「宮ノ宮さん」2/3

 ……大丈夫だろうか、本当に。

 このあとの展開が、もし童話の『ヘンゼルとグレーテル』的なことになったとしても、グレーテルはいないのだが。人食い魔女の家に、ヘンゼル単身でのこのこ上がり込んだりしたら、バッドエンドまっしぐらである。

 けど、それでも。

 それでも、ごはんをごちそうしてもらえる可能性は、捨てがたい。

(……まあ、なんとかなるだろ)

 特に根拠はないが、友也は、気楽にそう考えることにした。




 玄関に入って、靴を脱ぐ。

 玄関前の廊下には、あらかじめ、来客用らしいスリッパが用意されていた。

「どうぞ」

 と、宮ノ宮さんは、スリッパに手を向けて促す。

 友也はぺこりとおじぎして、その真新しいきれいなスリッパに足を入れた。

「どうぞ」

 友也がちゃんとスリッパを履いたのを見計らって、宮ノ宮さんは、ゆっくりと歩き出した。

 促されるままに、友也は自分も、宮ノ宮さんのあとについて、廊下を進んだ。

 枝分かれしていない、まっすぐな廊下。ところどころにある、アンティーク調のランプの形をしたライトが、細長い箱のような一本道を、やわらかなオレンジ色に染めている。


 やがて、友也たちは、廊下の突き当たりにたどり着いた。

 そこには、一つの扉があった。

 宮ノ宮さんは、その扉を開けて、

「どうぞ」

 と、友也を部屋に通した。


 その部屋に、足を踏み入れた瞬間。

 友也は、思わず「うっ」と呻いた。


 暗い――いや、黒い!


 その部屋の中は、あらゆるものが、真っ黒に塗られていた。

 壁も黒い。天井も黒い。部屋の中央にあるテーブルには、真っ黒なテーブルクロスが掛けられている。椅子も黒いし、テーブルの上の食器も、皿からカップからスプーンから、何もかも黒い。ガラスの一輪挿しも薄っすら透ける黒色なら、それに活けられている花も黒いバラだ。


 食器の上の料理は、もう誰かが食べ終わったあとらしく、はたして料理の色までが真っ黒だったのかどうかは、わからない。でも、部屋の中に漂っている残り香は、紅茶じゃなくて、あきらかにコーヒーのものだ。そして、テーブルの上のどこにも、ミルクピッチャーは見当たらなかった。

あまりの圧迫感に、友也はクラリとよろめいた。


 なんなんだ、この部屋は。悪魔でも召喚してたのか。

 悪魔じゃなければ、いったい誰が、こんな部屋で食事なんて。宮ノ宮さんだとは思えない。だって、この部屋のテーブルと椅子は、やけにサイズが大きすぎる。宮ノ宮さんは、女性としては背の高いほうではあるけれど、それでもこの椅子だと、丈が高すぎて、腰掛けるのはひと苦労だろう。これは、もっともっと背の高い人じゃないと……。


(ん? 待てよ。背の高い人……? 黒色……? それって、もしかして)


 友也が思い当たる人物は、一人しかいなかった。

 トガカリさん。

 あの、全身黒づくめの格好をした、長身のおまわりさん。

 この部屋で、この椅子に座って、このテーブルに並べられた料理を食べて、コーヒーを飲んだ人物は、あの人に違いない。


(トガカリさん、この家に、遊びに来てたのかな。……いや。遊びに、っていうか、これは、お招きされたって感じか)


 お招きされて遊びに来た、のかもしれないが。

 どちらにしろ、この部屋は、トガカリさんをもてなすための部屋だったのだろう。ずいぶんと手の込んだおもてなしだ。手の込め方は、果たしてこれでいいのかどうか。それはトガカリさんにしかわからない。


(それにしても、宮ノ宮さんとトガカリさんて、仲いいのかな。なんか、壊滅的に会話の続かない組み合わせのような気がするけど……)


 そんなことを、ぼんやりと考えていた友也が、ふと気づくと。

 宮ノ宮さんは、いつの間にか、部屋の奥の扉の前に、立っていた。

 手招きされて、友也は、自分も扉の前に歩み寄る。

 宮ノ宮さんが、扉を開けた。

 扉の向こうには、また、部屋があった。




「どうぞ」

 と、宮ノ宮さんに促され、友也は、真っ黒な部屋の隣の部屋に入る。

 その部屋は、さっきの部屋よりは、ずっと普通だった。壁や天井の色も目に優しいし、家具やテーブルの上の食器も、まともで上品で、ちゃんとくつろげそうな部屋である。


 ただ――。

 この部屋、ちょっと、照明が強い。

 さっきまで黒色まみれの部屋にいたから、よけいにそう感じる、というのはあるだろうけど。でも、さっきの部屋とは、そもそも照明の種類からして違う。


 さっきの部屋は、雰囲気のある喫茶店とかレストランみたいな感じで、ランプの明かりが灯された、薄暗い部屋だった。けれど、この部屋の照明は、充分に明るい電気なのだ。まあ、ここは喫茶店でもレストランでもないのだし、民家のリビングというと、だいたいこのくらい明るさはあるものだろう。そこのところも、この部屋を「普通」だと感じた理由の一つだった。


