっこう手痛い。とはいえ、モノがモノなだけに、このくらい値が張るのは仕方ないか。いや、むしろ、モノの割に良心的な値段だと思うべきかもしれない。


(39年間逆さ吊りになって暮らすか、それともここで二千円払うか、って二択なわけだもんな、要するに。……そりゃあもちろん)

 友也は、鞄から財布を取り出して、そっと札入れの中を覗き込む。

 二千円が有り金ぜんぶ、なんてことはないが、この中から一気に二枚のお札を失ってしまうのは、どうにも心もとない。でも、そんなこと言ってる場合じゃない。

 友也は、震える指先で千円札二枚をつまみ、ええいっと思い切って財布から抜き取ると、それをありがた屋さんに差し出した。


「買います」

「うむ」


 しかし、うなずきながらも、ありがた屋さんは、なぜか友也の手から金を受け取ろうとしなかった。

 首をかしげる友也の前で、ありがた屋さんは、くるりと友也に背を向けた。

 その背中には、小さな賽銭箱が負ぶわれていた。神社の境内の、隅っこのお社の前とかにあるような、簡単な屋根と、鈴と、鈴の緒が付いたやつだ。

「では、そのお金を賽銭箱に入れて、鈴を鳴らすがよい」

 ありがた屋さんに促されるまま、友也は、千円札二枚を賽銭箱の中へ滑り込ませ、それから、鈴の緒を掴んで揺らした。


 ころぉん、ころぉん。


 軽やかな音を響かせる鈴。

 その鈴の音に重ねて、ありがた屋さんが、パン、パンッ、と手を打ち鳴らす。

 そうして、ありがた屋さんは、友也に背を向けたまま、拝むように両手を合わせて、厳かに言葉を紡いだ。


「ありがたや、ありがたや。どうか友屋さんが、本日の規則を破った罪で、トガカリさんの裁きを受けることがありませんように……」


 ありがた屋さんが、まじないのようなその台詞を、唱え終わると同時に。

 鈴は、ぽろん、と屋根からはずれて、落っこちた。

「うわっ。わっ……」

 友也は慌てて手を広げ、すくうようにして、両手で鈴を受け止めた。

 友也の手の中で、クルミほどの大きさの鈴が、ころんと転がる。

「あ、あのっ……ありがた屋さん。なんか、これ、鈴、壊れちゃったんですけど……。お、俺のせいですかね? すいません、ちょっと、すぐ直しますんで……」

「ああ、いや。その鈴は、落とせばよいのじゃ」

 うろたえる友也に対して、ありがた屋さんは、平然とそう言った。


「その鈴を、割ってみるがよい」

「え?……わ、割る?……ったって……」

「卵を割るように、な。ほれ」

「う、うーんと。……こうですか?」

 友也は戸惑いつつも、鈴の底に開いた隙間の部分に、左右から両手の親指の爪を差し込む。そして、言われたとおり、卵を割る要領で、ぐっと力を入れてみた。


 パキッ。


 鈴は、思いのほか薄い物を割った手応えと共に、あっけなく割れた。

 その中には、小さな赤色のお守りが一つ、入っていた。

 まっぷたつになった鈴から、くす玉の垂れ幕みたいにぶら下がるお守り。

 友也は、その紐をぷちんと千切って、手の平に乗せたお守りを、しげしげと見つめた。

「そのお守りを、しばらくの間、肌身はなさず持っておれ」

 言いながら、ありがた屋さんは、友也の手から割れた鈴を取り上げた。

 その鈴を、賽銭箱の中にカラコロと投げ入れると、間もなくして、賽銭箱の鈴の緒の根元から、先ほどのものと寸分たがわぬ鈴が、木の実がみのるかのように生えてきた。


 それを見て、友也は、ほう、と息をついた。

 手の中の、赤い小さなお守りを、ぎゅっと握りしめる。

 これは、なかなか。霊験あらたかな感じだ。きっと、このお守りを持っていれば、本当にトガカリさんに捕まることなく、やり過ごすことができるだろう。

 実際、さっきだって、この人のおかげで――。


「あ……そういえば」

 ふと気がついて、友也は、ありがた屋さんに言った。

「さっき、俺がトガカリさんから上手く隠れられたのも、ありがた屋さんの力なんですよね? 力、っていうか……商品っていうか。そっちのぶんは……代金って、どうなって――」

「ああ、心配するでない。あちらは『試供品』ということで、まけておいてやろう」

「そ……そうですか!」

 友也は、ホッと胸をなでおろした。ありがた屋さん、良い人だ。


「そういえば、友屋さん殿。手を怪我しておるようじゃが……」

「えっ? ああ、これ。さっき、穴に落ちたとき、擦り剥いちゃったみたいで……」

「そうか。難儀であったな」

「いや、別に。かすり傷ですよ」

「うむ。……よければ、使え」

 そう言って、ありがた屋さんは、ひと巻きの真っ白な包帯と、布製の絆創膏らしきものとを、友也に差し出した。

 その気遣いに、じいんと胸が温まる。

 やっぱり、いい人だこの人。見た目は、今まで出会った住民の中でも群を抜いて怪しいけど。


「どうも、ありがた屋さん。本当に、ありが――」

「おっと」

 お礼を言いかけた友也は、またしても、ありがた屋さんに口をふさがれた。

「ふう、危ない危ない」

「……?」

 なんだ、いったい。

 さっきも同じようなことがあったけど、どうしてこの人、お礼を言わせてくれないんだろう。「危ない」って、どういうことだ?

 怪訝な顔をする友也に、ありがた屋さんは、コホン、と一つ咳払いをしてから、説明した。


「言うのを忘れておったが……。わしからの買い物には、ひとつ、守らねばならない決まり事があってな」

「決まり事?」

「うむ。このわしから『有り難い出来事』を買おうという客はの、わしに向かって、けっして『その言葉』を口にしてはならぬのじゃ」

「その言葉……って」

「先ほど、おぬしが言おうとした、その言葉じゃ。わしに向かって、一度でも『それ』を口にした者は、そのあと二度と、わしから買い物をすることができなくなるのでの。うっかり口を滑らせぬよう、気をつけることじゃな」

「――……」


 なんだか、よくわからない謎ルールだ。けどまあ、この町のことだから、仕方ない。

 親切な人にお礼の一つも言えないのは、ちょっともやもやするが。でも、ありがた屋さんからは、まだ買いたい「品物」があるし。ここは忠告に従って、我慢しておこう。

 そんなことを思いながら、友也は、ありがた屋さんにもらった絆創膏を、手に負った擦り傷に貼り付けた。布の絆創膏には薬が染み込ませてあるようで、絆創膏はぺたりと冷たく、少し傷口に染みた。

 そうして、絆創膏の上から包帯を巻こうとした、そのときであった。


 じゃらり。


 と、すぐ近くで、鎖の鳴る音がした。

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