「宮ノ宮さん」3/3
「どうぞ」
と、宮ノ宮さんに促され、友也は、椅子のない部屋の隣の部屋に入る。
その部屋は、ほどよく明るい部屋だった。
照明の色とか、照度とかが、友也の自宅のリビングとよく似ていて、友也は一瞬、自分の家に帰ってきたかのような錯覚を覚えた。
といっても、明かり以外は、自宅とは似ても似つかない。
クラシカルな雰囲気の調度品。アルミサッシではなく木の枠の窓。お姫様のドレスみたいなカーテンの上飾り。丸い小さなテーブルにはテーブルクロスが掛けられていて、その横に一つだけある椅子は、座るところと背もたれのところがクッションになっている。
テーブルの上には、いくつもの料理の皿が並んでいた。
今までの部屋では、それは本当に、食べ終わったあとの、お皿だけだった。けれど、この部屋では、どのお皿の上にもちゃんと料理がある。きれいに盛り付けられた料理は、色とりどりで、おいしそうで、どれもまだ手つかずのようだった。
ということは、この部屋には、これからお客さんがやってくるのか。
いったいどんな人が……と、好奇心を膨らませる友也であったが。
「どうぞ」
宮ノ宮さんは、椅子を引きながら、友也に向かって、そう言った。
「へっ……?」
友也は、少しの間、ぽかんとして宮ノ宮さんを見つめた。
それから、ハッと思い出す。
そうそう、そうだった。宮ノ宮さんのお招きにあずかったのは、おいしいものごちそうしてもらえるかも、と期待してのことだったっけ、そういえば。
こんな凝ったお食事に招待されることなんて、今まで一度もなかったから。ほかの人をお招きした部屋を見ているうちに、自分も宮ノ宮さんに招かれたんだということ、すっかり忘れてしまっていた。
「い、いいんですか? 座っても」
「どうぞ」
宮ノ宮さんは、椅子を引いたまま動かずに、友也が座るのを待っている。
百二十円もらった上に、食事までごちそうになるなんて。ちょっと心苦しいと、友也は思う。
でも、これがきっと、宮ノ宮さんが「友達」を買った目的なのだろう。
宮ノ宮さんは、「友達」を家に招いて、「おもてなし」するために、友屋さんから買い物したのだ。
「そ、それじゃ……」
友也はおじぎをしてから、遠慮がちに、その椅子に腰かけた。
椅子に嵌め込まれたクッションに、ふかっと体を受け止められる。
テーブルの上に目を落とす。ああ、おいしそうなごちそうが目の前に。友也は、思わずごくんと喉を鳴らした。
とぽとぽとぽとぽ……。
宮ノ宮さんの手によって、ガラスのポットに入ったお茶が、ゆっくりとティーカップに注がれていく。つややかに透き通った、深紅の色のお茶。
湯気と共に、ふんわりと、よい香りが広がった。紅茶と、甘い花の香り。ハーブティーというやつだろうか。フレーバーティーっていうのかもしれない。よく知らないけれど、テーブルの上で、料理や焼き菓子の匂いと混ざり合うお茶の香りは、なんとも言いようがないほど魅惑的だった。
ポットに入っていたお茶は、半分くらい注いだところで、カップ一杯分になった。
宮ノ宮さんは、もう半分のお茶が残ったポットを、もとどおりテーブルに置いて、
「どうぞ、召し上がれ」
と、友也に促した。
「……いただきますっ!」
叫ぶように言うが早いか、友也は、テーブルの上の料理に手を伸ばした。
グラタンのタルト。レバームース。煮リンゴとさつま芋のクレープ。トマトの肉詰め。キャベツとキノコのスープ。はちみつプリン。それから、ケーキスタンドというのだろうか。お皿が三段の塔になっているようなやつ。それの上に乗っかった、何種類ものプチ・ケーキ。
どれもこれもおいしくって、友也は夢中で食べた。
お茶もおいしかった。こんなにおいしいお茶、今まで飲んだことがない。
(あ……。これって、「お茶会」なのかな、もしかして)
今さらながら、友也は、ふと思った。
一人だけの、真夜中のお茶会。そういうのも、悪くないかも。
もぐもぐ。
サク、サク。じゅわっ。
むぐむぐむぐ。ごっくん。
ふーっ、ふーっ。はふはふ。
ずずずーっ……。
「……ふうっ」
花の香りがするお茶を飲んで、友也は、一つ息をついた。
自然と顔がとろけてしまう。至福だ。まさに至福。この料理、味もさることながら、グラタンやスープは熱々だし、プリンは容器ごとひんやり冷たくて……。
(……ん。あれ?……この料理って、俺がこの部屋に入ってくる前から、テーブルの上にあったよな……?)
