「トガカリさん」2/2

 じゃら。じゃらり。


 トガカリさんは、右手で鎖を掴み、ポケットの中から引きずり出していく。

 その鎖で、一体何をしようというのか。すごく予想はつくけれど、友也はあんまり考えたくもなかった。


「あ、あの……! ちょっと、待ってください!」

 このまま、ただ黙っているわけにもいかず、友也は必死に声を上げた。

「な、なんで、俺が逮捕されなきゃいけないんですか? 俺、何か、町の規則を破るようなことしましたか!?」

 友也の問いかけに、トガカリさんは、


「夜七時以降、町役場の建物内へは侵入禁止。これに違反した者は、刑期一年二ヶ月間の禁固刑に処す」

 と、これまた簡潔に、淡々と答えた。


 うあああああああ、と友也は青ざめる。ほんとに違反してるじゃないか。言い訳しようのない現行犯じゃないか。で、でも……。


 刑期一年二ヶ月の禁固刑。そんなものを食らったら。

 かコよヶ駅に帰りの電車がやってくるのは、一年後なのだ。一年を越える刑期なんて困る。いや、別にこのさき一年間、この町で電車を待つつもりはないけど。それでも、帰りの電車に確実に乗り損ねる事態なんて、やっぱり全力で避けなければならない。


(っていうか……今さらだけど、影中さんの言ってた「怖ーいおまわりさん」て、この人のことだよな! 雛形さんを磔にしたのも、絶対この人だよな!?)


 トガカリさんの服装に、何一つおまわりさんっぽい要素がなかったので、なかなかそこに思い至らなかった。

 しかし、それに気づいたところで、この危機的状況が変わるわけでもない。しいて言うなら、雛形さんのあのありさまを思い出して、絶望がより深まるくらいだ。

 ここで捕まったら、きっと本当に処されるんだろう。刑期一年二ヶ月の禁固刑に。


「――トガカリさん」

 友也は、ぐっと拳を握って、トガカリさんを見上げた。

 とりあえず、説得、してみよう。もしかしたら、話せばわかってもらえるかもしれない。


「あのっ。き、規則を破ってしまって、本当にすみませんでした。でも、俺、この町に来たばっかりで。夜七時以降、ここに入っちゃいけないとか、知らなくて」

「知らなくても、罪は罪」

「そ……それは、そうですけど。でも、今回だけ、見逃してもらえませんか」

「トガカリさんは罪人を裁く」

「そ……そこをなんとかあああ……」

「トガカリさんは、罪を犯した友屋さんを刑に処します」


 じゃらり。と、トガカリさんは、手から生えた鎖を鳴らした。


 だめだ。話の通じる相手では、ない。

 泣きそうになる友也に向かって、トガカリさんは、鎖の生えた手を後ろに引き、構えた。

「……ひっ!」

 友也はとっさに身をかがめた。

 床に伏せた、その頭の上を、振り投げられた鎖が、シャッと空を切って通り過ぎる。

 鎖は、開いていた窓から飛び出して、外にあった木の幹に、ぐるぐるぐるぐる、ガチン! と巻き付いた。


(あっ……危ねえ! 今の、もしよけてなかったら……)


 ぞっとしながらも、友也は慌てて立ち上がった。

 そして、自分も窓から、転げるように外へ飛び出す。この部屋は一階だから問題ない。

 逃げなければ。今のうちに。木に巻き付いた鎖の根元は、トガカリさんの手と繋がっているのだから。鎖を木からほどくまで、トガカリさんも、あそこから動けないはずだ。

 そう考えつつ、友也は、町役場の庭から道路に出た。




 夜道を走る。ひた走る。

 とにかく逃げよう。戦っても勝てる相手とは思えないし。少なくとも、丸腰じゃ絶対無理だ。せめて、こっちにもなんか武器とかないと。

(なんにせよ、今のうちに、どれだけトガカリさんを引き離せるかが勝負……! うまくまいて時間を稼げたら、その間に、何か策を考えよう!)

