「地図の種」3/3

 見知らぬ家の窓辺に、何度目の宮ノ宮さんの姿を見たときか。

 地図の束で塞がれた視界の向こうから、「友屋さん?」と声がした。

「あ、雛形さん……」

 どうやら、無事、ここまで戻ってこれたらしい。

 友也は、両腕に抱えた、何十もの丸めた地図を、そおっと地面に置いた。

「ふうっ、疲れたあ……」

「と、友屋さん。どうしたの? その大量の地図……」

「ああ。んっとね。向こうにさ、わさわさいっぱい生えてたから。道を探す手掛かりになるかな、と思って、摘んできた」

 そう言ってから、友也は、宮ノ宮さんのいる窓辺を見上げて、

「どうも、ありがとうー!」

 と、手を振りながら、道案内のお礼を述べた。

 宮ノ宮さんは、ほんの少し手首を上げて、目を細めてみせた。


「友屋さん。宮ノ宮さんに、お茶でも呼ばれてたの?」

「あ、いや、今のは……。宮ノ宮さんが、道を教えてくれたからさ。ここまで戻る道が、わかんなくなっちゃったもんだから。持って行った地図が、戻る途中で、なんでだか――」

 友也は、そこでちょっと言葉に迷ってから。

「――枯れちゃってさ」

 と、言った。

 その言い方で、どうやらちゃんと通じたらしく、雛形さんは「そうかあ」とうなずく。

 友也は、首をひねりながら、雛形さんに聞いてみた。

「俺、雛形さんに言われたとおり、地図を破かないよう、気をつけて持ってたはずなんだけどなあ。それでも、あの地図の木の地図って、あんなふうになっちゃうもんなの?」

「ああ、それは……」

 突然、あの地図が枯れた理由に、雛形さんは、心当たりがあるようだった。


「地図の木の地図はね、地図に描かれた場所が、地図のとおりじゃなくなると、そこから枯れていっちゃうんだよ」

「へえ。……そうなんだ」

 なるほど。地図の木の地図には、そんなふうにして寿命があるのか。確かに、地図が実際の町並みのとおりじゃなくなったら、それは「地図として古い」と言えるわけで。そう考えれば、妙に納得のいく「地図の生態」かもしれない。


「ってことは、俺があの地図を摘んだあと、町の様子が、どこか変わっちゃったってこと?」

「うん、そうだろうね。この町では、そういうこと、しょっちゅうだよ。だから、地図の木は、この町ではあんまりよく育たないんだ」

「え。そうなの?」

 なんか、意外だ。古い地図がすぐ使えなくなる町って、ちょっと見ないうちに町並みが様変わりしてるような、開発の盛んな町や、都市部の地域ってイメージだが。このかコよヶ駅前町って、そんな雰囲気の町には、とても見えないけれど。

 友也がいぶかしんでいると、雛形さんは、笑ってこんなことを言った。


「だって、この町では、宮ノ宮さんが、勝手にどんどん家を建てちゃうからね。新興住宅地みたいなとこに並んでる家は、ほとんど全部、宮ノ宮さんが建てたものだし……。この町では、散歩とかしてて、さて帰ろうかって引き返したら、さっきはなかった家がいくつも建ってて、いつの間にか辺りの景色が変わってたりするんだよ。だから、この町に長く住んでる住民でも、いまだに道に迷うことが、よくあるんだって」

「――……」


 話を聞いた友也は、おもむろに、宮ノ宮さんのいる窓を振り向いた。

 宮ノ宮さん。お茶会に招いてくれたことについては、ありがとう。でも、道案内に関しては、お礼を言って損したと心底思う。

 そんな気持ちを、胸の中でくすぶらせつつ、じとりと宮ノ宮さんを睨む友也。

 それに対して、宮ノ宮さんは、悪びれるふうでもなく、ぺろりと小さく舌を出してみせた。




「ねえ、友屋さん。なんだったら、ここで地図の種をまいて、地下道のある場所まで載ってる地図を、育ててみる?」

「えっ? そんなことができるの!?」

 友也が問い返すと、雛形さんは、ちょっと自信なさげな顔をした。

「できるかどうか、わかんないけど……。地図の木の地図は、大きく育てば育つほど、生えた場所から遠いところまで描かれた地図になるはずだから……。地図の育て方は、ぼくは、前にひと通り、聞いたことがあるからさ。……どうする?」