そのことに、はたと気がついて。友也は、ちょっと不思議になった。
テーブルの上に出しっぱなしにされていた料理なら、いくらか冷めたり、ぬるまっていたりしても、おかしくないのに。
そういえば、お茶を注ぐまでは空だったティーカップ。これも、お茶を入れたばかりのときから、もう取っ手があったまっていた。前もってカップを温めておいたのだろうけれど、それにしたって、空にしたカップをそのまま放っておいたら、けっこうすぐに冷めちゃうんじゃないだろうか。
まるで、自分がこの部屋の扉を開けるまで、部屋の中の時間が止まっていたみたいだ。
そんなことを思いながら、友也は何気なく、部屋の中を見回す。
と。
宮ノ宮さんが、いつの間にか、どこにもいない。
料理に夢中になってる間に、どこか、ほかの部屋へ行ってしまったらしい。
どこに行ったんだろう。ここに来るまでに通ってきた、三つの部屋のどれかか。それとも、さらに奥の部屋か――。
この部屋にも、今までの部屋と同じく、入ってきた扉の向かい側に、出口の扉が一つだけあった。あの扉も、やっぱりまた、隣の部屋に続いているんだろうか。いったい、どこまで部屋が続いているんだろう、この家は。
――この家。
外から見たときは、ごく普通の民家に見えた。新興住宅地によくあるような、小ぎれいだけれど庶民的な家。そういう外観だったのだ。まさか、中がこんなに広くて豪華になってるなんて、家に入る前は、思いもしなかった。
(……こんなにいっぱい部屋があるんなら、一つ、部屋貸してくんないかなあ、宮ノ宮さん)
現在宿なしの友也は、けっこう切実に、そんなことを考える。
(とりあえず、今日はもう深夜も深夜だし……この部屋に泊まっても、いいのかな。だったらありがたいんだけど)
ベッドはないけど。
でも、友也は、この部屋をけっこう気に入っていた。自分の家とは、ぜんぜん違うけど。それなのに、不思議とやけに居心地がいい。なんとなく、落ち着くのだ。
(特に、こうして窓を眺めてると……)
テーブルの上に片手で頬杖をついて、友也は、暗い窓ガラスに目をやる。
「……!」
そこで、友也は気づいた。窓の外の景色が。あれ、何か、おかしくないか。
友也は慌てて席を立って、窓辺に歩み寄った。
そんな馬鹿な、と思いつつ、窓に近づいて。
外の景色を確かめた友也は、その瞬間、息が止まるくらい驚いた。
窓ガラスの向こうに見えたのは、見覚えのある景色だった。友也にとって、あまりにもなじみ深い、風景だった。
バス停の明かり。街路樹のケヤキ並木。四車線道路を隔てて、信号機のうしろには、その辺りの住人の共同駐車場。駐車場の向こうには、小さな橋と、二軒並んだ民家と、それを挟んで建つ、商店と卸売問屋。右のほうには交差点と、その上に架かる歩道橋。左のほうには、アライグマの看板のコインランドリー……。
それは、友也の家の、自分の部屋の窓から見える、街並みだったのだ。
「な……。これって……。え……?」
友也は混乱する。呆然とする。
なんで。どうなってるんだ。
自分の部屋があるのは二階で。でも、宮ノ宮さんのこの家には、確かに一階の玄関から入って。階段とか上っていないはずなのに、ここから二階の景色が見えるのも、おかしな話だが。けど、このさい、そんなことはどうでもいい。
ここから、この景色が見えるってことは。えええ?
つまり、ここは。というか、この部屋の外は、自分が住んでいた、あの町なのか?
ってことは、この窓を開けて外に出れば、もと居た町に。自分の家があるあの町に、帰れるってことなのか?
(帰れる? 帰れる? 帰れる?――本当に?)
一階のはずなのに二階の窓。飛び降りたりしたら、怪我をするかもしれない。でも、そんなのは、どうにだって。テーブルクロスとかカーテンとかを結べば、ロープ代わりのものくらい作れそうだし。
(や……やった、家に帰れる! よおし。それじゃ、一刻も早く――!)
と、窓に手を掛けて。
窓を開けようとしたその手を、友也は、ふと止めた。
「……」
ちらり、と、友也は部屋の中を振り返る。
テーブルの上の皿には、まだ、いくらか料理が残っている。
(……せっかくの、おいしい料理……。せめて、これ、食べ終わってからでも……)
友也は、窓から離れ、再びテーブルの席に着いた。
早く帰りたいはずなのに。
窓を開けて、外に出れば、もういつでも帰ることができるのに。それは、すごくうれしいことのはずなのに。
友也は、一口ずつ、ゆっくり、ゆっくり、料理を口に運んでいった。
やがて、ぜんぶの料理を食べ終わると、ポットの中に残っていたお茶をティーカップに入れて、それをまた、一口ずつ、一口ずつ、ゆっくり飲んでいった。
そうして、お皿も、ポットも、ティーカップも、すべて空になった。
カップをテーブルに置いて、友也は大きくあくびをした。
おなかがいっぱいになったせいで、とっても、眠い。
たまらず、友也はテーブルに突っ伏した。
帰ろうと思えば、いつでも帰れるんだから。
だから、今はまだ……。
花の香りと、お茶の香りと、料理と焼き菓子の匂い。甘くて香ばしい眠り薬みたいな、そんな空気にくるまれて、友也は、目を閉じた。
奥の部屋から、誰かの話している声が、聞こえていた。
知らない声。何人もの人たちの、楽しそうな話し声、笑い声。
まだ会ったことのない、町の人たちなんだろうか……。
ぼんやりと思いながら、友也は、眠りに落ちていった。
+
朝になって。目を覚まして。部屋の窓を開けた友也は、あぜんとした。
両開きの窓を、押し開けた、その途端に、見慣れた景色は消えてしまったのだ。
自分の家の、自分の部屋の窓から見えるのと、同じ街並み。
その正体は――。
窓ガラスに描かれた、絵であった。
友也は思わず肩を落として、それと同時に、力なく笑った。
なんのことはない。
窓に描かれたその景色が、自分のための、宮ノ宮さんなりの「おもてなし」だったのだ。
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