第7話 ~4番目に出会った住民は、「おもてなし」が大好きだった。~

「宮ノ宮さん」1/3

 夜の町を、友也は一人さまよう。

 どうしよう。今晩は、あの町役場の給湯室で寝泊まりしようと、思っていたんだけど。

 夜七時以降は町役場の建物に入ってはいけない。この町にはそんな決まりがあったなんて。……いや。それは昨日定められていた規則だから、もう十二時を回って「今日」になった今なら、町役場の給湯室に泊まっても、別に、咎められることはないのかもしれない。今日の規則は、「ゴミのポイ捨て禁止」なのだから。 


 でも、友也はやっぱり、今から町役場へ戻る気には、なれなかった。

何せ、規則を破った罪で「逮捕」されそうになり、「刑に処され」そうになったのが、つい今しがたのことだ。昨日の規則は昨日の規則だし、と、頭では思っていても、どうにも怖い。あんな目に遭った直後に、再びのうのうと町役場へと戻る度胸は、友也にはなかった。


「どうしよう……今夜」

 はあっと、うなだれて溜め息をつく。

 あてもなく、夜の町をさまよい歩くなんて、人生で初めての経験だ。

 道に迷ったことはある。帰りが真夜中になったこともある。でも、いつだって、どんなときだって、目指す自宅は、ちゃんとあった。この町に来るまでは。

 こんな時間に、これからどこへ行ったらいいかわからない。そんなこの状況は、なんてなんて、心細いんだろう。


 静かな夜道。暗い夜道。

 響くのは自分の足音と、ときおり聞こえる風の音だけ。

 たくさん建ち並ぶ家の、どこの窓にも、明かりは灯っていない。人が立てるような物音や、話し声も、どこからも聞こえない。住民が寝静まっているからか。でも、昼の静けさを思うと、やっぱりここらにある家には、そもそも人が住んでいないのかもしれなかった。


 とぼとぼ歩きながら、友也は、無性に人恋しくなっていた。

 誰かに会いたい。影中さんでも、雛形さんでも。トガカリさんはもういい。

 とはいえ、時間が時間だ。影中さんの場合は、日が沈んだ時点で、もう会えないんじゃないかという気がするし。

 雛形さんにしても、もしかしたら、もう昨日とは違う場所にいる可能性もある。よしんば、まだ昨日の場所から動いていなかったとしても、どっちにしろ、こんな時間に会いに行くのは迷惑だろう。


 とりあえず、一人で朝を待つしかないか。

 問題は、夜が明けるまでどこにいるか、だ。さすがに、一晩中こうして歩き回ってはいられない。

(二十四時間営業のネットカフェとか、ファミレスとか……ないだろうなあ、この町には)

 そう思いつつも、一縷の希望を捨てきれず、友也は視界の悪い中、きょろきょろ周りを見回しながら、歩き続けた。


 しばらく歩いたところで、友也は、一つの窓に目を留めた。

 その窓には、明かりが灯っていた。

 しかも、部屋の中には、人がいる。

 髪の長い、ゆったりとした感じの服を着た、女の人だ。

 その人は、立っているのか座っているのかわからないが、窓辺にいて、じっとこちらを見下ろしていた。その顔には、ほんのわずかにだが、笑顔らしき表情が浮かんでいるように見えた。


 窓明かりを見つけて。人の姿を見つけて。

 いくらかホッとした気持ちになったこともあって、友也は思わず、その女の人に笑い返した。

 すると、女の人は、窓の中から、ゆっくりと友也を手招きしたのである。


「え……」


 友也は戸惑った。

 ええと。それはつまり、「上がってこい」という意味なのだろうか。

 なんだってまた。ぜんぜん知らない、会ったこともない人なのに。


(この町の住民って、初対面の人間にも気さくな人、多いのかな……)


 そういう町なのかもしれない。思い返してみれば、今までだって。

 雛形さんは、初対面の自分に、気さくに友達売ってほしいとか言ってきたし。影中さんは、初対面の自分に、気さくに食料を分けたりしてくれたし。トガカリさんにいたっては、初対面の自分に、気さくにすごい蹴り入れてきたし。


 それならそれでいいんだけど。

 いや、でも。この場合はどうなんだろう。

 こんな真夜中に、若い女の人の家に男が上がり込んでも、よいものだろうか。


(うーん……)

 このまま立ち去るのも失礼な気がするし、どうしたものか。

 窓を見上げたまま、友也は悩む。

 女の人は相変わらず、かすかな笑みを浮かべて、何を言うでもなく、ただ友也を見下ろしているだけだ。いったいどういうつもりで、ずっとああしているんだろう、あの人は。


 まいった。このままでは動けない。気持ち的な問題で。

 うん。なら、いっそのこと。

 向こうが黙ったままでいる気なら、こっちから、話しかけてしまおうか。


「あ、あのー!」

 と、出した声が、思いのほか夜道に響いて、友也は慌てた。

 こんな深夜に、二階の窓まで届く大声なんて、周りに迷惑――いやいや。

(そ、そうだ。この町には、ほとんど人がいないっぽいんだった。昼間に住宅街歩いてても、腹立つくらい人に出会わない町なんだった……)

 戸数に対して、明らかに人口密度がおかしいのだ、この町は。

 そういえば、住民名簿だってそもそも、自分を入れて、たった三十一人分の名前欄しかなかったわけだし……。


(あ……そうだ、住民名簿)