 足の速さには、けっこう自信のある友也。こんな状況でも、割となんとかなるんじゃないかと、それなりに希望を抱いていた。


 しかし。


 いくらも走らないうちに、タッタッタッタッ、と、背後から足音が迫ってきた。

 振り向くと、大きな黒いシルエットが追ってきている。明らかに、こっちよりも足が速い。あの長身、あの足の長さであれば、そりゃそうかもしれない。友也は必死にスピードを上げた。


 ちらちら、後ろを振り返りつつ、友也は走る。

 トガカリさんの手からは、もう鎖は生えていないようだった。元通りの、普通の右手だ。でも、トガカリさんはいつまた何を投げてくるか、わからない。だから、前だけ見て走るわけにもいかなった。


 そんなことをしていたら、道端に立っていた街灯の柱に、ゴッ、と顔をぶつけてしまった。

 街灯に、軽く跳ね返されるようにして、友也はよろけた。

 思わずその場に立ち止まり、つうっ、と呻いて顔を押さえる。

 それから、ハッと後ろを見ると。

 一つ向こうの、街灯の明かりの下で。トガカリさんもまた、立ち止まっていた。


 トガカリさんは、右手を首元まで持ち上げて、その小指を、首筋にかかる長い黒髪の中へと、滑り込ませる。

 そうしたあと、髪の毛の中から引き抜かれたのは、やっぱり小指ではなく、鎖だった。しかも、今度のは単なる鎖じゃない。鎖の先に、真っ黒い首輪が付いたものだった。


 トガカリさんは、再び構えて、友也に向かって鎖付きの首輪を投げた。

 すんでのところで、友也はそれをかわした。

 まっすぐに飛んできた首輪は、友也の首の代わりに、友也がぶつかった街灯の柱を、がっちりと捕らえた。

 輪っか状で飛んできた首輪が、なんで柱に嵌まるんだろうか。見たところ、普通の革の首輪で、金具を穴に差し込んで装着する構造のものなのに。どういう仕組みか知らないが、ずいぶん便利な拘束具じゃないか。いろんな意味で怖い。

(と……とにかく、この隙にっ)

 友也は、また逃げ出した。


 息を切らせて、走る、走る。

 すると、間もなくして、辺りの景色が、なんだか見覚えのあるものになってきた。

 どうやら、逃げ回っているうちにぐるっと一周して、もとの町役場の前まで、戻ってきてしまったらしい。

 友也がそれに気づいた、ちょうどそのとき。


「トガカリさんは、罪を犯した者を決して逃がさない」


 背後ではなく、前方から、トガカリさんの低い声が響いた。

 しまった。いつの間にか、回り込まれていたのだ。

 暗闇の向こうから、ぬうっと大きな黒い人影が現れて、近づいてくる。

 逃げなければ……と思うが、もう、息が苦しくて。


 なすすべなく見つめていると、トガカリさんは、コートの胸元に右手を入れて、そこから何かを取り出した。街灯の明かりを浴びて、鈍く光る、黒い鉄の輪っかのようなもの。

 また、手錠だろうか。

 それをちゃんと確かめることもなく、友也は、身をひるがえした。

 苦しいとか言ってる場合じゃない。まだだ。まだ、あきらめるには早い。あきらめなければ、きっと、きっと道は開ける――と、いいんだけどなあ。


 そんな気持ちを胸に、再び走り出した友也だったが、その、次の瞬間。

 ヒュッと空を切る音がして、友也の右の足首に、がちゃりと何かが嵌まった。

 見るまでもない。トガカリさんが投げた、鉄の輪っかだ。


 なんだこんなもの、と、友也は気にせず走り続ける。

 しかし。

 ガチン、ガチン、ガチン、と足元から響いてくる音に、友也がふと自分の足を見下ろすと。

 右足に嵌められた鉄の輪っかから、いつの間にやら、鎖が生えてきている。その鎖の環が、ガチンと音を立てながら、一つずつ、一つずつ、どんどん増えていっているではないか。


 やがて、ある程度の長さになった鎖の先に、ぷくりと黒い球体が生まれた。かと思えば、その黒い球体は、一瞬にして、ズドン、とサッカーボールくらいの大きさまで膨らんだ。


「わっ、たっ……!」

 黒い球体は、重みでその場から動かなくなり、球体と鎖で繋がれた友也の右足も、それ以上は動かせなくなった。友也は、バランスを崩してわたわたともがきながら、そのまま前のめりに転倒した。


