第9話 ~5番目に出会った住民は、「有難い出来事」を売る行商さん。~
「ありがた屋さん」1/3
種の飛び散った「地図の木」の枯れ木を前にして、友也は路上にへたり込んだ。
もう、体力も気力も、これ以上使いたくない。また新しい地図を、種から育てるなんてことは、とてもできそうになかった。
ぐったりとうなだれる友也のそばで、雛形さんは、気まずげな笑顔を浮かべて言った。
「友屋さん……。あの……なんか、ごめんね……?」
「……いや。別に、雛形さんは、何一つ悪くないんだけど……」
友也は力なくそう返した。けれどそれでも、雛形さんは、ひどく落ち込んだ様子で溜め息をつく。
「あーあ……。せめてぼくが、こんなふうに磔じゃなかったらなあ。そしたら、少しは友屋さんのこと手伝えたのに。地図を育てるのも、駅への地下道を探すのも……」
「そんなこと、気にしなくても……。ありがとう、雛形さん」
雛形さんの言葉に、友也は、ちょっと口元をほころばせた。
そんなふうに気にかけてもらえるのは、とてもうれしい。
でも、いいんだ。だって、「せめて磔じゃなかったら」とか、それもう、「せめて」とかいうレベルの仮定じゃないから。そこまで根本的にどうしようもないことで、雛形さんが申し訳なさを感じる必要なんてない。
(雛形さんの「刑期」って……確か、128年、だったっけ。今、磔にされて何年目なんだろう? あと何年、刑期が残ってるのかな)
明らかに寿命より長いだろう刑期は、はたして生きてるうちに消化できるのか、気になるところだが。まあ、それは、この町のことだし。なんとかどうにかなるのかもしれない。
それはそうと。
雛形さんを、こんなふうに磔にしたのって、やっぱり。
そこのところを、そういえば、まだはっきりとは聞いていなかったので、別に、もう聞くまでもないことではあるんだけど、友也はこの機に一応、尋ねてみることにした。
「ねえ、雛形さん――」
と。そのときである。
不意に、すぐ近くで、ザッと足音が響いた。
友也がそちらを振り向くと、そこには、上から下まで真っ黒な色の服に身を包んだ、大きな人影が立っていた。
「とっ……トガカリっ……さん……」
友也は、思わず息を詰まらせた。
噂をすれば影、ってやつか。でも、噂に出すより先に本人が出てくるとは。気の早い影だ。というか、昼間でも普通に出てくるんだなこの人。黒づくめの見た目から、なんとなく、夕方~夜限定くらいで人前に姿を現す人かと思っていたが、全然そんなことはなかった。
……とりあえず、挨拶でもしておこう。
「こ……こんにちは、トガカリさん。……ええと……じゅ、巡回ですか?」
「……」
見事なまでの無反応。
挨拶くらい、挨拶くらい、返してくれたっていいじゃないか。と、友也は奥歯を噛みしめる。
トガカリさんの両目は、相変わらず前髪に隠れていて、見えないけれど。でも、顔はじっとこっちに向けているし、たぶんこっちを見てるんだろう。この人の無反応は、無視っていうのともまた違う。それが、よけいにこう、なんというか。
友也は、再びトガカリさんに話しかける気もくじけて、うつむいた。
しかし、目を反らしていたら反らしていたで、それもなんだか不安で。友也はトガカリさんの口元の辺りにまで、ちらりと視線を持ち上げる。それより上の目元は、どうせ見えないし。
トガカリさんは、昨夜会ったときと同じく、口元に薄っすらと笑みを浮かべていた。
その表情から、トガカリさんが何を考えているのか、読み取るのは至難の業だと思う。
友也はそわそわと目を泳がせて、ちらりと、今度は雛形さんのほうに目をやった。
雛形さんも、明らかに緊張した面持ちだった。
それを見て、いっそう友也の不安が増す。
(ううん……。雛形さんだったら、もしかしたら、トガカリさんとも和気あいあいと世間話できるんじゃないか、とか思ったけど……そうでもないみたいだなあ)
この町にやってきて間もない自分とは違い、雛形さんは、トガカリさんとは、たぶんそれなりに顔なじみだろう。でも、だからといって、仲がいいとは限らないか。そもそもこの二人は、かたや受刑者、かたや刑の執行人、という間柄であるわけだし。そう考えると、雛形さんのこの反応もしょうがない。
友也は、再びトガカリさんのほうを向く。
トガカリさんは、たぶんじっと、こっちを見ている。
なんなんだろう。さっきからそこを動かないけど、何か用でもあるんだろうか。
この人の用事って、どうも、不穏なことしか思い浮かばないんだが……いやいや、さすがに、今日は大丈夫だろう。昨日は、知らずに規則を破ってしまって、うっかり逮捕されかけたけど。本日の町の規則は、確か「ゴミのポイ捨て禁止」だったはず。言われなくても、ポイ捨てなんてしやしないんだから。うん、大丈夫大丈夫。規則を破っていない以上、今、こうして目の前にトガカリさんが立っているからといって、別に何も怯えることはな