 思い出して、友也は、ポケットから住民名簿の紙を取り出した。


 折り畳んだ名簿を開いて、街灯の下で光に照らしてみると、案の定、4の番号の横に、初めて見る名前があった。

「宮ノ宮さん……?」

 窓を見上げて、友也は、そこにいる女の人の名前らしきそれを、口にした。

 女の人は、うなずく代わりとでもいうように、少しだけ目を細めてみせた。

 言葉は返ってこなかったけれど、一応、意思の疎通ができたらしいことに、友也は安心する。


「宮ノ宮さんー!」

 と、友也はもう一度、今度は大きな声で、二階の窓に呼びかけた。

 電気が点いていない周りの家々に、人は住んでいないのだろう、たぶん。住んでいませんように。怒られませんように。ちょっとびくびくしながら、友也は、窓に向ってもう一声。


「あのー、何か、俺に用ですか?」

 そう、尋ねてみたところ。

 宮ノ宮さんは、窓の外に向かって、何かを放り投げた。


 ちゃりーん、ちゃりん、ちゃららりーん。


 と、投げられたそれは、澄んだ音を響かせて、友也のすぐ足元に落ちた。

 見下ろして、拾ってみると、それは三枚の小銭だった。

 百円玉が一枚に、十円玉が二枚。

 計百二十円、というその金額には、覚えがある。この町にやって来た日に自販機で買った、缶コーヒーの値段だ。

 あるいは、「友屋さん」として雛形さんに売った、「友達」の値段だ。


(もしかして……。「友達一回」、売ってほしい、ってことかな……?)


 友也は、再び二階の窓を見上げた。

 宮ノ宮さんは、窓から出したほの白い手を、またゆっくりと揺らして、手招きした。


          +


 ドキドキドキドキ。

 友也は胸を高鳴らせて、玄関の前に立つ。

 その緊張は、あんまりよい予感によるものではない。どっちかというと、嫌な予感がする。――山道で迷って、家の明かりを見つけ、その家の人に一晩宿を借りることになったが、実は、そこは人を食う鬼の家だった――とか。そんな日本昔話、なかっただろうか。この家で宿を借りることになるかどうかはわからないけれど。夜中に隣の部屋から包丁研ぐ音が聞こえてきたらどうしよう。食われませんように。


 いろいろ考えつつも、友也は、扉の横のチャイムに指を伸ばす。

 手の中にある百二十円を、このまま持っていくわけにはいかない。宮ノ宮さんにお金を返すか、「友達を売る」か、どっちかしないと。

 友也は意を決して、チャイムを押した。

 ピンポーン、とチャイムが鳴って、その響きの余韻が、消えるか消えないかの間に、ガチャリとドアが開いた。途端に、家の中から、おいしそうな料理やお菓子の匂いが溢れ出した。


「いらっしゃい」

 ドアの向こうから顔を出した宮ノ宮さんは、初めて口を開いて、そう言った。

 静かで穏やかな、けれど、はっきりと耳に届く声だった。

「ど、どうも……」

 と、友也は軽く会釈する。

「えっと、宮ノ宮さん。これって……」

 言いながら、友也は、手の平に乗せた三枚の小銭を、宮ノ宮さんに見せた。

「このお金は、『友達一回分』の代金、ってことなんでしょうか?」

「いらっしゃい」

「……え」


 友也は、宮ノ宮さんを見つめた。

 宮ノ宮さんは、かすかな笑みのまま、友也を見つめ返す。

 友也の胸の中で、嫌な予感が膨らんだ。


「えーと……。あの、ですね。えっと、今日は、もう時間が遅いですし。今から『友達』を買ってもらうってのも、ちょっとあの、どうなのかなって……」

「いらっしゃい」

「……このお金返して、俺、帰っちゃだめですか?」

「いらっしゃい」

「…………」


 有無を言わさぬ、とはこのことか。

 まともに会話の通じた、影中さんや雛形さんのことが懐かしい。


 さて、どうするか。この三枚の小銭を、豆まきみたいに家の中に投げ込んで、逃げてしまってもいいんだけど。でも……。


(……いい匂いだー。こんな夜中に、食事してたのか?)


 家の奥から漂ってくるその匂いを、友也は思わず、胸いっぱいに吸い込んだ。

なんの料理だろう。シチュー? グラタン? カルボナーラ・スパゲッティ? お菓子のほうは、クッキーだろうか。それとも、パイ? タルト? パウンドケーキか?


 ぐうううーっと、腹が鳴る。

 昼間はどうにか食べ物にありつけたけれど、そういえば、夕飯は食べていないのだった。さすがにもう、胃袋の中は空っぽだ。


 ここで宮ノ宮さんの家に上がり込んだら、もしかしたら、何かおいしいもの、ごちそうしてもらえるんだろうか……。


 そんな期待を抱いて、あらためて宮ノ宮さんを見ると、なんだか途端に。

 表情に乏しい笑顔も。ゆるく癖のついた、長い髪の毛も。飾り気のないデザインの、ゆったりした部屋着も。すらりと背の高い立ち姿も。その全部が、なんとなく、やさしい人柄を表しているかのように見えてくる。まあ、見えてくるだけだ。実際にはどうだかわからない。


(ええい、ここはいちかばちか……信じてみるか、宮ノ宮さんのこと。「友達」だしな!)

 思いっきり食べ物につられていることを自覚しつつも、友也はそう決心した。

 腹の虫を鳴り響かせながら、友也は宮ノ宮さんを見つめる。

 宮ノ宮さんは、さっきと寸分変わらない口調で、また言った。


「いらっしゃい」

「……おじゃまします」


 友也が返した挨拶を聞いて、宮ノ宮さんの瞳が、一瞬、嬉しそうに光った気がした。

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