「地図の種」2/3
「町役場までの道なら、あそこに生えてる地図に、載ってるんじゃないかな」
「はい?」
雛形さんの言葉に、友也は思わず眉を歪めて、無駄に歯切れよく聞き返した。
「え。あの、今なんて? ――地図?」
「うん、そう。あそこにさ、ほら、一枚、生えてるだろう?」
言いながら、雛形さんは、右の手首から先を、可能な限りぐぐぐっと曲げて、その方向を指し示した。磔にされていると、何かをちょっと指差すのもひと苦労だ。
友也は、雛形さんの指した先を振り向く。
すると、そこには確かに。
地図の描かれた立て札が、ひとつ、ぽつんと立っていた。
「こんなところに、町の地図が……?」
呟いて、友也はその地図に歩み寄る。
立て札のあるその場所は、本当に、ただの道端だった。別に大通りってわけでもなければ、広場でも公園でもない。なんで、こんななんでもない場所に、わざわざ地図なんて設置してあるんだろう。
(……に、しても。この立て札を「あそこに生えてる地図」って……。まあ、そんなふうに見えないこともないけど。変わった言い方するんだなあ、雛形さんて)
くすり、と笑いをこぼして、友也は地図の前に立った。
地図は、ちょうど、座布団を少し横に引き伸ばしたくらいの大きさだった。
その中心には、現在位置とおぼしき赤い丸が、描かれている。
そして、赤い丸からいくらか離れたところに、もう一つ丸があった。そちらの丸は、色の塗られていない、シンプルなただの白丸印だ。
「白い丸が、町役場の地図記号だからね」
雛形さんが、そう教えてくれた。市役所の地図記号なら知っていたが、町役場のは知らなかったので、ありがたい。
町役場のある場所は、見たところ、ここからさほど遠くないようだった。
ただ、そこまでの道筋がけっこうややこしく、迷わず町役場にたどり着けるかどうか、不安なところである。
(うーん。メモ取って行きたい……けど、筆記具はぜんぶ鞄の中だしなあ……)
その鞄を、今から取りに行くわけであるから。
地図を見つめながら、少し考えて。
友也は、雛形さんのほうへ顔を向けた。
「雛形さん。紙と鉛筆、持ってない?」
「えっ……。いや、ないなあ」
うん、だと思った。一応、聞いてみただけだ。
「んー、仕方ない。がんばって、覚えて行くっきゃないか」
溜め息まじりに呟くと、それを聞いた雛形さんが、きょとんとした顔で言った。
「覚えてって、その、地図のこと? その地図なら、それをそのまんま、摘んでいけばいいじゃない」
「え……。摘んでけば、って」
「破らないように、気をつけてさ」
「はは……。こんなふうに?」
友也は、冗談まじりに地図を左右から掴んで、持ち上げてみた。
そうしたところ。
ぷちん。
立て札の地図の部分は、あっけない手応えと共に、柱からはずれた。
「あ。上手に摘めたね、友屋さん」
「……えっ」
大きな地図を、両手を広げて持ったまま、友也は固まった。
その手の中で、地図の感触が、たちまちのうちに変化する。
持ったときは、薄いながらも、プラスチックの板みたいにピンと硬く張っていた地図。それが、柱からはずれた途端、ふやっとやわらかな紙の感触に変わったのだ。
「え……? 雛形さん? これって……」
「地図の木だよ。地図の種がどこからか飛んできて、そこに落ちて芽を出して、その大きさまで育ったんだ。地図の木なんて、この町じゃ、育てる人はいないからね。勝手に生えたものだから、勝手に摘んで持って行っても、かまわないんだよ」
いや。そんなこと、当然のように言われても。
でも、うん。そうか。そうだ。ここは、そういう町だった。
(道端に、地図くらい生えるよな、この町なら)
そう割り切って、友也は、もうこの際、ありがたくこの「地図」を持って行くことにしたのだった。
+
持ち歩くには大きすぎる「地図」を抱えて、友也は町役場を目指す。
地図を広げて持つにしても、丸めて持つにしても、地面を引きずったり、そこらへんにある物に引っかけたりしないよう、充分に注意して。
というのは、雛形さんから、こんなことを言われたからだ。
『その地図、破かないように気をつけてね。地図の木の地図は、ちょっとでも破けたり、穴が開いたりすると、その途端に種ができて、飛び散っちゃうから』
なんだそれ怖い。