 鎖の先で膨らんだ黒い球体は、鉄球だった。

 重い重い鉄球付きの足枷。こんなものを嵌められては、もう一歩も進めない。

 トガカリさんが、近づいてくる。


「うっ……」

 目の前にやってきたトガカリさんを、友也は見上げた。

 トガカリさんは、コートの左のポケットに、自分の左手を入れた。

 そうして、トガカリさんが、ポケットの中から取り出したのは。


 ――檻、だった。


 トガカリさんの左手首から先は、手ではなく、真っ黒な鉄の檻になっていた。

 人ひとりを閉じ込めるのにちょうどいいくらいの大きさの、底に四角く扉が開いた、丸い鳥籠のような形の檻。


 トガカリさんは、その檻を友也の頭上にかざした。

 もう、だめだ――。

 友也は、覚悟を決めて目をつぶった。

 そのとき。


 リンゴ―ン、リンゴ―ン、リンゴ―ン。


 夜空の彼方から、鐘の音が、鳴り響いた。

 トガカリさんは、ぴたりと手を。いや、手首の先の檻を止めて、鐘の音がするほうへ、顔を向けた。

「午前……零時……か」

 そう呟いて、トガカリさんは、友也の頭上から檻をどけた。

 そして、その檻を元通り、コートの左ポケットの中にしまう。

 そんな大きさの檻が、なんでポケットに入るんだろうとか、友也は疑問に思わないでもなかったが、今はというか今さらというか、まあどうでもいい。


(た……助かった……のか? でも、どうして……)

 さっきの、鐘の音のせいだろうか。午前零時の鐘の音? 昨日は眠っていて聞こえなかったのだろうけど、この町では、いつもさっきみたいに、真夜中に、日付が変わったことを告げる鐘が鳴るんだろうか。

 でも、だからって、どうして。


 友也は、いぶかしげにトガカリさんを見上げながら、立ち上がった。


 瞬間。

 トガカリさんが、右足を引いて、構えた。


 そこから間髪入れず、友也は、トガカリさんに蹴り飛ばされた。


「…………!」


 それは、吹っ飛ばされた、と言っても何ら問題のない飛ばされっぷりだった。

 友也の体は宙を舞って、もといた場所から、数メートル離れたブロック塀にぶち当たって、地面に落ちた。同時に、右足に嵌まっていた足枷が、ガシャンとはずれた。


 ぴく、ぴく、と、友也は体を痙攣させる。

 痛い。当然痛い。骨が折れたとか、そんなことは、たぶんないみたいだけど。派手に吹っ飛んだ割には、案外、全身の打ち身くらいで済んだみたいだけど。それにしても。


(は……反則だ……。鎖とか手錠とか、そんなの使ってくるから、てっきり生身では攻撃してこない人だと思ってたのに。拘束具だけじゃなく、こんないい蹴りまで持ってるなんて……)


 しかし、なんで唐突に蹴られたんだ俺。

 わけがわからず、ただただ呆然としている友也の前で。

 トガカリさんは、コートの胸ポケットから、何やら折り畳んだ紙を取り出した。

 その紙を丁寧に広げながら、トガカリさんは、町役場の前に立てられた、掲示板らしきものに歩み寄る。


 その掲示板には、もともと貼り紙がされてあった。友也は読んでいなかったので、何が書かれていたのかはわからなかったけれど。その、ピンで留めて貼ってあった紙を、トガカリさんは剥がし取り、代わりに、さきほど胸ポケットから取り出した紙を、四隅にピンを刺して、掲示板に貼り付けた。


 その作業が終わると、トガカリさんは、友也を振り向いて。

「じゃあね。友屋さん」

 口元に薄っすらと笑みを浮かべて。抑揚のない口調で。それだけ言って。

 あっさり友也に背を向けて、暗い夜道の向こうへと、去っていった。




 トガカリさんの姿が見えなくなったあと。

 友也は、トガカリさんが掲示板に貼り付けた紙を見るために、全身打ち身の体を引きずって、町役場の前にあるその掲示板へとにじり寄った。

 なんとか立ち上がり、友也は、街灯のすぐ横にある掲示板の貼り紙に、顔を近づける。


『本日、かコよヶ駅前町にて、道路を含む公共の敷地内でのゴミのポイ捨て禁止。これに違反した者は、刑期39年間の逆さ吊りの刑に処す。

 なお、昨日の禁止事項に違反していながら裁かれなかった者については、今日、トガカリさんが蹴ります。』


 その貼り紙を読んで、友也が思うことは、ただ一つ。

 これから24時間は、絶対この町でゴミのポイ捨てをしないように気をつけよう、ということだった。

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