 とはいえ、この部屋には、「普通」を打ち消すものもまた、存在していた。

 それは、テーブルの上に広げられた、大きなパラソルだった。

 パラソルといっても、海水浴場のビーチで使うような、カラフルなやつではない。落ち着いた色合いのもので、色だけ見れば、この部屋にあるほかの家具とは調和が取れている。


 けど、なんで、部屋の中にパラソル。

 せっかくの明るい部屋なのに。これじゃあ、肝心のテーブルと椅子に、思いっきり影がかぶさっているじゃないか。

(ん? 待てよ。影、といえば……)

 そうか、と、友也は納得した。

 たぶん、この部屋は、影中さんをもてなすための部屋だったのだろう。

 あの人は、影がないと、体が消えてしまうから。明るい照明も、大きなパラソルも、影中さんがくつろげるだけのスペースを持った、くっきりとした影を、部屋の中に作るためのものだったのだ。これまた、手厚いおもてなしである。


(影中さんは、もう、帰っちゃったのかな……)

 もしまだこの家にいたら、この宮ノ宮さんという人のこと、ちょっと聞きたかったのだが。

 けど、テーブルの上の料理と飲み物は、ぜんぶきれいに空っぽになっているし、きっともう、帰ったあとなのだろう。

 残念な気持ちで、パラソルの影の中を見つめていた友也が、ふと気づくと。

 宮ノ宮さんは、またいつの間にか、部屋の奥の扉の前に、立っていた。




「どうぞ」

 と、宮ノ宮さんに促され、友也は、大きな影がある部屋の隣の部屋に入る。

 この部屋は、最初に入った真っ黒な部屋と同じく、レトロな喫茶店かレストランのような、暖色系の明かりに包まれた、薄暗い部屋だった。

 ぱっと見た感じは、今度こそ、ごくごく普通の部屋だ。

 と、思った。

 けれど、薄暗さに目が慣れてくると、部屋の中に、何やら妙なものがあるのがわかった。

 部屋の中央辺りにそびえ立っている、何か。


 それは一見、脚の長いテーブルのような形をした、オブジェみたいなものに見えた。

 しかし、よくよく目を凝らして見上げれば、その「何か」の上には、皿やグラスや、花の活けられた一輪挿しが載っている。どうやらそれは、「テーブルのような形をした」ものじゃなく、本当に、テーブルそのものらしかった。

 テーブルにしては、なんとも異様な丈の高さである。トガカリさん用の部屋にあったものよりも、はるかに高い。友也がめいっぱい手を伸ばしても、テーブルの真ん中にある皿には手が届きそうにない、というくらい。

 そして、妙なことに、テーブルのそばには、いくら探しても椅子が見当たらなかった。


(これは……誰のための部屋なんだ? まだ、俺が会ったことのない人なのかな……)

 もう一度、テーブルを見上げて、反らした首を、友也はかしげる。

 この町には、トガカリさんよりもまだ背の高い人がいるのだろうか?

(ん? 待てよ。椅子がないってことは……)


 友也はハッとした。そうだ。あのテーブルくらいの高さに頭があって、椅子になんてどうやったって座れない人が、一人、いたじゃないか。

 雛形さん。

 あの人には、椅子なんて必要ない。だって、磔になっているのだから。


 テーブルの前に磔台を置けば、雛形さんの頭は、ちょうど皿やグラスのところか、それよりちょっと上の位置にくるだろう。

 それを思って、あらためて見てみると、テーブルの上にあるグラスには、ちゃんとストローが挿さっていることに気づく。あれなら、磔になっていて両手が使えない雛形さんでも、グラスの中身を飲むことができそうだ。


 さらによーく見ると、皿の上に何か、細いカラフルなスティック状のものが、何本も突き出しているのがわかった。ちょっと考えて、友也はピンとくる。あのスティックの先には、きっと、一口大の料理とか、果物とか、刺してあったのだ。そういう状態にしておけば、首さえろくに動かせない雛形さんでも、なんとか料理を食べられそうである。


 まったく、たいしたおもてなしだ。

 磔の刑に処されている人を食事に招くのは、正直どうなんだろう、と思わないでもないが。

 とにかく、この家の主人ホスト、宮ノ宮さんのおもてなし魂は、並ではない。


(何か裏があるかも、なんて思ってたけど……。宮ノ宮さんは、きっと、家に招いたお客さんをおもてなしするのが、大好きな人なんだな)


 そんなことを考えて、感心したり、ホッとしたりしていた友也が、ふと気づくと。

 宮ノ宮さんは、またしてもいつの間にか、部屋の奥の扉の前に、立っていた。

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