 そう問われて、友也は、即座に答えた。

「うん、育ててみる! 地図の育て方、教えてください!」


 と、いうわけで。

 『かコよヶ駅前地下道の位置がわかる地図』を、友也は自分で育てることになった。


「それじゃあ、友屋さん。まずは、そこにある地図の、どれでもいいから、どれか破いて『種』を作って」

「わかった」

 友也は言われたとおり、地面に置いた地図の一つを取り上げて、その端っこを少し破る。

 地図は、破られたところから茶色く変色していき、あっという間にしわしわになって、枯れてしまった。それから、地図に描かれた道の部分が、端からめくれ、くるくる丸まって。やがて、すべての「道」が地図の中心に集まると、地図はポンッと弾け、種を飛ばした。

 友也は、その種を、風に飛ばされる前にいくつか集めた。


「じゃあ、次は、その種を地面にまいて。あ、種は、一つだけでいいよ。種を道端に置いたら、そのそばの地面を、とんとんとん、って何度も踏んでみて」

「うん、わかった」

 友也は言われたとおり、地図の道がらせん状にねじれた「種」の一つを、道端にポトリと落として、種の近くをとんとんとん、と軽く踏みつける。

 すると、最初は横になっていた種が、地面を踏むたび少しずつ起き上がってきた。

 とんとんとん、と何度か繰り返すうちに、種はくるくる回りながら、アスファルトの地面に潜り始める。そして、地面からちょろっと先を覗かせて、そこに根付いた。

 さらに地面を踏み続けると、地面からのぞいた種の先の、よじれがゆっくりほどけていき、それがぴんと伸びたとき、そのてっぺんには、切手くらいの大きさの、小さな小さな地図ができていた。

 地図の芽が出た、のだ。


「じゃあ、次は、摘んできたほかの地図を、ぜんぶくしゃくしゃに丸めて、地図の芽を囲むように、芽の根元に置いて。そうすると、ほかの地図が肥料になって、ぐんと早く育つから」

「うん、わかった。……枯れた地図も、肥料になる?」

「ああ。なるはずだよ」

「そっか。じゃ、これも……」

 友也は、捨てずに鞄に入れていた枯れ地図を、ほかのくしゃくしゃにした地図といっしょに、芽の周りに並べて置いた。

 そうしたところ、雛形さんの言うとおり、芽吹いた地図は、ぐんぐんとたちまち大きくなっていった。それにつれて、根元に置いたくしゃくしゃの地図は、どんどんしぼんで小さくなっていく。大きめのオレンジくらいに丸めていたのが、ミカンほどになり、ピンポン玉ほどになり、ビー玉ほどになり……やがて三分もしないうちに、肥料にした地図は、みんなケシ粒ほどにまでしぼんで、最後には、地面に溶けるようにして消えてしまった。


 その頃には、芽を出した地図はもう、立派な「地図の木」へと育っていた。

 一見立て札にしか見えないその木は、あと少しで、友也の背も追い越すくらいの大きさだ。

 でも、これではまだ足りない。もっと大きく育てなければ。もっと広い範囲を描いた地図でないと、かコよヶ駅前地下道までの道はわからない。


「それで、雛形さん。このあとは、どうすればいいの? 肥料になる地図を、もっと採ってきたほうがいいかな」

「そうだね。肥料をやりながら、地図を枯らさないように気をつけて、世話をすればいいよ」

 と。雛形さんが、言ったそばから。

 地図の一部に、黄ばんだような染みが、じわりと浮かんだ。

 それを見て、友也はギクリとする。


「ひ、雛形さん! 地図を枯らさないようにするには、どうしたらいいの!?」

「あっ、それはね」

 慌てる友也に、雛形さんも、早口になって説明する。

「地図が枯れるのは、さっき言ったように、地図に描かれた町が、実際の町と違うものになったせいだから――。とりあえず、その地図が枯れ出した、その場所へ行ってみて、そこがどんなふうに地図と変わってるか、確かめてきて!」