これだけかさばるものなのに、傷を付けちゃいけないって、なかなか大変である。
それでも、友也はなんとか、その地図を頼りに町役場にたどり着いた。
役場の中の給湯室へ行くと、そこには、友也の鞄がちゃんとあった。中を確認してみたが、特になくなっている物などはないようだ。
よかったよかった。と、友也は鞄を持って給湯室を出て、ついでに、一階の自販機でジュースを五本買った。
鞄と地図を抱え、町役場の建物を出たところで、友也は、鞄から携帯電話を取り出した。
携帯電話は……充電切れだった。
「く……くそぉ」
電話が通じる、通じない以前の問題だった。
この町で携帯電話の充電器なんて、やっぱりなんとなく、手に入りそうにはないし。もう、家族への連絡とかはすっぱりあきらめて、帰り道を探すことに専念したほうがよさそうだ。
「とりあえず、雛形さんのとこに戻るかな……」
地図の木のことに関して、もうちょっと詳しく話を聞いてみたい。もしかしたら、そこから、駅へ通じる地下道を見つけるための手掛かりが、何か得られるかもしれない。
そう思い、友也はまた「地図」を広げて、もと来た道を引き返すことにした。
ところが。
地図を見ながら、半分くらい道を戻った辺りで、異変が起きた。
両手に持って広げた地図。その一点に、何やらぽつりと、染みのようなものが現れたのだ。
その染みは、最初はちょうど、紙が古くなって黄ばんだような色をしていた。それが、みるみるうちに焦げたような茶色になり、じわじわと周りに広がり始めた。
「な……なんだ……?」
友也が眉をひそめている間にも、染みはどんどん大きく、色濃くなっていく。
やがて大きな地図は、端から端まで残らず、紅茶に浸して乾かしたような茶色になった。
かさかさと水分を失って、しわしわになったその状態は、まさに、地図が「枯れた」かのようだった。
そうして「枯れた」地図には、ひとりでに裂け目が入り、四方八方から破れ出す。
――いや。破れる、というよりも。
地図に描かれた「道」の部分が、細長く切り離されて、めくれていく。地図上のすべての「道」が、地図の真ん中にある、赤丸印に向かって、くるくるくるくる、丸まっていくのだ。
あっという間に、地図の赤丸印は、丸まった何十本もの「道」に埋もれて、見えなくなった。道の部分だけが切り離されたその地図は、なんだか、しおれた花のようでもあった。
しかし、それも束の間。
地図は、次の瞬間には、
ポンッ!
と音を立てて、中心から勢いよく弾け飛んだ。
「……!」
地図の「道」は、くるくるくるくる、らせんを描いてよじれたまま、ちりぢりになって舞い上がった。
風に運ばれて飛んでいく、その地図の紙片を、友也はぼんやりと見上げた。
ひょっとして、あれが、「地図の種」なんだろうか。
あの、よじれた紙片の一つ一つが、いずれどこかの道端に落ちて、そこで芽を出し、また新しい地図が育つのだろうか。
(……それにしても。なんで、いきなり地図が飛び散っちゃったんだろう。俺、地図を破いたりしてない……よな?)
よく、わからないけど。なんにせよ。
友也の手の中に残されたのは、もう使い物にならなくなった、色染みたボロボロの地図。
(……まあ、それでも、一回とおった道だしな。帰りは、なんとかなるだろう)
くしゃくしゃと地図を丸めて、それを捨てずに鞄に入れて、友也は気にせず歩き出した。
が、しかし。
それからいくらも進まないうちに、友也は、思いっきり道に迷ってしまった。
「……っれえ? おっかしいな……」
いくら探しても、来たときに通ったのと同じ、記憶にある道が、見つからない。ちょっとでも目印になりそうな家があれは、家の並び順とか、建物の色や形とか、庭の景色とか、一応、なるべく覚えるようにはしていたのに。
自分の記憶力も当てにならないなあ、と、友也は軽く途方に暮れた。もとから道に迷っていたわけだから、今さら、そんな深刻に困り果てることはなかったが。
「はあー……。どうすっかなあ」
溜め息をつき、肩を落とす友也。
そのとき。
頭上で、がらっと窓の開く音がして、友也はハッとそちらを見上げた。
「あ……宮ノ宮さん!」
窓から顔を出したのは、相変わらず、わずかに笑顔らしき表情を浮かべた、その人だった。
(……あれ?)
