第8話 ~おかしな地図を栽培する話~
「地図の種」1/3
「あの、昨晩はどうも……ごちそうさま。お招き、ありがとうございました」
昨晩、というか、実際には、日付が変わって今日になってからのことなんだけど。でも、一回寝て起きたから、やっぱりそれは「昨日の晩」って感覚になる。
ともあれ、友也はそう挨拶をして、宮ノ宮さんに深々と頭を下げた。
玄関まで見送りに来てくれた宮ノ宮さんは、
「また来てね」
と、ひとこと言って、友也に手を振った。
ぱたん、と、玄関の扉が閉じられて。
朝日の中、友也はまた一人、この町の中に放り出されたのだった。
一つあくびをして、友也は、すがすがしい朝の空気を胸いっぱいに吸い込む。
まぶしい陽の光を浴びて、友也の中に残る夜の余韻が、溶けていく。
あの部屋。あの料理。あの時間。
あの真夜中のお茶会は。宮ノ宮さんの不思議な家は。今思い返すと、なんだかぜんぶ、夢の中のことみたいに思えた。
夢ではない証拠に、今、友也の手には、宮ノ宮さんに持たされた、おみやげのミートパイがあるけれど。
「とりあえず、これで今日の朝飯は確保、っと……。いや。念のため、なるべく遅く食べて、ここは朝昼兼用の食事にしたほうが……。まあ、ちょうどいい弁当代わりになるか。となると、あとは、自販機でいくらか飲み物も買ってから……」
ぶつぶつと、そんなことを呟きながら、友也は歩く。
今日こそは、家に帰らなければ。
駅へ行って、そこから線路沿いに歩いて、帰るのだ。
(昨日ちゃんと食事できたから、今なら体力もたっぷりある。この町を出て、知ってる町までたどり着くのに、どれくらい歩けばいいかわかんないけど……。たとえ一日や二日かかったとしても、これなら、まあ死にゃーしまい)
野宿することになったとしても、凍えるような季節ではないし。見晴らしの良い土地を線路沿いに歩くのだから、どう間違っても迷うことはないだろう。
ただ一つ、問題があるとすれば――。
かコよヶ駅に通じる、あの地下道。
それがどこにあるのかを、友也はすっかり忘れてしまったということだろうか。
「ううううう……」
宮ノ宮さんの家を出て、立ち止まっていても仕方ないから、とりあえず歩き出してはみたものの。道がわからないことには、やっぱりどうにもこうにもならない。
どうにかして、地下道までの道を思い出せないものか。
周りの景色に、見覚えはないか。手掛かりはないか、どうか。
何か記憶に引っかかるものがあれば、けっしてそれを見逃すまいと。友也は慎重に周りを見回しつつ、しかし、やみくもには変わりなく、とにかく足を進めていった。
そうして、しばらく行ったところで。
友也は、道端に佇む見知った顔と、再会した。
「あっ、友屋さん。おはよう!」
友也の顔を見るなり明るい声を掛けてきた、その男は、前見たときと場所だけ変えて、あのときと変わらぬ姿をしていた。つまり、磔だった。
ただ、今日は、電柱が兼磔台にはなっていなくて、男を拘束する手枷、足枷は、そこにある民家の壁に、直接埋め込まれていたが。いいのか、その家に住んでる人。誰も住んでいないのなら、いいのかもしれないけど。
この人に会うのは、これが二度目で。
はじめて見たときほどでは、ないにしろ。
その姿を、また目の当たりにして、友也はやっぱりギョッとする。
でも。
「ひ……雛形さん……!」
友也は、思わず、雛形さんに向かって突進した。
そして、その勢いのまま、身動き取れないその体に抱き付いて、叫んだ。
「うわああああ! 会いたかったああああ!」
「はっ!? えええっ? なっ、なんで!?」
全身を拘束されて、それでもなおにこやかでいられる雛形さんも、これにはさすがに、ひどくうろたえた声を出した。
友也はハッと我に返って、雛形さんから離れると、ちょっと涙の滲んだ目尻を拭った。
「い、いや、あの……。なんか……立て続けに、会話の成立しない住民の人と出会ったもんで。ちゃんと話の通じる人がね……懐かしくって……」
「ああ。……へえ」
雛形さんは、心当たりの住民を思い浮かべでもしたのか、クスクスと小さく笑った。
それから、にっこりと微笑んで、雛形さんは言った。
「ぼくも、会いたかったよ、友屋さん。ねえ。また、友達を一回、売ってもらえるかな?」
「え……。えーと……」
友也は、口ごもって、そーっと雛形さんから視線をそらした。
困る。今、そんなこと言われても。
友達を売る、という行為そのものに、まだ慣れない。というか、別に慣れたくもないのだが。それはそれとして、どっちにしろ、自分はこれからもう、この町を出ようとしているところなのだ。
ぐずぐずしていたら、また日が暮れてしまうかもしれない。だから。
悪いけど。もう、雛形さんに「友達」を売ってる時間はない。
これからも、永遠にない。
「ごめん……雛形さん。俺……帰らなきゃ」
「え。帰るって……友屋さん」