「わ、わかった!」

 友也は、地図の変色している箇所を覚えて、町のその場所へ向かって、走り出した。

 そして、雛形さんに言われたとおり、そこの町並みが地図とどう違っているかを確かめて、帰ってきた。


 息を切らしながら、友也は雛形さんに報告する。

「い……家が、増えてたよ……。地図上では、ただの広い道になってるはずのところに、家が三軒並んで建ってて、そのせいで、道の幅が狭く……」

「うん。それじゃ、その地図に、新しく建ってた三軒の家を、描き加えて」

 雛形さんの指示にうなずき、友也は、鞄に入っていた筆箱の中から、黒の油性ペンを取り出した。それを使って、地図の変色している部分に、家の印を三つ描き入れる。

 すると、変色した部分は、そこだけポロポロと表面が剥がれ落ちて、その下からは、真新しい感じの、きれいな紙の色が現れた。

 友也が描き足した家の印は、表面が剥がれても、ちゃんと地図の上に残っていた。


「ふう……よかった。これでひとまず……」

 と、友也が額の汗を拭って、安堵しかけた、そのとき。

 またしても、地図の上に、じわりと染みが浮かんだ。

 今度は、さっきとはぜんぜん違う場所である。

「うわああああん、もうっ!」

 友也は叫んで、再び、地図が変色している場所を目指して、走り出す。

 そして帰ってきて、地図の染みの上から、新しい町並みを描き足して、地図を修正する。

 でも、またすぐに、地図はどこかしらが枯れ始める。

 走って、帰ってきて、地図を修正して、走って、帰ってきて、地図を修正して……。走り回るついでに、地図の木の群生地から地図を摘んできて、それを根元に置いて肥料にして……。


 そんなことを、何度となく繰り返すうちに、地図の木はどんどん大きく成長していった。

 もはや地図は、友也の背丈など、とうに追い抜いていた。

 さいわい、地図は薄っぺらく、思ったよりも弾力性のあるものだったので、地図の上のほうを見たり修正したりしたいときには、破かないよう気を付けて、上の部分をたぐり寄せれば、問題なかった。


 地図に描かれる範囲は、地図が育つにつれて、確実に広くなっていっている。さらに育てば、かコよヶ駅前地下道も、いつかこの地図上に現れるだろう。そうなったら、そのときを見計らって、地図を摘み取ればいい。

 でも、ちょっと、このままでは。

 地図を見上げながら、不安になって、友也は尋ねた。

「ねえ、雛形さん……。地図の木って、いったい、どこまで大きくなるもんなの?」

 その問いに、雛形さんはにっこり笑って、こう答えた。

「そうだねえ……。大事に世話して育てれば、最終的には、縮尺一分の一の地図にまで、育つはずだよ!」

「――――」


 縮尺一分の一の地図。

 それって、つまり、この町を原寸大にした地図ってことだ。

 そんなもん。


「持ち歩けるかあああっ!」


一声叫び、友也は、繰り出したその拳で、

バリッ! 

と地図を貫いた。


「え……。いや、友屋さん。そこまで大きくならなきゃ、地下道の場所が地図に載らないかどうかは、わかんないんだし……。それに、何も、地図を持ち歩かなくたって。道順を地図で確かめて、それをメモしていくとかすれば、いいんじゃ……ないかな……」

 遠慮がちに、雛形さんが、そう口にした、その直後。

 友也の一撃によって枯れた地図が、ポンッと大きな音を立てて、弾け飛んだ。

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