そこで、友也は、ふと違和感を覚えた。
(宮ノ宮さんの家って、ここだったっけ?)
友也は首をかしげた。
朝、宮ノ宮さんの家を出てから、いくらか迷いはしたけれど。
それにしたって、あの家のあった場所とは、まったく方角が違ってるような……。気のせいだろうか?
いや、でも、家の外観も、朝出てきたあの家とは、やっぱり違う。あの家の壁は、確かベージュ色じゃなくて、レンガだったような。家の正面から見える窓の数は、二つじゃなくて、三つだったような。玄関は右寄りの位置じゃなくて、ちょうど真ん中にあったような……。
疑問符を浮かべながら、友也は再び、宮ノ宮さんのいる窓辺を見上げる。
すると。
宮ノ宮さんは、窓から手を出して、その人差し指の先を、ある方向へと向けた。
友也は、指差されたほうを振り向いて、すぐにもう一度、宮ノ宮さんに目を向ける。
それから、宮ノ宮さんと同じように、自分もその方向を指差して、言った。
「……あっち?」
友也の問いかけに、宮ノ宮さんは、少しだけ目を細めた。
それに対して、友也はうなずいた。
たぶん、宮ノ宮さんはこれ、道を教えてくれてるんだ。ずいぶんとアバウトな指示ではあるけれど。
とりあえず、友也は、宮ノ宮さんの指差したほうへ、進んでみることにした。
そうやって、しばらく道を行くと。
また、頭上でがらっと窓が開いた。
その窓辺にいたのは、宮ノ宮さんだった。
友也は、思わず立ち止まり、ぽかんとして窓を見上げる。
「? ? ?」
先ほどの三倍の疑問符を浮かべながら、友也は宮ノ宮さんを見つめた。
なんで? どーゆーことだ?
どーして、宮ノ宮さんが、こんなところにいるんだろう。ついさっき、向こうにある家の中から顔を覗かせていたはずの人が、なぜ、今ここに。いったい、いつの間に。
宮ノ宮さんは、さっきと同じように、窓から手を出して、道を指し示してみせた。
友也は混乱しつつも、とにかく、その道案内に従う。
そして、しばらく歩くと。
またしても、待ち構えていたように、そこにある家の二階の窓から、宮ノ宮さんが顔を出す。
そのあとも、宮ノ宮さんは行く先々に現れて、一言も喋ることはなく、ただ指差しで友也に道を教えてくれた。
不思議な人だ。でも、宮ノ宮さんっていうのは、きっと「そういう人」なんだろう。
トガカリさんの手が、鎖になったり檻になったりするように。影中さんが、影がなくなると体が消えてしまうように。宮ノ宮さんが、行く先々の家の窓から顔を出すのも。それは、そういう人だから、なのだろう。友也はそう納得することにした。
ところで。
宮ノ宮さんの教えてくれた道は、友也が町役場に来るときにたどった道筋とは、少し違っていたようだった。
道の途中で、友也は、来るときには通らなかった場所に、差し掛かったのである。
その場所は、「地図の木」の群生地だった。
袋小路の道路一面に、数え切れないほどの地図の木が生えて、さまざまな大きさの地図たちが、その行き止まりの道を埋め尽くしていたのだ。
「おおお……すごいな。これだけたくさん生えてるなら……」
茂りまくっているその地図を、友也は、両手に抱えられるだけ摘み取った。地下道の場所が載っている地図というのは、ざっと見た限りではなさそうだったが、それでも、摘んでいけば何かの役に立つかもしれない、と思ったのだ。たくさんある地図を、もっと細かいところまでじっくり調べていけば、あるいは手掛かりの一つも見つかるかも、と。
ぷちん、ぷちん、と友也が地図を摘んでいる間にも、地図の茂みの中では、いくつかの地図が枯れ、ポンッと音を立てて、その種を弾け飛ばしていた。
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