「道端に捨てたゴミを拾う意志なし、とみなし、規則を破った友屋さんを逮捕します」
「…………え?」
唐突な、予想外の、逮捕宣言。
初対面のときもそうだったから、トガカリさんがこういう人だってことは、わかってる。
だけど。
あのときと違って、今、自分は「本日の規則と罰則」を知っている。だから、その規則をみすみす破るなんてこと、するはずない。……ない、はずだ。
「お……俺が、一体いつどこで、ポイ捨てなんかしたっていうんですかっ、トガカリさん!」
友也は強気に言い返した。
すると、トガカリさんは、黒服に包んだ長い腕をすーっと伸ばして、友也のすぐ近くの地面を、指差した。
トガカリさんの指先の先へ、友也が目をやると。
そこには、くしゃくしゃに丸められたいくつもの紙屑が、落ちていた。
あ。
と、友也は声を上げる。
その紙屑は、地図だった。
さっき「地図の木」を育てるために、木の根元に置いた、肥料だった。
途中で木を枯らしてしまったから、あまった肥料が、そのまま道端に残ってしまったのだ。
友也は青ざめた。
うん。確かに、これは、道端に「ゴミを捨てた」ようにしか見えないな。
じゃらり。
トガカリさんの鎖の音が、響いた。
いつの間にか、スタンバイ完了しておられる。
(今日、この町でゴミのポイ捨てしたら……確か、刑期39年の逆さ吊り、だったっけなあ……)
具体的なその刑と刑期を思い起こし、友也は思わず遠い目になった。
「とっ……トガカリさん! 違うんです。友屋さんは、ただ、ちょっと、地図を育てようとしてただけで……! 地図の木の育て方は、トガカリさんだって、知ってるでしょう!?」
横から、雛形さんが必死に弁明しようとしてくれる。
でも、トガカリさんは、そんな言葉を気に留める様子もない。
鎖を鳴らしながら、トガカリさんは、一歩一歩、こちらに近づいてくる。
友也は目を閉じて、大人しく観念――するわけにもいかず。
次の瞬間、身をひるがえして、逃げ出した。
+
(うおおおおおおー。つ、捕まって、たまるもんかああああー!)
友也は逃げる。
トガカリさんの投げてくる、鎖や足枷をかわしながら、全速力で、とにかく逃げる。
ついさっき、地図の木を世話するために、町中を走り回ったばかりだというのに。今日は、体力あるうちに駅へ行って、ひたすら線路沿いに歩いて帰るぞーと思っていたのに。どうしてこんなことに。
ちょっと泣きそうになるが、今、涙で視界をぼやかして、走るスピードを落とすわけにはいかない。なんせ、ここで捕まったら刑期39年だ。今この瞬間の走りに、今後の人生39年分の運命が懸っているのだ。
とはいえ。
さっき少し休んだだけで、充分に回復する間もなかった体力は、すぐに底を尽きた。
(く、くそっ……。足が……息が……もうっ……)
一歩踏み出すごとに、足がふらついて、転びそうになる。
限界だ。これ以上は。
すぐ後ろの、曲がり角の向こうから、トガカリさんの足音が迫ってくる。
自分でも、よくがんばったと思うけれど――もはや、これまでか。
(これから約40年間、60歳くらいまで逆さ吊りの人生、か……。ああ、だったらせめて、雛形さんのそばにでも吊るしてくれないかなあ。話し相手がほしいって、雛形さん、ちょうど言ってたし。俺だって、そんなに長い間、一人きりで逆さ吊りは、寂しいもん……)
友也の胸に、そんな、せつないあきらめの気持ちが広がった。
そのときであった。
パン、パンッ。
と、すぐ近くで、誰かが手を打ち鳴らす音がした。
そして、同じ場所から、誰やら知らぬ女性の声が聞こえてきた。
やけに厳かなその声は、まるで、呪文でも唱えるかのような口調で、こう言った。
「ありがたや、ありがたや。どうか友屋さんが、トガカリさんから上手く身を隠せますように……」
「……!?」
友也が、音と声のしたほうを振り向くと。
そこは、地図の木の群生地になっている、袋小路だった。
風に吹かれて、さわさわと揺れる地図の茂み。
「……」
友也は、引き寄せられるように、とっさにその茂みの中に飛び込んだ。
がさがさ、がさがさと、生い茂る地図を掻き分け、袋小路の奥へと進む。
道の奥は、もちろん、行き止まりだ。それはわかっている。隠れ場所にはなるかもしれないけれど、ここに隠れてしまえば、いよいよ逃げ場はない。でも、どうせこのまま逃げ続けることは、できそうにないのだから。これが最後の抵抗だ。
(トガカリさんが、気づかず通り過ぎてくれれば――――なっ!?)