雛形さんは、不思議そうな顔をして、首をかしげた。例によって、黒い首輪に付いた鎖が、じゃらり、と音を立てた。
「切符、買えたの? あれ? でも、電車が来るのは、確か一年後って……」
「う、うん。そうなんだけど……」
歩いて帰るにしても、電車で来たなら切符がないと帰れない。そう教えてくれたのは、雛形さんだ。その話を信用していないようで、なんだけれど。いや、実際、半信半疑なのだけど。
「本当に切符がなくちゃ帰れないかどうか、とりあえず、試してみたいんだ。自分自身で、確かめたいんだよ。だって、線路沿いに、ただ歩いて行けばいいだけだろ? それで帰れないなんてこと――」
「帰れないよ」
あっさりと、なんでもないように、そう返されて。
友也は、思わずムッとした。
うつむいて、友也は、ぐっと拳を握りしめる。
「なんで……。なんで、雛形さんに、そんなことわかるんだよ」
苛立ち混じりになる声を、押し殺しながら、そう呟く。
それから、友也は再び顔を上げ、キッと雛形さんを睨みつけた。
そして。
「雛形さんなんて……磔のくせにっ!」
気がついたときには、そんなことを、叫んでいた。
叫んでしまってから、友也は、ハッと自分の口を押さえた。
なんてことを――。
実際に磔になっている人に向かって、「磔のくせに」なんて。いくら本当のことでも、言っていいことと悪いことが――。
(……んん? いや、待てよ? それって、禁句なのか?)
一瞬、激しい後悔に襲われた友也だが、はたとその疑問に思い至って、ちょっと悩む。
どうなんだろうか。磔の人に向かって「磔のくせに」って言うのは、やっぱり失礼に当たるんだろうか? そんな台詞、これまでの人生で言い放った経験はなかったし、ほかの人が言ってるのも聞いたことがないから、どうにも判断がつかない。
「……」
友也は、ちらりと雛形さんの顔色をうかがった。
雛形さんは、目を丸くして固まっていたが、友也と目が合うと、慌てたように、硬い笑顔を浮かべて言った。
「あ……うん、そうだね。確かに、ぼくも、電車とか切符のあの話は、人から聞いただけだから……。自分で試してみないと、わからないよね。うん」
「……そ……ですね。……ごめんなさい」
消え入りそうな声で、友也は謝った。
「いや、こっちこそ、ごめん。……えっと。じゃあ、友屋さんは、これからかコよヶ駅に行くんだね」
「あ、はい。そう……なんだけど」
雛形さんの顔には、もういつも通りの笑顔が戻っている。それを見て、友也はホッとした。
小さく息をついてから、友也は、雛形さんに尋ねた。
「あのさ。雛形さんは、かコよヶ駅前につながる地下道が、この町のどこにあるか、知らない?」
「地下道?」
問い返して、雛形さんは、首をかしげた。
「うーん。ぼくには、ちょっとわからないな。ぼくは、そのかコよヶ駅にも行ったことはないし。地下道のそばに磔になったことも、たぶん、なかったと思うしね」
「あ、そうなんだ……」
友也はがっくりと肩を落とした。
磔のくせに、と言っちゃったことは、心から悪いと思う。でも、実際問題、やっぱり磔だと、知っている情報もおのずと限られてくるみたいだ。この町の地理に関しては、たぶん特に。
(どうしよう……。もし、今日もこの町を抜け出せなかったら……)
友也の胸の中で、不安な気持ちと、焦りが増していく。
これ以上家に帰れないのは、本当にまずい。今頃、家族のみんなは、何日も家に帰ってこない自分のことを、どれだけ心配していることか。もう、捜索届けとか、とっくに出されていてもおかしくない。あんまり大げさなことにしてほしくないんだが……そういうわけにもいかないだろう。
(せめて、家に連絡だけでも、取れればなあ)
そう考えて。
友也は、ハッとした。
そうだ。携帯電話! 駅で一回使ってみたあと、気味が悪くて、ずっと電話を掛けるのをためらっていたけど。もしかしたら、この町でなら、あのときみたいなことにならず、ちゃんと電話が向こうに通じるかもしれない。これは試してみなければ。
そう思うが早いか、友也はババッと俊敏な動作で、鞄の中にしまっていた携帯電話を取り出――。
「……って。ああっ!」
鞄に手を掛けようとした友也は、そこで気づいて、声を上げた。
鞄が、ない。
持ってない。身に着けてない。どこにもない。
一体いつから――。
(あっ……そうか、給湯室だ! トガカリさんから逃げるとき、確か、あそこに鞄、置きっぱなしに――)
どうりで、昨日の夜からやけに身軽だったはずである。
友也は脱力して、深々と溜め息をつきながら、肩をしぼませた。
「友屋さん?……どうしたの?」
心配そうに問いかける雛形さんを、ゆっくりと振り向いて、友也は尋ねた。
「……あの。ここから町役場までって、どう行けばいいんでしょう?」
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