――一瞬。
呼吸が、止まった。
そのせいで、悲鳴すら上げられなかったのは、さいわいと言うべきか。
ガクンッ、と、階段を踏み外したときのような、あの感覚を味わって。
自分の身に何が起こったのか、だいたい理解したときには、友也は、地面に開いた穴の底にいた。
(う……。いっ……ててて……。な、なんで、こんなところに、こんな穴が……)
打った足腰をさすり、友也は痛みに顔をしかめた。
そのとき。
ポンッ、ポンッ、ポポンッ、ポポポポポポンッ。
と。頭上で、何か大量のものが、立て続けに破裂するような音が響いた。
――地図の木の種が、弾け飛んだときの音だ。
友也は、穴の口を見上げた。そこから見える、丸く繰り抜かれた景色の中を、宙に舞う、たくさんのよじれた紙切れ――地図の木の種が、埋め尽くしていた。
友也は、こくりと唾を飲んで、それから、じっと耳をすませる。
すると。
じゃらり。シャッ……。
ビリッ、バリリリッ。
ポポポポポンッ。
じゃら……じゃらり……。シャッ……。
バリッ、ビリッ、バリリリリッ。
ポンッ、ポポポポンッ。
といった具合に、地図の木の地図が破かれ、種が弾け飛ぶ、その音の合間に、何やら金属の擦れる音が、聞こえてくるのである。
とても聞き覚えのあるそれは、間違いなく、トガカリさんの鎖の音だった。
追いついたトガカリさんが、地図の茂みに向かって鎖を投げて、そこに友也が隠れているかどうか、確かめているのだ。
(ひいいぃぃぃ~……)
友也は、穴の底で身を縮こまらせた。
息を殺して。身じろぎせずに。とにかく物音を立てないようにして、時間が過ぎるのを待つ。
鎖の音と、地図が破ける音と、地図の種が弾け飛ぶ音。
三種の音は、穴の外で、しばらくのあいだ響き続けていた。
友也は生きた心地がしなかったが。
やがて、その音も止んで。穴の外は静かになった。
そうして、トガカリさんのものと思われる足音は、袋小路の前を離れて、道の向こうへと遠ざかっていったのだった。
「……ふう~っ」
足音が完全に聞こえなくなってから、友也は、肺に溜まった空気を思いっきり吐き出した。
思わず天を仰いで、穴の壁に背をもたれる。
やれやれ、これで一安心――。
(……なのかなあ)
上を向いたまま、友也は、うーむと弱った。
穴の口、遠い。
天、どころか、地上が遠い。これ、自力で這い上がれるんだろうか?
そんなふうに、友也がはなはだ不安になっていたところ。
ふと、穴の口に、人の影が覆いかぶさった。
穴の底から見上げた人影は、逆光で真っ黒に見えたので、友也は一瞬、ギクリとした。
けれども、どうやらそれは、さっきの黒づくめのおまわりさんでは、ないようだった。
「大丈夫かの? 友屋さん殿」
穴の上から降ってきたその声は、若い女の人のものだった。
友也は、ハッとした。
この声は――。
ここに隠れ込む前、地図の木の茂みのほうから聞こえてきた、厳かな声。あの声の主に、違いない。
「待っておれ。今、助けてやる」
そう言うと、女の人は、穴の中に何かを投げ込んだ。
それは、白い帯状の紐を巻いたものだった。紐は、くるくるくるくる、ほどけながら伸びてきて、その端がすぐに穴の底にまで届いた。
友也は、その白い紐を掴んで、どうにかこうにか、穴の上まで這い上がったのである。
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